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ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

最低な1日だった。
もともとそうじゃないかと思っていた。なんなら1日どころか、1週間そうだった気がする。頭の中に皮肉と暴言が立ち込めていた。すきあらば、言葉が飛び出そうとするから良いものだけを見つめる努力をしようとするけれど、それでもやっぱり人は最低で社会は、世界はクソで、一刻も早く終わるべきでは、と思い出した頭は止まらない。そんなこと思いたいわけじゃないのに、という気持ちと私が悪いのかよという気持ちが私の頭の中で陣取りを延々としている気がする。最低な気分だ。

 

 


その1週間のラストに、深夜バスに乗り込んだ。冷房が効いていて、これは肩が凝りそうだ、と憂鬱な気持ちになる。タオルを気休めに肩に載せてみたけど、効果があるかは、分からない。あー最悪、最低。
そうして眠り、ぼんやりと起きた休憩箇所。乗客確認にやってきた運転手さんと目が合った。


「寒くないですか」


そう柔らかな声で聞かれて、え、と返してしまった。耐えれないほどじゃない、と曖昧に頷けばよかった、と運転手さんも頷き「もし寒ければいつでも連絡ください」と運転席への連絡の取り方を伝えてにっこりOKマークを指で作った。

 

 


そうなんだよな。

なんか、それにすごく暖かな気持ちになって、そうなんだよな、と思う。色んなことがクソだけど、でも、そうだよな、そうじゃないよな。こういう優しさだって、あるんだよな。
じわじわと嬉しくなりながら、頭の中にはハナムたちの顔が浮かんだ。ああそうか、私がこの映画を好きなのはそういうところなのかもしれなかった。

 

 


なんとなくガッカリすることって、ある。
大きく傷付くことも怖いけど、私は最近この「なんとなくガッカリ」が怖い。気が付けばそれは無視できないくらいの量が溜まっていく。しかもそれはほぼ無自覚的に溜まるのだ。

例えば、友だちとのすれ違いとか、家族との価値観のずれとか。
例えば、電車で乗り合わせた人のマナー違反や、飛び込んできた強い言葉とか。
そういう「傷付いてる方がおかしい」ことはもやもやになって、溜まる。いや、なんならそのおかしいという認識ももやもやへと変化する。

 


この世は自分には複雑だ、そう言うハナムにそっと頷きたくなった。
平日、しかも週明けのレイトショーの映画館は、意外にも人がたくさん入っていたけど、なんだかそれでもそれぞれが「ひとり」で映画に向き合えているような、そんな心地よさに満ちていた。
最新作の映画なのにどこか優しい、懐かしい空気感のおかげかもしれない。

 

 

 

舞台の時代は1970年。ベトナム戦争が終わったアメリカボストンの全寮制の学校はそわそわとホリディ前の空気で満ちている。
ただその中で、浮かない顔をしている人々もいる。
生徒からも教授たちからも嫌われる考古学教授のハナム。
子どもをベトナム戦争で亡くしたばかりの寮の料理長メアリー。
そして、勉強こそ出来るものの問題ばかりを起こすタリー。
彼らはせっかくのホリディなのに、寮に残らなければいけない。

 

 


残った人たち、特にハナムとタリーはお世辞にも「良い人」ではない。嫌われていることにも納得がいくほど、皮肉屋で人の揚げ足を取ったりする。
やなやつだなー!と思い切り思う、のだけど、早々に彼らを好きになるのは、良い人だからではなく、それでもその中、ひとかけらの優しさが覗くからだ。

 

 

どちらかといえば、人に共感するタイプではなく「ズレた」人たちなのかもしれない、マジョリティではなくマイノリティとして、あるいは声のない「いないひと」たちとして描かれる、なかったことにされる人たち。だけど、その人がある瞬間、自分以外の孤独や怒り、悲しみにそっと寄り添う。
それは決して、スマートなものばかりじゃない。その瞬間の気まぐれのようなものかもしれない。だけど、私はとてもそれが愛おしかった。

 

 


世界の複雑さにうんざりしながら決して合わない歩調に諦めを滲ませながら、彼らはその優しさを決して捨てない。それは、品というようなものじゃないのか。
その品の方が、本当はマジョリティにいることよりも多くの人に好かれることよりも、よっぽど難しい。

 


例えば、映画の中、何度か、大切なものを踏み躙るシーンが出てくる。例えば、誰かの仕事を、思い出を、手袋を、寂しさを。
それにハナムは、タリーは、メアリーはそっと寄り添う。優しさ、と呼ぶには時には面倒くさそうでもあったけど、でも、私はその温度感が好きだった。

 


無自覚的に振るわれる暴力がある。気付かずに享受している誰かの犠牲の上で成り立つ平和もある。そういう傲慢さに、時々うんざりする。それは「私はそうじゃない」と言いたいのではなく、むしろ、絶対的にきっと「そう」だからだ。本当の優しさはいつだって難しい。

 


ハナムが歴史について話すシーンが、どこもとてつもなく好きだ。きっと、複雑な世界を理解する、繋がるための方法が、彼に取って考古学なのだろう。そしてそれをタリーへと伝える、その温度が好きだ。
何より、それがひっくり返る瞬間がある。


ああそうだよな、教養って、教育ってそうだよな。


私はあれから、繰り返しそれぞれのシーンの台詞を思い出している。
どちらが本音か、どちらが真実か、なんてきっとない。ないんだよな。

 

 

 

観てから、ずっと、あの映画のことを考えている。派手ではない、淡々とした生活の中、人生の長い時間の中で埋もれるかもしれない数日間。
最高の日々ではない、だけど、大切なあの時間のことを、私はこれからも思い出す。彼らの人生の中でもきっとそうして振り返られていると良いなあと思いながら。

 

 

 

ところで、映画の中、ハナムが思いがけずタリーが同じ傷を抱えていることを知るシーンがある。
その瞬間のハナムの表情が、とんでもなく好きだ。一緒に分け合ったりはしない、できない。だけど、それでも良いのだ、それが良いのだ。そう繰り返しあのシーンを思い出しながら思っている。




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