ふと観ている時「なんで好きなんだろうな」と考えていた。
振り返ると、12月のイベントで上演を知り、12月25日は友人を「クエストさん観に行かん?」と5月の予定なんて見えてないだろうに誘っていた。
自分にとって、この日が楽しみで、コロナ禍に入ってからの「本公演」「リング舞台」が「ようやく」で、心を躍らせる予定だった。
X-QUESTさんは、主に東京で活躍する劇団であり、持ち味としては独特の言葉遊びのような台詞たちと超高速の殺陣・ダンスなどの身体表現である。もちろん、魅力的なキャストのほか、音響照明の見応えや毎度細部まで観察したくなるような衣装など、魅力を挙げ出すとキリがない。
そんな公演だから好きなのだ、と言えば、まあそうなのだ。
さらに言えば今回のテーマ「ベニクラゲマン」こと死なないヒーロー……正確には老化するたびに若返り、死なない彼の作品は短編を含めると4本目である。友だちを誘ったのは、この作品だったからで、そう思うと私の中で「ベニクラゲマン」というシリーズ自体もかなり好きなのだと思う。
観ながら「そうだよね」と思いながら、なんで好きなんだろう、を考え続けていた。確かに頭に浮かぶそれも全部そうな気もする。気が付けば9年この劇団を観るために足を運んだり、コロナ禍の時は配信を観たりしてきた。それは、なんでなんだろう、どうしてこんなに好きなのか。それは、もしかしたら習慣化した慣れのようなものなんだろうか。
そんなことないな、というか、それだけじゃないな、と観ていて思う。
今回の「BLUE IDENTITY」では、ベニクラゲマンは変身を辞める。変身しないことを選ぶし、忘れていく記憶たちがどれもハッピーエンドではなく、勝手に誰かに疎まれたり狙われたりすることを振り返って本当に嫌気がさしてしまう。
さらには、それぞれが勝手なことを言い、果たして誰が本当のことを言っているのか、何が「本当」で「意味がある」ことなのか分からなくなっていく。
なんなら、軍服のような服を着る男が口にしたように価値観の変化やそれに伴って「正しいこと/正しくないこと」が変わることも含めて考えるといよいよ本当に「何が本当で信じるに値するのか」が分からなくなっていく。
クエストさんはそもそも、物語が分かりやすいシーンで繋がっておらず、台詞や動きで「こういうこと?」を自分の中で組み立てていくのが楽しみ方だと思う。
そういう意味では今回、おそらく、ここがどこか病院であること。総合病院のような大きな病院であり、終末期の患者も受け入れてることがわかってくる。医者や看護師がシーンによって肯定したり嗜めてくるのは、治療なのか、だとしたら誰が「妄想」に取り憑かれているのか。妄想なのか、勘違いなのか。
そんなことをぐるぐる考えていたから余計に「なんで好きなのか」を考えていたのかもしれない。
好きだという感覚だって「勘違い」や「妄想」からの執着の可能性だって、十分にあるんだから。
そんなことを考えていたけど、後半畳み掛けるような殺陣とその中で汗が見える距離で浴びる熱量に「どっちでもいいか」と思った。どっちでもいい、どっちでもいいというか、私はだから「ベニクラゲマン」が好きだったのだ。
最初のベニクラゲマンが登場する「BLUE APPLE」を一番熱心に観ていた頃、仕事を休んでいた。
膝を抱えながら強くなればなるほど全身タイツのような衣装に着替えるベニクラゲマンの姿を夢中で観ていた。バカバカしいな、と思うこともあった。私は仕事を休みながら何やってるんだろうな、と過ぎることもあった。
もっと、ちゃんとしないといけないのにな。
そう思いながら観ていたけど、でもいつも、最後には泣いていた。笑いながら泣いて、無茶苦茶なところも含めて夢中になって、私はこれが好きだな、と思った。
そうだ、そうだった。
竹内さん演じるフリージャーナリストが言う「俺がベニクラゲマンだっていい」その台詞に、そうだよな、と思う。
何が本当か、なんて何も分からないことだってある。分からないことの方が、最近多い。
世知辛いことが多くて、ともすれば誰かのせいにしたり、悪意や憎しみの方が飛びつきやすくなる。だけど、そうじゃない、そうじゃないよな。
そんなことがしたいわけじゃないよな。
自分の信じたい妄想かもしれない、空想で、現実逃避かもしれない。だけど、そんな世界で初めて出来る呼吸があった。私は、それを知っていた。
何より、クエストさんの超高速の殺陣が、熱量がスタッフワークが「空想を現実にする方法」を教えてくれる。その面白さ、それがどこに繋がって、何を生むのか、私は、知っている。
それを、いつも確認して、ああ本当に好きだな、と思う。自分の好きなものを好きでいよう、と思うのは、きっと結局、そういうことなんだよな。
大事に何枚も撮った写真を見返しながら、そんなことを思う。自分の好きなものは今日も、最高だ。
