
関東大震災で避難所となっていた陸軍被服廠(跡地)に火災旋風が押し寄せ、最大級の39000人の死者を出した場所。中の展示でも見たのですが、鎮火後も誰のものかわからなくなった遺骨・遺灰が山積みになっており、跡地全体が墓地のようになっていました。
そこに東京都が1931年に建てたのがこの復興記念館と、慰霊堂です。記念館にはさまざまな資料が展示・収集されており、戦後には東京大空襲の記録も併せて収蔵されることになりました。現在でも、東京市模型の3Dバーチャル映像とか、巌谷小波の震災紙芝居「閻魔裁判鯰髯抜」をしりあがり寿のキャラデザインでアニメにしたもの、とか、新しいものも増えています。
そんな中に。


日本橋の魚河岸が潰れてしまい、築地に移転。そのことが「復興予算」の一覧図に書かれていました。1500万円。
その前の築地は。

えんじ色のところ、浜離宮の隣の島に池があるのがわかります。
ジオラマだとこんな感じ。左下の緑が浜離宮。これはもう更地になっているのでしょうか。

これは、大名庭園の「浴恩園」。最近遺構が確認され、詳細な文化財調査が要求されています。
築地市場の跡地から「天下の名園」の遺構が見つかった…すでに動き出している再開発 保存求める声は届くのか:東京新聞 TOKYO Web
この浴恩園保存に関しては、近日またあらためてお伝えいたします。
ついでに小池都知事が「諸説ある」「歴史家がひもとく」と言って、追悼文を送らない関東大震災における朝鮮人虐殺について、東京都の施設で歴史家がひもといて、すでに諸説なく事実として展示されています。


上は本横小学校の児童が描いた絵です。いわゆるPTSDセラピーとして学校で描かせたものが、まとまって収蔵されています。一部は実物が展示されていますが、これはパネルとして採用されています。
え下は竹久夢二が新聞に連載した絵とコラム。夢二は震災後の東京を精力的に歩きまわって、ジャーナリスティックな仕事をしたようです。これは有名な「自警団ごっこ」。子どもが真似をしているというなんとも残虐な話ですが、子どもたちの作文にも虐殺の目撃証言が多数あります(常設展示にはなし)。
小池さん、ちゃんと見ているのでしょうか。歴史はお嫌いそうですね。


慰霊堂です。
公の施設なので無宗教ですが、どうしてもお寺っぽくなってしまいます。東京都マークの幔幕が苦心のあとがしのばれますね。
ところが。
えっ、こんなところに築地本願寺が!!

築地市場は東京の文化であり、歴史である。そのことは消そうとしても消せないくらい東京のあちこちに残っているのです。