調査再開。しかし資料出納の依頼を送るのが若干遅かったせいか、朝来ても資料が出終わってなかった。午後までには出るとの旨。しゃーないので既に出してもらっている資料のボックスに入っている、今回の調査の狙い(1900年代の日曜付録を読むこと)とはあんま関係なさそうな新聞を読む。
『ボストン・アメリカン』というハースト傘下の新聞のスポーツ欄がまとめられたフォルダを発見。ちょうどジャック・ジョンソンがジェームズ・ジェフリーズを煽り倒していたときの紙面だった。その頃の紙面はなんとジョン・L・サリヴァンが編集に携わっており、毎回サリヴァンのコラムが掲載されている。ジェフリーズとか知らない人でも、アイアン・マイケルが柴千春と戦ってるときに出てきた亡霊ジョン・L・サリヴァンのことは知っているかもしれない。
スポーツ欄にはほぼ毎回紙面の四分の一くらいの面積のカートゥーンが載っている。で、実際読んでみてわかったのだが、この時期のハースト紙のスポーツ欄は、バド・フィッシャー、シドニー・スミス、ジョージ・ハリマン、TAD、ハリー・ハーシュフィールドなど錚々たる面子が揃っている黄金期的な時期だったのだ。以上の名前は柴千春とは関係無いので知らないのが普通です。ともかくめちゃくちゃ豪華なマンガ家が揃っていたのだ。そういえばこのころはハーストが西海岸の方からスポーツ欄で活躍していたマンガ家を一通り引き抜き終わって、スポーツ・カートゥーニストという概念がまさに確立しつつある時期だった。この辺のことはEddie Campbell の The Goat Gettersという本を参照してください。そんなこと言われてもわからないって人は、書名でググったら多分俺がジャーナルに書いた書評が出てきます。
さておき、この頃のスポーツ・カートゥーニストは非常に自由で、アナーキーな表現をのびのびやっていた。どのくらいアナーキーかというと、まずスポーツ欄なのにスポーツと全然関係ないマンガが普通に載っている。もともとスポーツ関係のカートゥーンだったのが、だんだんそのカートゥーンのキャラクター自体が人気になっちゃって、そっちをメインにした作品が出たりしたのだ。そういう作品も、たとえば5コマ目まではきちんとエピソードを描いて、最後の6コマ目でいきなりアーティストの近況報告が始まるとか、既に制度化されていた日曜付録と比べると格段に自由だった。読者層が大人だったというのも関係していたのだろう。そんなわけで面白くなっちゃって読むのが止まらなくなり、本来予定していた資料の準備が完了しても、ちょっと出納を待ってもらって読み進めてしまった。
午後から次の資料へ。いろいろ請求したが、まずジョン・ケインメーカー・コレクションから。ケインメーカーというのはウィンザー・マッケイの伝記を書いた人で、伝記の作業に使った資料がコレクションとして残されているのだ。別にマッケイの専門家になるつもりはないので一応目を通しておくくらいのつもりだったが、しょっぱなからいきなりマッケイとヘラルド社の間で交わされた契約書のコピーが出てきて前のめりになった。1908年の時の(おそらくは)契約更改時のもので、新聞一面に絵を描くごとに100ドル(当時の100ドルは本当にすごい額)、それより小さいサイズの作品は面積の割合をかけた額を報酬とする、云々。
ほかにもいろいろあったのだが、一番圧倒されたのはマッケイの兄、アーサーの入院時の記録が束で出てきたことだ。アーサーは精神を病んで入院し、マッケイ家はそれを家族のタブーとしたのか、ファミリーヒストリーからほとんどアーサーの存在を抹消してしまったとされる。ケインメーカーはアーサーが入院していた病院に手紙を送り(その手紙もコレクションに入っている)、当時の担当医師の診断書や入院記録を大量に集めていたのだ。たしかアーサーのことは伝記の中ではほんのちょっとしか触れられていなかったはずだ。伝記を書くとはこういうことなのだと示された気がした。
なんというか、マッケイについての情報というより、伝記作家の異様な熱量が感じられる資料の物理的存在感そのものがまことに感動的で、時間切れで作業が終わったときには疲労で頭がぼんやりした。仕事をしていたスーザンに感動を伝えたくて、手をバタバタしながらゴタゴタの英語で話したら笑ってくれた。
帰宅してピザ食ってたら、隣の部屋からポコポコと泡の音が聞こえてきた。さっきすれ違ったらいつにもまして大麻スメルが強かった。あいつ……ボングで吸っとる! エアビーで借りた部屋で毎日大麻吸ってるの、幸せそうではあるけど、なんかもっとこう……なんかないんか。