時間的にも体力的にも毎日割とギリギリまでやってるので、日記書く余裕がないかもしれない。以下は8/22分。
朝から湊あくあ引退にまつわる諸々で気分が下がる。明らかに会社との軋轢の話なのに、すべてを演者同士の感動エピソードへと整形して消費する連中……。ポジティブな感情の生産以外は不適切であるという規範を過剰に内面化してはいないか。というか、アメリカ来てまでこんなこと考えてるの馬鹿馬鹿しいのでやめたほうがよい。
『ワールド』1895年まで読み進める。初期の「ホーガン横丁」について去年論文を書いたが、実際に紙面を読んでみると論文を書き直したくなる。つーか本当は原本読んでから論文書くべきだった。そのへん誤魔化すために、作品そのものというよりは作品に関する言説についての議論をしたのだ。
「ホーガン横丁」は既に再版コレクションが出ているわけだが、実際の紙面にはコレクションに掲載されていない、かつ「ホーガン横丁」のシリーズに含められるかどうか微妙な作品が結構ある。1895年時点ではイエロー・キッドは明確には存在していないので、キャラを基準にシリーズを同定することはできない。「ホーガン横丁」という言葉が使われているかどうかも、先行言説が「キャシー横丁」とかの別の地名が使われている作品まで「ホーガン横丁」に含めてしまっている関係で、基準として微妙になってしまっている。このへんは突っ込めばまた論文書けそうである。
ざっと見ると、日曜付録の構成は『パック』などの週刊誌をかなり意識しており(表表紙はカラーの風刺画、中にユーモア重視の文章コンテンツとパネル・カートゥーンを配置、裏表紙はあんまり風刺っぽくないカラー作品、という感じ)、そういう週刊誌は中産階級〜専門家階級くらいをターゲットにしていたわけだから、移民労働者がメインターゲットだったという先行言説でよく言われていることはやはり怪しい気がする。黒人を弄りまくっている一方、女性参政権や女性解放運動にかなり共感的なのも興味深い。
帰宅、パスタ茹でるのめんどくなったので、具だけ作ってパンに挟んで食べる。同居人氏とまた会う。服が全然違ったので、先日会ったのとは別の同居人かと思い自己紹介したら「前会ったじゃん」と言われてしまった。恥ずかしい。こういうの引きずるんだよな〜〜。