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書ける人が最強だった時代

今日は少し悔しいことがあった。会社同士の集まりがあり、会社を代表して1分で話すというのがあった。私は発表する立場で参加していた。他にも10社ぐらいきていたので、私なりに考えて、みんなが飽きる前に話そうとグイグイと前に行き3番目に並ぶことができた。気をつけたのはL社の代表の人がいたのだけど、その方はプロ並みに話が上手いのを知っているので絶対にその人より先に話すようにしたことだ。それでうまくポジションを取れたと思った。

と思ったら甘かった。L社の代表は自分の強みを理解してて、わざと最後尾を選んでて、たっぷりと時間を使って「さあ、みなさん!こんばんは!いよいよ私の番です。 みなさんは⚪︎⚪︎を大事にしてらっしゃいますか?」という調子で大きな声で自信たっぷりに話し、場の空気を一瞬で掴んでた。話が上手い人は何番目でも変わらないし、むしろ最後が強い。さすがだなと感心するしかなかった。

こういう時に以前の私なら、確かにこの人は話すのは上手いかもしれないが、私には書く力がある。と自分の自尊心を保ちバランスをとっていた。

喋る力というのもすごいが、書く力というのもより多くの人に伝わり、いつまでも残るという強みがあるからだ。

そして確かに今まで書く力というので仕事を有利に進めてきたという自覚がある。喋れない分、人に会わない分、できるだけ会社の内外に文章を発信してそれで自分の考えを伝え、たくさんの人に読んでもらうことでレバレッジを効かせてきたのだ

提案書や企画書は一言一句こだわって、少しの誤解もないように書き、メールにおいては相手の心を思いやる文章作りをし、話すのが苦手な分、何度も書き直して勝負してきた(ほぼ谷崎潤一郎に学んだ)

そして、コロナが始まってからは書ける人が最強になった。リモートワークが普及し、社内コミュニケーションもテキスト中心になったからだ。チャットで伝える、議事録で伝える、突然書くスピードと質が求められるようになった。書けない人はコミュニケーションに苦労する。書ける人=声が大きい人になれた。

そして、これは不可逆な変化のはずだった。ついに声がでかい人が勝つ昭和の時代、いや、人類太古からの歴史が終わり、静かで内向的な人の逆襲が始まった。と思われた。

しかし最強の時代は短かかった。AI(LLM)の登場で誰でも適当に書いても80点の文章というのが書けるようになった。これで得するのは書くのが苦手だった人だ。そして書くのは苦手だが、喋るのは上手だったという人は、喋るのも書くのもうまいことになってしまう

つまり「書ける人が強い」という時代は終わったのだと思う

星新一のショート・ショートで、宇宙飛行士を目指す二人がおり、一人は体を鍛えパイロットになり宇宙飛行士の道を順調に進むが、もう一人は勉強ばかりしていて一向に宇宙飛行士を目指している気配がない。しかし、最後に勉強ばかりしてた方は体を鍛えてなくても宇宙に行ける方法を開発するという話があった。僕らが期待してたのはこういう未来ではなかったのか!

本当に短かった。そして最強だった時代は今後二度と訪れないだろう。

では本当に終わったのか?いや、そんなことは全然ないと考えたい。

まず、何を書くのかというのはまだ人間が決めることだ。また、自分の人格と完全に一致させた響く文というのもAIには書きようがない。そして何より何かを書くというのは自分のためにやることでもあるので勝とうが負けようが書くことの価値はあるのだ。

書いては消し、読んでは消して自分の納得するものに仕上げる。自分の言葉だけをつかい、少ない語彙を組み合わせて、伝わりやすいシンプルな言葉で自分自身の心の中を言葉にし、人に伝わるように磨き上げる。

そのうち、習字と同じで文章を書くというのは本当に自己満足だけのものになるのかもしれない。でも、それでもいいのだ。誰も読まなくても、手書きと思われなくても、書くという過程自体に意味があるのだから。




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