僕はコレを「感動の物価」という言葉でよく説明するのだけど、例えば1954年の人々はゴジラが火を吐いた時にすごい驚いたと思うけど、ゴジラは火を吐くことを知ってる現代人にはシンゴジラの「何もそこまでやらんでも!」くらいの火が必要だった。感動の物価が上がってるのよ。 https://t.co/ijYPlQO9nD pic.twitter.com/EqGg6D7sSm
— 中埜 (@pisiinu) 2024年11月18日
ドラクエ3のリメイクについて上記のポストがついていた。上記ポストでは、初代ゴジラではゴジラが火を吹くだけで観客は感動したが、シン・ゴジラで観客が感動するにはそれ以上のものが求められたということを言っている。そしてそれを感動の物価が上がったと表現している。
これは私が長いこと人生について感じてきたことをうまく例えており、なるほどと思わされた。私はこの方が感動の物価と言ってるものを「楽しさのための参加費」と表現していた。

例えば上図のように5歳の頃は公園で遊ぶだけで最高に楽しかった。私の場合は『近所の公園で幼馴染と砂山を作り、お互いに反対方向からトンネルを掘る。真ん中まで掘り進めると反対側の幼馴染と「じゃりっ」と指先が触れ合う。』この時の感動が忘れられない。これが感動のピークである。5歳だと0円で感動ができた。しかし、8歳になると公園で遊ぶぐらいでは感動できなくなる。サッカーの試合で勝利したり、仲間みんなをゲームで倒したぐらいしないとダメになる。そして18歳ぐらいになると数万円は使わないと感動できなくなり、あとはその繰り返しだ。
重要なのはどんどん参加費用は上がっているが、その分感動が増えるかというとそうではないということだ。感動の物価がインフレしているのだ。
結婚し、海外旅行に行き、子供が生まれ、家を買ってと参加費用はインフレしていった。世界一幸せと思えるような感動を何度もさせてもらったが、とにかく参加費用は上がっていった。
いま公園で砂遊びしても真に熱中できることがないのと同じように、いま妻と、結婚する前にデートに使っていたイタリアンの店に行ったら夫婦で変な気持ちになるだろう。そこに懐かしさみたいなものはあっても、当時の「背伸びしていい店に来た」という感動はないからだ。別に高級店が好きなわけではない。ファストフードは好きだし、サイゼリアも月に1度以上行く。感動があるかないかという話だ。
さらに、これは物を消費するだけの体験の時により強く感じる。ゲームを買ったりしたら子供の頃は説明書を穴があくほど読んだし、最新のiPhoneを買ったら開けるのが待ちきれなかった。それが今は買っても面倒くさいことの方が多く何日も置きっぱなしにしたりする。これは悲しい気持ちになる。
この辺りに45歳ぐらいで鬱になる人が多いというのも説明がつくんじゃないかと思ってる。45歳までくると感動の参加費用は数千万円〜数億までインフレしていてもおかしくない。(逆にいうと人生に悩むような人は悩む暇がある余裕のある人とも言えるのでマイホームぐらい買っていそうだ)次に感動したいと思うと億単位の出費やリスクが必要になるのだ。ただそれが怖いというのが一般的な感覚なのでできない。すると、その後に痺れるような感動というのはもうないということになる。これに潜在的に気がついてしまい苦しいのだ。
もちろん例外もある。感動の物差しが多数派の人たちと全然違う人だ。例えば日々他人に奉仕することなどで一日一日を充実させることに幸せを感じることができる人もいるだろう。ただ、そういう人は少数派だ。物差しをうまく設定できているか、勘違いしているか、人生を誤魔化しているかどれかなのだろう。
それにタチが悪いのはこれは別にお金がかかることに限らないということだ。勉強や研究や個人的趣味の追求についても同じレベルのことでは感動ができなくなってくる。ひたすら資格を取るのが趣味の人がいるが例外だと思う。資格を取ることだって普通は2つか3つ目で「ああ、こうやってやればいいだけか」と飽きるのが普通じゃないだろうか。
このインフレに対応する方法は私の場合は受け入れるという方法を選んでいる。とにかく参加費用を上げていけばいいじゃないという考え。具体的には二社目の起業に全財産をつぎ込んでるのだ。やらない後悔よりやって大成功。会社は世の中のためにいいことをしているし、ロボットという好きな分野を仕事にできるし、過去最高の参加費用を私は払えていて満足している。ただ、これが他人にすすめられる方法でないというのはもちろんわかる。ただ、繰り返しへの耐性がない人間にはインフレから逃げるのは誤魔化しでしかないだろう。
もしごまかしではなくこのインフレから抜け出す方法や、感動の物価という考え方自体が間違ってると思えるなら思ってみたい。そういう考え方ができたら幸せとは思わないが、私の中にはガッチリ根を張ってる考えなので変われたら感動できそうだという好奇心がある。もしかしたら「人生って別に感動しなくていいんですよ」ということかもしれない。
皆さんの感動の物価はどうなってるでしょうか?