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16年間、ブログをやめなかった

読みまして。

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お二人のブログを読んで、自分との違いに感じ入ってしまった。僕のブログは更新頻度も激しく波があり、はてなブックマーク数も10に届かないような場末の場所だ。けれど、なんだかんだで16年近く続けてきたことになるらしい。

僕はこれまでどんな記事を書いてきたのか。

はてなブログからエクスポートし、Claudeに分析を依頼してみた。曰く、

  • 第1期(2010-2015): 学習と収集の時代

  • 第2期(2016-2019): 生活と観察の時代

  • 第3期(2020-): 体験と統合の時代

とのこと。自分自身の記憶とも合致し、妙に腑に落ちてしまった。

そもそも、このブログを作ったきっかけは、Hiroyuki Hal Shibataさん(@HAL_Jさん)さんの著書『20歳を過ぎてから英語学習をはじめた人たちへ』の講演会だった。「学習の記録を作りましょう」という言葉に背中を押され、その日の帰り道にブログを立ち上げて、講演会の記事を書いた。

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2010年から2015年にかけては、転職や東日本大震災といった大きな出来事があった時期だ。「いかに勉強し、キャリアアップ・スキルアップをしていくか」ということに、非常に強い関心を持っていた時代でもある。ただ、期待したほどの成果は出ず、コンサル上がりの上長に何度も何度も詰められ、かつそもそも無茶なスケジュール・アーキテクトのしわ寄せを一心に背負ってしまい、2年連続で、GWを返上して誰もいないオフィスでただ一人で仕事を続けた。

そして、僕は仕事で成果を出せないまま燃え尽きてしまった。当時のFacebookの投稿を見返すと、「スキルや資格があると言っても、過重労働すぎてもうIT業界でやっていける気がしない」と友人に愚痴をこぼしていた。本当に疲弊しきっていたのだと思う。

燃え尽きた僕は、仕事でそれ以上踏ん張ることができず、英語学習のペースも次第に落ちていった。結局、目標としていたTOEIC Aランクには到達できなかった。

この頃、僕を支えていたのは人狼ゲーム・ボードゲームだった。仕事での忙しさから、何とか心を回復させようと必死に遊んでいた。結果として今でも続く大切な繋がりができたのは幸いだったが、当時は「自分が人生の奔流から外れてしまった」という感覚をどこかで抱えていて、ずっと寂しかった。

2016年にひたすらブログを書き続けていたのは、その穴を埋めるためだったのかもしれない。少しでも自分の足取りを残したかった。無自覚ではあったが、自分の生活に潤いを求めていた。

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「短い記事でもいいから書く」ということを、当時はひたすら続けていた。なんてことのない日常でも、Twitter(現X)ではなく、あえてブログに刻みたかった。こうして数年後に読み返すと、ログとして残しておいたことは正解だったのだと感じる。

2020年、再び記事の数が増えた。理由ははっきりしている。コロナ禍という未曾有の事態の記録を、少しでも残しておこうと考えたからだ。

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街から人が消えていた。

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コロナをきっかけに、会社はフルリモート体制になった。

すると、それまで「自分は仕事ができない」と思い込んでいた僕のパフォーマンスが、急激に向上した。通勤往復2時間という物理的・精神的なコストが消え、自分好みの環境で、仕事が終わればすぐに眠れる。仕事の合間に皿洗いやリングフィットアドベンチャーなど、気分転換の幅も広く「家に帰ったらやること」が隙間時間でできるという精神的な満足度も大きかった。さらには、対面よりもウェブ会議の方が緊張せずに話せるという意外な適性も見つかった。

僕にとっては、適度な距離感がある方が、ビジネス上のコミュニケーションは円滑に進むものだった。

ロールプレイ人狼で、ある班の班長役を任命されたので、班長だったら何をするべきかを必死に考えてロールプレイをした。

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その経験が活きたのかはわからないが、結果として、僕はマネージャーに昇格し、えっちらおっちらマネージャー業務をこなせている。

「これまでの20年間の苦労は何だったんだろう」というすこし愕然というか呆然とした思いもあるが、今の着地点には納得している。むしろ、フルリモートという環境でなければ、自分は成果を出せない人間なのだという自覚は、日を追うごとに強くなっている。

僕は16年間、途切れ途切れではあるが文章を書き続けた。

そして今年、文学フリマに申し込んだ。

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どうして申し込もうと思ったのかは、うまく説明できない。「自分の人生の棚卸しも兼ねて勢いで申し込んだ」というのが一番正確かもしれない。

ブログはログとして残るが、本という形で残すことは何か別の手触りを持つ気がして、それに触れたくなった、というのはある。

頒布するのは、何も頭に入れる必要のない、馬鹿馬鹿しいエッセイ集だ。だが、そんな「馬鹿馬鹿しさ」こそが、エッセイの本流であるとも思っている。一人でも多くの人が僕の本を手に取り、何も考えずにゲラゲラ笑って、その日を、あるいは明日を楽しく生きることができれば、それで十分だ。

かつて、ネットで成功しているのはやめない人たちであるという本を読んだ。

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当時の感想も「ログについての考えが素晴らしい」と書いたが、今もその感想は変わらない。生成AIによって過去のログを容易に解析できるようになった今、ログが持つ意味はかつてないほど重要になった。

この記事自体、16年間のブログというログを解析することで生まれたものなのだから。

「続ける」という積極的な姿勢は、それ自体は褒められる行為として見ることができるでしょう。ただ、それはあなたの生活に負担をかけていないでしょうか?「続ける」ことに目を奪われていないでしょうか?「続ける」ために目新しいものに次々に飛びついていないでしょうか? あなたがそういう状態では、ログはあなたに語りかけてくれません。むしろ「やめない」という自然な姿勢の方が、あなたの日常を広げてくれるのです。「やめない」こととログは、こんな風に深く結びついています。 (「ネットで成功しているのは<やめない人たちである>」いしたにまさき著、技術評論社 P.250-P.251 太字は引用者によるもの)

昔の記事を掘り起こして気づいたが、掘り起こしたのはどれも当時やったこと、感じたことの記録である。いくつかは考察とか思考のブログ記事もあるが、あまり記憶として残っていない。もったいないと思うが、自分にとっては、記憶から消えてしまうような考察よりも、その時何を感じ、何をしたかという記録こそが大事なことだったのだろう。たとえ誰も読まなかったとしても、この16年間のログは、僕にとっては大事なログだ。

ブログを当分やめる気はない。

浅草タイガーのチャーハン。

一時期チャーハンを狂ったように食べていたな、と思い出し検索したら、ちょうど十年前もチャーハンを食べていた。

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現在ダイエット中だが、当分チャーハンを食べるのもやめないと思う。




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