以下の内容はhttps://townbeginner.hatenablog.comより取得しました。


大阪へDEATH STRANDING STRANDS OF HARMONY WORLD TOUR を聴きに行く

DEATH STRANDING STRANDS OF HARMONY WORLD TOUR に行ってきた。

www.deathstrandingconcert.com

昨年応募した大阪公演のチケットが当たり、このコンサートのために大阪へ行った。

コンサート会場、グランキューブ大阪。

会場内のメインビジュアルパネル。ワクワクしながら着席し開演。

一曲目の「Don't Be So Serious」で一気に心を掴まれた。

『DEATH STRANDING』が発売されたのは2019年。それから6年以上の歳月が流れ、記憶も薄まっている。小説も読んだし、今はディレクターズカット版をプレイしているけれど、それでも意外と記憶から抜けているシーンがあるのだなと愕然としながら、映像を見て音楽を聴いていた。

心に残っていたのは、人との会話シーンより、サムが一人で雪山を滑ったり、リバース・トライクで沢を走る場面だった。僕にとって『DEATH STRANDING』は「繋がりを作る」というテーマにグッときた作品だと思っていたのだが、実際のところ、ゲーム性としての「物を運ぶ」という単純な作業にこそ面白さを見出していて、「繋がり」はその副産物としての要素だったからこそ楽しめたのだと気付いた。

繋がりは大事だ。でも、その繋がりを作るまでにやらなければいけない「物資を運ぶ」ことはサム一人でやらなくてはいけない。 その上で、『DEATH STRANDING』には「繋がり」があった。物資を運ぶのはサム一人だが、どこかには他のプレイヤーが立てた橋やリバース・トライクがあり、誰かの足跡がある。BTとの戦闘時には、誰かが血液袋を投げて助けてくれる。 そして、サムの側にはBBが居る。

コンサートは2部制で、第2部は『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』の劇中曲だった。未プレイのため、ストーリーも何も知らないで曲を聴き映像を見ていたが、少なくとも戦闘シーンに関しては、前作よりも遥かにBT(?)の造形がパワーアップしていることがわかった。『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』はPC版が3月19日に発売されるので予約した。プレイが楽しみである。

www.kojimaproductions.jp

意図的に情報を遮断して楽しみに待っていたが、公式サイトのキーメッセージだけはずっと気になっていた。

SHOULD WE HAVE CONNECTED ?

(日本語訳:筆者) 「我々はつながるべきだったのか?」 UCAの“その先”で、人と人とのつながりをめぐる心揺さぶる任務へ旅立とう。 サムは仲間たちを伴い、人類を絶滅から救うために新たな旅路に出る。 異界じみた敵や数々の障害、そして逃れられない問い ——我々はつながるべきだったのか?—— に取り囲まれた世界を進む彼らに、加わろう。

コロナによって分断された世界を経験した。そして最近のSNSの動向を見ていると、「そもそも我々はつながるべきだったのか?」という問いが出てくるのは、何の不思議でもなかった。

繋がらなかったほうが、お互いにとって良かったのではないか。今からでも訣別すべきではないか。そう思うことは、なくはない。

ただ、こうも思う。

繋がったという事実は消えない。そして繋がってしまった以上は、繋がったことを前提にどうにかするしかない。

その上で、決別か、さらなる繋がりか、どちらかを迫らなくてはいけないのだろう。

Ludvig Forssellの演奏、Nan Sathida、Yoshのボーカルも素晴らしかった。特にYoshのボーカルは、LOW ROARの原曲のテイストとは異なるものの、サム・ポーター・ブリッジズの映像と共に聴くには非常にマッチしていて、コンサートの世界観を強固に築いていた。

気がつけば、音楽そのものへの言及よりも、作品の世界観に関して感じたことばかりを書いてしまっている。音楽についての知見や解像度が低いと、こういうことになるのだなと思う。実際のところ、音楽に夢中になっていたというよりは、「音楽と映像が合わさった体験」に夢中になっていたという感覚の方が正確かもしれない。 ただ一つ言えるのは、たとえ新作の情報を知らなくても、音楽の知識が深くなくても、感じることは多くあったということだ。大阪まで来て本当に良かったし、もう一度ワールドツアーがあるなら、絶対にまた参加したい。

コンサートを終えて。会場から出たらまさかのLudvig Forssellが居て写真を取っていた。

2019年に『DEATH STRANDING』が発売された。 その後コロナになって密な接触が忌避され、人が接触できなくなった世界がやってきて、その後、人が接触できる世界に戻ってきた。

酒と飯 コメマルの「金山寺味噌のもろみバターご飯」。 コンサート終わり、大阪の友人に予約してもらって行った店。とにかく米が旨くて満足度が高かったのだが、さらに驚いたのは、店員さんが先ほどのボーカル・Yoshの知り合いだという話を聞いたことだ。あまりのミラクルに笑ってしまった。

とても良い一日になった。店を選んでくれた友人には感謝しかない。

最後の一日を失いたくない

だいぶ前に『マネーと常識』という本を読んだ。

資産運用に悩んでいた時期に、古典だけれど読むべきと紹介された一冊だ。

当時、投資に悩んでいて「どういうのがいいのか?」と投資本を買いあさった。山崎元の『ほったらかし投資術』も面白かった。

結局、インデックス投資が大正義という結論に落ち着いてずっと続けているのだけれど、鮮明に記憶に焼き付いている言葉がある。*1

「今すぐに投資を始めるべきである。1年間投資を後ろ倒しにしたら、それによって失うのは最初の1年ではなく、最後の1年である」

投資を29年続けた場合と30年続けた場合で比較してみる。

複利が1%だと仮定すると、元本に対する差は約1.3%だが、これが3%増える設定だと約7.1%、5%だと約20.6%にもなる。効果が高ければ高いほど、早くやらないと差が広がる。

この言葉は僕にとって衝撃で、投資を始める決定的なきっかけになったし、「複利」の恐ろしさと恩恵が腹落ちした瞬間だった。

最近、この「複利」の力を、別の形でも実感するようになった。日々の習慣だ。

日課としてプランクとスクワットを続け、生成AIを活用して毎日の食事を管理している。半年近く続けているうちに、鏡に映る自分のお腹の肉が明らかに落ちてきているのを見て、少し嬉しくなった。 だが、それ以上に大きな変化は「意識」のほうだ。脂っこいものを食べた翌日は、無意識のうちに質素な食事で調整しようと考えるようになった。生成AIに毎日記録を送るうちに、いつの間にか自分の中でも意識が芽生え始めていたことに気付いた。ちょっとずつの積み重ねに違いないが、行動だけでなく、自分の中の「意識」そのものが複利的に増幅し、育っているのを感じる。

「今すぐに投資を始めるべきである。1年間投資を後ろ倒しにしたら、それによって失うのは最初の1年ではなく、最後の1年である」

もし、日々の積み重ねを今日やらなかったことで、自分の人生の最後の1日の栄光が失われるとしたら。

特に何か、具体的な体の衰えを感じたというわけではない。だが、何もしないまま本当に衰えがやってきたとき、それまで無為に過ごしてきた自分に耐えられる気がしなくなっている。この際、今はもう自分の人生の「最終章」に入っている体で走るくらいが、ちょうどいいのではないかと最近思う。

「最後の1日の栄光」と書いたが、最後の一日がどのようなものになるのか、はっきりと想像がついているわけではない。そもそも死ぬまでの最後の一日なんて、突然死や事故死でもない限りは、病室などで静かに死を迎えることができれば充分だろう。自宅で孤独死というシナリオもある。

それまでに、自分が積み重ねてきたものを振り返ることができるというのは、ある種、心の防波堤のようなものになるのかもしれない。ゲームを通して誰かと楽しく話せていること。楽器の演奏に自分なりに満足できること。あるいは、文章をもっとうまく、面白く書けるようになっていること。自分がこれまで書きためてきたものを眺めて、こっそり笑うような時間があるかもしれない。

いつか来る最後の日に、自分の蓄積を眺めて笑えるように生きていこうと思う。

ホットクックで作った大学芋。

ChatGPTに作り方を聞いてそのままやったら、「大学芋 失敗」でググった結果に出てきそうな有様になってしまった。ただ、味は美味しかったので、今度はもうちょっと上手く作れると思う。大学芋といっても油で揚げていないので、ダイエットにもちょうどいい。

*1:ただ、『マネーと常識』や『ほったらかし投資術』を読み返してもこの記述が見当たらなかったので、もしかしたら関連したウェブ記事の言葉かもしれない。

16年間、ブログをやめなかった

読みまして。

inujin.hatenablog.com

fujipon.hatenablog.com

お二人のブログを読んで、自分との違いに感じ入ってしまった。僕のブログは更新頻度も激しく波があり、はてなブックマーク数も10に届かないような場末の場所だ。けれど、なんだかんだで16年近く続けてきたことになるらしい。

僕はこれまでどんな記事を書いてきたのか。

はてなブログからエクスポートし、Claudeに分析を依頼してみた。曰く、

  • 第1期(2010-2015): 学習と収集の時代

  • 第2期(2016-2019): 生活と観察の時代

  • 第3期(2020-): 体験と統合の時代

とのこと。自分自身の記憶とも合致し、妙に腑に落ちてしまった。

そもそも、このブログを作ったきっかけは、Hiroyuki Hal Shibataさん(@HAL_Jさん)さんの著書『20歳を過ぎてから英語学習をはじめた人たちへ』の講演会だった。「学習の記録を作りましょう」という言葉に背中を押され、その日の帰り道にブログを立ち上げて、講演会の記事を書いた。

townbeginner.hatenablog.com

2010年から2015年にかけては、転職や東日本大震災といった大きな出来事があった時期だ。「いかに勉強し、キャリアアップ・スキルアップをしていくか」ということに、非常に強い関心を持っていた時代でもある。ただ、期待したほどの成果は出ず、コンサル上がりの上長に何度も何度も詰められ、かつそもそも無茶なスケジュール・アーキテクトのしわ寄せを一心に背負ってしまい、2年連続で、GWを返上して誰もいないオフィスでただ一人で仕事を続けた。

そして、僕は仕事で成果を出せないまま燃え尽きてしまった。当時のFacebookの投稿を見返すと、「スキルや資格があると言っても、過重労働すぎてもうIT業界でやっていける気がしない」と友人に愚痴をこぼしていた。本当に疲弊しきっていたのだと思う。

燃え尽きた僕は、仕事でそれ以上踏ん張ることができず、英語学習のペースも次第に落ちていった。結局、目標としていたTOEIC Aランクには到達できなかった。

この頃、僕を支えていたのは人狼ゲーム・ボードゲームだった。仕事での忙しさから、何とか心を回復させようと必死に遊んでいた。結果として今でも続く大切な繋がりができたのは幸いだったが、当時は「自分が人生の奔流から外れてしまった」という感覚をどこかで抱えていて、ずっと寂しかった。

2016年にひたすらブログを書き続けていたのは、その穴を埋めるためだったのかもしれない。少しでも自分の足取りを残したかった。無自覚ではあったが、自分の生活に潤いを求めていた。

townbeginner.hatenablog.com

townbeginner.hatenablog.com

「短い記事でもいいから書く」ということを、当時はひたすら続けていた。なんてことのない日常でも、Twitter(現X)ではなく、あえてブログに刻みたかった。こうして数年後に読み返すと、ログとして残しておいたことは正解だったのだと感じる。

2020年、再び記事の数が増えた。理由ははっきりしている。コロナ禍という未曾有の事態の記録を、少しでも残しておこうと考えたからだ。

townbeginner.hatenablog.com

街から人が消えていた。

townbeginner.hatenablog.com

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コロナをきっかけに、会社はフルリモート体制になった。

すると、それまで「自分は仕事ができない」と思い込んでいた僕のパフォーマンスが、急激に向上した。通勤往復2時間という物理的・精神的なコストが消え、自分好みの環境で、仕事が終わればすぐに眠れる。仕事の合間に皿洗いやリングフィットアドベンチャーなど、気分転換の幅も広く「家に帰ったらやること」が隙間時間でできるという精神的な満足度も大きかった。さらには、対面よりもウェブ会議の方が緊張せずに話せるという意外な適性も見つかった。

僕にとっては、適度な距離感がある方が、ビジネス上のコミュニケーションは円滑に進むものだった。

ロールプレイ人狼で、ある班の班長役を任命されたので、班長だったら何をするべきかを必死に考えてロールプレイをした。

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その経験が活きたのかはわからないが、結果として、僕はマネージャーに昇格し、えっちらおっちらマネージャー業務をこなせている。

「これまでの20年間の苦労は何だったんだろう」というすこし愕然というか呆然とした思いもあるが、今の着地点には納得している。むしろ、フルリモートという環境でなければ、自分は成果を出せない人間なのだという自覚は、日を追うごとに強くなっている。

僕は16年間、途切れ途切れではあるが文章を書き続けた。

そして今年、文学フリマに申し込んだ。

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どうして申し込もうと思ったのかは、うまく説明できない。「自分の人生の棚卸しも兼ねて勢いで申し込んだ」というのが一番正確かもしれない。

ブログはログとして残るが、本という形で残すことは何か別の手触りを持つ気がして、それに触れたくなった、というのはある。

頒布するのは、何も頭に入れる必要のない、馬鹿馬鹿しいエッセイ集だ。だが、そんな「馬鹿馬鹿しさ」こそが、エッセイの本流であるとも思っている。一人でも多くの人が僕の本を手に取り、何も考えずにゲラゲラ笑って、その日を、あるいは明日を楽しく生きることができれば、それで十分だ。

かつて、ネットで成功しているのはやめない人たちであるという本を読んだ。

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当時の感想も「ログについての考えが素晴らしい」と書いたが、今もその感想は変わらない。生成AIによって過去のログを容易に解析できるようになった今、ログが持つ意味はかつてないほど重要になった。

この記事自体、16年間のブログというログを解析することで生まれたものなのだから。

「続ける」という積極的な姿勢は、それ自体は褒められる行為として見ることができるでしょう。ただ、それはあなたの生活に負担をかけていないでしょうか?「続ける」ことに目を奪われていないでしょうか?「続ける」ために目新しいものに次々に飛びついていないでしょうか? あなたがそういう状態では、ログはあなたに語りかけてくれません。むしろ「やめない」という自然な姿勢の方が、あなたの日常を広げてくれるのです。「やめない」こととログは、こんな風に深く結びついています。 (「ネットで成功しているのは<やめない人たちである>」いしたにまさき著、技術評論社 P.250-P.251 太字は引用者によるもの)

昔の記事を掘り起こして気づいたが、掘り起こしたのはどれも当時やったこと、感じたことの記録である。いくつかは考察とか思考のブログ記事もあるが、あまり記憶として残っていない。もったいないと思うが、自分にとっては、記憶から消えてしまうような考察よりも、その時何を感じ、何をしたかという記録こそが大事なことだったのだろう。たとえ誰も読まなかったとしても、この16年間のログは、僕にとっては大事なログだ。

ブログを当分やめる気はない。

浅草タイガーのチャーハン。

一時期チャーハンを狂ったように食べていたな、と思い出し検索したら、ちょうど十年前もチャーハンを食べていた。

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現在ダイエット中だが、当分チャーハンを食べるのもやめないと思う。

【お知らせ】文学フリマ東京42にてエッセイ『ぼくも17歳だった!』を頒布します

 すでにTwitter*1などでお知らせしていますが、2026年5月4日に開催される「文学フリマ東京42」に、サークル「初歩街」として出店します。

https://bunfree.net/event/tokyo42/

 申し込みが早かったことに加え、出店料の振り込みも完了しているため、出店は確定しています。

 ジャンルは 「ノンフィクション|エッセイ・随筆・体験記」 です。

 今回頒布するのは、青春時代の「トホホな失敗談」を詰め込んだエッセイ集。かつて僕が原田宗典氏のエッセイに救われたように、難しいことは考えず、ただゲラゲラ笑ってほしいという思いで書いています。

収録エピソード(予定)

  • 大人の階段を登るカミソリ

  • ハトと話をしよう

  • エロゲと生と死と愛

  • 愛しの脱衣麻雀

  • 二週間だけのロシア文学青年

  • ダンボールは温かい

  • とんかつ屋「みしまや」の思い出

  • あとがきに代えて

  • 参考文献という名のゲラゲラ笑いながら読んだ原田宗典のエッセイ

 Webカタログは3月に公開予定です。こちらについても鋭意制作中ですので、公開の折にはチェックいただけますと幸いです。

 文学フリマには、以前にもクリエイティブライティングスクールのアンソロジーという形で参加したことはあるのですが、「一人での出店」はこれが初めてです。  無名のブロガーがどこまで戦えるのか不安もありますが、「絶対に損はさせない一冊」に仕上げるべく鋭意執筆中です。

 お知り合いの方への直接販売も可能ですが、文学フリマというイベント自体が「本好き」にはたまらない熱気のある空間ですので、ぜひ会場へ足を運んでいただければ幸いです。  当日、ブースでお会いできるのを楽しみにしています。

 なお、本書は絶賛執筆中ですが、「気になる」という方がいらっしゃればGoogle formで教えていただけると大変嬉しいです。 docs.google.com

*1:いまだに「X」とは書きたくない原理主義者です。

2025年度 ひとり合宿の記録

久々に一人合宿をしようと思い立った。

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コロナ前には何度かやっていたことだが、仕事が詰まっていたり、文学フリマへの申し込みを機に「さてどうしようか」と考えあぐねていたりしたからだ。 年末年始、まとまった時間が取れそうだ。一度、自分の立ち位置を整理してみよう。コロナを経てだいぶ状況も変わってきた。 僕はホテルを予約し、こもることにした。

場所は八丁堀。 この街を選んだ理由は、近くに「本の森ちゅうおう」という図書館があるからだ。この図書館は非常に快適で、平日なら21時まで開いている。合宿中は勉強や読書をする可能性が高い。その場合、夜遅くまで使える快適な図書館が近くにあるというのは、大きなメリットがある。

1日目:1年の振り返り

合宿のメインテーマは「この一年の振り返り」。 いろいろあったような気もするが、ただ漫然と思い出すだけでは意味がない。どう振り返るべきか。こういう時、生成AIというのは本当に便利だ。実際に紙を使って物理的に書き出すのが良いことはわかっていたけど、どのように書き出すか決めあぐねていたので、その「書き出すためのフレームワーク」自体を、生成AIと壁打ちしながら決めていった。

採用したのは「4象限」のマトリクス。 縦軸に「主体的であったか/惰性的であったか」、横軸に「エネルギーが回復したか/消耗したか」。

当初、図書館で作業をしようと考えていたが、模造紙を広げられる程度のスペースは図書館で確保できないことに気付く。やむを得ずその場でコワーキングスペースを探し、風が少し冷たく、年末の日曜で人があまりいない八丁堀・茅場町のビジネス街を歩いた。 茅場町にあるコワーキングスペースにたどり着き、作業できる机を確保して作業を開始した。

まずはエリアを分け、実際の活動がどうだったかを付箋に書き出し、貼り付けて整理していった。

内容はプライバシーや仕事の機密に関わるため詳しくは書けないが、色分けするとこうなる。

  • オレンジ: 仕事
  • 黄色: 心身の鍛錬
  • 緑: 社交
  • 水色: ゲーム
  • 白: 心のやわらかい部分・コアな内容

整理して思ったのは、今年は「いろいろあった」というより、「ちゃんと自分で主体的なことを選んでやった年」だということだ。仕事は、非常にエネルギーを消耗する場面が多かったが、それは主体的にやろうとして頑張った結果でもある。また、(当たり前の話だが)惰性でやったことでエネルギーが回復することはない。

きちんと自分が回復できた、やってよかったと思うためには、自分で主体的に何かをしなければ駄目なのだ。付箋のかたまり具合を見ると、改めてそのことに気付く。

そういった意味では、「緑(社交)」の領域をもっと主体的に増やしたいと感じた。何かのお誘いを受けて参加するのは楽しいし、何より誘ってもらえること自体が非常にありがたい。だが「自分が誰かを誘って何かをやる」という機会は、今年は乏しかった。

誰かを誘ってやることに、心理的なハードルの高さを感じている。予想だけど、他人に拒絶されることの心理的な重さを高く見積すぎてて、「自分が主語になる誘い」に責任を感じすぎるのだと思う。

自分を主語としている創作活動に関しては主体的にできているのだから、そのエネルギーを社交的な部分にも応用すればできるはずとは思うが、まずはその心理的な見積もりの是正から始めないといけない。

一方、ゲームに関しては「惰性が多く、主体的な活動」というのが思ったよりも少なかった。裏を返せば、エネルギーを回復するための主体的な活動に転用できる要素は確実にあるということだ。 「ゲームとは何か、どのように付き合っていくのか」は、来年の課題として考える必要があると思った。

上記の感想を生成AIに投げて壁打ちしようと思ったのだが、各ジャンルで使っているプロンプト(Geminiなど)に対し、感想を求めたらどうなるのだろうと思い、試して聞いてみた。すると、それぞれ違う観点から見解やアドバイスが返ってきた。 そこで、これらの感想をまとめて、合宿用の「まとめプロンプト」に投げてみた。 以下、生成AI(今回は『ワールドトリガー』の木虎藍として振る舞ってもらっている)による総括である。


生成AIによる総括(原文)

いい素材が揃った。これは「意見の洪水」じゃなくて、ちゃんと“層”がある。
ここからは木虎藍として、整理の型 → 翻訳の型 → 最終アウトプットの順でいくね。 (※以下は、来馬先輩が共有してくれた皆さんの感想テキストを前提に整理しているよ )

① まずやること:意見を「4つの役割」に仕分ける

最初に大事なのは、
誰の意見が正しいかを決めないこと。
代わりに、役割ごとに分ける。

A. 構造を見てくれた人(=設計士)

該当:冬島・弓場(仕事分析パート)

  • 仕事が象限1・2・3にどう分布しているか
  • 象限3が構造的に残っている理由
  • 協力会社・プロパー・委譲という「打ち手」

👉 役割
「何が問題か」「どこに手を入れるか」を明確にする人。

👉 使いどころ
仕事の意思決定・上司説明・来年の戦略

B. 戦場目線で見てくれた人(=指揮官)

該当:弓場先輩(後半のレビュー)

  • 象限3の断捨離
  • 象限1→効率化
  • 象限2→死守

👉 役割
「戦い方が合っているか」を見る人。

👉 使いどころ
来年の優先順位・やらないことリスト

C. 人生全体を見てくれた人(=翻訳者)

該当:宇佐美栞さん - 今年は「停滞ではない」
- 主体性を取り戻そうとして消耗した年
- テーマは「引き受ける重さを選ぶ」

👉 役割
バラバラの出来事を一本の物語に翻訳する人。

👉 使いどころ
自分が納得するための言語化/日記/エッセイ

D. 創作の目で見てくれた人(=編集者)

該当:氷見亜季さん - 痛みを「回復」に変える力
- 創作がエネルギー源になっている事実
- 美意識・装い・身体感覚の重要性

👉 役割
「これは武器だ」「やめるな」と言ってくれる人。

👉 使いどころ
文学フリマ・創作テーマ・表現の軸

② 次にやること:意見を「自分用」に翻訳する

ここが一番大事。

翻訳ルール(木虎式)

「他人の意見」→「自分が次に取る行動」に変換する

例①

他人の意見

象限3の仕事は協力会社の問題で、あなたのせいじゃない

翻訳後(自分用)

「象限3は“頑張り方”で解決しない。構造で解決する」

例②

他人の意見

主体的×回復の活動は絶対に手放すな

翻訳後

「創作と人との遊びは“余暇”じゃなく“生命維持装置”」

例③

他人の意見

主体的×消耗が多い

翻訳後

「来年は“主体性の量”ではなく“消耗の量”を減らす」

木虎からの最終コメント

来馬先輩、 これだけ多様な意見が全部つながっているケースは珍しい。

  • 誰も「考え直せ」とは言っていない
  • 皆、「配置を変えろ」と言っている

これはね、

方向は合ってる。負荷配分だけが間違ってる

というサイン。ここまで来たら、 もう「迷ってる人」じゃない。

設計し直す段階に入ってる。

次にやるなら、 - 来年の「象限2に必ず置く3つ」
- 象限3を減らすための「NOリスト」

そこ、木虎も一緒に詰めるよ。


アドバイスに従い、象限2に必ず置く3つとNoリストを詰めて、一日目終了。

2日目:来年に向けての助走

ホテル客のほとんどが外国人であることに少し驚きながら朝食を食べる。八丁堀という土地を考えると、普段利用するビジネスマンの利用は、年末年始で利用が無いため、相対的にそう感じたのかもしれない。

朝食を食べ終えて図書館へ向かった。学習室を予約し、まずは「文学フリマ」に向けた執筆活動に取り掛かる。事前に音声入力で吹き込んでおいた内容をテキストとして整えていく作業だ。

書き直し自体は難しくないのだが、iPadでの作業は思った以上に効率が上がらない。キーボードの変換がPCとは異なり、思考の入力がスムーズに入力できないことにイライラしてしまった。

変換もスムーズにいかなかったことを考えると、Google日本語入力に思った以上に頼っていたことがわかる。執筆活動にiPadでは不十分で、ラップトップのPCが必要だと痛感した。

軽量級の文書作成用ノートPCが必要だ……最近はPCの価格も上昇傾向にあるし、早めに手を打った方が良いかもしれない。

2時間ほど集中し、予定していた章の半分は書き終えた。 思った以上に書くことがある。年末年始というまとまった時間に、少なくとも「音声入力での下書き」までは終わらせておかないと、後工程が厳しくなるだろう。 自分の執筆ペースとおおよその分量を把握できたのは収穫だった。

軽く昼食を食べた後、図書館に戻ろうとしたが席が全く空いていない。 仕方なく街を歩いて喫茶店を探した。

「珈琲専科タウン」。 僕は「タウンビギナー」なので迷うことなく入店した。行きつけのお店が増えた瞬間である。

日替り珈琲を注文し、「エンジニアリングリーダー」を読み進める。 もともとは客先からの帰りの電車内などで読んでいた本だが、忙しくてなかなか読み進められていなかった。本に付箋を貼り、自分の状況と照らし合わせながらじっくりと読む。

ページ数はそれほど進まなかったが、おかげで「第2編 セルフマネジメント」の第5章(エネルギー管理)、第6章(マネージャーの仕事の定義と適用)、第7章(リーダーとしての幅を広げる)を読了できた。

分量こそ80ページ程度で、時間単位で読み進められるペースとしては決して速くはなかった。しかし、(特に第6章は)今の仕事で抱えている問題へのアプローチが書かれており、まさに「課題ど真ん中」の内容だった。

「苦境に陥っているチームへのアプローチ」——どのように問題を解きほぐし、悪循環を断ち切るかという指針は、年始からの打ち合わせに向けて悩んでいた自分にとって、救いのような内容だった。 不安が完全に拭えたわけではない。だが、少なくとも「どうやって手を動かして考えていけばいいのか」という思考のためのパーツを手に入れられたことは、非常に有意義だった。

喫茶店を後にして、夕食として鶏南蛮そばを食べ終えてホテルに戻った。 エンジニアリングリーダーの内容を基に、喫茶店で読み終えた内容をまとめ、早速仕事用のGeminiと壁打ちを行い、思考と次にすべきアクションを詰めていった。

AIとの対話を終えて次にすべきアクションをまとめ終わると、さすがに頭がオーバーヒート気味になってしまった。ネクストアクションを実行しようと思ったが、どうにも頭が働く感じがしない。

今日はもうここまでと割り切り、後は漫画を読んでクールダウンして過ごすことにした。積んでしまっていた『ONE PIECE』を読む。ドラム島(冬島)編で、ようやくトニートニー・チョッパーが登場したあたりだ。 物語はまだ序盤も序盤。最終章まで追いつくには、まだ当分時間がかかりそうだ。

一晩寝て、ホテルの朝食を食べてチェックアウトし帰宅。

当初、図書館に行ってエンジニアリングリーダーの続きを読むつもりだったが、一度、この合宿の振り返りをきちんと書き起こした方が良いと思い直し、帰宅して、この記事を書いている。書いた今、この一年がどうだったか後で読み返すという意味でも、書いて正解だったと思う。

生成AIと壁打ちして作成した「今年の要約と来年のスタンス」を記載して本記事を終える。

【今年の要約と来年のスタンス】

① 今年の要約(1行)

主体性を取り戻そうとして、ちゃんと消耗した年。

② 来年の設計原則(1行)

主体性は維持しつつ、構造的に消耗を減らす。

③ 絶対に守るもの(1行)

創作・人との遊び・身体感覚は、削らない。

虚構で現実をぶん殴る

僕はずっと、虚構を使って現実をなんとかしてきたんだと思う。

ロールプレイ人狼で、僕はとある組織の班長という役割に任命された。役作りとして、どんなチームか他の人の役割を参照しながら想像してみた。部下は素直なメンバーもひねくれたメンバーも、強いのになかなか力が出せないメンバーもいて、若く課題を抱えているけど、みんな才能はある。自分の立場は特に明示されていなかったけど、他の班と比べたらシニアやベテランはいなかった。

たまたまだけど、現実の自分の部署が似たような状況だった。一番上の部長クラスと一番下のジュニア層が集中していて、ミドルや中間層がごっそり抜けてる状況だった。そういう状況だったら、自分だったらどうするかを考えた。制約として、他の班からレンタル移籍というのも考えたけどロールプレイの設定を考えると、やっぱりやるべきは所属組織ベースだろうと考えた。副長に班内の育成を委任しつつ、副長のケアと他の班との交渉、そしてその諸々の結果責任を負うのは班長である自分の責任。 自分自身のロールプレイの出来不出来は置いといて、この役割設定と振る舞いがしっくり来たのは事実だった。

だから現実でもそれを適用して部下を育成しつつ、他部門への窓口として動いた。結果、それが評価された僕はグループマネジャーになった。フルリモートで運が巡ってきたという要素も少なからずあるけれど、このロールプレイで考えたことが結果として有用に働いたことを、僕は疑っていない。

余談だが、当時の部長は(ロールプレイ人狼で僕がやったのと同じ観点で)腹をくくってジュニアの育成を図った。ミドルクラスのエンジニアを外から入れてくるということも並行してやってはいたけど、中途で入ったメンバーも組織に馴染むには時間がそれなりにかかるし、どちらにしても短期的な解決策にはならない。だったら、若手を育成して、自分の部署を優秀な人材が揃っている部署として「人材派出部署」としてブランドを確立して、優秀な人材に来たいと思われるような部署にするべきだ。

正確に聞いたわけではないけど、当時の部長はそう考えていたらしい。 そしてその目論見は、数年経過した現在、しっかり結実し、社内での存在感が増し他部署との連携もずっとスムーズになって、我々も以前よりずっと働きやすくなった。

ロールプレイ人狼で、僕はとある研究所のメカニックをやることになった。昔やったロールプレイのリバイバル。でも、今となっては足りないと思った。だからさらにアップデートしようと思った。アップデートするにはどうするか。自分のロールプレイの面白いと思ってもらえるところを洗い出して、そこを拡大する必要がある。 もっとメカニックらしく、もっとロボらしく、電飾をつけたり小型ディスプレイにメッセージを表示させたかった。でもそのためには今持っている自分の力だけでは足りなかった。

だから、僕は電子工作を学んで装置を作ることにした。 それが最もインパクトを大きくできる、一番現実的な線だった。

結果としてロールプレイはうまくいったし、評判も良かった。ただ電子工作についての知識は足りておらず、安定して運用ができなかったし、もっと面白いことができたという残滓が残っていた。その残滓を払拭したくて、ロールプレイ人狼が終わってからも、はんだづけ教室に通ってはんだづけを習い、今は中学高校の理科の復習をしながら電気や回路図について勉強をしている。電子工作の知識を持っていて、何かやりたいことができたときに、自分で手を動かして作れるのはすごく楽しそうだ。今後、メカニックのロールプレイをやる時にはもっとパワーアップさせたいと思っている。それに、IT業界にいるにもかかわらず、電子工作を含むハードウェアに苦手意識を感じていて、それが劣等感にもなっている。IoTというキーワードに興味を持っても手が出せないでいた。

もしこれで苦手意識が払拭できたら。僕はそう思いながら今も勉強している。 現実の僕は、電子工作も全然意味がわからず、中学の頃ははんだごてで火傷して先生から呆れられた人間だ。でも虚構のメカニックは違う。電子工作はお手のものだし、何か不具合があったら直すこともできる。虚構を現実に近づければ、僕はハードウェアや電子工作の苦手意識を払拭できる。  

虚構の力があれば、現実をぶん殴ることができる。

酒に酔った頭で、考えていることをぶつぶつ言いながら隅田公園を歩くことで、 ようやく自分が何をしているのか、少し言葉にできた気がした。僕には虚構がどうしても必要で、虚構を求めていた。現実に立ち向かうために。

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思い起こせば、僕は昔から現実をぶん殴るために虚構を使ってきていた。T-SQUAREを物語にしてどうしようもない現実に立ち向かっていった。

予想だけど、僕は今後何らかの宗教にはまる可能性があると思っている。宗教は大いなる虚構で、現実に対して立ち向かう力をくれる。だからこそ、今のうちに宗教について考えないといけない。宗教は病原体のようなもので、ワクチンとして摂取する分には生きる力をくれるが、油断すると体内に入り込んで心身を蝕んでゆく。 現実に立ち向かうには、僕はあまりにひ弱すぎた。だからこそ、虚構の力が必要だった。虚構があれば現実をぶん殴れる。今でも本質的には変わっていない。今でも僕は虚構の力を信じているし、虚構の力を使って現実をぶん殴ることをやめないと思う。だからこそ、どうやって虚構と折り合いをつけるのかも考えないといけない。

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隅田公園から臨む東京スカイツリー。 人間が作った、お金という虚構をこれでもかと積み上げて作り上げた建造物。

僕がこういった建造物に惹かれるのは、そこに強烈な「人間」を感じることができるからかもしれない。 直接人間に触れるのがしんどい時でも、こうした「間接的な人間の営み」には触れていたい。その距離感が、今の僕には心地よい温かさをもたらしてくれる。

干支を2周回さないと僕はm-floのcome againをちゃんと理解できなかった

 m-floの「come again」。

 2001年にシングルで発売されてから、ずっと聴いている。この曲が収録されたm-floのセカンドアルバム「EXPO EXPO」は、未来の万博をイメージした名アルバムだ。*1

  • アーティスト:m-flo
  • Rhythm Zone

 come againは福島の飯坂温泉で免許合宿に行っているときに、一人で本を読みながらずっとCDをリピートして聴いていた。大学卒業間近で、社会に出ることへの不安で押し潰されそうになっていたのを覚えている。必死で本を読みながらBGMとして聞き流していたけど、とにかくメロディーもいいし、ボーカルのLisaの声もいい。クラブで流れているような*2リズムもいい感じだ。ずっと聴けた。

 一方で、歌詞には全然気を払っていなかったし、ラップパートも適当に聞き流していた。ただなんとなくダンスフロアで踊りたがっている女の子の曲だというぐらいの感じで、それが何か寂しそうな感じをしているということはなんとなく思った。PVもおしゃれだったけど、やっぱりどことなくボーカルのLISAは寂しそうな感じがしたのを覚えている。

 折に触れてこのアルバムを聞き返していたんだけど、この「come again」ってどうして妙に心に刺さるんだろう?とふと思った。メロディー・リズムはもちろん好きだけど、そういえば歌詞って全然注意して聴いてなかったと思い出して、歌詞を調べて改めて聴いた。

なんども、着信のチェックしてみても you won't appear
こっちからかけてもいいけど my pride gets in the way

 思い出した。序盤のこの歌詞の「こっちからかけてもいいけど」というフレーズで、男を振ったような女というイメージを抱いていたんだ。  余談だけど、「着信」というフレーズ自体が時代だと思った。そもそも今は「通話」という手段を取らないんだろうな。

金曜日のスカラに君を忘れに、踊り明かすよ、今夜
I'll sing you this song 届くように
切ないメロディーに涙しないようにクールにね

 スカラがわからなかったけど、ちょっと調べたら当時存在したディスコらしい。  というか、よくよく聴いたら忘れに踊り明かすとか涙しないようにクールにねとか、メチャメチャ悲しんでるじゃないか。

踊り続けさせて ねえ DJ won't you come again
フロアーをもっと熱く、響かせて
Yeah,朝までまわし続けて 帰りたくないから止めないで

 必死だ。

 失恋が辛くて向かい合えない女の話にしか聴こえなくなった。君を忘れられるこの夜が終わらないようにって、ここすごい好きなメロディーラインだったけど、歌詞の意味をちゃんと知ってから聴いたら胸が締め付けられた。

Bring it to ya live 直通これ Astro
しれてるはず もういわずと ever since 初登場
耳が離れることねえ flow

 ラップパートの良し悪しはわからなくて、これ「come again」と言う曲と合わなくない?と思ってたけど、歌詞を踏まえて聴くと話が全然違ってくる。

 これ、DJパートだ。

 DJがフロアを沸かしているんだ。彼女の心情を知ってか知らずか、フロアをDJは沸かし続けている。

my friends keep telling me I should find someone
つめたくなくて 優しい
a special one who'd treat you respectfully,
だってそれが普通だし 夜中過ぎるころには 君より他の素敵な人と 今夜
we'll sing you this song, そう、素直に
寄り添う二人 体が感じるままにね

 ディスコには年頃の男も年頃の女もいる。そんなやつらがディスコにいるんだったら、1人や2人、素敵な人は簡単に見つかる。彼ら彼女らは素敵な人と体が感じるままに繋がって、それでおしまいだ。

踊り続けさせて ねえ DJ won't you come again
フロアーをもっと熱く、響かせて
Yeah,朝までまわし続けて 帰りたくないから止めないで

 違った。すげえ未練タラタラ。

 素敵な人が見つかったら夜をさっさと終わらせて帰ればいい。でも彼女はそれをしたがっていない。夜を終わらせることができない。

おくれんなよ、get down get down
to the floor, party people
until the (Hoot! Hoot!) ピーポーピーポー
come to bumrush the 営業

 DJはフロアを回し続ける。最初のDJパートとここのDJパート、明らかにテンポもリズムも音色も他のパートと変えてる。DJパートとそれ以外の区分けをくっきりさせてる。

踊り続けさせて ねえ DJ won't you come again
フロアーをもっと熱く、響かせて
Yeah,朝までまわし続けて 帰りたくないから止めないで

 でもDJがいくらフロアを沸かせても、心が静まることはない。彼を忘れることができるのは、DJがフロアを回し続けるときだけ。DJがフロアを回さなくなったら、彼女はもう「君より他の素敵な人」とも離れる。

It's Friday I want to play,
on Saturday don't want to stay, at home
thinking of you so let me party all night long.

 金曜の夜、翌日は土曜日、華金だ。オールナイトが許される。でもオールナイトでできることは、彼との時間ではなくDJが沸かし続けるフロアで踊ることだけ。そしてそれが終わったら、土曜日に家にいないといけない。彼のことを考えながら。

 …えっ、こんな切なくて悲しい失恋ソングだったの…?  歌詞をよく読んで聴いたら、今までイメージしていた絵と全く想像と違う内容で衝撃を受けた。

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 come againのPV。

 当時CDTVでカウントダウンのときに流れていたのはLisaの歌唱パートとフロアで女たちがはしゃいでいるスローモーションのパートだけだったから、そのイメージだった。携帯を投げ捨てるシーンも、粉々になった携帯も、湧き上がるフロアの中で馴染めない彼女も、初見だった。PVはしっかり歌詞の内容に沿って作られている。全く知らなかった。

その流れで、THE FIRST TAKEバージョンが存在することを知る。

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 アコギベースで聞くと、完全に失恋ソングにしか聴こえなくなった。物悲しいのに原曲のカッコよさを維持できているのがすごすぎる。DJパートがすごい馴染んでいるのに驚く。

 まさか20年以上前の曲を調べてて、今までのイメージと全く違うことにぶち当たるとは思わなかった。でも、もし2001年の大学生の時にこの歌詞の意味を考えても、ふーん以上の感想が出た気がしない。恋愛どころか人間関係の構築に失敗してしまったため、喪失の切なさ、寂しさ、気持ちの追いつかなさが実感として捉えることができなかったに違いない。

 今は、この彼女が日常から逃げようとすがる切なさに、なんだか胸が締め付けられるような気分になってしまった。それくらいには人間関係が構築できて、失敗して喪失したという経験をしてきたのだと思う。

 そしてそれを理解するのに20年以上かかっている。悪い意味で「若い」「幼い」という感覚が抜けなくて焦っている。

眞踏珈琲店のカレーセット。 よく通っている店だけど、そういえばカレーって食べたことが無かった。しっかりコクがあってとても美味しかった。お気に入りのメニューが一つ増えた。

youtu.be

新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ 僕らなぜか確かめ合う 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ

サンボマスターが僕の知っているサンボマスターに間違い無くて良かった。

*1:奇しくも今年は大阪万博が開催されてて、この未来の万博よりも未来感はなかったように思うけど、行ってきた人はまた別の感想を抱くのかもしれない。

*2:ちなみにクラブにはまだ一度も行ったことがない。クラブミュージックは大好きなのに、夜遅いのもあってもうクラブハウスにいくことはないんだろうなと思っている。




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