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映画一言二言/大病人

 

ミンボーの女>により暴力団から襲撃を受け入院する羽目となった伊丹が次に選んだ題材が病院であり病人、、、そして、伊丹作品の多くに登場する「死」とうとうこの作品では死後の世界、臨死体験そのものを映像にした、、、

 

1990年代はじめ、まだまだ「生かす」のが目的(延命)の医療、そして患者への告知をまだ躊躇っていた頃の医療現場、、、ちょうど同じころ肝臓癌の末期だったボクの父親は癌を知らされず、あくまでも肝硬変と告げられていたが、本人は薄々知っていたのだろう、ボクが暗い顔でドクターの部屋から出て来た時にたまたま父と鉢合わせになったこともある、それでも周囲は肝硬変を通した、そしてその日の朝父から電話が入った「おい、今日オレは死ぬ、なんで言わなかった、やんなくちゃいけねえことがいっぱいあったのに・・・」病室に駆け付けると大きな白い器の洗面器の高さ30cmくらいのところに血の線の痕があった「ここまでの量の血を吐いたんだ」父はそういって車いすを拒否しICUまで歩いて行った、その晩父は息を引き取った、、、

 

妻がよく言う「あと何回桜が見れるだろうね」まだその言葉を使うには早いと思うのだが、「10回か20回か知らないけど、毎年生きていればまた桜が見れたと喜べる」と言うのだ、しかしボクは桜があまり好きでなく、それであれば桜は死が一歩一歩近づいていることを今年もまた知らせに来たようにさえ感じるのだ、、、

 

とにかくタバコが度々登場する、この頃は病院内でも病室でもそんなことは当たり前だった、今では馬鹿げていると驚くが、その当時はそれを皆んな受け入れていたのだ、、、(飛行機や電車内も同じく)

 

水の入ったグラスに一滴ほど垂らしたブランデー、主人公が医師に懇願した最後の酒、、、、そしてモルヒネカクテル、癌の苦しみを緩和する、、、この映画では告知の重要性を説いている、延命ではなく緩和、苦しみながら一日でも長く生かすよりも、尊厳をもって終わりを迎える人生の閉じ方、、、

 

伊丹さんが今でも生きていれば絶対に映画を撮り続けていただろう、NETFLIXより先に地面師の映画を撮っていたと思うし、今話題の「秀和レジデンス幡ヶ谷/渋谷の北朝鮮」にもいち早く興味を示しただろうし、令和の米騒動はどのように描いたであろうか、、、

 

大病人:伊丹十三 - 続 壺 齋 閑 話




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