
月の夜は人を狂わす、突拍子もない事考えて感情と共に行動に移そうとするが、朝になると理性的になってその気は失せている、、、やっと課金なく配信で観られるようになったので、一昨年観逃していた本作をやっと観ることが出来た、、、
ま、こういう映画は誰でも積極的には見たくないだろうけど、知らんぷりして素通りしてはいけない、ボクはとても興味深く観た、、、施設の闇を描き、結ではホラーにならないか心配もし気を揉みながら観ていたが、ホラーと言えないまでも、そこそこのスプラッタ、直接表現しないようにはしているが、それなりに気の弱い人にはグロくも感じるだろう、、、でも、クライマックスとしてそこを見せるための映画でもなく、建て前、綺麗ごと、正論に対して、人々はどれほど本音で物事を語っているのだろうかという、この主人公を(宮沢りえでない方/磯村勇斗)完全否定できる人がいるのだろうか?と、それを否定できない「普通の人々」こそ恐ろしい、、、
石井ってマルチスクリーン好きなぁ、でもいい感じに使われている、、、様々な月の入れ方とか、ライティングとか、面白いことも果敢にやっていて、どれもいい感じだ、、、
宮沢りえって昔から思っていたけど、相手に合わせると言うか、あまり主張はせず、他を邪魔しない、色を付けない、その場に合わせてくる感じ、それは、良い役者ということだと思う、、、
あらすじ、、処女作で文学賞を受賞した堂島洋子は、その後は小説が書けず、きっかけを求めて森の奥にある重度障害者施設で臨時職員として働き始める。洋子が小説家だと気づき色めき立つ職員で年下の陽子。陽子も小説家を目指していたがコンテストに落ち続け、酒の量ばかりが増えていた。
若い職員の“さとくん”は、意思疎通ができない患者たちに手作りの絵本を読み聞かせる熱心な青年だった。しかし、様々な矛盾に敏感な“さとくん”は正義感や使命感を徐々に増幅させていき、ついに、「心が無い」患者の延命を無意味と見なすに至っていた。
施設には閉じ込められているだけの患者も多く、職員による虐待も横行していた。それを上司に訴えても聞き入れられず、無力感を募らせる洋子。
洋子と夫の昌平は心臓疾患を持って生まれた長男を3歳で亡くし、深く傷ついていた。だが、42歳で思いがけず第二子を宿す洋子。それは年齢的にもリスクが高く、胎児の障害も危惧される妊娠だった。昌平はアルバイトも長続きせず、動画の短編映画作りに熱中する頼りない男で、妊娠という重大事を告げられない洋子。職場の年下の陽子に、つい悩みを吐露した洋子だが、洋子の家に招かれた陽子は、酔って洋子の小説を批判し、洋子の妊娠まで昌平の前で暴露した。
洋子が中絶したと思い込み、「無駄なものはいらない」という思想が自分と同じだと喜ぶ“さとくん”。“さとくん”にとって、他者とコミュニケーションも取れずに生きる障害者は、「生かしておくのも可愛そう」な排除すべき存在だった。しかし、昌平と話した洋子は産む覚悟を固めていた。ただし、障害の有無を調べる出生前診断を受けるか、受けたとして、その後にどう決断するかなど重要な判断は、二人の「出会いの記念日」に決めることとした。
施設で出合った障害者を小説に書く意欲が湧く洋子。目も耳も不自由で話せず、寝たきりで閉じ込められている“きーちゃん”という女性患者の、存在意義を問う小説に挑み、昌平との約束の記念日までに脱稿しようと奮闘する洋子。
心が無いから人間ではない。生産性のない障害者は安楽死させると平然と言い切る“さとくん”。洋子は絶対に認めないと反発したが、その論拠は脆弱だった。政治家にまで同様の意見書を送った為に、精神科に入院させられる“さとくん”。しかし、2週間で退院した“さとくん”は、夜間に施設に侵入し、殺戮を決行した。
“さとくん”が凶行に及んだ日は、洋子と昌平の「記念日」の前日だった。洋子は小説を脱稿し、昌平は動画の作品が小さな芸術祭で受賞した事を報告した。涙ながらに「生きていて良かった」と喜び合う洋子と昌平。翌日、回転寿司屋でささやかな宴を催し、前途を誓いあった夫婦は、テレビのニュースで施設の惨事を知った。施設に駆けつける為に席を立った洋子は、去る前に昌平に、「好きです」と思いを伝えた。
4点 脛骨、震災、紙芝居、花咲じじい、海賊、鼻血、キックボクシング、入れ墨、カベニエ、ミミズ、手話、回転寿司、、、





