先程、警報が発令されました。



といっても、雨雲の強さがまだらなので、今はサーという音が聞こえる程度。
どうやら、20時半過ぎにかなり強い雨があったようで、周辺の河川水位もその時間帯に急激に上昇していました。

まぁ、この後もまだ南の海上に雨雲が控えているので、とりあえず油断ならずといったところなのでしょう。
昨日もそうでしたが、明日の朝はまたちょっと早めに家を出ようかなぁ。
さて、花の日曜日はいよいよ最終盤。可睡斎の中を見学に行きました。至る所で、というわけではありませんが、印象的なところはいくつか写真を撮ってきました。なんか、やたらと好き勝手に撮ると罰が当たりそうな気がするんですよね。

通路の横には、何やら書かれた紙がたくさん連ねられています。内容を見るとなかなか興味深く。


左側は、いろいろなお寺から寄せられた内容。基本的にはお金で、関西からもかなり届けられていることが分かりました。
横浜の総持寺というと、鶴見にある有名なお寺になりますね。なんだっけ。ブラタモリで言及されていたんだっけかな。
右側の写真は、個人からの寄進なども書かれています。饂飩に長芋、麺、里芋、雑巾、林檎、菓子、トマト、レタスなどが書かれてますね。この可睡斎は修行の場でもあるそうなので、そうした際に消費されるものも寄せられているんでしょう。他にもたくさん紙が貼られていたので、これを眺めているだけでもなかなか楽しいw





他のお寺に行っても、同じような施設があったりしますが、どこも座るところの座布団(といっていいのでしょうか)などが整然とピシッとそろえられていて、そういう無駄のないところを眺めるのが気持ち良かったりします。
上の写真も、写っているのは建物を構成する木材とガラスと足元の石と座禅のための座布団でほとんどが構成されていて、それらが整然と無駄なくそろえられているわけですが、こんなところが、外国からはよく言われる日本人の生真面目さを象徴しているようにも感じます。


仏教の中でも禅宗は厳しいというイメージがあって、こうした昭和時代のものであろうシンクや水道が今でも残されているところにも、禅の精神が感じられるような気がします。
ちなみに禅宗というと、日本では臨済宗・曹洞宗・普化宗・黄檗宗がそれに当たります。
臨済宗といえば、徳川家康が幼年期に学んだとされる『臨済寺』が市内にありますし、その中興の祖と言われる白隠禅師は沼津市にある原という地区の出になるということで、身近に感じる宗派のひとつになります。
曹洞宗は、自分の家のお墓が曹洞宗のお寺にあるので、こちらはなお一層身近な存在。
普化宗はほとんど聞くことがないのですが、尺八を吹いて往来する虚無僧は、この宗派の僧のことをさすのだそうです。虚無僧って、時代劇の中で身分を隠しての偵察に使われたりする印象しかなかったのですがw
黄檗宗は、インゲンマメに名前を残す、隠元隆琦がその祖になるそうです。
というわけで、廊下もいたってシンプル。




そして、今回初めて知ったのですが、この可睡斎はトイレでも有名でしたw

何が日本一かというと、こちら、かなり初期の水洗トイレであるらしく、水洗トイレが珍しかった昭和12年当時、このトイレを一目見ようと大勢の人が押し寄せたと言われているのだそうです。
それよりも、私が目を惹かれたのは、トイレの横にある水道でしたけどw


市外局番とかまったくなかった時代のシールがそのまま残っているんですね。

と、こんな感じでぐるっと回って来て、ちょうど30分ほど。一通り見ることができました。靴箱のところにはこんなポスターが。

外では相変わらず風鈴が涼やかな音色を立てていました。



ちょうどお昼時だったので、空くタイミングだったんでしょうね。我が家も駐車場を空けて、帰りながら昼食を食べていくことに。どこで何を食べようかと考えて、結局行ったのは新東名の遠州森町PA。



こうしてこの日は、遠州の魅力を味わって帰宅となりました。
昨年のオフ会もそうでしたが、同じ県内にありながら、案外行く機会が少ないこのあたりの地域。実はかなり見所が多い地域でもあります。
遠州三山と呼ばれる法多山尊永寺、萬松山可睡斎、医王山油山寺のうち、尊永寺にはまだ行ったことがないので、また機会を見つけて行ってみたいと思います。