阪神・淡路大震災から30年が経ちました。
当時、神戸の大学に進んでいた高校の同級生がいて、心配で電話したことを毎年この時期になると思い出します。
窓の外の向かいの家がつぶれていることや、家の周りの電柱が折れていること、これから避難所に行くことなどを聞き、その間に何度かプツプツ・・・と電話が切れそうになっていたことで、長く話してる場合じゃないなぁと思って、早々に電話を切ったことを思い出します。
あと、思い出すのは、朝起きてテレビをつけた瞬間飛び込んできた、神戸の街が燃える映像ですね。最初「朝から映画でもやってるのかな」と思ったのです。それだけ現実味のない光景でした。
もう一つ毎年思い出すのはこちらです。
団長、同世代なんですね。
団長は幼稚園からの友人を地震で亡くしたそうです。その時、友人が生き埋めになったビルの前で呆然と立ち尽くす姿がたまたま撮られていて、新聞に載っていたとのこと。周りに写っている人たちも、団長の友人たちなんだそうです。
その後の東日本大震災があって、職場で話をしても阪神大震災より東日本大震災の方が(特に若い人は)話題になりやすいのですが、どちらも忘れてはならない出来事としておなじだと思っています。
さて、今日はかみさんの話(地震とは全く関係ない話)を聞いていたり、上のYouTubeを見たりしていたら遅くなってしまいました💦
明日、仕事がらみで朝から出なければいけないため、ここからはちょっと駆け足で進めますm(__)m
天守まで彦根城を上がったので、ここからは帰り道。昨日の図と逆の動きで戻っていきます。

太鼓門櫓を抜けると見えるのがこの風景です。


この鐘は時報として作られたものだそうで、最初はもう少し手前にある『鐘の丸』というところに設置されていたようです。ところが、その場所からだと鐘の音が城下町に届かなかったので、この場所に移築されたとのこと。
確かに、街を一望できるこの場所からなら、鐘の音もよく届きそう。
・・・と思ったら、この鐘、今も現役で、1日に5回、6:00、9:00、12:00、15:00、18:00に打ち鳴らされて時を告げているとのこと。
・・・しまった。彦根に着いたのは15時過ぎだったし、18時には近江八幡に向かう電車の中でした。鐘を聞き逃したなぁ。また忘れ物確定です。いくつ取り戻しに行かなければならないかなぁ。




行きに上ってきたときに、この天秤櫓も公開中という看板を見ていたので、せっかくだから中に入ってみることにしました。他に寄っている人も見当たらず、我々家族で独り占めでした。





飾り気はありませんが、その方が当時をしのぶことができると思うので、かえっていい感じです。




守備の兵が隠れるところは壁を厚めにし、そうでないところは薄く作っているそうです。まさに実践的。

時間が遅いと空いているので、見たいところをじっくりと見られてよかったです。














下りてきたら時計は16時42分でした。もう少しゆっくりしてきてもよかったかな。でも、夕日が大分傾いていて、到着した時はそれでも暖かく感じていた空気が、どんどん冷たくなってきていましたからね。駅に向かって歩いて行くことにしましょう。
といったところで、続きはまた明日です。