オリンピック、なんだかんだ言いながらもやはり注目を浴びますね。
今回は金メダルが2個とまずまずの展開ではと思いつつ、ジャンプの高梨選手やフィギュアの羽生選手などの、ちょっと残念な結果や経過もあります。いくつかの競技では不可解な判定があったなんてネガティブな話題も。
そんな中で、中国選手の中に帰化選手が多いというのを問題視する向きもあるようで。同様の事例は平昌五輪の時にもあったようですが、それを言ったら、日本のラグビーだってルールにのっとっているとはいえ、似たようなものなんじゃないかなぁと。もっと言えば、高校生のスポーツだってそんなもんですしね。
野球の静岡代表校にもたいてい関西出身の選手がいますし、逆に高校女子駅伝なんかだと、静岡出身の他県選手が活躍してましたし。
まぁ、国とか都道府県とかをかけた戦いにはつきものなんでしょう。選手個々の事情もあるでしょうしね。
さて、大学時代の友人が子供と一緒に遊びに来たのは、6年ちょっと前、2015年の12月30日のことでした。
どういういきさつでそうなったのかは覚えてませんが、ひょっとしたら息子のY君が東照宮に興味を持っていたのかもしれません。彼もこの4月から大学生ですから、当時ちょうど12歳くらい、小6だったはず。歴史の勉強がらみだったかもしれませんね。
で、どうせ来るなら階段から登った方がいいよとか言って、階段下で待ち合わせをした記憶があります。
ちなみに、階段の下にはちょっとした門前町がありまして、その一角に安く停められる駐車場があります。
上のGoogleマップをクリックしていただければ現地が見られるかと。1回200円で停めておくことができます。
門前町は写真が見つからなかったので(どこかにあるんですが)、ストリートビューからいただきました。

というわけで、昨日まで日本平のネタを続けてきましたが、そういえば久能山の階段を登ったなぁと思いだしたので、過去写真をサルベージしてしばらく場をつなぎたいと思いますw
石段が始まるすぐ横にあるのがこちら、徳音院。小さいですが、家康公ゆかりのお寺とのこと。敷地内の紹介は以下のようにありました。
徳音院は徳川家康をはじめ3代将軍に仕えた南光坊天海(慈限大師)により開かれたお寺です。御本尊は家康ゆかりの薬師如来で、そのほか不動明王、財福聖天、厄除開運の両大師をおまつりする駿河の霊場です。徳川家康は元和2年4月17日に亡くなり遺命により久能山へ納められました。家康を神様としてお祀りするにあたり、将軍秀忠は天海の主唱する山王一実神道で東照大権現の神号をいただき、元和3年4月に天海大僧正により、日光山に改葬されました。家光の代には久能山にも社殿及び寺院ができ、徳音院はその学頭として江戸時代は栄えておりました。ところが、明治になって山上の寺院は取り壊されて、麓の徳音院だけが元三、慈眼両大師堂として残されました。
江戸時代は、山上に今ある以外にも寺院があったんですね。これは知らなんだ。

さて、スタート。1159段の始まりです。当時の小僧は4歳半といったところで、どこまで行けるか心配でしたが・・・結果としては往復のほとんどを歩き切りました。体力がついたなぁとも思いましたが、昨日書いたように、石段が登りやすいということもあるんでしょうね。

上を見ると九十九折になっているのがわかります。ちなみに、自転車でのヒルクライムの時も、登山の時もそうなんですが、こうしたところを歩くときは内側と外側の違いに注意ですね。
同じ高さを移動するので、距離の短い内側は斜度が高くなり、遠回りになる外側の方が斜度は緩やかになります。それで、急でも近道の方がいいんじゃないかと内側を選んでばかりいると、意外と負担が大きくてばてるのが早くなることがあります。
身体への負荷は一定である方が疲れにくいので、こうしたところでは基本的に傾斜の緩い外寄りを歩くのがおすすめです。


この辺り、まだ元気でした。欄干を見ると斜度がこんなものかと分かりますね。これくらいならどうにか、自転車でも登れそうな斜度です。

途中、段数のプレートがあります。

一ノ門が見えてきました。

で、おなじみのパノラマ。


12月30日ということで、もう新年の支度がなされてますね。



ポイントは同じなんですかね、昨日紹介した写真と同じようなところで、結構な枚数を撮影してました。
さて、この時はちゃんとお金を払って参拝もしてきましたので、さらに奥に進みます。

家康公の御廟所まで進みますよ。といったところで、続きはまた明日です。