本記事は、日頃からお世話になっているはとさん(@810ibara)のアドベントカレンダー企画 #ぽっぽアドベント2025(1日目)のための書き下ろしです。
自重で潰れたクリスマスケーキ、おなかいっぱい食べて帰ってください。
世界中で迷子になって
下北沢にBASEMENT BARというライブハウスがある。
Sの字に廻る階段で地下1階へ降りていく。すると、物置みたいなスペースに出る。
「こっちが入口かな」と進みたくなる方向とは逆方向にそびえ立つ重い扉。肩で押して開くと、オシャレなバーのある店内へと続いている。
階段の柱には「BASEMENT BAR」と書かれた水色の看板が掲げられている。でも、すぐ隣の建物がカクヤスのピンク色の看板で彩られているせいで、ものすごく見つけづらい。
はじめて行ったときは迷子になった。
2015年9月17日(木)。
BASEMENT BARの周辺で、私はGoogle Mapを携えて右往左往していた。古墳シスターズが東京で2日間連続ライブをするというので、3泊4日の旅程を組んで観にいったときのことだ。
当時20歳。旅行中はずっと雨が降っていた。
2025年9月26日(金)、10年ぶりにBASEMENT BARに立ち寄った。近所にあるMosaicというライブハウスに行くついでに、思い出に浸りに来たのである。
同行の友人Aは、やはりカクヤスの看板に惑わされていた。私は「そっちじゃないよぉー」と言いながら迷わず階段に向かった。
手すりの隙間から階段下を窺った。
その瞬間、階段に腰掛けているKさんと、隣に立って煙草を吸っている松山さんがはっきり見えた。
思わず「うわっ」と声をあげてのけぞった。
友人Aが「どうしたどうした」と駆け寄ってくる。返事をしないで、もう一度階段下を覗き込んだ。
誰もいない。そりゃそうだ。
なぜなら、私がその光景を見て覚えたのは2015年9月17日のことで、2025年9月26日はその光景を思い出して見ただけだったから。
2025年9月26日には、古墳シスターズはBASEMENT BARにはいなかった。今日の彼らのライブ会場はMosaicである。
30歳になった私は、その日、Mosaicでおこなわれる古墳シスターズのライブを観に来ていた。
○
古墳シスターズというのは2013年に結成されたパンクロックバンドだ。香川県高松市を拠点に現在も活動中。
現メンバーはVo.松山航、Gt.松本陸弥、Ba.小幡隆志、Dr.ラース(川村直生)の4名だが、Ba.とDr.は何度かメンバー交代をしているため、私の思い出にはしばしば旧メンバーが登場する。(Kさんはその一人。)
彼らと出会ったのは2014年7月21日(月)。19歳の夏。
その日のMCで、松山さんはこんな話をしていた。
「高校1年生の冬に、当時の彼女とセックスをしました。人生初のセックスで、ぼくはむちゃくちゃ興奮していました。けれども、終わっておちんちんを抜いてみたら、膣内でコンドームが外れていました。『死んだ!』と思いました。急いでピルを買いに薬局へ走りました。ピルは1万円くらいしました」
観客大爆笑。
しかし、ピルは薬局では買えない。ということは、松山さんの話は、おそらく「高校1年生の冬に」という入りから「ピルは1万円」というオチまでまるっと全部が嘘だったのだと思う。
松山さんはよく嘘をつく。
2025年9月19日(金)に札幌で会ったとき、松山さんに「方向音痴すぎてホテルへの帰り道がわからないんすよねー」と話した。すると彼は、「月を見ながら歩けば方角がわかるよ。おれは昨日、そうやってコンビニからホテルまで帰ったよ」とアドバイスしてくれた。
けれども、ライブハウスを出て札幌の町を歩きはじめて気がついた。
ビルが高すぎて月が見えねえ!
古墳シスターズは、そういう松山さんが中心となってはじまったバンドだ。それゆえか、なんともはや掴みどころのない、波間を漂うウニみたいな印象を纏っている。
しかし、詩情がある。だから私は、薬局で蒼ざめる高校生を想像して笑ったし、ニッカの看板の前でまんまと夜空を見上げた。
いわゆる〝追っかけ〟になってからというもの、古墳シスターズを追っていろいろな場所へ出掛けている。下北沢、神戸、天王寺、高松、徳島……どれも彼らを追っかけていなければ行かなかった町だ。
ところが、私は超ド級の方向音痴。そしてまた、観光の作法にも疎い。そのため私のライブ遠征は「旅」と呼ぶのが憚られるような単なる「移動」である。ライブハウスの近くのガストに入って開場時刻まで暇を潰し、チーズインハンバーグをムシャつくだけのなんかしら。
迷子になりつつ辿りついたBASEMENT BARでのライブ。松山さんがチューニング中に、ふと「東京って窓が多いよね」とつぶやいた。
東京は窓が多い。
その言葉を、私は東京を訪れるたびに思い出す。
下北沢Mosaicに向かう道すがらにも、Aに「東京って窓が多いよね」と言ってみた。Aは「は?」って顔をしていた。
迷子になって途方に暮れているとき、私のぐるりには窓がある。その向こうではいろいろな人間が、悲しんだり喜んだり、そのどちらでもなかったりしている。
旅に行き、そこで起きた出来事について書くということは、窓の向こうにある無数の物語を「主人公・私」の物語の背景にするっていうことだ。
それはさかさまに見れば、「主人公・他人」の物語の背景に私がなりに行くということでもある。
せっかくなるのならステキな背景になりましょう。
○
私がこの世でいちばん好きなライブハウスは香川県高松市にあるTOONICEである。
「古墳シスターズのホームグラウンド」という贔屓目を抜きにしても、音響がめちゃくちゃいいしスタッフさんの雰囲気も親しみやすい。
水色のタイルが敷かれた階段を降りると、右手には自動販売機、左手にはベンチと喫煙スペースがある。壁にはチラシが所狭しと貼られていて、雨の日には呼吸しているみたいにぶよぶよと膨らむ。
入店すると正面にカウンター。受付が済んだら左手の廊下を進んでフロアへ入る。キャパは120人。天井が低いため、ステージ上で演者がバンザイをすると指先が梁につく。
ガチでホンマに売れていなかった時代(2013~2018年ごろ)の古墳シスターズは、このハコで「12時間耐久ライブ」とか「自作小説朗読会」とかいったトンチキ企画をやっていた。(もちろんふつうのライブもやっていた。) そういうトンチキ企画を受け入れてくれるユルさもTOONICEの魅力だと思う。
売れていないバンドのメンバーとファンの距離っていうのは異様に近い。
よくアイドルのファンやなんかが「推しと目があった♡」と喜んでいるが、売れていないバンドの場合はフロアに10人くらいしか客がいないので、目をあわせないことのほうが難しい。観客のリアクションはすべてチェック済。それどころか、古墳の場合は常連客のTwitter IDを把握していて、常時監視下に置いていた。(現在はそんなことはない。)
ライブの感想をツイートすると5時間以内にメンバーから☆がすっ飛んでくる。匿名性ゼロ。
そんなわけで、終演後の喫煙スペースにはいつもけだるい空気が充満していた。演者と観客の関係を終え、かといって友人同士のような間柄にもなれずに「次はどうしよっか」と探りあう奇妙な時間。
私はこの時間がものすごく苦手なのだけれども、同時に途方もない憧れも持っている。喫煙スペースに立っているとき、私は観客ではいられない。だから、なんとなく居心地が悪い。でも、観るとか観られるとかいう関係から抜け出して、一人の人間としてコミュニケーションができていることはうれしい。
ずっと続いてくれないかしら。
2015年か2016年の夏。
TOONICEでのライブ後、私たちはまたいつものように赤色の吸殻入れを囲んでけだるい時間をすごしていた。
ふと、松山さんが「今日は電車で来たの?」と言った。私はちゃんと聞いていなくて、テキトーに「はい」と返事をしてしまった。
「えっ……マリンライナーの最終って22時半よ」
時計を見ると22時の手前。TOONICEから駅まではだいたい徒歩30分。たしかにまずい。
けれども、じつを言うと私は電車ではなく車で来ていた。車はTOONICEの真隣にある駐車場に停めていた。本当はまずくない。しかし、今更「すんません、テキトーに返事しました!」とぶっちゃけるのはまずい。というわけで、話をあわせることにした。
「ああ~これはまずいっすねえ~(笑)」
「いいの?」
「最悪どっか泊まるんで大丈夫ですぅ~」
松山さんは一度は「そうか」と言った。けれども煙草を吸い終わると、「お開きにしよっか」と言って鞄を提げた。
ああ、ちゃんと聞いておけばよかった……。
「気をつけて」と、松山さん。
「今日もありがとうございました」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そう言って歩き出した途端、背後の4人が揃って「駅、そっちじゃないで!」と叫んだ。振り返ってみると、煮え湯に飛び込むカエルを見るような顔が4つ。恥ずかしい。
「あんたホンマに大丈夫か。そこの交差点まで一緒に行こう」
エネオス前の交差点。
「おれらはこっちに行くけど、あなたはこっちね」
「はい」
「この道をまーっすぐ、ひたすらまーっすぐ行けばいずれ高松駅が見えてくるから」
「はい」
「曲がっちゃだめよ」
「はい!」
「振り返らずに行け!」
「はい!」
私は駐車場からどんどん離れていった。
5分ほど歩いて、さすがにもう見送られていないだろうってころに右折した。来た道を戻ると出くわす可能性があるので曲がってしまった。そうしたら迷子になった。もれなく方向音痴なのである。
30分ほど彷徨ってようやく戻ったTOONICE。店内の照明は消えていた。
○
私が古墳シスターズをちゃんと追っかけていたのは2014年~2017年だった。
2017年4月、私は大学院に進学した。その関係で広島県に引っ越して、香川県が遠くなった。
それでも1年くらいは追っかけていた。けれども、大学院生というのはなんたって金がない。そのうちにチケット代や交通費が出せなくなり、足が向かなくなっていった。
2019年8月18日(日)、珍しく広島市でライブがあったので観に行った。どんなライブだったかはあまり覚えていない。「2017年に比べて、観客が5倍に増えているな」と思ったのだけがたしか。
2024年、青森県に就職した。
社会人生活1年目は忙殺の極みだった。
2年目になれば慣れて楽になるだろうと思っていた。だが蓋を開けてみると、さらに責任の重い仕事を任されることが決まっていた。
私自身「その仕事をするのはまだ早いんじゃないか」と思ったし、同僚も「その仕事をさせるのはまだ早い」と言っていたのだけれども、上司は「人手不足だからやむを得ない」とバッサリ。
「失敗したらフォローするから」となだめられたものの、失敗する前提で任せるなんて酷いじゃないか。誰からも期待されていない雰囲気もいやだった。
精神的に限界になっていた2025年3月28日(金)。なんとなくTwitter(現・X)を眺めていると、古墳シスターズの公式アカウントのツイートが目に留まった。
4月12日(土)に、八戸市にあるFor Meというハコでライブをやるという。
「行くか……」
そんなわけでFor Meを訪れた。もちろん道に迷った。For Meは、中心街からやや外れた「へえ、こんなところにライブハウスがねえ」と言いたくなるような場所にあるのでわかりづらいのである。
6年ぶりに観た古墳シスターズ。
厳密には、私が観たのはステージに立つ彼らそのものではなかったのかもしれない。彼らの身体をスクリーンにして、かつて見て覚えた光景を思い出して見ていた。実際、目に見えている光景と記憶のなかの光景が、二重窓のガラスに映る像のように重なって見えた。
ライブ帰りは妙にすっきりしていた。仕事も生活も、「なんか、こっちの方向に進めていけばいいんだな」とわかった気がした。
というか、方向っていうのはいつだってこっちしかなかった。私はずっとこっちに進んでいた。こっちに進むので合っていた。
○
追っかけを再開した私が最初にやったのは、友人Aを洗脳してはにわっこ(古墳シスターズのファンを「はにわっこ」という)にすることだった。ファンなんかなんぼおってもええからな。
はにわっこ化したAは、私と古墳シスターズの関係にエモを見出すようになった。「主人公・私」の物語の熱心な読者第1号、誕生。
そんなわけで、下北沢駅に降り立つと、Aは「Mosaicへ行くまえにBASEMENT BARに寄ろう」と言い出した。私と古墳シスターズの思い出の場所を巡礼したいのだという。
だが、下北沢駅からBASEMENT BARを目指すと、位置の都合でMosaicを横切ることになる。
開場前にMosaicに近寄るとメンバーに遭遇してしまうかもしれない。それは気まずい。
私は「んえ~」とか「いやだ~」とか言いながら、しかしはぐれると確実に道に迷うのでついていった。Aは内心私と古墳シスターズを会わせたがっているようだった。
歩きながら、道行く人の顔や服装を、全神経を集中させて観察した。見知った形がありはしないか?
下北沢らしい雑多な路地。黄色い看板の古着屋を過ぎて、消防署のある角を右折。
トヨタレンタリースに差し掛かったあたりで、人混みの向こうに黄色いTシャツを着た男性がちらっと見えた。
松本くんだ。
ぐるっと踵を返して、来た道を戻った。
トヨタレンタリース。消防署。左折。古着屋。
ドコモショップの前の駐車場まで歩いて、立ち止まった。
振り返るとAはいなかった。完全に気配を消して離脱したから、まだいなくなったことに気づいていないんだろう。
2分ほど待っていると、Aが消防署の角から現れた。つかつかと歩いてきて、正面に立つと、「びっくりするでしょうが!」とやや怒った声で言った。
「だって、いたんだもん」と私。
「そりゃ、会場に行けばおるわ!」
「いるんならこの道は通らない」
「なんでよ」
「会ってもどうすりゃええんかわからんもん。挨拶したいならあなただけすれば」
「じゃ、ここにいるのね?」
「いる」
「ホンマに会わないのね?」
「会わない。いってらっしゃい」
Aはまた消防署の角を右折していった。
5分ほどして戻ってきた。
「誰と話したん」と私は問うた。
「松本さん。あなたが『会いたくない』っつって逃げたことをチクってやった」
「なんて言うとった」
「『会いたくない……!?』って」
「モノマネ似てんな」
よかった。逃げる姿は見られていなかったらしい。
○
古墳シスターズが最初に作った曲は「クオリティ・オブ・ライフ」という。
この曲は「音楽」というよりは「スポーツ」である。この曲を演るとき、彼らはぎりぎり歌っているみたいな感じで暴れ散らかす。
サビの歌詞はこんな感じ。
なにかをしなくてはならないな
この上ない疎ましさが僕を包んでいる
なにかをしなくてはならないな
部屋の電気はついたまま
「クオリティ・オブ・ライフ」は古墳シスターズという存在を象徴する歌だと思う。
「なにかをしなくちゃならん」と思い立ってしまった人たちが、うっかりエレキギターを掴んでしまったために音楽をはじめ、ぎりぎり歌っているみたいな感じで暴れている。
で、私は彼らの七転八倒を、なすすべもなくただ眺めている。ときどき「いいなあ」とつぶやきながら。
そういう状況の総体。それが古墳シスターズ。
だから、そこでやられている「なにか」は必ずしも音楽でなくていい。騎馬戦でもいいしアルプス一万尺でもいいしマグロの解体ショーでもいい。彼らがはじめてしまった「なにか」がどこまで転がっていくかのほうが大事。私にとっては。
「もしも古墳シスターズが」と、私は思っていることを素直に言った。「もしも入場SEが終わった途端に『今日はやめます!』っつって帰ったとしても、私は手を叩いて喜ぶよ」
通話先のAはドン引きしていた。
「でもさ、お金をとっているわけでしょう」と、A。「支払われた代金に見合うパフォーマンスをしないのはまずいんじゃない」
「パフォーマンスはしてるでしょ。『今日はやめます!』っつって帰るというパフォーマンスよそれは」
「言いくるめられている気がする」
「人間がおって、人間が観てればそれはパフォーマンスじゃん。うーん、やべえ。ピーター・ブルックみたいなことを言ってしまった」
「誰やねん」
「誰でもええよ。要は、人生を持ち寄ってバトルしましょうっていう話」
「クオリティ・オブ・ライフ」を、ライブハウスで2、3度だけ観たことがある。よく覚えているのは倉敷REDBOXのフロアライブで演っていたとき。
その日のMCは『五輪書』の話だった。松山さんは鞄から岩波文庫を引っぱり出して、ページをめくり、読み上げた。
「兵法の戦に、其敵々の拍子を知り、敵の思ひよらざる拍子を以て、空の拍子を知り、知恵の拍子より発して勝所也」
なんのこっちゃ、という空気が漂うフロア。振り落とされた我々のために、「要は、意表を突くっていう話」と噛み砕いてくれた。が、まだ反応は薄い。
「意表を突くには、相手のことをよく知っていなきゃならない。相手に深く興味を持って、愛して、知り尽くしたうえで、思いもよらなかったことをやる。そうしてはじめて意表が突けるわけ」
なるほどな。
おもむろにマイクを握りしめると彼はでかい声で言った。
「おれはあなたの意表が突きたい!」
○
2025年8月23日(土)。
8年ぶりに香川県高松市のアーケード街を歩いた。古墳シスターズがTOONICEでワンマンライブを打つというので、友人Aと一緒に観にきたのである。
TOONICEを目指してずんずん進むAの後ろを、「あー、ここは」とか「うー、なんだっけ」とか唸りながらついていった。
「たしか、どっかを右折するんだよなあ……」これが私の考えていたこと。
8年前に比べるとアーケード街は「マジか」ってくらいに栄えていた。そのせいで、どっちを向いても「こんな場所あったっけ?」と「こんな場所あったな!」が同時に襲い掛かってくる。平たく言えばなーんもわからん。友人の手の中のGoogle Mapだけが頼り。
そのはずなのに。
そのはずなのに、煙草屋がある交差点に出た瞬間にびたっと足が止まった。
ここは!
ここを右に曲がるとき、私はいつも緊張する。油断していると、ライブ前にぶらついている古墳シスターズとすれ違ってしまうから。
観客でない状態で彼らに会うとき、私はどうしていいかわからなくなる。「主人公・彼ら」の物語の中で、ステキな背景になれているという自信がなくて。
右折せずに帰りたい。でも、ここまで来たのに彼らを観ずに帰るのはいやだ。
車で轢いてくんねえか。8年前にこの瞬間に同時に。
信号を渡りかけていたAが、私がついてきていないことに気がついて戻ってきた。
「なんか、たぶんここを右よな」と、私は言った。
「そうだね」と、Aは答えた。「右に曲がって、もうすこし歩いたら」
東進ハイスクールがある。
その先に薬局があって歯医者があって駐車場がある。
駐車場を過ぎればTOONICE。
私がこの世でいちばん好きなライブハウス。
○
〝追っかけ〟っていう言葉はよーできとる。
誰が作った言葉かは知らんけど、この言葉を作った人は詩人だと思う。
ファンっていうのは基本的にしんがりを行く。進行方向を決めるのはアーティスト。
「さきがけを務めるからにはがんばってほしい」という思いは少なからずあるけれど、かといって行き先に口出しをしたり、先導したりするほどのなんかしらは持ち合わせていない。「こいつらに未来はないな」と思ったらついていくのをやめればいいだけだから。
でも、〝追っかけ〟という言葉には言い表せていない部分もある。だって、ライブ中の観客と演者は向かい合っている。古墳シスターズはいつも私のほうを向いて歌ってくれる。言葉通りの意味で追っかけていたらこうはならない。
ということは、我々の旅はてんでばらばらの針路に進んでいる。はず。
お互いに道に迷って、知らない街で、Google Mapを携えて右往左往している。
前方不注意で正面衝突。すんませ~ん、っつって顔を見てびっくり。
あ、迷ってないじゃん。こっちで合ってたんだ。
これってつまりどっちが背景なんだ。
誰の物語が紡がれていっているんだ。
2025年8月23日(土)のTOONICEでのワンマンライブ。チケットは前売り120枚がソールドし、追加で当日券が20枚出た。
ライブ中、私は「古墳シスターズがTOONICEを満員にしている」という事実に感動してびちょびちょに泣いていた。
MCで、松山さんは「次は高松DIMEでワンマンをやりたい」と言った。
DIMEというのは高松市にあるかなり大きめのライブハウスで、キャパは300人。TOONICEの倍以上である。
古墳シスターズの旅においてTOONICEは通過点なのだ、と思った。TOONICEだけじゃない。DIMEもモンバスもZeppもロッキンも通過点。
「サクセスストーリーってエモいよね」とかいうチャチな話はしていない。ライブハウスがパンパンだろうがガラガラだろうが、そんなもんは「主人公・彼ら」の物語の背景にすぎない。
どうでもいい。
そこで「なにか」がおこなわれている。
その「なにか」が観たくて私は迷子になる。
そんだけです。
振り返らずに行け。
○
2015年9月17日(木)。
カクヤスの看板と格闘しておよそ10分。私はようやく階段の柱に設置された水色の「BASEMENT BAR」の看板を発見した。
ゴールはずっと足元にあったのだ。『青い鳥』みたいな話だな。
階段下を覗き込むと、座っているKさんと、煙草を吸っている松山さんが見えた。
開場まではあと30分。普段なら降りて行かないが、その日は雨が降っていた。道に迷っているあいだにずぶ濡れになっていたので、風の当たらない地下へ隠れたかった。
Sの字の階段を降りていくと、松本くんと目が合った。
「お。おつかれ~」
「お疲れ様です~」
「ずぶ濡れやん」と、松山さんが言った。
「道に迷っちゃって」
「ここ、わかりづらいもんな」
「間違ってカクヤスに入っちゃいました(笑)」
言いながら、私はキャリーバッグを開けて、服の隙間に突っ込んでいたレジ袋を出した。
「これ、差し入れです。煙草です」
「おー、ありがとう!」
「一人一個ずつどうぞ」
一服。
けだるい時間がはじまってしまった。
松本くんが私のほうを見て、「傘持ってきてないん」と言った。
「岡山県民は傘なんか持たないよ」
「そんなことはないじゃろ」
また沈黙。
「まだ入れんのよな」と、松山さんがKさんに問うた。「到着の連絡はしたけどね」とKさんが答えた。
「雨だるいなあ……」
これってもしかしてチャンスなのかもしれない。
再びキャリーバッグを開けて荷物をひっくり返した。そうして、ビニール袋で厳重に梱包した額を出した。
額の中には、先日バイトの空き時間で描いた彼らの似顔絵が入っていた。はにわっこになって1周年の記念に、私が私のために描いたファンアート。絵の中の4人に、本物の4人のライブを観せてやりかったから持ってきていた。
「つっても、本人たちに見せびらかすのは違うか……」
ためらっていると、松山さんに見つかった。
「それなに」
「あー……絵です……」
「絵?」
「見して見して」と集まってくる4人。
ビニール袋を開けた瞬間、彼らが「わあっ!」と色めき立ったのをいまでも覚えている。さっき煙草を渡したときとは全然違う反応だった。
えっ、こんなに喜んでもらえるんだ?
「持っていい?」
「うわーっ、すげえ」
「いつ描いたん」
「バイト中です」
「ホンマに絵うまいな」
「4人ともめっちゃ似とる」
「ありがとうございます」
「楽器がちゃんとおれらのだ」
「はい、写真見て描きました」
「サインする?」と、松山さんが言った。けれども、すぐにひっこめた。「汚しちゃうか」
「えっ、してください」
「していい?」
「お願いします。逆に、いいんですかそんな」
「ペン探せ探せ」
私は額をひっくり返して留め具を外した。その拍子に表面のガラス板が外れた。「絵が落ちる!」と思って咄嗟に掴んだら、ガラスの縁で右手の中指を切った。
痛ェ! 流血。
左手で絵を持って彼らに渡した。「どこに書く?」とか「緊張するぅ~」とか言いながら、1人ずつサインをしてくれた。
一周して戻ってきた絵を、血をつけないように気をつけつつ額装しなおした。
サインが入ると絵はとてもきちんとして見えた。
「いい絵になりました」と、私は言った。
「バーカウンターに今夜中飾ってもらおう」
「マジすか」
「これはみんなに見てもらいたい」
そのとき、Kさんが私の異変に気がついた。
「手、大丈夫?」
「あは〜額のガラスで切っちゃいましたぁ〜(笑)」
のんきを装ってはみたものの、かなり深く切れていた。ポケットティッシュで押さえるのでは間に合わない。
私はキャリーバッグのポケットから絆創膏を出した。でも、利き手だからうまく貼れなかった。
1枚目をボツにして2枚目を開封しようとしたとき、松山さんが「貼ってあげるよ」と代わってくれた。
ぷくっと膨らんだ血の玉を絆創膏がやわらかく覆う。けれども角度がてんで見当違いで、傷口に触れているのはガーゼではなくシールの部分だった。
ねえもうちょっと上手に貼ってよ。
旅の終わりまで連れてくんだぞ。
明日はあとりさんの担当です。