数ヶ月前に、Why I (almost) don't use AI for writing というブログ記事を書いた。LLMによって生成された文章が自分らしさを奪っているということと、"自分から出た"文章を書くために実践していることについて書いた。
それからしばらくたって、エージェントやMCPという概念が登場し、モデルは進化し、AIは文章を書く以上の万能なツールとなりつつある。そして当時からぼんやり感じていたことが、この変化にともなって言語化できつつあるので、そのことについて書きたい。
今、多くの人がLLMのようなAIを使う理由は、コーティングや動画作成など、"これまで経験が求められたことが簡単に出来るようになること" と、"生産性の向上"がほぼ全てなんじゃないだろうか。
特に後者については、インターネット上の喧伝がすざましく感じる。ソーシャルメディアを開けば "AIで生産性を上げよう" という謳い文句がそこかしこで見られるし、最新のAIツールを使って仕事を速く効率的に仕上げるノウハウの動画や記事が無限に紹介されている。
そうした結果、人々の行動様式は、 "AIに指示を与えてやってもらう" が当たり前になってきている。
- AIにたたき台を作ってもらう
- AIに検索してもらう
- AIにデータを整理してもらう
- AIに考察してまとめてもらう
などなど...。
当然その方が速く済むし、クオリティもそれなりに担保されるケースが多い。周りの人たちより結果を出すなら、使わない手はない。自分で頭や手を動かすより楽だし。
こんな感じで、生産性を追い求めてAIにまかせていると、しらずしらずのうちに、自分の勘のようなものが鈍ってくる。ゲームなんかでもしばらく離れているとキャッチアップに時間がかかるようなものだ。しかし都合の良いことに、AIはそれさえもおぎなってくれる。
でも、例えば、とあるアウトプットに対し、誰かにこんな質問をされたとしよう。
"ここではこのようにデータをまとめ、XYZという考察ををしているが、どういう思考過程を経てデータをまとめ、そのような結論になったのですか?"
もし、"AIが指示にしたがって集めたデータだから"、"AIがそのように考えたから"、が答えなら、それはもう自分自身のアウトプットではない。もはやAIのアウトプットである。
AIと生産性のはざまで失われていくもの、それは "みずからが持つさまざまな能力" であり、 "さまざまな能力が形作る自分らしさ" である
そうなったとき、もはやAIでいいじゃん、ということになってしまう。
競争に生き残るために生産性を優先した結果、自分の能力が退化し、やがてAIに取って代わられるというのは、なんとも皮肉な話である。
では、さまざまな能力が形作る自分らしさを失わないために、何ができるのか。答えは簡単だ。AIに頼らず、自分の頭と手を動かしてみることだ。
- いちから自分で創ってみる
- 自分でたたき台を考えてみる
- 自分でデータを集めてみる
DeepResearchは素晴らしい機能だけど、その先の情報がどれだけ信頼に足るかを検討したことはあるだろうか?AI向けSEOに特化した、ゴミのようなものではないか?そういうところから始めても良いかもしれない。
なにもいつもやる必要はない。ただ、自分の能力を退化させないために、AIを上手に使いこなすために、意識する習慣が必要だと思う。
そんなわけで、この文章もトレーニングのために一切AIを使わず書いた。読みにくいところ、誤記があれば、もれなく自分の責任です。