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映画『バッドランズ』と『天国の日々』を観て映像美に耽溺する

実は観たことなかったんですよね、テレンス・マリック。しかし才能あるフィルムメーカーが(好意的に)言及しているのを割とな頻度で見かけるテレンス・マリック!まあ作風を考えるとテレビとかで視聴率が取れるような感じではなさそうで、なかなか観る機会が無かったんですよ(言い訳)。権利関係の問題とかもあったのかもね。そんな感じでぼんやりしていたら、初期2作の4Kレストア版が近場で上映されていたのでありがたく拝見しました!やったね。

いや~~~~、映画館で観れて良かった……心の底から上映に感謝。自然光を活かした、というか自然光だけで撮られたような、奇跡みたいな一期一会の風景を大画面でたっぷりと堪能させていただきました。本っっ当に眼福だった。こんなの撮ろうと思って撮れるものなんです???って観ながらずーっと思ってた。デジタル機材じゃなくてフィルムなんだよね????正気か???

『バッドランズ』

日本では劇場未公開だったそうで、4Kレストアのタイミングとはいえ50年の時を経て全国公開されるというのは(わが町のシネコンで公開していて本当にびっくりした、洋画はいつも閑古鳥が鳴いているのに頑張ったねえ)、なんか映画業界の面白いところだな~と思います。どういう収益構造なんだろうな…。チラシも3種類くらいあってどれもいい紙に印刷してあって素敵だったね。

物語としては、実際の事件から着想を得たという、殺人を犯した男女二人の逃避行ロードムービーなんですが、その粗筋からなんとなく想像する雰囲気とはかけ離れた語り口で、これが作家性!!!と思いました。例えば似たモチーフを扱う『俺たちに明日はない』であれば、その鮮烈な暴力性が映画のテーマそのもので、だからこそあのラストシーンに行き着くんだと思うんですけど。『バッドランズ』では、暴力とか死は確かにそこにあるのに、主人公たちの視界や意識からはどんどん遠のいてしまって、最後には画面にも映らなくなっていくんですよね。少女(作中では15歳)のモノローグ(たぶん回想)で進行するのも相まって、映画の終わりはまるで美しい夢を見ていたかのような後味で、でもこの逃避行による死や喪失からくる虚無感はあまりにも苦くて、その落差でものすごい混乱する。男の子も女の子も、目の前にある人間とか生活とかから目を逸らして、遠く陽炎にゆらめく地平線や線路に心を囚われていて、でもそれは絶対に手に入らないもの(近付けば陽炎の魔法は消えてしまうから)だということを、薄々感づいていながら受け入れない。そして夢から醒めた女の子は、そういう物語の中でだけ魅力的な男の子を思い出の風景の中へ残して自分の人生に戻っていく…ていう痛烈なラスト。観客も一緒に夢の中へ置き去りにするような最後のモノローグ、虚を突かれてなんか茫然としてしまった。

劇伴も、不思議な浮遊感のあるリリカルなテイストで、画面の中でなにが起こっているのか分かりにくくなってて(強盗と殺人を繰り返しながら逃亡してる話なのにこの音楽!?てなる)、まあそれが主人公二人の現実認識なんだろうけど、だとしたらけっこうひどい…というか明示的には反省も贖罪も無いので、やっぱりなんか置いてけぼりにされた気分になるんよね。これは監督の意図した辛辣な皮肉なのだろうか。

ところで、こういうアメリカン・ニューシネマ(からの逸脱)による映像作家としての評価の確立、スピルバーグやルーカスも通った道だよな、とも思いました。見当違いだったらごめん。その後に辿ったフィルモグラフィはバラバラだけど、前の世代を否定する流行りのジャンルやテーマを扱ってなお作品へ克明に刻み込まれた作家性というのは、祝福のようであり、呪いのようでもあり。

天国の日々

『バッドランズ』の撮影をさらに進化させたような映画だった!!!こ、こんな風景、撮ろうと思って撮れるものじゃないよね!?!?ていう感じの場面がずーーーっと続いてそっちに目を奪われてたおかげでストーリーがぜんぜん頭に入らんくてびっくりしたね。←お前がポンコツなだけでは?はい… なおパンフレットなどによれば、撮影や編集作業は本当に大変だったみたいなので、でしょうね!!!と思いました。

実は以前、BS松竹東急で放送してたのを(4Kレストア版だったのかどうかは不明)録画したのを残してたんですけど、なんとなくの勘で、これは映画館で集中して観た方がいいのでは?と思って観るのを後回しにしてたんだよね。我ながらグッジョブだったね。

物語としては割とシンプルな三角関係のメロドラマで、でもそれを外側から眺めている少女のモノローグで進むので、恋愛の当事者たちの葛藤や苦しみは遠景に退いて、まるで天国みたいな美しい日々を懐かしみその終焉を惜しみ、ただフィルムにだけ残された淡い光を限りなく愛でるみたいな映画だった。破滅の予感は映画の最初から明示されていて、危ういバランスで成り立つ穏やかな生活はいつか終わりを迎えるだろう気配は物語の背景にずっと伏流している。閉鎖的な人間関係の緊張が高まったときに訪れる空からの使者は、一度目は賑やかな音楽や笑い声と外界へつながる風をもたらし、二度目は破滅的な災厄を招く。それは約束された黙示録の風景で、誰もそれを止めることはできない。映画のリソースを美しい風景の描写に費やし、それを間違いなく尊び慈しんでいたはずなのに、災厄のスペクタクルに高揚してしまう観客(あるいは監督)の業の深さ。人間が犯した過ちゆえに天国の日々は永遠に失われ、争いの絶えない(まさに戦争中の)地上で、生きていかなければならない苦さ。まだ年若い少女が、与えられた安寧の地を放逐され、行方も知らぬ人生の旅路へ踏み出して行くのを見送るしかないラストの投げ遣り感に、またしても茫然として終わったのでした…えぇ…。

それでこういう、ストーリーに特徴のない、映像がすべてを語る、みたいな映画の主人公にリチャード・ギアのツルっとした美形っぷりがぴったりだったのでそれも感心したのよ。褒めてるよ。ジョン・トラボルタという選択肢もあったらしいけど(英語Wikipediaより)、それだともっと”物語”が生まれてしまうから、きっとリチャード・ギアで正解だったよ!と思います。なんか恵まれた容姿、体格を以ってして人生を舐めてるのか何も考えてないのか、でも妹としてはこの兄と生きていくしかない、て思わせる生活力と放埓さの絶妙なバランス。穏やかな表情のまま、不意に激情に堕ちて人生を(よくない方向へ)ドライヴしていく、過去の無い男。どう見ても破滅型の人生を約束されているのに、ギリギリ、ワンチャン生存ルートあるかも?って思わせるのは、リチャード・ギアご本人の抑えきれない品の良さあればこそだと思うんだよな。

ところで、マジックアワーの自然光での撮影といえばイニャリトゥの『レヴェナント: 蘇えりし者』ですよ。あれは自然光に加えて順撮りにこだわったおかげで撮影がマジで大変だったらしいが(個人的にはそこはあんまり…ていう感想を書いた)、もしかしてイニャリトゥだけじゃなく、世のフィルムメーカーたちはみんな『天国の日々』みたいな映画を撮りたくて映画をやってるんだろうか、と。ふと。映画という表現手法に相応しい物語とは何か、映画でしか語れないストーリーというものは存在し得るのか、映画という枠組みでこそ残すべき映像とはどんなものなのか…、みたいな問いの答えのひとつが『天国の日々』だと、そういうことなんでしょうか??(誰に聞いているのか)

というわけで、テレンス・マリック作品、初鑑賞の感想でした!!映画史での位置づけとか技術的な難しさとかは何にも分からんが、でも何かすごいものを観せられたな…ていう印象が強烈に残る2作でしたね!!!ある程度、映画を見慣れてから出会えたのも幸運だったと思います。ストーリーが希薄なのでエンタメ感覚だとちょっとキツかったかもしれないので。

いや~~~映画って本当にいいものですね!!!

では!!




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