韓国が誇る天才フィルムメーカー、ポン・ジュノ監督の最新作『ミッキー17』の話をします!!!特に爆笑ポイントの話を!!!え?笑うとこなんかあったっけ?と思った真面目な君は回れ右だ!
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外連とハッタリと悪趣味な笑いに満ちた歪でファニーなSFコメディだが(たぶん)、テーマやメッセージは作中で全て説明してもらえるのでエンタメとしては非常に親切でしたね!!
ということで、本稿では解説とかではなくただの感想を書きますよ(いつもだよ)。ネタバレ配慮しない方向で行きますのでよろしくね!!!!!
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それにしても主人公と仲間たち、みんな元気いっぱいで良かったですよね!男子も女子も、今この瞬間の刹那の人生を謳歌していて、設定はディストピアSFなのに非常に前向きでポジティブなバイブスがありましたね。いちばん無気力っぽいミッキー17でさえ、イカした女の子と恋に落ちてハッピーラブライフを送っていたので、いやもう君たち本当に元気ね、良かったね、て思いました。ポン・ジュノの批評性がそういう方向に向かうの、割と好きかもしれない。
で、その中でも最高のスティーヴン・ユァンの話なんですけどね!
事前情報を入れなすぎ、予告を避けすぎ、により観る前に知ってた出演者は主演のロバート・パティンソンのみ、という状態で挑んだわけですが。このティモとかいう、人生も人間関係も舐めくさっているがハッタリと器用さでシビアな世界をサバイブして、なおかつなんとなく誰にも嫌われずにいいポジションに収まっているスティーヴン・ユァン、最高か……!?!?!って映画館の椅子から転がり落ちそうになりましたね!ティモが画面に出ているときの自分、たぶん本当にいい笑顔だったと思う(気持ち悪い観客だな)。
繊細で年齢不詳の端正な顔立ちに、人を魅了する柔らかい笑顔で、相手が聞きたい話を快適なトーンで話してくれたら、そりゃあ無敵よ。残酷で不条理な世界を泳ぎ切る能力に秀で過ぎている。仮免許2週間目で星間航行船のパイロットに選ばれたところでスタンディングオベーションしそうになっちゃったじゃん。なんだよその才能は。
あと親友だったはずの主人公の命を割とガチで狙いに来てたのに、大団円までちゃんと仲間ヅラしてたのも本当に良かった。本当になんなんだよコイツ、なんだけどスティーヴン・ユァンが演じることで妙な実在感と説得力が。こういうキャラって嫌な感じで退場しそうだよな…いやポン・ジュノがそんな安易な展開に走るわけないけど…いやしかし…てなるようなフラグを全部へし折って爽やかに笑うティモ、最高にチャーミング。爆笑。
『NOPE/ノープ』のジュープもすごく良かったけど、それほどの才能があるならあの世界をしたたかに生き延びて欲しかったなあ、という思いもあったので、それが叶ったような気持だったよね。監督もそう思ってたんですか???気が合うね???監督、ハピエン派だね???
アジア系のこういうキャラクター、アメリカの映像作品におけるある種のステレオタイプらしいんですけど(終盤で改心して主人公のピンチを救ったり、良くない方向にブーストされて破滅したり、みたいな作劇の仕掛けに使われるイメージはあるね)、本作では割と意図的にそれに対するカウンターとして造形されたのかなあと思いました。まあ仮にそうだとしても監督は明言しないだろうけど。そういうとこあるよな、あの人。
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しかしこの映画の変なところ、ほぼ原作には無い監督のオリジナル設定&展開らしく、それを知ってしまうと色々な感情が去来しますね。自分が原作を読んだわけではないのですが、見かけた範囲でも
・そもそもミッキーが7から17に増えている
・後半のナウシカ展開は原作に無い(だとしたらあの下ネタも無いのか!?)
・政治家夫妻のキャラクターもあんなに変じゃない
などなど。マジかよ、という気持ちになりますよね。なりました。ポン・ジュノのサービス精神を感じられてとても興味深いなと思います。アメリカの資本で撮る映画でそんなことをしていいのか?などと微塵も思ってなさそうなところがいいですよね。せっかくだし興味本位で原作を読んでみようかな…と思って調べたら続編の邦訳がつい最近出ていた。おお。
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ところで、ミッキー17が政治家夫妻の夕食に招かれるシーンあるじゃないですか。
(ちょっと脱線するんですけど、夕食への招待状を届ける人が鳩の恰好してたのも映画オリジナルだと思うんだよな…特に必然性が無いままラストまでいたけど…”幸運の鳩が舞い降りる”は比喩表現だろ、と思ってたから登場した瞬間に画面に向かってツッコミそうになった。オイ!あと、比喩表現といえばミッキーの記憶を保存する外部媒体の外見がレンガになってるのも、いや文章で”レンガみたいな”って表現されてたからって本当に見た目をレンガにする必要ある!?ってなって画面に映るたびにウケてた、装置本体とのインターフェースどうなってるんだよ)
夕食のシーン、妙な緊張感と噛み合わない会話と演技で始まった瞬間からずっと面白かったが、夫妻が手を叩きながら讃美歌(?)を歌い出したところでこらえ切れずに声が出た。笑かすなや!!しかし数十人はいたであろう映画館の客席は静まり返っていたのであった……なんでだよ、笑えよ!!!(理不尽)
ポン・ジュノの笑いのセンス、嫌いではないし面白いと思うんだけど、ちょっと悪趣味っていうかエログロ寄りだから大っぴらに笑いにくいのかもしれない。知らんけど。
でも悪趣味だけど反骨精神に溢れてて、どこにも媚びない、というより全てを笑い飛ばしながら中指を立てるような感覚がいいよね。同情とか共感からは遠く離れたところにある笑いのセンスって感じがする。
で、その笑える場面の直後にものすごい残酷な展開を入れたりするんだけど、ポン・ジュノにとっては、世界はそういうところなのかもしれない。みんながバカバカしい儀式を真面目な顔で繰り広げて実はなんにも理解してなくて、誰も互いに分かりあえず、全員がちょっとずつ馬鹿で利己的なせいで破滅的な災厄を招き入れる、みたいな。まあそうだね、それはそうよ。でもそんなバカみたいな世界で、既存の権威(宗教とか政治とかお金とか構造とか)なんか当てにせずに、確かな希望を語りながら歩いて行こう、ていう頑丈な楽観がありますね。『ミッキー17』はそういう話だった気がする。そういうの好きだよ。
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自分を愛し、人を愛し、搾取に抵抗し、仲間と連帯し、可能性に対してオープンであれ、って言ってくれるポン・ジュノ監督はとっても素敵だし、たった一人でポップカルチャーの枠組みで行き過ぎた資本主義へのカウンターをやろうとしてるのか?とも思う。そういう意味では、本作でのナウシカオマージュ(かどうかは知らんが)は必然だったのかもしれないな、なるほどね。
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というわけで、『ミッキー17』は爆笑ポイントがたくさんあって元気の出る愉快なSFアドベンチャーだったよ、という話でした!
では!!!