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国際法は「法律」なのか? [No.2026-043]

――現実主義から読み解く、その正体とメディアの盲点――

ここ最近ニュースでよく耳にするようになった「国際法」について、ちょっと深掘りして勉強してみました。

 

今年に入って1月2日の米国のベネズエラ・マドゥロ大統領拘束や、2月28日のイランへの攻撃など、緊迫したニュースが続いていますね。

こうした事態が起きるたびに、一部の国々やリベラル系の論者、そして日本のメディアからは決まって「これは国際法違反だ!」という厳しい非難の声が上がります。

 

でも、考えてしまうのです。

「そもそも国際法って、私たちが普段接している『法律』と同じものなの?」

という素朴な疑問です。

 


そもそも「法律」の定義ってなんだろう?

まず、国内法の場合「法律」がどう成り立っているかを整理してみました。

 

通常、法律とは以下の3つの要素を備えたものを指しますよね。

  1. 最高機関(国家など)による制定

  2. 社会全体を律する普遍的な規範

  3. 警察や裁判所といった強制力を伴う執行機関

私たちが泥棒をすれば警察に捕まり、裁判で罰を受けるのは、国家という「最高機関」が強制力(罰則)を持って法を運用しているからです。

 

では、国際社会はどうでしょうか? 地球全体を統治する「世界政府」なんてものは存在しません。国際連合(UN)もありますが、加盟国に対して絶対的な命令を下せるわけではないですし唯一の立法機関でもありません。ましてや大国に強制的に罰を与える「世界警察」なんてものもありません。

こう考えると、強制力も執行機関もない「国際法」を、国内法と同じ意味で「法律」と呼ぶのは、相当無理がありますよね。

 


国際法は「ガイドラインに近い法」?

調べていく中でしっくりきたのは、国際法とは「ガイドラインに近いLaw」なのではないか、という考え方です。

 

実のところ、国際法が機能する領域というのは、多分に「倫理(morality/ethics)」の側面と重なっています。

実際の紛争の場面を見ていると、各国は国際法を「神聖な決まり事」として守っているわけではなく、「守った方が国際的な評判としてが得か、破った時の実利(損得)が勝るか」という計算で動いている節が強いです。

 

つまり、国内法のような「守らなきゃダメ」「破ったらお仕置き」という物理的な強制力ではなく、「それを破ると道徳的に外れていると見なされ、仲間外れにされるよ」という、道徳やマナーに近い領域で機能している部分が実際には大きいのです。

 


リアリズム(現実主義)から見た国際法

調べてゆくとこの「国際法は実質的に道徳規範に近い」という見方は、国際関係論の世界では「現実主義(リアリズム)」と呼ばれる派閥の定番の考え方だということを知りました。

 

例えば、古典的リアリストの巨頭であるハンス・モーゲンソーという方は、

「国際法は道徳・倫理的な役割以上のものではない」

とまで言い切っています。

彼らに言わせれば、国際社会は「弱肉強食のアナーキー(無政府状態)」であり、最終的にものを言うのは「力(パワー)」と「国益」です。国際法は、その力のバランスを整えるためのツールや、自国の行動を正当化するための「看板」に過ぎないというわけです。

 

こう考えると、メディアが「国際法違反だ!」と叫ぶとき、それは法的な議論というよりも、多分に「感情的・道徳的な非難」に近いニュアンスを含んでいることになってしまいます。

 


ベネズエラとイラン、報じられない「もう一つの違反」

ここで、冒頭に触れたベネズエラやイランのケースを振り返ってみます。

 

米国を批判する人たちは「主権侵害だ」「国際法違反だ」と繰り返しますが、そもそもマドゥロ政権やイランの現体制はどうだったでしょうか?

彼らは長年にわたり、独裁体制を維持するために自国民の生活を蹂躙し、自由を求めるデモ隊を虐殺してきました。これも国際法(国際人道法や人権規約)違反なのです。

 

しかし、メディアや論者は、独裁政権による「国民の虐殺」には沈黙し、米国の動きだけを「国際法違反」としてクローズアップします。これでは、客観的な法の議論ではなく、単なる「米国非難のための道具」として国際法を利用していると言われても仕方がありません。

 


日本のメディアが隠す「現地の声」

特にイラン情勢を巡る日本の報道には、強い偏りを感じざるを得ません。多くのテレビ局が「米国の暴挙」という文脈で報じる中、興味深い記事がありました。

 

先日、産経新聞が報じた

「『トランプ、ありがとう』米軍攻撃支持の在日イラン人集会『日本のテレビ局は逆を報道』」

という以下のニュースです。

www.sankei.com

日本に住むイラン人の方々が、自国の政権を攻撃した米国に対して感謝の声を上げている。この事実は、日本のマスコミが描く「一方的な被害者としてのイラン政権」という構図を根底から覆すものです。

 

国際法を「絶対的なルール」として振りかざす前に、私たちはその背景にある複雑な国際政治の現実と、当事者たちの切実な声に目を向けるべきではないのか?と思います。

 


まとめ:私たちはどう向き合うべきか

国際法は、国内法のような強制力を持つ「法律」というよりは、国家間の振る舞いを律する「高度な道徳的ガイドライン」として理解するのが現実的ですね。

 

それは決して無意味なものではありませんが、万能でもありません。誰かが「国際法違反だ!」と叫んでいるのを見たときは、以下の3点をチェックしてみると良いでしょう。

  • それは単なる「道徳的な非難」になっていないか?

  • 非難している側は、相手の「別の法違反」を意図的に無視していないか?

  • 「法律」という言葉を使って、議論を単純化しすぎていないか?

国際情勢は、白か黒かで割り切れるほど単純ではありませんから、メディアの言葉を鵜呑みにせず、多角的な視点を持ってニュースを読み解いていきたいです。

 

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