
先日ブログ再開時の記事にも書きましたが、私は退職して4年目から完全な定年ライフに入りました。
そして今年は退職生活6年目です。日々の生活パターンはすっかり体に定着し、良くも悪くも「自分次第」の毎日です。
現役時代と違い、時間は基本的に自分のものです。だからこそ、どう使うかがとても大事だと感じています。
1.定年後に決めた生活のルール
私が日々意識していることはいくつかあるのですが、それはざっと以下のような感じです。
・平日はルーチンで行動:ラジオ体操,コーヒーは豆から,17時に入浴など
・ぼうっとする時間を持つこと(ただし長すぎないこと)
・読書や音楽を楽しむこと:経済から小説までいろいろ、アナログ・レコードや推し活
・一人で何かに取り組む時間を大切にすること
(最近はバイクやラジオのレストア、ボランティアの持ち帰り仕事)
・少しづつでよいので新しいことに挑戦すること(最近はnote投稿や株取引法変更)
・知らなかった世界を知るために日々勉強や探索を続けること
・無駄にテレビをつけないこと[↑これらを楽しむために]
・飲酒は週末2晩だけ
・運動をすること
正直に言えば、「運動をすること」だけは股関節の事が尾を引いていてまだ安定していませんね。ジムに通ってはいますが、やっている運動はリハビリの先生に作ってもらったものが中心です。朝のテレビ体操は毎日続けてますが。
ま、そういうわけで運動以外は無理なく続けられており、概ね楽しく過ごせています。
時間に追われない生活というのは、自由である一方、漫然と過ごせばあっという間に一日が終わります。その意味で、テレビとの距離感は重要なテーマです。
2.テレビを減らしていった経緯
退職1年目は各種手続きや生活の再構築で忙しく、テレビを見る余裕はあまりありませんでした。
しかし落ち着いてくると、自然とテレビをつける時間が増えた時期はありました。
そこから少しずつ削っていき、今は次の番組だけを見るようにしています。
ニュース番組では、
・モーニングサテライト(いわゆるモーサテ)
・NHKニュース7
モーサテは経済情報の確認として、ニュース7は「NHKではどう報道されたか」という視点で見ています。
娯楽では、
・探検ファクトリー選
・所さんの目がテン!
・開運!なんでも鑑定団
音楽番組ではミュージックステーションなども観ていましたが、最近はほとんど見なくなりました。押しミュージシャンをギターのReiさん一人に絞ったため、彼女が出演してくれない番組は観ても仕方がないかな、という感じです。
スポーツは主に日本代表戦や大相撲です。これは試合の状況によっては熱狂しますね。
今はちょうどミラノコルティナオリンピックの真っ最中で、試合の度に熱狂と興奮ですね。
そして、いわゆる「ワイドショー」他の政治対談のような番組は、平日も土日も一切見ないようにしています。
3.ワイドショーを見て気づいたこと
退職の数年前、まだ会社員だった頃、大きな手術を受けて1か月ほど自宅療養したことがあります。退院後しばらくはベッドで過ごし、昼間テレビをつけていました。当然そのとき流れていたのは、いわゆるワイドショーでした。
そこで感じたこのワイドショーの特徴は次のようなものでした。
・建前は世間の話題を「解説する」という形
・解説者はタレントや元専門家などで、当該分野の旬な専門家ではない
・政治や経済の話題と並んで、都市部の流行紹介が多い(田舎暮らしには関係のない情報)
・情報が断片的で、見終わった後に体系的理解が残りにくい(わざと?)
・論調にリベラル、左系の傾向を感じることが多い
・海外ニュースが東アジアに偏る印象を受ける
特に政治や経済のコーナーでは、”解説員”などと称する明らかに能力不足なテレビ局の社員や、時代遅れでバイアスの強い高齢の元”専門家”の話を、タレントさんたちがうんうんと頷いているでショー、になっているのです。
もちろん番組ごとに違いはありますし、すべてが同じとは言えません。ただ、私自身は「知識が深まる」というより「話題を消費している」感覚が強かったのです。
自宅療養も10日ほど経つ頃には体力も回復してきて、ベッドの上で上半身を起こしていられるようになり、それからはテレビはつけず、PCでYouTubeを見たり目が疲れるとラジオを聞いたりするようになりました。その方がワイドショーに感じたもやもやがなく落ち着いて過ごせるように感じたからです。
4.昼間のテレビと公共性を考える
テレビは電波という公共資源を使っています。
昼間の時間帯の番組を見ていると、「これにどれほど公共的価値があるのだろうか」と疑問に思うこともありました。
もちろん、娯楽や生活情報も放送の役割の一つです。すべてが高尚である必要はありません。しかし、視聴率の維持や編成上の都合だけで時間が埋められているのだとすれば、それは少し寂しい話です。
これはあくまで私の印象ですが、昼間の番組には「深く考えさせる」というより、「長時間視聴してもらう」設計になっているように感じます。結果として(テレビ局の意図通りに?)時間だけが過ぎていく感覚がありました。
それは考えてみれば当たり前で、新聞社の「新聞の販売で利益を上げる」という事業構造とは異なり、テレビはCMを流してその対価を広告料として受け取って利益にしているわけで、当然その放送の形は「視聴者にできる限り多くのCM見せるように作る」になるわけです。そして実際にそうなっています。
そもそも、ワイドショーで問題となった話題や出演者の失言などがあれば、あっという間にXやYouTubeで流れてきますので、テレビを見ていなくても話題としては自然に知ることが出来ます。
5.テレビを消して得たもの
昼間テレビをつけない生活にしてから、時間の密度が上がったと感じています。
空いた時間で読書をし、調べ物をし、バイクやラジオをいじり、ボランティアの宿題をやる。そしてスキマ時間でブログを書く。それぞれ小さな達成感があり積み重なります。
ボランティアの宿題は、グループLINEで同年代の仲間と一緒に話し合いながら進めていくのでとても楽しいです。
テレビを見ること自体が悪いわけではありません。問題は「漫然と流し続けること」なのだと思います。
情報は今やテレビだけのものではありません。自分で選び、自分で調べることができる時代です。
だからこそ、私はテレビとは「必要な分だけ付き合う」という距離感を選んでいます。
退職後でも時間は有限です。
その時間をどう使うかは、自分自身の選択です。
私はテレビを観ないことで自分の時間がより充実しているのだと感じています。これからも、必要以上にはつけない生活を続けていくでしょう。