
近年、報道の「公共性」という言葉が頻繁に語られるようになりました。
しかし同じ報道でも、新聞とテレビは同じ「マスメディア」でありながら、その公共性の根拠や制度的位置づけは大きく異なっているわけです。
今回は、その違いを自分なりに整理しながら、現状の問題点についても考えてみました。
1.新聞は純粋な私企業である
まず確認しておくべきことは、新聞は基本的に私企業だということです。
たとえば、朝日新聞社や読売新聞グループ本社は株式会社として運営されており、発行・販売は自社の責任で行っています。
新聞は「公共財」を独占的に使っているわけではありません。
紙は市場で購入しますし、印刷・配送網も自社構築です。購読者が代金を払わなければ経営は成り立ちません。極端に言えば、読者に支持されなければ消えていく存在です。
もちろん、再販制度や軽減税率などの制度的配慮はあります。しかし、それは流通制度上の保護であり、「公共資源の独占」とは性質が異なります。
つまり新聞は、制度上は「言論の自由」のもとで活動する私企業です。公共性は法的に義務づけられたものというより、社会的責任として期待されている、という性格が強いでしょう。
2.テレビは電波という公共財を使用している
一方、テレビは事情が大きく異なります。
テレビ局は「電波」という有限の公共資源を、総務大臣の免許によって独占的に使用しています。
この制度は放送法の主に[第四条第一項]によって規定されており、放送事業者には一定の義務が課されています。
代表的な条文としては、
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政治的に公平であること
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報道は事実を曲げないこと
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意見が対立する問題については多角的に論点を明らかにすること
といった原則があるのは多くの方々が御存知の通りです。
さらに、公共放送である日本放送協会(NHK)は受信料制度で運営され、国際放送には税金も投入されているため、より強い公共性を求められています。
つまりテレビは、法律上「公共性」が明確に制度化されているメディアです。
ここが新聞との最大の違いでしょう。
3.しかし現実には公平性はどうか
制度上はこのように整理できますが、問題は実態です。
新聞もテレビも、発信内容において中立・公平であるとは言い難い状況が続いていますよね。
新聞は社説や論調に明確な傾向がありますし、テレビのニュース番組でもコメンテーターの選定や論点設定によって印象が大きく左右されます。
新聞は私企業ですから、一定の思想的傾向があっても市場の選択に委ねられます。しかしテレビは「政治的公平」が法的原則である以上、同じレベルで語ることはできないはずです。
にもかかわらず、視聴者の側から見れば両者の論調が似通っていると感じられるケースも少なくありません。
とりわけ選挙報道や安全保障、エネルギー政策などのテーマでは、意見の幅が十分に提示されているか疑問に感じる場面もあります。
ここに「制度と実態の乖離」が存在していると言えるでしょう。
4.テレビ局の経営構造という問題
もう一つ見逃せないのが、テレビ局の経営構造です。
キー局の多くは広告収入を主軸としていますが、近年は広告市場の縮小や視聴率低迷の影響を受けています。そのため、不動産事業やイベント事業などの収益が経営を支えているケースもあります。
さらに、新聞社との経営関係が密である為、必ずしも公平性に気を使わなくても良い新聞社の論調に影響を受ける、合わせる、引っ張られるという構造になっているのです。
TBS ← 毎日新聞
朝日放送 ← 朝日新聞
日本テレビ ← 読売新聞
フジテレビ ← 産経新聞
テレビ東京 ← 日経新聞
確かに「テレビ単独では成り立たない」と断定するのは正確ではありません。局によって収益構造は異なり、黒字を維持している企業も存在します。しかし、本業である放送事業以外の収益が重要になっているのは事実でしょう。
ここで疑問が生じます。
公共財である電波を独占的に使用しながら、実質的には巨大な総合企業グループとして活動している。この構造は本来想定されていた「公共性」と整合的なのでしょうか。
さらに、放送内容が特定の政治的方向性を強く打ち出していると受け取られる場合、それが単なる報道なのか、ある種の政治的活動なのかという疑問も生まれています。
もちろん放送局側は報道の自由を主張するでしょう。しかしテレビ放送は免許事業である以上、その責任はより重いはずです。
5.公共性とは制度か、それとも信頼か
結局のところ、公共性とは法律条文だけで担保されるものではないでしょう。
視聴者や読者からの信頼によって初めて成立する概念です。
新聞は私企業ですから信頼を失えば部数が減りますし、実際に減少が進んでいます。
テレビは免許事業でありながら、信頼を失っても即座に免許が失われるわけではありません。この違いは大きいでしょう。
本来、電波という公共財を使う以上、テレビは新聞以上に説明責任を負うべきだと考えられます。しかし現状では、制度上の公共性と実際の運用との間に齟齬がある、と多くの国民が感じているのではないでしょうか。
日本は自由で資本主義を基本とした国です。
したがって、私たちにできることがあるとすれば、おかしな言説を流す番組は見ない(チャンネルを変えるかテレビを切る)、CMを出している企業の商品についても自らの判断で他を選択する、といった行動を積み重ねることではないでしょうか。
放送内容に疑問を感じながら漫然とテレビをつけ、「そんなのおかしいだろ?」と画面に向かって怒鳴っていても、結果として視聴率を支え、広告価値を維持することにつながっているのです。
その構造に気づき、受け身ではなく主体的に行動することが、少しずつ世の趨勢を変えていく力になるのだと思います。