
最近、ドナルド・トランプ氏の政策が日本でもたびたび話題になります。
とくにベネズエラ問題や、税関捜査局(ICE)による不法移民の取締りなどが報じられると、「やり方が乱暴だ」「人道的ではない」という声が上がります。
たしかに、発言は強いですし、対立軸もはっきりしています。
しかし本当にそれは、歴史的に見て“特別に乱暴”なのでしょうか。そこを一度、冷静に整理してみたいと思います。
日本に対して行われたことをまず直視する
まず、日本人として忘れてはならないのが第二次世界大戦期の出来事です。
東京大空襲をはじめとする本土への大規模空襲では、多数の民間人が犠牲になり現代の言葉にすると「一般市民の大量虐殺」と言える所業でした。
さらに、広島と長崎への核攻撃でも大量の市民が命を落とし、いまなお国際社会で議論が続いている歴史的事件です。
これらは最近まで「戦争終結を早めた」という説明がなされましたが、現代の倫理基準から見れば、極めて苛烈な軍事行動だったと評価する声が強いといえます。
つまり、「アメリカは乱暴なことをしない国だった」というイメージ自体が、歴史的事実とは一致しないのです。
19世紀から続く拡張の歴史
第二次大戦以前にも、米国の力の行使は繰り返されてきました。
19世紀末のハワイ王国の転覆と併合。
テキサス併合をきっかけとする米墨戦争(テキサスは元はメキシコ領)。
1898年の米西戦争では、フィリピンを獲得し、その後の米比戦争で多数の犠牲者が出ました。
同時期にはキューバにも軍事介入しています。
20世紀初頭には、ニカラグアやハイチなどへの軍事介入が続きました。これらは自国の経済的・地政学的利益を守る行動だったと解釈されることが多いです。
つまり、アメリカの対外政策には長い「拡張と介入」の歴史があるわけです。
冷戦期からイラク戦争へ
冷戦期に入ると、軍事侵攻だけでなく、政権に影響を与える形の介入も増えました。
1953年のイラン、1954年のグアテマラでは、政変にアメリカが関与したとされます。
さらに、1960〜70年代のベトナム戦争は、アメリカ国内でも激しい反戦運動を引き起こしました。
2003年のイラク戦争も、国際社会で大きな賛否を呼びました。大量破壊兵器をめぐる問題は、いまも歴史的検証の対象です。
2011年5月2日にはパキスタンにいたテロリストの指導者を殺害。これはパキスタン政府に説明,通告せずままに実施されました。
こうして並べてみると、アメリカは必要と判断すれば、かなり直接的な軍事力を行使してきた国だということが分かります。
それと比べて現在はどうなのか
では、現在のトランプ氏の政策はどうでしょうか。
ICEによる不法移民の摘発は、国内法の厳格な執行です。
対外政策も、たとえばベネズエラへの制裁や、イランへの圧力は、軍事侵攻ではなく経済的・外交的手段が中心です。
特に昨年のベネズエラの事件では、各国のリベラル系活動家が「国際法違反だ!」と叫ぶ一方で、当のベネズエラ国民には歓迎されているのです。
経済制裁は確かに痛みを伴います。
しかし、広島や長崎への核攻撃、ハワイ王国への侵略、あるいはベトナム戦争のような全面的軍事行動と比較すると、性質は大きく異なります。
少なくとも、「史上最も乱暴なアメリカ」という評価には当たらないでしょう。
「乱暴」という言葉の相対性
結局のところ、「乱暴」という評価は比較の問題です。
軍事侵攻と経済制裁、どちらがより強い手段なのか。
政権転覆支援と国境管理強化は同じレベルなのか。
歴史を俯瞰すれば、現在はむしろ軍事力の全面投入を避け、経済的圧力や交渉を中心にしている段階だとも解釈できます。
そして、もし結果としてイランやベネズエラの国民がそれを受け入れ、彼らの生活が改善するならば、賛否は残るものの、それが長期的には支援と評価される可能性もあります。もちろんに反発や混乱が拡大すれば、厳しい評価が下るでしょう。
歴史は常に再評価されます。
だからこそ、「トランプさんは乱暴だ」という一言で止まるのではなく、アメリカの長い歴史と並べて比較する視点や現在行われている事案の真の意図を考える事が必要だと思われます。
感情ではなく、事実の積み重ね。
その上で判断する姿勢こそが、成熟した議論につながるのではないでしょうか。