技術系勉強会をしばらくやっていると,いろんな人たちの熱烈な興味関心が様々であることを実感します.どうしてこういう会に仕上がったのか,今後どういうコンテンツが刺さるのかを考えるのも楽しい暮らしです.
そこでなんとなくわかったことをメモしておくことにします.
技術系勉強会における興味関心
ここ最近では体感,お金をもらって働く Web サービスに携わる IT 系のエンジニアの人数が多くなっており,彼らに刺さるコンテンツに注目が集まる傾向にあるかなと感じています.
具体的には最新技術のキャッチアップ,開発組織のふるまい改善,プログラマー・インフラエンジニア普遍の原理あたりでしょうか.それに分野,言語,ライブラリ等の括りをかけ合わせた発表やハンズオン等が集まって勉強会やカンファレンスが開かれます.
このようなトレンドと対象が決まらなければ,刺さる勉強会コンテンツが定まらないかというと,そうではありませんし,逆にトレンドと対象が決まったとしても,他の要素が考慮されておらず,うまく刺さらないこともよくあります.
例えば,我々のやっている TechRAMEN Conference は地域性をかけ合わせたものですが,分野や言語等の括りはありません.とはいえ地域はわかりやすい括りなので,ここを外す人はそう居ないはずです.
うまく刺さってないなと思うことの多くは,会が求めているものが「技術」「技能」「ものづくり」「課題解決」のどれに興味関心が向いているかの見定めが効いていないパターンです.
ここでは大雑把に 4 つとしましたが,もっと分類しようと思えばどこまでもいけるので,このくらいにしておくのがわかりいいかなと思います.
この四分類のどれに興味関心が集まるのかは,参加者層や会の運営が伝えたいことに大きく影響を受けます.
特に電気電子,情報通信の関係は,どれも結局それなりにやっていかないといけなくて,どれかが大きく欠けたままでは他が大きく伸びません.自身の成長度合いのどのフェーズにおいても,いずれもなんらかの学びを与えてくれるため,一つの正解はありません.
四分類のおさらい
こういうときはまず辞書を引きます.
技術
- 1 物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。「—を磨く」「高度な表現—」
- 2 科学の研究成果を生かして人間生活に役立たせる方法。「先端—の導入」「産業界における—革命」
「技術」が指す対象は手段や手法そのものです.電気電子でいえば物理的なふるまいを機能として取り扱うための仕組みだったり,情報や通信で言えばプロトコルやプログラミング言語そのものが該当します.
技能
- あることを行うための技術的な能力。うでまえ。「—を身につける」「特殊—」
「技能」が指すのは能力です.英語だと skill(スキル) が訳語にあたります.何らかの実装を行なう経過において,完成に向かってある技術を用いて実装を進められる能力といいましょうか.
ものづくり
- 《「ものつくり」とも》物を作ること。特に、熟練した技術者がその優れた技術で精妙を極めた物を作ること。
技術を使いこなす技能を以て,何かを完成させるまでの取り組みを「ものづくり」と捉えるといいかと思います.
課題解決
- 1 与える、または、与えられる題目や主題。「論文の—」「—図書」
- 2 解決しなければならない問題。果たすべき仕事。「公害対策は今日の大きな—である」「緊急—」
ここでは「課題解決」では出てこなかったので「課題」だけ辞書を引きました.このページを見て面白かったのは,実用日本語表現事典で述べられている「課題と問題の違い」です.
「課題」は "解決しなければいけない" 問題であり,「問題」そのものは解決すべきか否かの意味を持たないらしいです.
興味関心とヘイトの背景を考える
自分が発表する側だとして,いくつかパターンを考えます.
技術について興味関心がある人は「そういう "モノがある" んだ」という発見,技能について興味関心がある人は「そういう "身につけ方がある" んだ」という発見を期待して会に足を運ぶのではないかと思います.
そうなると技能に期待して技術の発表を聴きに入った人は「どうやって身につけようか」を考えながら聞くし,技術を期待して技能の発表を聴きに入った人は「身につけたい人はこういう努力をしているんだ」と考えながら聞くのかなと想像します.
しかし,これは好意的な解釈で「技術の話を聞きに来ているのにそこに突っ込まないで,いつまでもどうやったらこの技術を使いこなせるかの話しかしない」と不満に思う人や,「そういう技術があるのはわかったけど,じゃあどうやって使ったらいいかの話が出ないので,ふ~んという感じだった」と頭に「?」を浮かべて帰る人もいるはずです.
他にも,技術に厳しい人がものづくりや課題解決を主に置いた発表を聴いた際には「そういう使われ方をしているのか......」という発見から改善に至ることもあれば,「そんな使い方はよくない」と指摘したくてたまらなくなることもあるでしょう.
また,エンジニアとして成長したいと思っている人が,日曜大工的なものづくりの発表を聞けば「ものづくり(あるいはプログラミング)って自由なんだ!」とつくることそのものの面白さに気づくかもしれないし,「そんな程度ではエンジニアとは呼べないね」とマウントを取りたくなるかもしれません.
超絶大雑把に括ると,技術,技能は「現在の不可能を,繰り返し精緻に可能にすること」に焦点があたっているのに対して,ものづくり,課題解決は「ある特定の状況において,折り合いをつけて実現すること」に重きが置かれており,この二分類においては「再現性」「メンテナンス」のキーワードを中心にすれ違ってしまい,無益な争いをしてしまいがちです.
つまり,自身の興味関心の強さ度合いによって面白いと感じる発表は様々で,これを自覚していないと単なる Not for me を "意味のない発表" だとこき下ろしてしまいかねないことにも注意が必要です.
こと勉強会やカンファレンスにおいては,運営の発信や多数の参加者が意識的・無意識的に持っている興味関心の偏りが「いい発表だった」「なんでこんな発表をするのか」といった評価に影響します.
これは勉強会の発表だけではなく,ブログ等のコンテンツにも言えることで,社会的に問題のある表現(法令違反やサイバーセキュリティに関する問題を引き出しかねない表現,特定技術に対して存在しない問題の存在を断定するなどの表現等)でもない限り,書き手と読み手が置かれている状況と興味関心や,社会的背景などを考慮する必要があります.
これらを踏まえて発表する側は,運営メッセージや参加者層から,トレンド,対象となる技術・分野,「技術」「技能」「ものづくり」「課題解決」のいずれが刺さるかを考えて発表を持っていくとよいでしょう.*1
誤った内省と誤解による義憤に導かれないために
次に聴衆側に立った際のことを考えます.
たとえば,ものづくりが好きで技術系の勉強会に足を運んで,ある発表を聞いたときに「よくわからないし興味も持てなかった」という感想を抱いたとします.さらにこのとき「自分が興味を持てないのは,この分野に適正がないからだ」という結論に至ったとします.
これをいきなり適正の問題と結論づけるのは拙速です.まず考えるべきは,発表が対象とする人と聴きに行った人の興味関心のすれ違いの問題はないか,ということです.
このとき,発表側は技術について説明したり,その技術をどう使うかについて話をしていて,あるモノを完成させるまでの経緯については触れなかったのならば,ものづくりに興味を抱いている人が初手で興味を持てないのは無理もないと思います.
ここで大事なのは "初手で" です.一発目から興味関心が向けられるかどうかを判定するのは拙速かと思いますが,一方で 3-4 回足を運んでみて「違うな」と思うときは,たぶん "今は" 本当に興味関心の外にあるものなんだろうなと思います.
きっと自分が興味関心のある取り組みに向かっていく中で,昔は興味を持てなかったけど,今はすごく知りたい,やってみたいなんてことがあるのも不思議ではありません(し,一生 Not for me かもしれないし).
実際,日曜大工的にものづくりや技術をやっているのであれば,趣くままにやっていけばいいでしょうし,面白いなと思ったことをつまみ食いでやっていくことに "悪さ" はありません.
一方,仕事で取り組む場合はそうも言ってられず,自分のマインドセットを変える必要も出てくるかと思います.
地味にこの "外力を含む意思決定" によるストレスが馬鹿にできないと思っていて,そうしたある種の覚悟みたいなものが,日曜大工的にやっている人に対する攻撃的な態度であったり,自身の興味関心に沿っていない発表に対する怒りを引き出しているのかなと思わなくもないです.
もちろん,コンテンツ自身に問題があることもありますが,技術や技能,ものづくりや課題解決に向かう姿勢の差異が気に障る(つまり,あるべき姿ではないと感じる)場合は,一旦落ち着いて,自身と相手,社会的な背景に思いを馳せてから,もう一度考え直すといいのかなと思います.
重ねてになりますが,聴いている自分が悪い・できないのが問題という結論,コンテンツがイケてないという結論,このあたりはかなり考慮すべきものを通り過ぎた後に出る結論で,ちょっと触れてこう思ったのなら,たぶんそれは隠れた興味関心や背景に思い至っていない現れなのかなと思います.勉強会やカンファレンスを満喫する際は,このあたりにも思いを馳せてみてください.
【おまけ】一つのコンテンツで全ての学びの欲求を満たすことはできない
部屋で YouTube を垂れ流しにしていると,次の動画が流れてきました.非常に興味深い,学びに関することが話されていました.
エンタメ的に色付けしたコンテンツが,最終的な成績向上にはつながらない,という趣旨の話から始まり,これは興味関心におけるコンテンツの棲み分けの話であるという着地をします.
結局,興味関心がきちんと向いていて,学び取る意識が出来上がっている層については従来の学校教育の形で十分な一方で,興味を持てていない層については興味関心を引くために,エンタメ的コンテンツで学んだほうが,学びの意欲が高まり,何もしないよりかは明らかに学びが深まるとのことで,どちらのコンテンツも適材適所ですねという話でした.
ここでのポイントはエンタメ的コンテンツのままでは,なぜ深い学びに到達しないのかという点です.これは楽しい感情に押されて「わからない」「難しい」という感情が想起されにくく,そのものの概念の難しさに向き合わずに済むため「なんだか楽しく理解できた!(楽しくなかったところは忘れている)」と勘違いするためのようです.
また,例え話の功罪についても話されており,厳密には誤っているが概ね近似した知識で代替して理解しようとすると,突き詰めていくと例え話では代替できない個別の事象にぶつかり,一定レベルの水準までは行けるものの,その後の真の理解に到達するには,それまでの例えでの理解を上書きする必要があり,ここからの脱却に苦労するとのことでした.
ここでも興味関心の度合いや理解の度合い,つまり受け手の背景に影響されて得るべきコンテンツが異なることが話されています.
学びとは複合要因からなるものであり,どれがいい悪いと発信するのは自由といいつつ,その評価をする際には,自身にはどういった背景があるのか,社会背景や会の趣旨について自身がどういった理解をしているか,発表者が伝えたかったことは何なのか,を添えて書き記すのがせめてものリスペクトなのではないでしょうか.
......と書いておきながら自分はこれができているだろうか?🤔 と気になってきました.正直自分は相当チキンなので,多くの場合は「思います」とか「らしい」とか言って "感想" と "解釈" に落とし込んで,評価まで強い主張は表に出してないかもしれません.*2
