以下の内容はhttps://tomanosu.hatenablog.com/entry/2025/12/13/225724より取得しました。


外川目で神楽を見てきた話

こないだ岩手に来たのはいつだったっけ?と思い返したら、まさかの2024年 8月(みちのく芸能祭り)と9月(花巻まつり)から1年以上訪れていなかったらしい……。

 

ということで、かなり久々の岩手は花巻市大迫(おおはさま)町の外川目に来た。来たと言っても、最近クマが本気でヤバそうなので例年のようにひたすら歩くのでなく車に乗せていただき、外川目社会体育館にポコッと落としていってもらった。

今回は祭りではなく、「外川目郷土芸能フェスティバル」。地区の、郷土芸能大会のような感じのところにおじゃました。

外川目地区と早池峰について

まず、外川目ってどこ?ということや、周りの地理について少しお話しする。先ほど言ったように花巻市なので管理人は新花巻でピックアップしてもらったのだが、そこから早池峰(はやちね)山のほうへ向かって車で30分ほど走った先に外川目がある。

早池峰山は昔から山岳信仰の盛んな山で、その山麓には修験山伏や神職により伝えられたともされる早池峰神楽がある。ちょっと文字だけではアレなので、地図がコチラ。

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画面左端に秋田新幹線が通っており、黒文字の「小山田」くらいの高さに新花巻駅がある。そして、字が小さくなってしまったが青い▼が今回訪れた「外川目」。グッと右上を見ると「早池峰」山がある。

外川目から早池峰山頂までの間に大償神社・早池峰神社という2つの神社があるが、大償神社の奉納神楽として伝承されているのが大償神楽早池峰神社の奉納神楽として伝承されているのが岳神楽。その2つを合わせて早池峰神楽という。

佛教大学総合研究所紀要』第30号に載っている「早池峰岳神楽の廻村巡業経路からみる神楽の伝播について」(中嶋奈津子)という論文を読んでみると、この2つの神楽がかつてどのように村々を廻ったか、岳神楽を源流とする神楽は、どのように早池峰山麓から周辺地域にまで伝播したか考察されている。

これによると、大償神楽と岳神楽は隔年で大迫と、(上の地図では見切れてしまっているが)石鳥谷(いしどりや)を廻っていたらしいという。また、地図に黒文字で書いた小山田という地区は、その周辺(東和町)の村々を廻る際の拠点となる重要な土地だったようだ。

その小山田に行くためのルートとして外川目を通ったようだが、その際には必ず早池峰山の遥拝所にあたる「拝峠」を通って小山田に入らなければならなかったという言い伝えもあるそうだ。

さて、位置関係を確認するという趣旨から少しずれたが、論文のほうはPDFでも読めるので、興味のある方はぜひ。

なお、今回の地図には、この後登場する合石神楽を奉納神楽とする「山神社」と、八木巻神楽を奉納神楽とする「八雲神社」も表示したので、なんとなく位置関係を見ていただければと思う。

なぜかたどり着けない「外川目地区社会体育館」

今回は車で。ということでGoogleマップに外川目地区社会体育館と入力して出発するも、なぜか到着予定時間が異常に早い。とりあえず出発して到着してみると、体育館では何やら中学か高校の文化祭的な、吹奏楽とかをやっている。

どう見ても違いそう……とよく見てみると、ここは「宮野目地区社会体育館」ではないか。どうやらGoogleマップで外川目地区社会体育館と検索すると第一候補に宮野目地区社会体育館が出てきてしまうらしい。

そこから紆余曲折、運転している方が知り合いに電話して聞いてくれたり、過去の開催場所を必死で検索したり……最終、Googleマップには「外川目振興センター」でしか載っていないことがわかったのだった。

みなさんも、地域外で建物名だけ頼りに訪れるときは気を付けてくだされ。

八木巻神楽

冒頭でも少しふれたとおり、外川目地区に鎮座する八雲神社の奉納神楽である八木巻神楽。八雲神社が創建されたのは享禄4年(1531年)。和歌山の熊野三所権現からの分霊により、昭和7年(1932年)に八雲神社と名を改めるまでは熊野大権現として鎮座していた。

八木巻神楽が始まったのは、その30年ほど後となる永禄7年(1564年)とされている。かつて、神楽を招くと家の疫病除けになるとされ八木巻神楽は盛んに家々に招かれて回ったそうだ。寛永19年(1642年)の大飢饉を含め、飢饉により3度の中断に見舞われながらも八木巻集落の男性により引き継がれてきたという。

「橋掛」

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今回は開会からは見ていないので、この八木巻神楽の「橋掛」という演目からの見学となった。

「橋掛」の話は、名取川に橋を架けようと木を探すところから始まる。ちょうどよい杉の古木が見つかったが、これが人夫を増やして引こうとしてもびくとも動かない。

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どうしたことかと神に尋ねると、乙鶴(おとつる)という女性を探して曳かせよという神託が下った。果たして、この女性↑を先頭に立てて杉を曳くと本当に杉が動くようになったではないか。

実は、この乙鶴という女性は件の杉の下で雨宿りをしたことがある。その時に、杉が乙鶴を見初めて最後の別れをしようと動かなくなったのではという筋書きだ。

八木巻神楽だけでなく雄勝法印神楽など(山伏系の神楽とまとめてよいのだろうか…)でも同様の題材があるので、結構メジャーな演目と言ってもいいのかもしれない。

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「橋掛け」系の演目は、杉を曳く場面で見ている人も綱を持てる参加型にしたり、参加はできなくても見ている人をぐるりと取り囲むように綱を曳いたりと演出(?)を工夫している団体もあって楽しかったりもする。

今回も、会場の前半分は座布団席、後ろ半分はパイプ椅子の席だったのだが、座布団席を囲うように乙鶴を先頭にしてにぎやかに綱を引いていく大団円感が楽しかった。そして、曳かれていく大杉をどのように表現しているかは……これは、みなさん実際足を運んで見てのお楽しみってことで。

岳神楽

今回、特別出演として参加している岳神楽。冒頭で触れた、早池峰神社の奉納神楽である。歴史を伝えるものの多くは火災により焼失しており、現在残っているのは文禄4年(1595年)と銘がある獅子頭のみ

とはいえ、岳神楽が周辺の地域に神楽を伝えたことや、その周辺地域の神楽にまつわる歴史からも始まりは南北朝時代にまで遡るだろうと言われているそうだ。

屋島

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管理人は、プログラムを見た瞬間に一人で内心「来たーーーー!源平もの!」と叫んだ。屋島である。一般的には、どうなんだろう。「屋島の戦い」って、何かしらのイメージ湧くのだろうか?

屋島とは、現在の香川県松島市。当時、すでに平氏は一度劣勢となり都落ち。九州まで逃れたものの、地元の武士の抵抗を受けて九州には居られなくなり再び東へ。そして、屋島に本拠地を置いていた。

源氏としても、海上戦に強い平家を海から攻めなければならない。そのため、本拠地から西へ陣を大きく伸ばしたまま攻めあぐね、兵糧がつきかけたりと決して優勢とは言えない状況だった。

この事態を打開すべく動いたのが、義経だ。義経といえば、鹿しか下れぬような崖を馬で駆け下りた「鵯越(ひよどりごえ)」の奇襲が有名。ここでも水軍を味方につけた義経は「(後退するための)逆櫓を船につければ兵は退くことを考えてしまう」と前進しかできない状態で進軍するなど義経っぷりを発揮。

さらに、普通なら船を出さない強風にもかかわらず船を出させた上に、普通は数日かかるところを数時間で阿波まで到達。しかも、屋島というからには「島」なのだが「干潮なら馬で行けるらしいじゃん、よし、行ったる」という勢い。ほんとヤダ。義経こわい。

平家も「海から来ると思ってたのにまさかの馬かよ!」とビビって海に逃げた。が、しかし、奇襲であるからして義経の兵は少ない。それに気づいた平家が船を陸に寄せて反撃に出た!というのが、今回の「屋島」までの背景である。

そして、討たれそうになった義経の盾になった郎党・佐藤継信が討死。逆に、その継信の首を討とうと近づいた平教経の家来・菊王丸継信の弟・忠信が討つという大混戦を番楽舞で舞い納めたのが「屋島」だ。

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番楽といえば山形や秋田では山伏神楽そのものを「番楽」と呼んだりするが(根子番楽とか)、今言った「番楽舞」は神楽の中の舞の種類で、主に武士を主人公としたものをいう。

別に同音異義語とかでなく山形・秋田の場合も、もとは武士舞が人気でよく舞われたから呼称がそうなっていった…のではないかとも思うけれど。

番楽舞は、二人で向かい合って戦いの場面を舞った後に、後に残った一人がさらに荒々しく速い動きで舞うことが多いと思うのだけど、これが格好良く……何度見ても番楽舞っていいものだなぁ。と思う管理人だった。

天下り

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岳神楽の続いての演目は天下り。政治家とかがやるヤツじゃないよ。いや、その語源なんだろうけど。天下りは「天上の神が地上に降り立った」という意味。特に、天照大神の孫であるニニギが地上を治める者として降臨した天孫降臨」の場面を指す。

「ばぁちゃん(アマテラス)に地上を治めるようにって言われたから、降りてみますか」と降臨するニニギを天界の分かれ道で待っていたのが猿田彦という神で、彼はニニギが「天津神(天の神様)」であるのに対して「国津神(地上の神様)」。

そして、その姿がヤバい。鼻の長さは七咫(ななあた)=手のひら×7。そして、背の高さは七尺(ななさか)=2m越え。目は八咫鏡(やたのかがみ)か赤酸醤(あかかがち)=ホウズキのように照り輝いているのだ。目からビームのレベル。迫力ありすぎる。

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しかも、彼に対してニニギは「誰あいつ……ちょっと訊いてきて」と同行していたアメノウズメに指示。つまり、猿田彦は自分から名乗っていないのだ。結論、彼は地上に降り立つニニギの道案内をしに来たのだが、大迫力の巨大な男が無言で分かれ道に立っていたかと思うとヤバすぎる。

この演目は「天下り」としながらも、ニニギやアメノウズメの登場は短く、前半のメインはほぼ猿田彦。勇壮なネリを披露する。

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ネリ、というのは最初聞いたときは「人前で披露する、見せ場」という意味合い(練り)かと思っていたが、面を付け、神として舞う舞を総じてネリと呼ぶそうなので「成り」とかの転訛なのだろうか。

そして、そのあとは4人の舞い手が面を外した状態で舞う「クズシ舞」となる。クズシ舞とは、神として舞うネリに対して、人に戻った状態で神に対して舞うともいわれる華やかな舞。

 

アメノウズメ役だった方は、クズシ舞のときももちろん腰から下は着物のまま。足を大きく開けないのに、他の3人と同じスピードで綺麗に移動して、しかも刀を持つ立ち姿が美しいなあと思った。

八木巻さんさ

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ここまで神楽続きだったが、八木巻集落には「さんさ」もある。さんさといえば盛岡さんさ祭りかもしれないが、なんというかさんさ祭りのパレードで見られるのは新しい感じの踊りだったりするので(もちろんこれはこれで好きで、テンション爆上がりするのだが)個人的には各地域で踊られてきた伝統さんさが好きだ。

八木巻さんさも、そんな伝統さんさの一つ。(伝統さんさという呼び方自体、新しいさんさありきなのでアレだが……便宜上そう呼ぶ。)もとは内川目集落から習って始まったものだそうだ。

太鼓を付けるのは男性のみで、女性は饅頭傘を被る。女性陣の装束は、現在は赤を基調にしているが元の女性の衣装は、白地にひょうたん柄だそうだ。それと同じ意味合いなのか、中心で踊る女性は腰にひょうたんを付けている。

種ふくべ(種を取るため熟してから収穫する瓢箪)から連想するとすれば、やはり「ひょうたん柄」は豊穣や多産を願う柄なんだろうか。それとも、数にもよるけど六瓢=無病息災か、別の意味があるのか。

ちなみに、会場での紹介によると、現在の外川目集落は9世帯。その中で、近隣の地域からも協力を得ながら八木巻さんさを継承しているとのこと。

八木巻神楽について調べたときは「10世帯の男子により継承」と書かれていたが、もしや八木巻神楽が文化財になった令和2年から今までに1世帯減ってしまったのか……?そう思うと、八木巻のさんさも神楽もなくならないでほしいという、漠然とした焦りを感じてしまった。

合石神楽

トリを飾ったのは、八木巻と同じく外川目にある合石(あわせいし)集落で伝承される合石神楽。冒頭の地図に表示した「山神社」の奉納神楽である。

早池峰周辺の神楽は「弟子神楽」といって、大償神楽や岳神楽の師匠から習って神楽を受け継ぐ(さらに、また別の地域が弟子神楽から神楽を習得する)パターンが主なので、師とした神楽の特徴を受け継いでいるものが多いという。

というのが前提にあるのだが、合石集落は外川目のなかでは内川目(大償神社のほう)寄りの位置にあったことから、岳神楽と大償神楽の両方から影響を受けた舞になっていると言われたりする。

(管理人は神楽鑑賞玄人ではないので「おお、ここはこっちの特徴だよね」みたいのは全然わからず……)

合石神楽が始まったのは今から220年程前とされ、来歴には明瞭でない部分もある。合石から神楽を習ったという地域で「岳神楽の流れを汲む」と言われているのも見かけた。が、合石神楽が一度中断した際に大償神楽から指導を受けたことを考えれば、もともと大償から習ったものだったと考えるのが自然な気はする。

冒頭で論文を紹介した中嶋 奈津子さんの別の論文「早池峰大償神楽の担い手について」には、大償神楽の担い手のなかには合石集落の者もいたが明治時代以降は大償の集落内の決まった家が中心となっていたようだと記されている。

明治時代の合石神楽といえば、北海道へ入植した合石集落の若者たちが入植先で神楽を行っていたという記録があるそうなので、上記は「合石集落の人たちが単に大償神楽の担い手ではなくなったが地元では神楽をしていた」という感じではなく担い手が地域外に流出していて「できなかった」のかもしれない。

三番叟

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三番叟(さんばそう)という名前の演目は能でも歌舞伎でも見られるが、そちらは主に五穀豊穣や天下泰平を祈念する舞と言われている。一方、早池峰神楽系の「三番叟」はヒルコノミコトが世の喜怒哀楽や艱難辛苦を舞ったものとされる。

ただ、「三番目の演目」というような意味合いなのは他の芸能も早池峰系神楽も同じようだ。今回は三番叟を単独で舞ったけれど、本来は最初に式舞を6つ舞い→神舞や女舞・番楽舞を舞い→最後に権現舞といったように順番が決まっている部分がある。

この、最初に舞う6つの「式舞」のうち、3番目に舞うのが三番叟だ。なお、厳かな翁舞の後に舞われる軽やかで曲芸的な面もある舞だという点もほかの芸能の三番叟との共通点かもしれない。

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そして、主人公となるヒルコという神様は漢字で「蛭子」と書く。ヒルコ以外の読み方を知っている人も多いのではないだろうか?

七福神で有名な「えびす」だ。えびす様は「恵比寿」と表記されることもあるけれど「蛭子」と表記されることもある。大体の人は、朗らかな笑顔で恰幅がよく、狩衣を着て鯛を抱えた姿を思い浮かべるだろう。

でも、彼は幼少期に、あの笑顔からは想像できない悲しい目に遭っている。実は、何が悪かったか古事記にはハッキリ書かれていないが、実の親であるイザナミイザナギに「我が産める子よくあらず」と言われ、葦船に乗せて海へ流されてしまう。ひどすぎる!

蛭子という名前から、足が悪くてヒルの様に這いまわることしかできなかったのでは?とか、もはや人の形でなくヒルのようだったのでは?とも推測されるが、それにしたってひどい。

ただ、彼は無事に国津神に拾われて豊かな海の恵みと関わり深い神へと成長していった。いつも笑顔だけど、辛いこともたくさんあった神様なのだ。そんな蛭子が喜怒哀楽や艱難辛苦を舞うというのは、なんだかしみじみする。

そして、太鼓が鳴って幕の向こうから出てきたのは……小さな蛭子様!あとで紹介を聞いたら、小学生の子だったという。

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管理人の地元でも、屋台囃子や獅子舞などの郷土芸能があるが、小学校のときは参加していても中学校・高校で勉強や部活が忙しくなってくると芸能から離れる子も多い。

願うだけの見物人で悪いが、この子が今後も合石神楽の担い手の一人であり続けてくれたらいいなと願った。

権現舞

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早池峰神楽の構成と同じく、最後を飾るのは権現舞久々の権現様!去年の「みちのく芸能まつり」でもたくさん権現様はいたけれど、ちゃんと「この権現様を見るぞ!」と会いに行ったのは遥か昔。2018年、早池峰山の山開きである。

その時の様子はコチラの記事で→権現様と、山開き。 - とまのす

 

たぶん、ほかの県の人から見たら「権現様」って言われても「黒い獅子舞!」というのが最初の感想だとは思う。たしかに、権現様を辞書的に(どの地域の人でもわかりやすく)説明するとすれば「山伏神楽で舞われる、黒い獅子頭を用いた獅子舞」となるのかもしれない。(ちなみに、岩手には赤い獅子頭を用いて権現舞という演目をする神楽もある)

では、なぜ獅子舞でなく権現舞というのか。権現とは、「権(かりそめ)」「現(あらわれる)」という字を書く。仏教などで、神仏が衆生を救うために人に見える仮の姿となって現れた存在のことだ。

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つまり、この獅子(と呼んでいいのか?)は神獣・幻獣をかたどったものでなく、神の使いとかでもなく、人前に現れた神仏そのものということになる。獅子舞で見かける「神様が現れる前の露払い」や「人に祓われる」といった場面が無いのもそういうことなのだろう。と思う。

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権現舞では、最初に「下舞」と呼ばれる曲芸的な舞が披露される。面などは付けず、手に持った採り物を投げ上げてはキャッチしたり……という内容である。権現様が来る前の舞台を清める意味もあるのではと言われたりする。

続いて権現様が登場し、奉納されたものを一つ一つ確認しては歯を打ち鳴らすという「あげもの褒め」、柄杓を持っての「火伏」、舞手が入る幕の中(下?)を参加者がくぐる「胎内くぐり」などが行われる。

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芸能は奉納する神社で見るのが一番と思っている人間ではあるけれど、なかなか合石まで自力で行けないので今回ここで見られてよかった……。と思ったのでした。

 

おまけ:昼ごはんがおいしかったよ

当日はキッチンカーや焼き鳥屋さん?などが少し来ていた。中休みがあるので、管理人も食料を探しに……。

ちょっと胃腸炎明けで(←結構いつもそう)そっとしたものを食べようと思っていたのに、めちゃくちゃおいしそうだったので「笑福食堂 稲背」さんの唐揚げとフライドポテトを注文!

いや、めっちゃ油モノ食べるやんけ。と、自分でもツッコんだけど、おいしそうだったんだよ。で、実際おいしかった!ポテトが、味濃い目で。唐揚げの味も、なんかちょっと選べる!

写真はないけど、みなさんも岩手に行ったらぜひ稲背さんの唐揚げとかポテト食べてみてくだされ。フィッシュアンドチップスとかもあったよ。

 

参考文献・資料

今回の記事を書く際に参考にした資料や図書はコチラ

 

佛教大学総合研究所紀要No.30

早池峰岳神楽の廻村巡業経路からみる神楽の伝播について』(2023年/中嶋奈津子)

 

佛教大学総合研究所紀要No.30

早池峰大償神楽の担い手について』(2024年/中嶋奈津子)

 

・『早池峰神楽 神楽鑑賞ガイド』(平成22年/花巻市観光課)

 

★今回の資料はどちらもPDFで読めますよ(・ω・)!

中島奈津子さんの論文はコチラ

神楽鑑賞ガイドはコチラ




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