以下の内容はhttps://tomanosu.hatenablog.com/entry/2018/01/27/143456より取得しました。


ワケイカヅチと白瀧姫。

管理人は、神社へ行く以外の外出は極度に少ない。加えて去年の夏バテを引きずって、ここのところ体力の回復に努めていたので…


久々の上電(上毛電鉄 *'ω'*)!中の装飾は…犬だらけ!「戌年」だからだな!
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上電のこういう感じホント好き。通学に使ってる子たちに比べたら利用回数低いけど、粕川やら大胡やら桐生やら お祭り行くとき重宝してます!上電、応援してます!

さて、そんなわけで終点・西桐生で一旦下車。徒歩数分のJR桐生駅から両毛線で小俣へ。今回の目的地は群馬県桐生市にある賀茂神社なのだが、どっこい最寄り駅は桐生でなく小俣なのである。

ちなみに、桐生の賀茂神社では毎年2/3節分の夜に桐生市指定重要無形民俗文化財でもある「御篝神事」が行われる。白装束の氏子さんたちが火のついた薪を投げ合う奇祭だそうだ。


今回はその下見も兼ねての 突撃!となりの賀茂神社、である。

 

*小俣 伏見稲荷神社*
さて、目的地までは徒歩30分ほど。そんなにド田舎ではなく比較的大きな通りに沿って歩く。

 

すると、途中で稲荷神社を発見。交差点にふっと現れた そんなに広くない神社。だが、かなり立派な鳥居↓がドーンと立っている。
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正面に見える白壁の建物は、社務所かと思いきや「以学文庫」と書いてある。え?地域史の本とか置いてあるの?それなら面白そうだけど、誰もいる気配がない。

敷地面積の割にシッカリした授与所もあって、見本の御守りも日焼けしてないしケースも汚れていない。管理は行き届いている風だが、やはり人はいない。例祭の日に来ればいいのか?そんなに遠くないし。

軒下には絵馬↓が奉納されている。
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絵馬といえば、お願いを描く五角形ないし長方形の板!というイメージの方が多いかもしれないが、モトは神様への供物や御礼としてホンモノの馬を奉納していた。それを、絵で代用するようになったのが絵馬のはじまりらしい。

社殿を見てみると、鳥居や授与所のわりには小さい印象。鈴は、とても大きい(軒が低いので余計にそう感じるのか)。
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しかし新しそう&キレイになっていて氏子さんや宮司さんに大事にされてる感。オカネを入れて自由に持っていくおみくじあり。御参拝の折には是非どうぞ

(=゚ω゚)ノ
管理人は年始に引いたので、しばらく新しいのは引かないでおきます…。

 

*桐生 加茂神社*
さぁ、この橋から向こうは群馬県桐生市
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ちなみに栃木県民の方はご存じだろうが、先程の「小俣」は栃木県足利市だ。群馬県桐生市の神社へ行くのに最寄り駅は栃木県とゆう…なんかこのへん、県が入り組んでるんだよね

(´・ω・`)

県境である渡良瀬川を渡ると、住宅地へ突入。道、合ってんの…?と思っていると「加茂神社 旧参道」という立て札が現れた。そして公民館を過ぎ お寺に差し掛かったところで…
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見えた!奥に鳥居が!そして鎮守の森が…予想より大きい!

鳥居をくぐると、すぐ右手にメインの鳥居とは別に鳥居。
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扁額には「賀茂御祖神社」と書かれている。カモミソではなく かも-みおや と読み、読んで字の如く「親」が祀られている神社。


京都の下賀茂神社のことを考えると、祭神はカモタケツヌミ(賀茂建角身)・タマヨリヒメと思われる。


しかし「本殿に居るワケイカヅチの両親ってことだね!御親だし!」と早まるなかれ。おじいちゃんと、お母さんである。

そして、左手には「八坂神社」の扁額がかかった鳥居。
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祠は3つ。真ん中は祠の扁額に「天王社」と彫られている。なので真ん中は牛頭天王もといスサノオがお住まいなんだろう。

京都の八坂神社のことを考えると、現在は中御座(つまり中央)にスサノオ。東御座にクシナダ・カムオオイチヒメ・サミラ(全部奥さん)。西御座に8人の息子と、クシナダの両親(アシナヅチ&テナヅチ)が祀られている。


なので、ここの場合も両脇は后神と御子神(+義父母)か?
【2019/6/23追記】
…と思っていたのだが、再度 賀茂神社へ行く機会があり再確認したら向かって右の祠は天満宮と書いてあるようだった。
(扁額の文字は不明確なものの、祠側面に梅が彫ってある)
しかし向かって左の社殿は、扁額の文字や側面が
何だか意図的に抉られたような傷つき方をしていて何神社だかはやはりわからなかった。

そして、その八坂神社の隣には御神輿が保管されていた。
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神輿の四方に「ドリル刃かな?」とゆうようなギュルギュルした形の柱が付いてる。今時はこういうデザインなのか?その横に「豊機神社」があるが、最後に行くとする。


さて、こちらがメインの賀茂神社。桐生には、天満宮や美和神社などなんとなく西の都からお呼びした神様が多い。おそらく先程の御祖神社も この賀茂神社も、そう。


賀茂御祖神社(通称・下賀茂神社)と賀茂別雷神社(通称・上賀茂神社)からの勧請とおもわれる。
※以前、群馬の八ノ宮・火雷神社の記事ではこの桐生にある賀茂神社について「奈良の高鴨神社から」と書いたが、高鴨神社の主祭神はアジスキタカヒコネである。
こちらは上述のとおりワケイカヅチが主祭神ということなので、高鴨でなく上賀茂神社からお呼びしたというコトになるのではないかと思う。

神社って例祭の日以外は閉まっていることも多いのだけど、ココは結構オープンな感じだった。提灯の神紋は「二葉葵」。
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祭神は、賀茂別雷命(かも-わけいかづちの-みこと)。先程の御祖神社におわすタマヨリヒメの息子さんである。

少し日本神話に詳しい方は「あれ?お母さんはタマヨリヒメ?トヨタマヒメの妹の?」と思うかもしれない。


しかし、実はタマヨリヒメというのは固有名詞ではないのだとか。魂(たま)の依代(よりしろ)となることができる女性、つまり巫女的な性質のある女性たちをこう呼ぶらしい。
参考:小学館大辞泉」(1995)

こちらのタマヨリヒメはカモタケツヌミの娘。タケツヌミは賀茂氏の祖先にして カミムスビの孫。そして神武天皇を導いた日本建国の立役者ともされる。
※光を放ってナガスネヒコの目をくらませた金鵄なのか熊野から大和への道案内をした八咫烏なのか方々で混同されているが、結局どちらもタケツヌミの化身だとされているものが多い。

おじいちゃんとお母さんは分かったけど、じゃあ お父さんは誰なのか?と言うと、京都・乙訓坐火雷神社の祭神・ホノイカヅチとされている。
(群馬の八ノ宮・火雷神社佐波郡玉村にあります。小さめ神社。)
ただ、スサノオやニニギのように恋をして結婚♡
というわけではなく、丹塗矢に姿を変え賀茂川を流れてきたホノイカヅチを賀茂川で遊んでいたタマヨリヒメが拾ってお持ち帰り。


寝所に矢を置いておいたら いつの間にか懐妊したよ!という斬新な通い婚の結果である。いや、しかし斬新といえど、かの(?)オオヤマクイもオオモノヌシもこれと同様の方法で女性にアプローチしている。


当時の神様の間で流行していた方法なのか…?

さておき、そんなこんなで生まれたワケイカヅチだが肝心のタマヨリヒメも誰の子だかわかっていなかったとか。


そんなある日、宴会をしていたタケツヌミは、よちよち歩きの孫・ワケイカヅチに杯を持たせて言ってみた。


「この酒はおいちいから、おまえのパパにもあげまちょうねー」


するとなんとワケイカヅチは屋根を突き破って空へ!そうして雷神であるホノイカヅチが父親だと分かったとさ。

…あれ?屋根突き破った後、ワケイカヅチってどうなったんだ?地上には戻ってこなかったの?

(´・ω・`)ハテ…

ちなみに、ワケイカヅチの名前の解釈としては
①「別雷」稲妻を別(わか)つほどの力を持つ神
②「若雷」若々しく力のみなぎる雷の神
などがあるらしい。

さて、拝殿横を通り本殿のほうへ進むと、燈籠↓発見。何気なく立っているが、市の指定文化財。造立年が分かるものでは桐生最古(1378年)の石燈篭だとか。

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遠目ではわからないけれど、いや、もう苔でモッサモサですよ。近づくと小さな森みたいな感じでイイ(*'ω'*)
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そして本殿。なんか上泉(前橋)とか伊勢崎とか太田とか、結構県内の神社、彫刻がすごいなーって思うこと多い。ココも例にもれず本殿は全面彫刻。
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彩色もちゃんと残っているみたいだけれど、修復とかしてもらってるのだろうか。ベンガラ色の部分は結構最近直したかなという感じ。色が落ちてないし、彫刻のエッジがはっきり。

本殿右奥には、関東の地震除けコンビ・鹿島&香取社。つまりフツヌシとタケミカヅチが並んでいる。(地震メインじゃなくて武神なんスけど…と言われそうだが)


鳥居が…他の境内社は石なのになぜか木材…!
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2つだけ並んでいるように見えるが、奥まで行ってみると両脇にも小さな祠がズラリ。(暗い写真ですみません)
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2つの祠の横にある石塔は…一文字目がうまく読めない。土?丑?立?そして3文字目も微妙。幸?桒?
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近くにあった祠には、お稲荷様っぽい装飾。
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この季節はこういう奥に分け入っても、全然 蚊も蜂もいなくて本当に平和ですね

(/・ω・)/!

そして、最後にとっておいた豊機神社!
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鳥居から、まっすぐ階段が続いている。鳥居の奉納は明治と書かれていた。階段を昇っていくと、両脇に燈籠が立っている。


最初の一対には「糸まき」↓の装飾。
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そして2つ目は、一見 幾何学模様のようだが機織りに使う「杼(ひ)」↓が4つ組み合わさった絵。
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幸い、上がるのがきついほど長い階段ではない。(まあまあ長いかもしれないが)秩父武甲山の麓にある稲荷神社↓や
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信州・諏訪大社付近にある北斗神社↓に比べたら…
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(管理人の中での二大 鬼直線階段です)

話はズレたが、全国的には機織りの女神といえばタカミムスビの子(or孫)でありニニギの母であるタクハタチヂヒメが祀られていることも多い。

またおとなりの足利にある「織姫神社」は天棚機姫の娘or孫・ヤチヂヒメが祭神とされている。

たまにはタナバタヒメとヤチヂヒメは同一人物だとか、挙句の果てには そこへタクハタチヂヒメまで混ざることも。

しかし、桐生で機織りの女神様といえば!なんといっても白瀧姫サマである。桐生にある白滝神社も、白瀧姫とヤチヂヒメを祀っている。


上記のような神話の中の女神様とは違い、白瀧姫は身分こそ高いが人間の女性とされている。

時は昔、平安京がまだできた頃の話。我が群馬県桐生市川内町あたりから宮仕えした男がいた。


東京が首都である現在すら「未開の地グンマー」と言われる場所。京が中心だった時代、都の人からして見ればもはや場所すら見当のつかないような場所だったかもしれない。
(いや、埴輪と古墳すごいから逆に昔のほうが…的な可能性も…)

さておき、どうやら彼は宮中の庭掃除係として働いていたらしい。御簾の奥にいる姫(官女であったとされている)を垣間見て一瞬で恋に落ちてしまう。


身分の違いを思い、諦めようとするも諦めきれず、彼は思い切って歌合わせの際に彼女に歌を送った。当たり前だが、当時の歌といえば和歌である。ギターを弾きながら歌う自作ラブソングではない。

すると、なんと彼の歌は中々センスが良かったのである。最初は「私、身分高いのよ。そんなに恋い焦がれないで」みたいな返歌をしていた姫だったが、彼女のお父さんが彼の歌と一途さをベタ褒め。


さらには天皇も「いいんじゃない」と言い出す始末。そんなこんなで、姫は身分違いのお掃除ボーイの家へ嫁に行くことになった。その才色兼備な姫が 白瀧姫である。

上州がどんなところかも知らずに庶民の家に嫁に来ることになった京都のお嬢様。色々心配ではあるが、ともあれ彼女は都で習得した養蚕や絹織物を桐生の人々に教えてくれたのだ。

参考:松崎寛(1999)「白瀧姫物語ー桐生織姫伝説ー」桐生市国際交流協会
           畑中章宏(2015)「蚕」晶文社
    大川内利彦(2003)「桐生の織物はどうしておきたのだろうか」


このエピソードも様々な地域で少しずつ脚色されたりしながら伝えられてきたため、本当のところというのは分からないわけだが。


姫は単に桐生の人々に機織りや養蚕を教えただけでなく、彼女自身も織った布を京へ納めていたとも言われている。

この白瀧姫がみんなに教えた機織りって、どんな布を作っていたのだろうか。まず、養蚕も教えたというのだから材料は繭だろう。繭といえば絹。絹と言えばツルツルで薄手の布だろうか。


が、その後の記録に残る当時の桐生織物「仁田山織」はツルツルのヤツでなく「紬」のような生地と考えられる。

そもそも、みんなが知っているピカピカの生糸というヤツは御存知と思うが繭玉を煮て一本一本の糸口を探し出し、その一本一本を均一に撚り合わせて糸にするのだ。


生産性を上げるには結構大規模な施設や作業場所、そして言うまでもなくそれなりに高い技術が必要なわけで。

それに比べれば、紬に使う糸というのは繭を煮てほぐし、広げてワタ状態にしたものから「こより」的な感じでネジネジしながら太めの糸を作っていく。


使う繭も、穴が開いたものなどでも使える。なので、難易度がやや低く広めやすいのである。

それまで関東北部からの調(税を布で納める)は苧麻(ちょま)を原料としたものが多かったらしが、丁度この桓武天皇あたりの時代から「あしぎぬ(ふとぎぬ)」とよばれる布も納付され始めたとか。


名前から、紬の糸のように太めの糸で作る絹製品と思われる。白瀧姫の話には そんな時代背景が垣間見えている、のかも。


という所で、こういった話の時に読み返しては参考にしている本がコチラ。 

 

まぁしかし、そうして考えていると… もしや歌ウマなシンデレラボーイが「奇跡的に姫様をお嫁さんにできた」のではない可能性が出てくる。


地方から納付される布の品質を上げるために、養蚕と機織りに長けた美女を地方に「お持ち帰りさせる」作戦か!?だから天皇も積極的だったのか⁉︎おのれ孔明!謀ったな!(; ・`д・´)

いや、それは妄想だとしても…。なんにせよ、これがキッカケで桐生は織物の街としての第一歩を踏み出したようだ。


ちなみに先程 桐生の織物を「仁田山織」と呼んだが、仁田山というのは今でいう石尊山(@小俣)のこと。


白瀧姫が「アレは京にあった山と似た山じゃ」と言ったのでニタヤマという名前になってしまったとか…箱田の地名由来並みに怪しい!

まぁ、そんな仁田山織は京都などの上質な布に比べれば当然質は低く、長い間「田舎反物」の代名詞とされてきたのだそうだ。


昔の書物などのセリフを見ると「優れたものと一見似ているが劣っているもの」というような意味で「仁田山」が慣用句化しているとか。
(例:洒落本 雲間夢中菴(1778)「大通秘密論」)


しかし、逆に考えれば 質が劣る代わりに安価であり、全国に広く流通しているからこそ誰にでも通じる慣用句として使われたのではないか。

上方や西洋の技術を吸収し、「桐生は日本の機どころ」(上毛かるた)となるには少し時間がかかったモノの、白瀧姫のもたらした技術は確実に仁田山の麓を潤したのである。

そんな彼女が祀られているのが「豊機神社」。保護色で見えずらいが、後ろの崖に同化して祠がある。
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本殿と拝殿の位置関係…にも見えるがコレは一体。ちなみに、文献によっては 賀茂神社にはアメノハヅチオノミコトも合祀されているらしい。


香取・鹿島社の両脇にあった祠のどれかかも知れないが、機織の神ということを考えると できれば(?)ここに一緒にいてほしい。

ちなみに、この豊機社の奥は山なわけだが、社の左を見ると上のほうへ道が続いている。そちらにどうやら「賀茂山祭祀跡」というのがあるらしい。


行ってみようかとも思ったが、ちょっとやそっとでは着かなそうだ。いやぁ、そういうのはもうちょっと暖かくなってから…という軟弱な思考が働き、管理人は山を後にしたとさ。


今回はここまで。
次回は、御篝神事へ行ってきた記事となります~。

【2019/6追記】
後日、加茂山祭祀跡へ登ってみたわけだが…何か遺構が見える形で残っているわけではなかった。


ちょっとした散歩道的に、険しくはない山道に公募なのか有志なのか俳句を刻んだ石碑が置かれ、豊機社のある小さな山の周りを軽くグルっとする。といった感じの道だった。
ちなみに季節柄か蚊がたくさんいたので、皆さん是非長袖長ズボンで虫よけなどご用意されたし。




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