「ちょびっと」ってなんやねん!ガッツリ行けや!と言われそうだが、最近管理人はお恥ずかしながら夏バテになり日中ちょっと無理すると夜間ひっくり返っている…というような情けない状態なのである。
というわけで、今回は京都で行われている祇園祭の宵山だけを少しかじる程度。いつもの如く長くなったので、目次からお好きな所に飛んでいただきたい。
祇園際は1か月にわたる祭
祇園祭といえば毎年碁盤目状の洛中を巡行する豪華絢爛な鉾が注目の的である。が、曳きまわす日だけが祇園祭ではない。祇園祭というのは実に1ヶ月も続く祭なのである。
まず7月になると1日から「吉符入り」が始まる。町により日程は異なるようだが、一般的には各町内で打ち合わせをしたり 鉾に御神体をお祀りしたり、八坂神社の清祓いを受けるのが吉符入りだそうだ。
「吉符(キップ)」というのは、その年の御稚児さんと禿さんの名前を書いた紙のことで、コレを神前に納めることから吉符入りと言うのだとか。ちなみに「清祓い」は簡単に言えば「お祓い」。神事に先立ってお祓いを受けるのである。
※ただし、役行者(えんのぎょうじゃ)山など修験道とゆかりの深い山に関しては、清祓いではなく聖護院の山伏さんたちが護摩焚きを行ったりするらしい。
そして2日には「鬮(くじ)取式」が行われ、市長さん立ち合いのもと巡行の順番が決まるのだそうだ。これは神社とかでなくナント市役所でやるらしい!その頃から「社参」や「お千度」といって、各町の代表者や稚児さんが祭りの無事と成功を願い八坂神社へ御参りをする。
そして1つ目の山場が10日である。この日から各町が山鉾建て・曳き初めを始め、
八坂神社の神職さんは御幣を作り、神輿を清めるための水を鴨川から汲み上げ、その神輿を迎えるための提灯行列が組まれ、夜には四条大橋で「神輿洗式」が行われる!
14日からは宵山が始まり、にわかに祭らしくなってくる。さらに15日は、ひそかにいろいろ重要な準備が整う…まぁ「ひそかに」やっているワケではないのだが、巡行と比べるとどうしても地味に思われがち と言う意味だ。
たとえば早朝に「斎竹(いみたけ)」を建てたり、夜に行われる「宵宮祭」では八坂神社の神様が神輿に遷る。伝統芸能や「式庖丁」を見ることができるのもこの日だ。
※斎竹=巡行の初めに稚児が切る綱を結んでおく竹
それからあとは町の各所で山鉾見学ができ、人がごった返し…という皆さんご存知の「祇園祭」があった後に月末29日の神事済奉告祭・31日の疫神社夏越祭により祇園際は締めくくりとなる。
いざ、山鉾散策
さて、私が参戦したのは16日。前祭の宵山最終日である。各町にある山鉾を見ようという人、翌日の巡行を見るために京都に一泊しようという人、地元の祇園さん好きの人…色々な人が押しかけて京都中心部はヤバい状態に。
安全確保のため歩行者天国となっているというのに、歩けども歩けども思うようには進まず、部分的に一方通行となっているため最短ルートを選べない。結果的に3時間以上歩き回った挙句 全ての鉾は見られなかった。この日でなくもっと日程を前にずらすべきだったのだ…。
*放下鉾*
まぁ悔やんでいても始まらないので、体力の範囲内で見られたものを載せていく。まずはこちら、放下鉾である。
この写真では全然確認できないが「鉾頭」と呼ばれる棒の先っちょ部分には丸が3つ。2つ並んだ丸の上にもう1つ丸が乗った形をしている。(説明下手すぎなので、望遠レンズ所有者の写真ググってください…)
後で読んだ説明ではこの三つの丸は、太陽・月・星の「三光」が差す様子を表しているとか。この鉾では、天王座と呼ばれる人形を祀る場所に「放下僧」の人形を祀っていることからこの名が付いたという。
放下とは、品玉(しなだま)や輪鼓(りゅうご)つまり今でいうジャグリングやディアボロのことだ。それを演じる放下僧は、僧とは言っても本物の僧侶ではなくお坊さんの格好をした大道芸人のような人。芸能者である。
かなり強い夕立の直後だったためか、どの鉾も懸装品の絨毯などにはビニールがかかっていてなんともうまく撮れない。
うぬぬ(;´・ω・)
*月鉾*
次は、天王座にツクヨミノミコトの人形を祀る月鉾。鉾頭には三日月(新月型と言われている)が付いている。この三日月、なんと18金だという話である…。
そして、この写真ではガッカリするほど見えないが、屋根裏の草花図は なんと あの丸山応挙が描いたとか…。それだけではなく、(何町の鉾か失念したが)どこかの国が前からずっと探していた(←曖昧すぎ)貴重な国宝級タペストリーの一部が鉾の懸装品になっていたという逸話も…。
まさに動く美術館ッ(;゚Д゚)!祇園さんの鉾、恐るべし。
*函谷鉾*
さて、祇園さん初心者の管理人にはそろそろ鉾の違いが分からなくなってきたが…漢文が好きなので函谷関のことはなんとなくわかる。
この鉾に祀られている人形は「田文(孟嘗君)」。斉の出身でありながら、秦の王様が「宰相にしてみよう」と言うほど人望が厚かった。
というのも食客(居候)から非常に評判が良かったのだ。「食客」は一般的に能力の高いものを主が養うかわりに食客は主に仕え助けるという中国の風習である。しかし、田文は才知や武芸の光るものだけでなくとにかく何か一芸に秀でていれば取り立てて食客としていた。
そんな彼が訳あって秦の王から逃れねばならなくなり、命からがら函谷関に辿り着いたことがあった。まだ、夜明け前であり普段なら関は開かない。しかし、そこで鶏の鳴き真似がうまい食客が鶏のふりをして関守は朝が来たと思い込み関を開けたために一行は命拾いをした。
そのエピソードから「下らないと思える特技も役立つことがある」と言う意味の「鶏鳴狗盗」という故事が生まれたのである。その故事にちなんでか、装飾にも鶏があしらわれているようだ。

*長刀鉾*
祇園祭の花形と言っても過言ではないコチラの鉾。真木(屋根の上の棒)の上に さらに長刀が付いているために、それはもうエラい高さである。
ちなみに鉾は市街をぐるぐると巡行するが、八坂神社と京都御所には絶対に刃が向かないような角度になっている…という話である。
こちらもビニールがかかってはいるが、赤と黒が基調となった絨毯と囃子手の手元から垂れる水引の赤がマッチしていて綺麗だ。
*神輿と神楽*
花形の姿を拝んだところで、八坂神社へ。カミサマを乗せた神輿がキラキラと並び、「今夜は人間にゆっくり姿を見せてやろう」とでも言う感じの堂々たる姿でドッシリ構えている。
その先で演じられているのが石見神楽である。石見といえば島根だが、松尾大社と同じく八坂神社の御祭神(スサノヲ)が演目と縁深いから奉納されるのだろうか?
石見神楽と言えばなんといっても大蛇を退治するスサノヲの立ち回りであるが…人混みがすごくて 写真はこの一枚しか撮れなかった。(まぁ背が小さいのに頑なに自撮り棒を購入しない罰ですな)
↑奇跡的にカメラマンのフラッシュと同時に撮ったので夜の境内にもかかわらず結構鮮明に撮れたとさ。漁夫の利!
揉みクチャになりながら神楽を見ていたが、背伸びをし続けてついには足が攣ったので退散。街に戻って鉾の続きを見る!
その途中で何ともカワイイ消防団柴犬↓に遭遇
(*´ω`*)カワイスギル!もうずいぶんお年寄りだという話で、歩き方もどことなくヨタついているがカワイイ。
そして、商店なのか単に自宅の出窓なのか分からないがプチ鉾を発見した。

そして、はっきりした名前過ぎて逆に胡散臭さを感じてしまう神社も発見(←失礼だ)
このあたりは繁昌町というそうなので、きっとちゃんと歴史ある地域の神社なんだろう。
*山がたくさん置いてあったのだが*
この付近には、太子山・木賊山・油天神山・芦刈山という4つほどの山(+ちかくに伯牙山も)があるのだが…骨組みだけなのでほぼ見分けがつかない!見るタイミングを誤った
(;゚Д゚)
しかし、太子山なら真ん中の木は杉のはず。ということは木賊山だろうか…。
「何言ってんだ、ここがこうだから〇〇山だよ!」
「全くこれだから初心者は…」
という方がいらっしゃったら是非教えてくだされ…。
「木賊(とくさ)」というのは調べていただければ分かるが、たまに料亭の玄関周りなどに生えている小さくて葉っぱの無い竹のような何とも言えない植物だ。ただ、トクサ(=砥草)と呼ばれるだけあってその茎は研磨のための道具として重用されてきた。
(ちなみに、目に利く生薬でもある)
この山は「木賊」という謡曲をテーマにしていて、子供をさらわれ長野で木賊を刈りながら生活している翁の人形を祀る。御神体のおじいちゃんは非常に物悲しい様子だが、謡曲の最後では息子と知らず出会った若者が我が子と分かり2人で喜び合うという大団円なのでご安心くださいー!
さぁそして「飾りが無くて何山だかわからないシリーズ」第二弾!他の白熱電球山(?)とは一線を画す柔らかな光を放つ山。こちらは、おそらく「油天神山」であろうと思われる。
というのも、油天神山は数年前に提灯の電球を新調して「ロウソクの灯りに近い暖色で揺らぎのあるLEDに換えた」という話を聞いたのである。
天神という名前からもわかるように、昔町内にあった天神社から勧請して作られた山だそうだ。他の山では人形と傘が飾られることが多いが、ここは「いかにも神社です」というような感じで飾りつけ後には山の正面には鳥居が設置される。
そしてシリーズ第三弾のコチラは…多分「芦刈山」。
観光客らしき女性が隣にいる男性に「芦刈山って金太郎の?」と言っていたが それは足柄山です…
(;´・ω・)
※足柄山は山名であり、祇園祭に足柄山はない。
「芦刈」は世阿弥の謡曲であり、御神体は妻と別れて芦を刈って生計を立てる男性。その男が妻が三年ぶりに再会し和歌を交わしたのち、めでたく夫婦に戻り都に帰るという話だそうだ。
そのため、授与品には縁結び・夫婦円満の御利益があるとか。残念ながら写真を撮れなかったが、御神体の神面は運慶の流れを汲む仏師さんの作品だとか!
*岩戸山*
そしてやっと分からないエリアから抜け出した。コチラは岩戸山で 御存知「アマテラスの岩戸隠れ」が題材。岩戸「山」というが、車輪がついていて曳山となっている。屋根も付いていて鉾なんじゃないかと思ってしまうが、山だった名残で屋根の上には鉾頭でなく松が付けてある。
ここまで囃子手さんは少年~青年が多い気がしていたが、なんかここはベテラン感がすごい!悪い意味じゃないですよ?若い継承者がいることは伝統芸能にとって財産だとは思うが、なんといっても着流しや祭ファッションが一番似合うのは、やっぱりオジサン~おじいちゃんですからね!管理人大歓喜!
それはさておき御神体はアマテラスとタヂカラオ(戸隠大明神)。そして、アングル的に全然写っていないが屋根の上になぜか天瓊矛をもったイザナギが立っている。イザナギはアマテラスのお父さんなので天岩戸の話には全然出て来ないのに何故こんなところに…。
ということで岩戸山保存会のHPを見てみると、八坂神社の社記録に残るもっとも古い記録では「岩戸山」という山があると記録されているらしい。
ところがどっこい応仁の乱で京都が焼け野原になった後、しれっと この地域の山は「あまのさかほこ山」に変わっていた。アマテラス人形が応仁の乱で消失したかどうかは不明だが、ココで一旦、主役はイザナギ人形になったのかもしれない。
時代は下り桃山時代になってから。狩野永徳が描いた「洛中洛外図屏風」を見てみても、飾られているのはイザナギ人形一体のみだという。ただし、その手前に設置された鳥居には鶏がいるらしい。ので、岩戸山であった名残はあるようだ。
そして江戸時代に描かれた絵ではアマテラス復活。豊臣秀吉が行った区画整理により協力する町が増えたり江戸時代に町人が経済力をモリモリつけてきた御蔭だろうか。というわけで、一部ではあるが御神体を屋根の上に祀る珍しい山である。
*四条傘鉾*
そしてまた少し歩いて 移動 移動。こちらは、パッと見ですぐにわかる「四条傘鉾」である。提灯にも「傘」の文字がたくさん。
名前の通り傘の形↓をしている。(クリーニング屋さん目立ち過ぎ…)
実は、この形態は鉾の中でも古い歴史を持つそうだ。四条傘鉾に関しては応仁の乱よりも前からあるらしい!(明治時代に一旦は途絶えたが、様々な資料を元に復元したとか)
形のほか、この鉾に特徴的なのは囃子と「棒ふり踊り」。こちらも鉾の巡行とともに一旦は途絶えたが、滋賀県・瀧樹神社に伝わる「ケンケト踊り」を参考に復元。小学生の男子たちが振袖・袴で踊る可愛らしい姿が見られる。
ケンケトで頭につける孔雀の羽は取り入れなかったらしく、普通に笠をかぶって踊っていた。鹿踊りのササラみたいで個人的には好きなのだが、地域ごとに祭りの色とゆうものがあるから仕方あるまい…。
この、傘に大勢の人が集まり進んでいく様子は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときにオロチ配下であった鬼たちが主人を捨ててスサノオに傘を差し天竺まで送ったという話に基づくとか。
※傘は高貴な人や神がその下に居るという象徴
ちなみに蘇民将来の話では、この話はスサノオ→牛頭天王(スサノオと同一視される疫病の神)大蛇→巨旦(蘇民将来に宿を貸さなかったいじわる)に変換されることもある。
蘇民将来の話は疫の神様、八坂神社。で触れたので割愛。
ちなみに、同じく疫病を鎮める祭で桜の時期に行われる「やすらい祭」でも傘が登場し、この傘の中に入ると病気にならないと言われている。
*船鉾*
やっとたどり着いたぜ!船鉾町!
こちら↓が鉾の中で唯一 船の形をとる「船鉾」。山鉾が天を突くような縦長なイメージなのに対して、道いっぱいに船が浮いているようなその姿は圧巻である。
では、誰の船かとゆうと「三韓征伐」の神功皇后である。もちろん祀られている人形は神功皇后だが、彼女を主祭神とし 住吉・鹿島・磯良の三明神が周りを固める。
住吉明神は三柱で1つの名前を持っている神様。住吉(スミヨシ)は古くは「スミノエ」と読んだらしいので、スミノエ=澄みの江。つまり澄んだ入江の神様とゆうことになるとか。住吉明神は、単体では「鶏鉾」にも祀られている。
一方の磯良明神(阿曇族磯良)とゆうのは、安曇族(福岡ルーツの海人系氏族)の祖先にあたる神様。トヨタマヒメの子=オオワダツミの孫ということだ。神功皇后が三韓を攻めるため神々に協力を乞うた時、多くの神が馳せ参じたが 磯良は
「わたしは海中に長く棲み、顔には牡蠣・鮑などが付いて醜い」
と恥じて姿を現さなかったと言われている。そこで すでに皇后の仲間になっていた住吉明神が、海上に舞台を作り神楽を舞わせることを進言。楽しそうな様子に誘い出された磯良は協力することとなり、無事 三韓を攻略することができたという。
舟鉾の人形は、その磯良が味方になり潮盈珠・潮乾珠を皇后に納める場面を表現しているそうだ。
鹿島明神はタケミナカタなので武神。安曇族にタケミナカタなんて…長野を感じますね…カミサマは氏族とともに戦い旅をする。カミサマの旅路は氏族の歴史ですなぁ。
(*´ω`*)
そして、他の山鉾の装飾も絢爛だがここの懸装品もまた「もはや彫刻か」という厚みで圧巻。肉入り縫いという和風ステッチの一種だそうだ。レベルがカンストした絨毯みたいなイメージ
(/・ω・)/!
ちなみに、神功皇后は「占出山」にも祀られている。皇后は身重にもかかわらず武装して出航し、凱旋の後に無事出産を果たした女性であることから「占出山の曳行順が早い年は地域の女性はお産が軽い」といわれるとのこと。
そしてなんと今年の占出山は「山一番」!つまり長刀鉾に続く二番手での巡行となったのだ。今年は皆さん安産ですかね
(*´ω`*)
※長刀鉾は「くじ取らず」と言って毎年先頭と決まっている。
まぁ、そのような理由で船鉾・占出山ともに御利益は「安産」といわれ妊婦さんに腹帯を授与している。ちなみに、その御神徳はかなりのものらしく、明治天皇がお生まれになる時などは船鉾の御神体の「神面」が宮中へ参内したというから驚きだ。
そして、祇園祭は「動く美術館」だけではない。祭り期間中にいくつかの家で行われる「屏風祭」。
ここは屏風が祇園祭の絵なので手前にも山鉾を飾っているが、屏風のほか調度品や舶来品など家に伝わる貴重な品を皆さんにも見ていただこうというのが「屏風祭」である。昔はもっと多くの家が行っていたそうだが、現在ではずいぶん数が減ってしまったそうだ。
(今日はもう、これ以上無理せず眠ることとした。)
長刀鉾の辻回し
翌朝は、まだ観光客で混まなそうな早朝に伏見稲荷へ。そして神社をいくつか見た後に
四条河原町交差点で辻回しを少し見て退散することとした。
…出雲阿国像の頭にイイ感じでカラスが…。

管理人が伏見稲荷に向かう時(午前5:50ごろ)、すでに交差点では場所取りをしているカメラマン多数。なので、辻回し30分前に交差点に戻って写真を撮ろうなんて祇園祭ナメきってるかなーとも思ったが伏見稲荷に行きたい!
そして、お稲荷エネルギーを頂いて帰ってくると…もはや視野の下半分は人混み!(身長150cmは負け組)

そしてスゴイとこ(アーケード上↓)に人いる!新聞社の人か?実行委員か?警備担当?
しかし、みんな少しでも近くでみようと、通行止めになっている車道へどんどん広がり
歩道でもなるべく前の方にズンズン動いていく。
え る し っ て い る か ?(byデスノート)
こういうときは、やたらに近づくより、少しでも高いところに居た方が視界が開けるのだ!
ほら↓さっきよりマシ。
そして長刀鉾が来るまでみんなが何をしているのか見ていると、十字路周辺が勤務先の人たちが休日にも関わらず続々と出勤し職場の窓を開いて(ベランダがある店はビール片手に出てきて)超余裕で祭見物を始めるではないか!VIPすぎる!
ちなみに管理人の後ろに居た地元夫婦(多分旦那さんは山鉾に乗ったことがある)曰く、「山鉾には神様が乗ってるんだから上から見ちゃいけない」。確かにそうだ。神様を見下ろすことになってしまうな。
そしてそして、信号の高さをはるかに超える山鉾もあるため、なんと辻回しを行う道の信号は折り畳み式↓になっていた!業者が来て、道にあった信号機をくるっと歩道の方へ!京都の町すげー!
そしてついに長刀鉾登場!昨日は近すぎて全体がよく見えなかったが、長刀の先は地上約21m。重さ約11.1t。こんなに大きいが、重さは全体の3番目なのだそうだ。
(最重量は月鉾11.8tだそうだ)

小説「夜は短し歩けよ乙女」に登場する李白さんの「電車」を描写するとき森見富美彦は、この山鉾たちを頭に浮かべていたのではとなんとなく思った。「贅を尽くした3階建ての自家用車」だもん。絶対ビジュアルはこれしかないよな(自己完結)。
そして、いよいよ辻回し。管理人が取ったのは数秒の短い動画なので、もっと良い画質・長い映像が見たい方は他の方の動画へGo
(=゚ω゚)ノ
2017.7 京都・祇園祭 長刀鉾の辻回し
前祭のみ、しかもすべては見られなかったが、いままで「夏の京都はやばい」という噂にビビって祇園祭は行ったことが無かったので楽しかったー。
この「前祭」の1週間後に同じく山鉾を曳く「後祭」を行い、かつての祇園祭の再現ともいえる花傘巡行が行われ、月末には再度「神輿洗」が行われて天王さんは神社へ帰る。こうして1ヶ月に及ぶ祇園祭は幕を閉じるのだ。
今回は超高級な感じのお祭りだったので、次回は是非 庶民的でもみくちゃになる感じ(?)の お祭りに行けたらなーとおもいます!