探せばもっとあるのかもしれないが、今回富山で行動した範囲に姉倉比売神社は2つ。
1つは、「おわら風の盆」の越中八尾から2駅の笹津。もう1つは、富山から「あいの風鉄道」で1駅の呉羽。
当初は、呉羽の方が駅から神社まで近いのでコチラに行く予定だった。…しかし、管理人は富山の電車の少なさをなめていた。
富山駅に新幹線が通っているからといって、そこから出ている「高山本線」や「あいの風鉄道」も
東京の鉄道のようにバンバン来ると思ってはいけなかったのだ。
乗り換えの接続もよくない!
やむなく、乗り換えしなくて済むように、越中八尾と同じ「高山本線」に乗って笹津へ。富山駅では「おわら風の盆」当日とあって、この田舎電車にコレでもかとシニアが乗り込む。
そして、この嵐に紛れ込んでしまったジモッティ以外は全員「おわら風の盆」目当てのため「越中八尾」で降車。
もはや、車内に残った管理人はジモッティとみなされ「今日は貸し切りですねぇ!」「夜は踊るんですか」と降車するシニアたちにやたら話しかけられた。
内心「わりぃけど越中人じゃねぇんさ」と上州弁で呟きつつ「ええ、まぁ」と適当な返事をしてお別れ。あと2駅。到着すると、もちろん無人駅。
降りて駅を出ると、古風な美容室などもあるが それも数分の話。すぐに山っぽい雰囲気に。

そして、その藪の中や藪を抜けた先のコミュニティセンターなるものの近く、そして豊かな稲の生える田んぼの隅などには…
お地蔵さま!

正面は僧侶っぽい。右は地蔵菩薩、左は観音様?
これは、暖簾みたいのかかってて 恐いので覗かなかった。
富山に来て感じたこと。とりあえず、道祖神がない。サルタヒコも含め。それらがありそうな場所にあるのは、ひたすらこうゆう小さな祠に入った菩薩や明王。
かなり強力な仏教圏ということだろうか。その割には八尾の町には立派な神社も多いが、そういうところの社殿の裏に末社が全く無かったりするのも結構不思議だ。
さて、さらに進むと小さなプレハブ小屋のようなもの。何だろう。村の観音様かなんかですかね、と軽い気持ちで覗くと…
おお、意外と豪華なメンバー!?(゚д゚)一番左は顔が3つで斧やら何やら持っている。持ち物からしても馬頭観音か?
そして、三尊像のようだが阿弥陀なのか釈迦なのか薬師なのか分からない。
阿弥陀なら脇侍は観音・勢至菩薩
釈迦ならば脇侍は普賢・文殊菩薩
薬師ならば脇侍は日光・月光菩薩
うーん。仏教音痴だからわからない。普賢と文殊だって乗り物に乗ってなきゃ判別できないし。ただ、この脇侍の土台に「明治十四年」と書かれている。
明治初期といえば全国的には廃仏毀釈の嵐だったはずだが、その数年後に新たな仏像が奉納されるとは。やはり仏教勢力の強い土地だったんだろうか。(それとも、壊されてしまったから奉納したのか?)
さて、そんなこんなで姉倉比売神社の御膝元に到着。
緑豊かな公園である。ふむふむ、この奥だな。
と入っていくと…

おおぉおおお( ゚Д゚)!?なんかオッサンがこっち覗いてるぞぉおおお!一瞬本当にビビった。
そこからさらに奥へ行くと、到着。
階段を昇っていくと神馬なのか、馬の像が。
桐の家紋までついている。
扉などはなかなか古そうだ。注連縄は、この辺でよく見る感じ。中心と両端で太さにかなり差があるタイプ。ボンボンみたいな太くて短い房。紙でなく板状の御幣。
コチラに祀られている姉倉比売さんは、この土地の者に養蚕や機織りを教えた神様だ。筑波山の蚕影山信仰における金色姫のような感じか。
ちなみに、養蚕技術などはおそらく中国から朝鮮半島を経由して日本にやってきたと言われている。
そんなこと言ったら、先進的なものはほとんど大陸から来たのだが…まぁ養蚕も例外ではなかったというわけだ。
蚕を日本に伝えたのも渡来人の秦氏。上に書いた金色姫も天竺生まれの女神さま。そうかんがえると、養蚕や機織り技術を持った姉倉比売もまた大陸生まれの女神様なんだろうか?
(ここら辺は全くの妄想である(´・ω・`)
さてその姉倉比売は能登の伊須流伎比古(イスルギヒコ)の妻だったのだが、イスルギが近所の能登姫ちゃんと火遊びしたことにガチギレ。
船倉山の石という石を旦那に投げつけ、大乱闘に。この大騒ぎの調停のために、まさかの大御所・オオクニヌシが引っ張り出されたほどだ。
結局浮気をしたのは旦那なのに、騒ぎを起こした罰として彼女が富山・呉羽に流された。そして土地の女たちに機織りを教える刑に処されたのだ。
いくつかの民話では「それはそれは美しい姫神様がおいでになって蚕の育て方や機織りを教えてくれたんだとさ」みたいなサッパリした話になってるんだけど、まさかの…実刑だったのね。
親切で教えてくれたんじゃなかったんかーい!と、まぁそんな理不尽な昼ドラ神話でしたとさ。
ちなみに、この姉倉比売神社は八尾のそばだが因縁の相手・能登姫の神社付近には七尾という地名がある。
同県内ではないのにこんなに関連深そうな地名とは。「尾」はこの場合どう言う意味でつかわれてるのか気になる。
さて、拝殿の金網の隙間から覗いてみると正面に扁額?絵馬?が2つ。小さな方は神馬である。御神体なのか、正面の奥には何かが白い布で覆ってある。
さて、大きなほうの額の絵は神功皇后と武内大臣か。もしそうだとすれば、朝鮮半島に関連深い養蚕神社に新羅を降伏させた神功皇后の絵を奉納するというのは…真意を測りかねるぞ。どうゆうことだ。
しかし、絵としては遠近感の広がりがあって服装も鎌倉時代的な鎧兜じゃなく古風でイイ感じ。
さて、境内に戻る。
狛犬は、口の中にちゃんと球が入っている。口と一体化しているのではなく独立しているようだ。
なかなか野獣感のある獅子で個人的には結構好きなタイプ。
ちなみに、さっきの公園側でなく神社正面から入って行くと、この階段を登らなければならない。
偶然とはいえ、こちらから登らなくてよかった~
(*´Д`)
降りた先には小さな滝がある。
そして、右半分が白くなってしまってあまり見えないが 滝の前には一対のタヌキ(夫婦か?)が居る。左は着物を着たメス。右は裃を付けたオス。
こんなところでタヌキとは神社の御膝元とはいえ、やはり仏教圏か。
(以前も言ったが、勝手に タヌキ仏教・キツネ神道みたいなイメージを持っている)
↓キノコ風・石燈篭
一瞬、リアルカエルかと思ったが置物↓
ココの公園管理者は置物が好きなんだなきっと。
そして、富山だけあって米がすごい。米というか稲だな。みわたすかぎり、稲。
さて、次はいよいよ、おわら風の盆の記事を…書けるといいなぁ(´・ω・`)
※最近更新さぼり気味