一昨日の記事の続き…
私に愛が足りないと言った人のこと…
私を少しからかうような感じで言ったのですけど、確かに言われたときは、何てことを言うんだ、それを俺に言うか?って思ったよ
でも、愛ってなんだろう?って考えたら、やっぱり私には愛が足りなかったのですよ
決して、私がその人に向けている愛が足りないと言ったわけではないのです
私はどうしても自分より他者を優先してしまう
そういう私を見て、もっと自分を大切にしなさい、自分を愛せない人は、誰かを愛することはできないよ、ってそう言いたかったのだと思っています
その人も私みたいに自分より他者を優先してしまう人だったのですよね
だから、似た者同士で私のちょっとした気遣いが手に取るようにわかる
誰も私のことを理解してくれない…そんなことばかり考えていた当時の私にとって、そういうのは嬉しかったし、一緒にいてすごく楽だったのですが、彼女の方は少し重く感じていたのかな…そんな風に思います
愛ってね、自由にしてあげることだと思っています
その頃の私は、気遣いをしているように見えて、実は私の中にあるイメージの中にその人を閉じ込めて、自由を奪っていたのかもしれない
これがエスカレートすると、束縛になったり共依存になったりする
ここまで来てしまうと、相手の人格さえも認めなくなってきます
恋愛も含めた愛の失敗の多くは、こういうことなのかなって気がしています
(私は恋愛には疎いので、そんな気がするとしか言えないのですけど)
相手を想っているつもりが、自分で設定した枠の中に閉じ込めて束縛し、自由を奪っているかもしれないのです
もうその人に会うことはかなわないと思っていますが、私にとっては、愛をたくさん与えてくれた、一生大切な人です
たぶんもう生きていないような気がしています
彼女の父親が司法書士で、父親に勧められて若いうちに遺言書を書いています
その中に、自分が死んでも、誰にも伝えないで欲しい、って書いたって言ってました
でも、もし生きているなら、誰よりも誰よりも幸せであって欲しいな
◆
私は尾崎豊の曲はあまり好きではないのですが…
特にセカンドアルバムは、青春のカリスマっていう路線が確定したのか、すごく芝居がかった歌い方になっていて、聴いていてとても苦しい
もっと真っ直ぐ歌っても、ちゃんと伝わるのに…
だから尾崎豊の曲を聴くことはほとんどなかったのですが、たまたま聴いた「Forget―me―not」だけはなんとなく好きで気になっていました
不思議なことに、大嫌いなセカンドアルバムに収録されているんですよね(笑)
とても美しい曲だと思っています
あまり歌詞の一つ一つまでは気にしていなかったのですが、愛ってなんだろうって考えている時にたまたま聴いたら、こんな歌詞が含まれていたのに気がつきました
時々僕は無理に君を僕の形にはめてしまいそうになるけど、
尾崎豊は、若くしてわかっていたのですね
なんとなく思ったのですが、尾崎豊は共依存の家族で、窮屈さを感じながら生きていたのかな?
彼以外の人が歌っても、なんだか陳腐に感じてしまう
できることなら、少し歳をとった尾崎豊が、この「Forget―me―not」を、芝居がかることなく真っ直ぐに歌っているのを聴いてみたかったな…
※Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。※Amazonの商品ページは、これをおすすめしていると言うわけでもなく、ましてや売り付けようなんて気持ちはサラサラ無くて、ただ面白そうだからというだけのことです。