なんと! 出てほしいと騒いでいた、中世稚児物語集 の現代語訳が
刊行されました! めでたい!
室町時代の稚児ものほとんど網羅しています。すごい本が世に出たな…。
どんなお話なのー、と思われる方もいると思うので、
季刊男色 稚児物語の稚児から あらすじ抜粋して載せます。
稚児物語、面白いのでぜひ!
稚児について
平安時代以降、密教系寺院では美少年を「稚児」と呼んで丁重に扱った。稚児といってもその素性は様々だった[1]。
身分的に上から上童(児)、中童子、大童子がおり、上童(児)のほとんどが公家や上流武家の子弟で、出身階級も高い。寺院における身分もかなり上位で、師僧の身の回りの世話をしていた。そして、この上童(児)で僧侶から寵愛を受ける者がいわゆる「稚児」と呼ばれた(ただし身分にかかわらず、美貌と学才、芸能に通じておれば、「稚児」となったのではないかと思われる)。
なお、禅宗では喝食と呼ばれた(余談だが、能の「花月」では「喝食」の面をつける)。
髪形は垂髪、または、稚児髷。化粧をし、極彩色の水干を身に着けた。また稚児の見事な黒髪は、女性の美しい髪と十分な互換性を持ちえたと推察される[2]。
密教系寺院の多くは山間部にあり、女人禁制であったため、稚児はしばしば男色、衆道、少年愛の対象となった。華厳宗や禅宗の喝食も同様である。
特に天台宗においては、稚児灌頂という儀式を行い、稚児を観音菩薩に見立て、聖別したうえで、男色に及んだ[3]。
灌頂を受けた稚児は、名称を「某丸」という風に、名前の末尾に「丸」がつくようになる[4]。
現代に伝わる稚児灌頂の内容は、今東光が1947年に出版した『稚児(鳳書房 )』による。天台宗の秘本『弘児聖教秘伝私』を引用し小説に仕立てたもので、三島由紀夫、稲垣足穂らが『弘児聖教秘伝私』を引用し、のちに今東光が無断使用に苦言を呈している。
しかし今東光の『稚児』は小説で、そこに描かれる稚児灌頂の一連の儀式は小説となすために、故意か偶然か今東光の解釈が入っている。となれば、あくまで『稚児』は作品であり、資料とはみなしえない。
とはいえ、現在にいたるまで、小説『稚児』しか『弘児聖教秘伝私』にアクセスするすべがなく、結果、稚児灌頂は『稚児』の内容を踏襲し、稚児灌頂とは稚児と契るための性的儀式だと一般的に伝わっている。
2021年に辻晶子が『児灌頂の研究 犯と聖性(法蔵館)』で『弘児聖教秘伝私』を原本から改めて紐解き、稚児灌頂の儀式と、儀式後の初夜の作法を別物として整理し、今までの定説の修正を試みている[5]。
なお稚児は成人に達すると還俗するが、そのまま僧侶となることもあった[6]。
【参考】
1:須永朝彦2002『美少年日本史(国書刊行会)』P56
2:三橋順子2008『女装と日本人(講談社現代新書)』P54-61
3:三橋順子2008『女装と日本人(講談社現代新書)』P66-67
4:辻晶子2021『児灌頂の研究 犯と聖性(法蔵館)』P44
5:辻晶子2021『児灌頂の研究 犯と聖性(法蔵館)』P135-148
6:三橋順子2008『女装と日本人(講談社現代新書)』P68
稚児物語あらすじ
【アテンション】
稚児物語を読む前情報として、律師、法師、上人、和尚、僧都など僧侶のいろんな呼び方が出てきますが、僧侶の階級だったり別称だったりなので、みんなお坊さんなんだーくらいのライトな感覚で読むと読みやすいです。また、稚児はみんな美少年。容貌や服装の描写を読んでいると嗚呼、雅…となるので、稚児の姿を是非チェックしてください(あらすじでは省いているので、現代語訳を読むことをお勧めします)。
わかりやすさを求めてカップリング、キャッチコピーをつけました。
古典なので、普段なじみのない用語が出てくると思います。
還俗とは、ざっくりいうと稚児(や僧侶)を辞めて一般人(元の身分)に戻ることを言います。
仏教とひとくくりに言いますが、物語には、奈良(南都仏教)、三井寺(天台宗の総本山)、比叡山(天台宗発祥)、高野山(真言宗総本山)など、いろんな流派が出てきます。往々にして仲が悪いです。なので、急に争っても驚かないでください。
山という表記が見られますが、比叡山を指します。奥の院は高野山です(比叡山にも奥の院として「明王院」がありますが、たぶん高野山だと思います)。
坊というのは僧侶が暮らすところです(だからお坊さんというのでしょう)。庵も僧侶の住まいです。
灌頂という儀式が出てきます。これは稚児を聖別(仏の化身化)するものです。儀式について詳しくは、辻晶子『児灌頂の研究 犯と聖性(法蔵館)』を参考ください。
なお、稚児物語のあらすじを書くにあたり、こうせい様の「religionsloveの日記」
https://religionslove.hatenablog.com/
を参考にいたしました。この場を借りてお礼申し上げます。
あらすじはかなり砕いて書いていますので、興味持たれたらぜひ、こうせい様の「religionsloveの日記」を読んでください(こんなに稚児物語の現代語訳が充実しているブログは貴重です。どこかの出版社様書籍化しないかしら)。
幻夢物語
君は私を導く神仏だった
京都大原の僧・幻夢はある日、下野国(現在の栃木県)から受戒(仏門に入るため仏弟子として戒律を受けること)のために比叡坂本を目指す稚児一行と出会います。
稚児・花松に一目ぼれした幻夢。花松も幻夢を憎からず思います。
受戒後、再び会おうと約束しましたが、約束の日、花松一行はすでに国へと旅立っていました。
月日が過ぎても幻夢は花松が恋しく、会いに行こうと東のほうへ旅立ちます。花松のいる竹林坊を探すうち幻夢は、あるお堂で花松と再会、花松に連れられ竹林坊へたどり着き、連歌などをして一夜を過ごします。連歌が終わると花松は持っていた笛を幻夢に渡して消えてしまうのでした。
そのまま部屋にいると、竹林坊の主がやってきて、どうしてここに幻夢がいるのか聞いてくるので、事の次第を伝えると、花松は武士の子で、親を亡くし、いつか仇討ちの機会をうかがっていた事、ある日理由をつけて山を下り、仇討ちを果たして、自身も討ち死にした事。
おりしも今日が、花松の初七日であることを聞きます。なんと自分が会ったのは花松の幽霊だったかと幻夢は涙します。
花松が死んで一年後、幻夢が奥の院でお祈りをしていると二十歳ほどの若い僧と出会います。
その僧こそ、小野寺小太郎親次といい、花松を討った相手でした。きっと花松は自身を仏道に導く仏の化身だったのだと幻夢は思い、花松を討った後、仏門に入った青年と意気投合し、死ぬまで一緒にいたとのことです。
秋夜長物語
私のために争わないで
メインカップリング 律師桂海×梅若
西山の瞻西上人、もとは比叡山東塔、勧学院の律師桂海が若いころ、三井寺の稚児梅若と恋に落ちます。
想いを遂げた後、すれ違う二人に業を煮やした梅若が、桂海に会いに行こうとする途中、天狗にさらわれます。
寺から梅若が消えたことを発端に、梅若の実家は焼き討ち、三井寺と比叡山が戦争状態に。
竜の導きによって、救い出される梅若ですが、実家も三井寺も焼失してしまったのを見て、絶望して入水し、死んでしまいます。
嘆く桂海。
その後三井寺に神様が現れ、梅若は桂海の信心を深くするために現れた仏の化身だったと告げます。
梅若の死を受けて桂海は悟りを深くし、名を瞻西と改めて、東山雲居寺を建立してそこに住みました。
松帆浦物語
後追うことが叶わぬなら
メインカップリング 岩倉の宰相×藤の侍従
中納言の父の死後、寺で学んだ稚児は還俗し、藤の侍従と名乗ります。
侍従十四の春、北山の桜見物見出かけた先で、岩倉の宰相という法師と出会い、やがて恋仲に。付き合いは三年に及びました。
その頃、太政大臣の息子で左大将という青年が、侍従の事を知り、アタックするも、宰相がブロック。業を煮やした左大将は父の権力を使い、宰相を淡路国(今の兵庫県)に追放します。
宰相を思うあまり、病がちになる侍従。左大将からの文は全無視。一方で病床に宰相と仲が良かった伊予法師を呼び寄せ、自身は身投げしたことにして、ひそかに淡路国へ渡ることを決行。
宰相が渡ったという、松帆の浦で老僧と出会う侍従。そこで、すでに宰相が死んでいることを知ります。
侍従は老僧から手紙を渡されます。それは宰相が死の間際に書いた侍従あてのものでした。手紙を読んで悲しむ侍従。
墓に参った後、海に身を投げようとするところを伊予法師に止められ、宰相の菩提を弔うためそのまま出家し、伊予法師と高野山に向かいます。
その後のことは誰も知らないとか。
弁の草紙
死して聖別され、神仏になりました
メインカップリング 太輔公×弁公昌信
平氏の血を引く竹原左近尉平正保は出家を夢見ていましたが叶わず、もし出家する前に自分が死んでしまったら、今度生まれる子供を僧侶にしてほしいと妻に頼み、戦で死んでしまいます。
妻は夫の願いを叶え、生まれた男子を千代若丸と名付け、七歳で寺の稚児に。
千代若丸は超美少年で、声も美しく、和歌に長け、書道も完璧でした。
千代若丸は十二歳で師事する僧を変え、一緒に山籠もります、その三年後、いつまでも稚児姿ではいられないので、出家しますが髪は剃らずに尼さんスタイルに。名も弁公昌信と改めます。
さて、山を下りるとかつて暮らしていた坊は荒れ果てており、再興しようと法師たちを呼び寄せました。その中にイケメンの太輔公という法師がいました。
ある日の作業中、太輔は偶然弁公と目が合い、言葉を交わします。
太輔は弁公に一目ぼれ、恋心をこれでもかと募らせます。弁公に仕える童子の手助けもあり、和歌を交わして心を近づける太輔と弁公。ひそかに隙を見てとうとう一夜を共にします。
しかし、契った七日後、さらに深く弁公を想い過ぎた太輔は愛をこじらせて死亡。弁公はその死を嘆き悲しみ、病に臥せります。看病の甲斐なく、弁公も死亡。
死後、二人の師匠から灌頂を受けた弁公は、幾人かの夢枕に立って、神になったことを伝えたそうです。
鳥部山物語
愛しき人の後も追えないで
メインカップリング 民部×藤の弁
武蔵国(現在の東京都(島を除く)、神奈川県川崎市・横浜市(一部)および埼玉県の大部分を含む地域)の学僧民部は容姿端麗、学術に優れ、和尚にも頼りにされています。ある日和尚が上京(この時代の上京は京都へ行くこと)するのに同行し、しばらく都にとどまることに。
春、北山の桜を見に行った時、遠目に見た稚児に一目ぼれ。後日稚児を探しますがどこの誰かわからず、恋煩って、病の床に。
民部の病床を訪れた友人から民部の探す稚児の目撃情報をゲット。その情報をもとに、民部は稚児の隣家を訪ね、その家の少年から稚児が高貴な身分の藤の弁という名であることを知ります。
少年を通じて民部は果敢にアタック。少年のフォローと民部のアタックにより、民部と藤の弁は契る仲に。
幸せな日々は続かず、民部が故郷に帰ることに。また会うことを約束して別れますが、藤の弁は恋煩いで臥せってしまいます。
藤の弁の教育係がどうしてこうなったか、藤の弁に訊ねると、民部との秘密の恋を告白。教育係は藤の弁の父母に次第を伝え、父母は民部に上京してもらおうと教育係を民部のもとへ派遣します。
話を聞いた民部は、急いで上京しますが、途中で藤の弁が死んだ旨の手紙を受け取ることに。そのまま藤の弁の家に到着する民部。すでに藤の弁は鳥部山で火葬されていました。
藤の弁が死の間際に書いた手紙を読み、嘆き悲しむ民部。後を追って自殺しようとしますが、周りに止められ、故郷に帰ることはなく、そのまま北山に庵を結んで、一層仏道に励みました。
嵯峨物語
こんなにも思い続けてくれるなら
メインカップリング 一条郎×松寿(中将)
貴族の子、松寿は眉目秀麗、学問に長けていましたが、反対に世俗の事には興味がありませんでした。十三の年、世間から離れた山里の寺で稚児となり、寝る間も惜しんで学問をし、神童とまで言われました。
一条郎という高潔な僧がいました。世俗を遠ざけ、嵯峨野の奥のほうで暮らしていました。
ある春の暮れ、一条郎は松寿を見かけ、興味を持ち、運よく松寿のいる寺で開かれた歌会に参加し、松寿と再会、漢詩を交わします。
一条郎は松寿にぞっこんになり、手紙で何度もアタックするも松寿から返事はありません。そんな一条郎に同情した、先の歌会で同席した律師が仲介人になり、ようやく松寿から返事が。
時同じくして、父の具合が悪いと知らせを受け、松寿は還俗します。手紙で一条郎に、お気持ちは嬉しいけれど、もう私を見放してくださいと伝えます。そういわれても一条郎の恋心は醒めずにかえって燃え続けました。
松寿は名を紀中将康則と改め、朝廷に出仕。帝の寵愛を受け、多忙を極めます。一条郎から手紙を受け取りますが、なかなか返事が書けません。
それでも一条郎は中将を想い続け、中将もこんなに思ってくれるなら応えなければと、仕事の合間を縫って、とうとう中将が一条郎の庵を訪ねることができました。
その日を境に交流を復活させた二人。中将はもとより一条郎も漢和の知識が豊富だったので、朝廷の公務なども相談したそうです。
あしびき
何度離れても、私たちは
メインカップリング 侍従(寂而上人)×若君(少将・奈良上人)
二代の帝に仕えた学問の家の菅原某に侍従の君と呼ばれる一人息子がいました。容姿端麗、学才も抜きんでて、将来が楽しみな稚児でした。父の意向もあり、比叡山東塔の律師に師事し、二三年が経ち、出家しました。
ある8月、用事があり、下山していた侍従が白河のあたりへ赴くと、ある邸から妙なる琵琶の音が。侍従は琵琶の主に会いたいと邸を監視、琵琶の主がそこに逗留している若君だとわかり、興味を持ちます。そして文を出し、若君と交流を始めます。
山に戻らなければならない日が近づく中、邸にひそかに招かれ、とうとう若君と深い契りを交わします。若君の父が事の次第に気付きましたが、侍従の人となりや評判から黙認しました。堂々と交際を続ける二人。しかし侍従は山へ呼び戻されます。
侍従は山に戻っても若君の事ばかりを考え、ある日抑えきれずに白河へ飛び出していきました。しかし若君は奈良へ帰っていて、侍従は山へ戻るしかありませんでした。
若君も侍従が忘れ難く、家を出奔して、宇治、白河を経て、比叡山へ向かいました。
比叡山で再会する二人。ほどなく、若君がいなくなったことが奈良で問題となりました。奈良から使者が来て、奈良と比叡山のいざこざにならぬよう、いったん若君は侍従を伴い、奈良に帰ることに。
侍従が若君を山に迎えたい旨を告げると、若君も山に入りたいといい、父は同意、後日迎えに来ることを約束していったん侍従は山に帰ります。
それを妬ましく思った若君の継母が夜、若君が寝ている隙に若君の髪を切ってしまいます。稚児にとって、豊かな黒髪を台無しにされることはあってはならないことでした。
翌朝、無残な姿になった自分を確認した若君は出奔。熊野に参詣する山伏と出会い、熊野で山伏として修業をすることに。
約束の日を前に、若君が失踪したことを知った侍従は病に倒れます。
侍従の病がなかなか治らないので、評判の山伏の力を借りることに。その山伏の供にいたのが少将の君と呼ばれる失踪した若君でした。
再会した二人は嬉し泣きして、侍従の症状は回復。少将は山伏と別れ、山に上がることに。
二三年後、父の事を知りたいと願う少将に、それもそうだと侍従はともに奈良へ下ります。
困ったのは継母で、娘婿の鬼駿河来鑒(実は寺内にいる悪党僧)をたきつけて、悪党たちに侍従を襲わせます。事前に襲撃を聞いていたので、侍従たちが勝ち、来鑒は成敗されます。
来鑒が山法師(侍従)に討たれことで、奈良の人が一斉蜂起するかと思われましたが、侍従たちは保護され大事に至りませんでした。
少将の父は事の次第を聞き、後妻(少将の継母)と娘を追放。
跡継ぎが少将しかいない父は、侍従を説得。別れていても心は一つと、少将は奈良に残り、侍従は山へ帰っていきました。
奈良にとどまった少将は、東南院で学問をおさめ、僧都が死んだあとは、跡を継いで、権律師に昇進。
一方、侍従も熱心に勉強し、寺になくてはならない人となっていました。そうこうするうち、父が病気で死んでしまいます。
父の一周忌の法事が終わると、侍従は、今までの地位や権力を捨て、遁世して寂而房と名乗るようになります。
その頃、少将は、公の法会を何度も務めてさらなる地位を望みましたが、下位の者に先を越され、隠遁したいと思うようになっていました。親しい人に経典や寺務を渡し、高野山の奥の院で修行するようになります。
寂而はある日、高野山へ赴き、そこで少将と再会。そのまま少将の庵で暮らし、一二年後逝ってしまいます。
その後奈良上人と呼ばれるようになった少将は、寂而の墓の傍にとどまっていましたがやがて霊験あるところを修行して回り、最後は東山の長楽寺で最期を迎えました。
上野君消息
何にも惑わされず仏道に励みます
カップリング 円厳(上野君)×謎の稚児
上野君は三井寺より難を逃れてきた十一歳の少年。父親が上野国に所縁があるところから、上野君と呼ばれています。比叡山で稚児として生活していましたが、いつもふさぎ込んでいました。
十三四になると、類まれなる美稚児に成長します。
その頃の比叡山は(というか、三井寺・南都・貴族・武士なども)稚児への男色が流行しており、上野君もアイドルのように扱われていましたが、決して楽しんではいませんでした。
むしろ早く出家したく、何度も出家したいと願い出て、十六歳でようやく出家できました。
このまま寺にいると、比叡山のシステムにのっとって、稚児から念者(BLでいうところの攻めのようなもの)になり、念者として稚児の面倒を見ることに。
上野君はそれを厭い、円厳という法号をもらうとすぐに千日入堂という過酷な修行に入りました。
円厳が二十一歳の時、このまま周りに稚児や弟子を侍らせ、名声や利益を求める僧になるのではなく、ただ仏道に励みたいと、下山を願い出ます。
円厳の面倒を見ていた阿闍梨は反対しますが、円厳に言いくるめられ、下山を許します。鉄は熱いうちに打てとばかり、円厳は翌朝山を下りてしまいます。
月日は流れ、円厳の日記を持った僧が比叡山を訪ねてきます。
日記には、晩夏の月夜に美貌の稚児と出会い、伽に誘うと、長々と説教され、もっと身を引き締めて仏道に励まねば、といったことが書いてありました
花みつ月みつ
弟さえいなければ――
稚児物語によくある僧侶×稚児ものではなく、異母兄弟愛憎物語。
播磨国の守護代が子に恵まれなかったため、神仏に祈願し、男子が授かり、「花みつ」と名づける。その後、別の女性との間にも男子が産まれ、「月みつ」と名づけた。
成長した二人は共に山寺で学問に励むが、花みつの母が急死し、月みつの母が本家へ移ったことから、月みつびいきがはじまり、本来花みつに与えられるものもすべて月みつのものとなり、寺でも、最初は花みつが寵愛されていたが、それも月みつへと移ることになる。
月みつだけが宿下がりを許される、父が花みつと月みつに会いに山寺へ上るが、結果として、月みつとだけ面会する。
母を亡くし、僧侶たちの寵愛もなくし、父の愛情もなくしてと花みつは悲嘆にくれる。
そして花みつは――自分に近い僧侶に月みつの殺害を依頼。
はじめはためらう僧侶たちも花みつを不憫がり、月みつ殺害を決行する。
夜半、月みつ殺害が決行され――しかし、死んだのは月みつではなく花みつだった。花みつが月みつに扮して、自ら殺されたのである。寺の僧侶、月みつ、花みつ・月みつの父は大いに嘆き悲しんだ。
花みつを殺した僧侶、月みつは花みつの火葬後、菩提を弔うため、寺から姿をくらます。
月みつの母は花みつを疎んじたが、月みつ自身は花みつを愛しており、本来花みつに送られるべき愛情や物品を花みつに返そうとしていたが、それはかなわなかった。