津和野と言う町を知った頃(前の大阪万博の頃)の女の子の見る雑誌
津和野と言う名前を初めて聞いたのは高校生の頃かな。
「若い女性」と言う雑誌の旅行写真記事で知ったのです。
それまで有名観光地しか知らず。(旅行なんかした事ない家庭だったからね)
津和野なんて聞いたことが無かったけれど、「若い女性」と言う雑誌名が示す通り若い女性が読む雑誌に載ってました。山陰の静かなたたずまいの小京都。この地に憧れ、行ってみたいなあと思い続けて半世紀以上…

津和野から話は外れて「若い女性」
ともかく私、10代の頃は漫画しか興味が無かったから、女の子のファッションなんかまるで眼中になし。姉はもう少し興味があったと思うけど。
現在は色んなサイズの服が売られていてお金を出せばなんでも着られるけど、当時はちょいと(かな?)太目の女の子の服ってなかなか売ってなかったのです。
で、要塞(↔誤変換、洋裁です)が得意な母は私に服を作ってくれていました。私、太めの女の子だったからね。
私が通ってた高校、何度も言います。後輩に堤真一、常盤貴子がいます。美男美女しか入学を許されない高校でした。(あ、抗議は受け付けません)は当時、制服がありませんでした。生徒会の力で制服廃止になったのです。今はどうなんだろ?
一応基準服として制服も生き残っていました。お洒落に興味のない私は制服派でしたが、母がたまには私服も着て行けば、とか何とか言ってワンピースなどを作ってくれました。
「どんな服が良い?自分で決めて」と母に言われて、さてどうしようかと本屋へ出向いて雑誌を探して、「若い女性」と言う雑誌に目が留まったのです。他に「装苑」とか「服装(だったかな)」とか言う雑誌も並んでいたけれど、表紙が気に入ったのがこの雑誌でした。この雑誌に載っている服を参考にしよう。
初めて買った若い女性向きファッション雑誌に私も姉も夢中になりました。こんな楽しい雑誌があったのね、と。モデルさんたちのファッションやらインテリアやらに憧れたり、森村桂さんのお菓子に関するエッセーが載っていて知らないお菓子の名前を知ったり、北杜夫の「ドクトル・マンボウ青春期」が掲載されてた記憶があるんだけれど、勘違いかな…(検索したら、母が読んでた「婦人公論」だった)

それから毎月購入、姉と二人で無我夢中で愛読していました。小学生の頃は「りぼん」と「なかよし」、「マーガレット」と「少女フレンド」をお互いに交換しながら読んでたのを思い出しながら。
しかしです。クラスのお洒落な同級生は新しい雑誌を読んでいたのです。その雑誌は全ページ、グラビアで、いろんなブティックに売られている既製服ばかり掲載していました。「若い女性」のような巻末の型紙の掲載などありませんでした。
(当時の女性誌はどんな雑誌も巻末に掲載服の型紙が付いていたんです。服は家庭で縫うものでした)
でももう、服は家庭で縫うものじゃなくお店で買うものになってきたんですね。
それが新しい雑誌「アンアン」と「ノンノ」の登場でした。
津和野と聞くと、行ってみたいと同時にファッションに目覚めた(と言うのかな)あの頃を思い出すのです。
万博と聞くと70年大阪万博の時のコンパニオンたちの制服も思い出します。
6/4