今日も告知から。
2025年11月3日(月・祝)
14:00-16:30
「英語辞書の活用法&現代英語の語法を診る」
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既に辞書をお持ちの方、これから買おう、買い揃えようという方たちに、辞書の特徴・特長を知ってもらい、フル活用するためのあれやこれやをお伝えし、さらには、「もうすっかり変わった英語の実態」「今、まさに変わりつつある現代英語の語法」を受講者の方と「診る」機会を作ろうと思います。
- 紙と活字の辞書
- 電子辞書
- アプリ辞書
を学習者・指導者として使い、制作のお手伝いもしてきた経験から有益な内容をお届けしています。
ここからのスレッドだけでも丁寧に読んでもらえば、どんな辞書で何を、どのように引くかという、活用の際の「着眼点」が見つかることでしょう。
詳しくはセミナーで!この game-changing (関連するgame-changerは大抵の辞書に項目あり)も、
— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2020年5月15日
「試合の流れを変える;形勢を一変させる」という文字通りの一般的な意味合いよりも「劣勢を挽回する」場面で使う方が多いような印象。 https://t.co/rBLRA1BAwW
私は現在、オンラインで「テキストタイプ別」の英文ライティングの個別指導をしています。
特定のテスト対策が主眼ではなく、「英文ライティングそのもの」の講座であることを謳っています。
英語教育の専門家、L2ライティングの専門家、SLAの専門家、最近流行のISLAの専門家が、「英文ライティング」に関してもあれこれと言ってくれるのですが、
「ライティングの指導は誤りを指摘したり、訂正したりすることだけで、折角書いた英文が真っ赤になって返却されると書く意欲が減退するので、効果がない」
などということを真顔で言う・書く人を見聞きするにつけ、「メタ分析」ばっかりやっているとそうなっちゃうのかな、というのが高校段階の学習者を中心に、三十数年ひたすらライティング指導(と評価)、そしてその教材づくりをしてきた人間の正直な感想です。
私の提供しているオンライン講座では、テキストと課題に基づき提出してもらった英文にWCFを与えた上で、Google Meet上で一対一でリアルタイムのカンファレンスをしていきます。
カンファレンスのフェイズでは、既に、私からのWCFは読んでもらった上で、
- 「書きたいけれど書けなかった」など、苦労した部分や、「ここは上手くいった;自信がある」部分を言ってもらう。
- 提出した英文を生成AIやDeepLなどで自動翻訳による「日本語訳」として読んでもらい、自分の表現したい意味内容、重点や焦点、意図とのズレや無理解と感じられる部分を指摘してもらう。
ことからスタートすることが多いです。
その後、個々の語句、英語表現、文での「つながり」、主題に照らした「まとまり」を中心に、私のWCFの当該箇所を、受講者と確認します。
250-300語くらいのエッセイで、平均すると10箇所から15箇所くらいを取り上げてWCFを与えているでしょうか。
高校生の英文ライティングに対するWCFであっても誤りの指摘や訂正だけではないのですが、個別指導ならではのカンファレンスですから、
- 「…という語(句)をここで使ったのはとても良い。次の…とのつながりができる」
- 「ここはGeneralな情報でコンパクトに情報提示して、その後でspecificな事例を積み重ねることで詳述する方がいい」
- 「ここで書きたかったのは、○○ということですか?それとも□□ということですか?」
- 「原因となる事例 → 結果となる事例 という情報提示と、結果となる事例 → 原因となる事例 という情報提示のどちらが、その前後の文とのつながりが強まると感じるか?」
- 「A. In addition, B での添加が活きるためには、Bだけでなく、その前のAを整えておく必要があるが、Aの文中の…の部分で論理、レベルのズレがある」
などといったやり取りをすることが多いです。
生成AIの活用に関しては、受講者の英文を「初手で添削」してもらうのではなく、私のWCFつきの英文の方を複数の生成AIに読み込んでもらった上でそのWCFを精査して、revised versionを作成してもらうことが多いです。
生成AIの出力する英文の語彙レベルの調整に関しては、最近では、プロンプトの段階で制限を書くのではなく、出力した英文を、関西大学の水本篤先生が開発提供してくれている、Lexitrackerにかけたあとで3000語レベル以上を赤でハイライトして示すようにしています。
- 今回のGeminiは真っ赤で、Claudeは赤と黒が良いバランスに見えますが、総語数が違いますね。
とか
- このGPT5の英文では赤の動詞に注目!
- この赤の…とか…とかは、いかにも「私はこんなに難易度の高い語句が使えるんですよ」というスコアアップの小道具という感じですね。
などといった指摘が可能です。
比較的最近の講座で、カンファレンスの際に疑問点、悩ましい語彙項目として出てきたのが、本日の「タイトル」の表現。
特に、ナラティブの英文ライティングでは、時系列で書くことが基本中の基本なのですが、例えば、
大学を卒業して英語教師としてスタートしたのが1986年
1988年度からライティング指導に注力
1990年代末で、英語ネイティブの教師とのteam teachingでの手応えのある指導法、シラバスを確立
などと淡々と進んでいくなら特に問題はありません。
でも、その途中で、
当時は、指導教官に「君は自分で英語が出来ると思ってるだろ。そんな人が教師になっても入門期の学習者は教えられないよ」などと言われたものでした。
とか
そういえば、恩師には「だったら、もう少し英語が出来てもよさそうなのにねぇ…」と周りを爆笑に誘う名言をかけてもらっていました。
という回想モードを書く時の、前後とのつながりをどうするか?
また、
当時は、そんな悩みで身動きがとれなくなるなんて思いもしませんでした。
という「過去の事例だけれど、その過去よりも時の上流からから見たら、それは『未来』」というような内容を、文章全体のどこで書くのか?
ということを考えると、
- back thenとuntil then
- 過去形と過去完了形
というのは結構悩ましいわけです。
instant remedyにはなりませんが、それでも「悩んだら墓参り」ですから、実例を丁寧に観る・診ることが大事だと思いますので、以下徒然と。
1. 大学入試の読解問題の素材文から
Taking a turn by a familiar road, Stephen looked up and asked, “Back then, was it hard?” Not understanding the question, I asked what he meant. Stephen looked down. “You know, back then?”
“Oh,” I lightly replied. As a parent, I always had felt my first obligation was to protect my son from the atrocities of the world, especially the horrors from my past. And yet in order to prepare him for adulthood, I felt I had to inform Stephen of the realities of life.As early as age six, he had begun inquiring about my past. Rather than break his trust by lying to him, I had avoided dealing with the issue by claiming my mother was sick and sometimes said or did bad things. Back then a simple answer had seemed enough for Stephen’s inquisitive mind. I never had any intention of revealing the magnitude of what had happened to me out of fear of scaring him. But now, after I had appeared on numerous television talk shows, with two books about my life on international best-seller lists, it was impossible to shield my past from him. “You know, Stephen, I never thought of it as being hard. It was just something I had to get through, that’s all.”
見慣れた道を曲がりながら、スティーブンは顔を上げて「当時はつらかった?」と尋ねた。意味がつかめず、私は何を指しているのか聞き返した。スティーブンは視線を落とした。「ほら、あの頃のことだよ」
「ああ」と私は軽く答えた。親として、私はいつも、まずは息子をこの世の残虐さ、ことに自分の過去にまつわる恐ろしさから守る義務があると感じてきた。けれども、彼を大人へと備えさせるためには、人生の現実を伝えなければならない、とも感じていた。彼が六歳になるころには、もう私の過去について尋ね始めていた。嘘をついて信頼を損ねるよりはと、私は「おばあちゃんは病気で、ときどきひどいことを言ったりしたりする」と言って、その問題に向き合うのを避けてきた。当時は、そのくらいの答えで探求心旺盛なスティーブンも納得してくれるように思えた。彼を怖がらせるのが嫌で、自分に起きた出来事の大きさを明かすつもりはまったくなかった。だが今や、私はいくつものテレビのトーク番組に出演し、私の人生を綴った二冊の本が世界的なベストセラーになっている。もう彼から過去を隠し通すことは不可能だった。「わかるかな、スティーブン。私はそれを“つらい”とは考えなかったの。ただ、乗り越えなきゃいけないもの、ただそれだけだと思っていたのよ」
2. 雑誌 New Yorker掲載の小説
I was born out of wedlock, and in 1966 this was still frowned upon. Illegitimate. Bastard. Love child. Brat. None of that mattered. Not to me. I was a bundle in Mamma's arms. It didn't matter to my father, either. One child more or less. He had eight already and was known as the demon director (whatever that means) and a womanizer (pretty obvious, that one). I was the ninth. We were nine. My oldest brother died many years later of leukemia, but back then we were nine.
The mother and the father were lovers for five years and spent much of that time at Hammars. The house was finished now. In 1969, the mother left Hammars, taking her daughter with her. Four years later, one summer day in late June, the girl came back to visit the father. She didn't like leaving the mother, but the mother promised to call every day.
www.newyorker.com私は婚外子として生まれ、1966年当時それはまだ眉をひそめられることでした。私生児。ろくでなし。愛の子。ガキ。そんな呼び名はどうでもよかった。少なくとも私には。私はママの腕の中のひと包みだったのです。父にとっても関係ありませんでした。子どもが一人増えようが減ろうが。彼にはすでに八人の子どもがいて、「鬼才の監督」(それが何を意味するにせよ)とか「女たらし」(こっちは見ればわかる)として知られていました。私は九番目。私たちは九人でした。いちばん上の兄はずっと後になって白血病で亡くなりましたが、その頃の私たちは九人でした。
母と父は五年間恋人同士で、その多くの時間をハンマルスで過ごしました。家はもう完成していました。1969年、母はハンマルスを去り、娘を連れて行きました。四年後、6月の終わりのある夏の日、その娘は父を訪ねて戻ってきました。母のもとを離れるのは嫌でしたが、母は毎日電話すると約束してくれました。
3. 小説
I was a poor worker, constantly dreaming of my own unfathomable future. We had Quality Control, but young war widows were also easily distracted -- their eyes trained at the far end of the floor where boys like Carlos walked by on the way to the john. For years now, whenever an airplane crashes, I research the make and model, gather every detail of its origin, just to make sure I couldn't have been at fault. So far, Douglas has not made me responsible for any injury or death; unlike Carlos. " DC-3, " I said, pointing. " Before our time," Carlos nodded, and we held still our gaze. It was the first time I realized that looking at the same thing could bring people together. Now we’d call this bonding, but back then there was no such term. Back then, we'd also been ignorant of the upcoming conflict in Korea, where Carlos would be a fighter pilot, while I trudged through gook muck down in the infantry.
Jennifer Acker "A Week of Abalone" THE LITERARY REVIEW: Volume 58, Issue 1, 2015私は腕の悪い労働者で、自分でも計り知れない未来のことばかり夢見ていた。品質管理はあったが、若い戦争未亡人たちも気が散りやすく、視線は床のずっと向こう、トイレへ向かう途中のカルロスのような青年たちに釘づけだった。ここ何年も、飛行機が墜落するたびに、機種や型式を調べ、起源に関するあらゆる情報を集めて、自分に非がなかったか確かめている。今のところ、ダグラスは私にけがや死の責任を負わせてはいない。カルロスとは違って。「DC-3だ」と私は指差して言った。「俺たちの時代の前のやつだ」。カルロスはうなずき、私たちは視線をじっと固定したままだった。同じものを見ることで人が結びつくことがあるのだと、初めて気づいた。今ならこれを「ボンディング」と呼ぶのだろうが、当時そんな言葉はなかった。その頃の私たちは、やがて朝鮮で戦争が起こり、カルロスが戦闘機パイロットになり、私は歩兵として「グック」の泥の中をのし歩くことになるとは知る由もなかった。
4. 小説
Leila worked at the barn, for pay, and part of her job was to make us useful. She was seventeen, imperturbable, and tougher than a stallion. Her long legs and strong thighs made her a tenacious rider. Some of us say she tattooed that crude star on her left wrist herself, but we can't be sure about that. The years do blur the facts. She wasn't pretty, we realize now, but back then she was the only beautiful woman we knew. She had freckles, we all recall, as well as a high forehead, squat nose, and straight mouth. Of course we can't forget her hair. We all had neat, shiny braids, still plaited by our mothers in the morning, but Leila's hair was a dull brown -- the color of a dog's hide, she used to say -- and styled short with jagged ends. She cut it herself. One of us, the brave one, snipped off her own blond braid that summer, cutting it just at the nape of her neck with the same scissors Leila had used.
Brooke Bullman “The Gray Horse” The Southern Review Vol. 53, Issue 4, 2019
レイラは納屋で働いていて、賃金ももらっていた。彼女の仕事の一部は、私たちを役に立つようにすることだった。彼女は十七歳で、何事にも動じず、種馬よりも手強かった。長い脚と強い太もものおかげで、彼女は粘り強い騎手だった。左手首のあの粗い星の刺青は自分で入れたんだ、と言う者もいるが、そこは確かなことは言えない。年月は事実を曖昧にしてしまうのだ。今となっては、彼女はきれいじゃなかったんだとわかる。けれど当時、私たちが知っていた美しい女は彼女だけだった。そばかすがあって、額は高く、鼻は低くて横に広く、口はまっすぐ——みんなそう覚えている。もちろん、彼女の髪のことは忘れようがない。私たちは皆、朝になると母親に編んでもらった、きちんとして艶のある三つ編みだったが、レイラの髪はくすんだ茶色——犬の毛皮の色、と彼女はよく言っていた——で、短く切りそろえた先はぎざぎざしていた。自分で切っていたのだ。私たちのうちの一人、いちばん度胸のある子が、その夏、自分の金色の三つ編みをうなじのところで、レイラが使ったのと同じはさみでぱつんと切り落とした。
5. インタビュー から “but until then”
Q: What inspired you to learn character animation?
A: While I was at CCAD, Disney was looking for artists to staff their new Florida studio. They came into my illustration class and showed a work in progress reel of "The Little Mermaid" and it kind of blew my mind. It really felt like they were doing something new, and I wanted to be a part of it. I had always loved animation, but until then, it hadn't occurred to me that it might be something I could do as a career. I was not going to let this opportunity slip by. I applied, and got an internship in the fall of 1991, just as "Beauty and the Beast" was being released. It was an amazing time to be at the studio!
This week's feature artist is one of... - Disney AnimatorsQ:キャラクターアニメーションを学ぼうと思ったきっかけは何ですか?
A:CCADに在学中、ディズニーがフロリダの新スタジオのスタッフを探していて、私のイラストの授業に来たんです。そして『リトル・マーメイド』の制作途中のリールを見せてくれたのですが、それが本当に衝撃的で。まさに新しいことに挑戦していると感じて、そこに参加したいと思いました。もともとアニメーションは大好きでしたが、それまでそれを職業にできるとは考えたことがありませんでした。このチャンスは逃すわけにはいかない、と。応募して、1991年の秋、『美女と野獣』が公開されるちょうどその頃にインターンとして受け入れてもらいました。スタジオにいるには本当に最高の時期でした!
6. 小説から “but until then”
My father nodded. "Aphasia, you said. How long?"
I shook my head. "I don't know. You can't measure time when you're in that state. We all—all of us who were in that room—came around after a day or two, I think. People upstairs came out of it in a few hours."
"But you're okay now," Cally said, suddenly swinging to her feet. "Right?"
"Well, sure, it wore off," I said, and Cally glanced at my father, and he glanced back at her, and I'm an idiot and a fool: it took me a moment to get it. "It wore off," I said again, looking up at the books, and at Cally's blank tide tables. "Oh."
"I'll have to write them out again," she said, following my gaze, and it was strange, but until then I hadn't thought of it. I pulled down all the empty cookbooks and blank-labelled spice jars and laid them on the table; I booted up Cally's laptop for the first time in a month and watched the cursor flash and flash, waiting for input.
"So much to do," Cally said, watching me—and in the full light of day, I received a letter carried by a dove, bearing both the crest of the Crown Prosecution Service and the clerks of the Tithebarn. I was to return to London on the next train.
strangehorizons.com父がうなずいた。「失語症、って言ったな。どのくらい続く?」
私は首を振った。「わからない。あの状態のときは時間を計れないの。私たち――あの部屋にいた全員――は、たぶん一日か二日で正気に戻ったと思う。上の階の人たちは数時間で抜けたみたい」
「でも今は大丈夫なんだよね」とキャリーが言い、ぱっと立ち上がった。「でしょ?」
「まあ、そう、切れてきたから」と私が言うと、キャリーが父を見る。父も彼女を見返す。私は鈍くて愚かだ――理解するのに少しかかった。「切れてきた」と私はもう一度言い、本棚を見上げ、キャリーの白紙の潮汐表に目をやった。「ああ」
「また書き直さなきゃ」と彼女は私の視線を追って言った。不思議なことに、そのときまで私はそのことを考えてもいなかった。私は中身のない料理本を全部引き抜き、ラベルだけのスパイス瓶を集めてテーブルに並べた。ひと月ぶりにキャリーのノートパソコンの電源を入れ、入力を待つカーソルが点滅し続けるのを眺めた。
「やることが山ほどあるわね」とキャリーは私を見ながら言った――そして白昼のまぶしい光の中で、私は一羽の鳩が運んできた手紙を受け取った。王立検察局の紋章と、タイスバーンの書記の印が並んでいる。次の列車でロンドンに戻るようにとあった。
より鮮明に見えてきたものもあれば、更なる疑問が出てきたものもあるでしょう。
書き手のリズム、呼吸も人それぞれです。
- 書くために読む
って簡単じゃないので。
でも、個別指導の良さってこういうところで時空を共有できることなんじゃないのかしら?
「オンラインによる個別のライティング指導」は、今年度は、まだ曜日、時間帯によっては、1名あるいは2名、新たに対応可能ですので、素性を明かした上でメールやソーシャルメディアのDMでご相談下さい。
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本日はこの辺で。
本日のBGM: 笑ったり転んだり (ハンバート ハンバート)