この一つ前のエントリーでは形容詞massiveの最近の実態を追うべく、過去のツイートなどをまとめて供養してみました。
例によって、反応はmassiveどころかうっっす〜いですけど。
Oasis関連では、このツイートで引いた写真の中の英文から学んでおきたいものです。
The only way to 原形will be に続く「ことがら」の「補語」が占めるはずの位置に、「前置詞+名詞=副詞句」が来て焦点となる例。
The only way to 原形will be に続く「ことがら」の「補語」が占めるはずの位置に、「前置詞+名詞=副詞句」が来て焦点となる例。 https://t.co/goQ4vDU3Rs
— Takashi “即時停戦” Matsui (@tmrowing) 2024年8月29日
元ツイの写真の中の英文を引くと、
Despite media speculation, Oasis will not be playing Glastonbury 2025 or any other festival next year.
The only way to see the band perform will be on their Oasis Live ’25 World Tour.— Oasis (@oasis) 2024年8月28日
このタイプの表現形式は過去ログにまとめています。次の二つを併せ読むと良いでしょう。
さて、8月もいよいよ終わりなので、8/24のオンラインセミナー「和文英訳と英文ライティング指導の両立」を受講された方からのフィードバックを追加でこちらに転載。
匿名でのご紹介です。
2年目の教員です。貴重なお話をありがとうございました。大変勉強になり、参加して良かったと心から思いました。
私はまだ論理表現の授業はもったことがなくライティングの指導経験は無いのですが、今後指導することになった際にどういったやり方で進めていけば生徒のライティング力向上につながるのか、大変参考になりました。同時に、自分はまだまだ知識不足で、これから更に自身の知識も増やしていかなければいけないという事を痛感いたしました。
先生が、生徒が書いた英作文のフィードバックにかなりの時間と労力をかけていらっしゃるということ、それをずっと続けられているということ、大変刺激になりました。今は英語コミュニケーションの授業を担当しておりますが、私も松井先生に負けないくらいの熱量で日々の授業をつくっていきたいと思います。
また、ICTの活用に関して、GoogleのNgram等使用したことがないものも多々ありましたので、今後活用していきます。頂いた資料や講義時のメモをよく復習し、英語科教員としてのスキルを伸ばしていきたいと思います。また機会がありましたらセミナーに参加させていただきたいと思います。この度は貴重なお話をありがとうございました。
お役に立てて何よりです。生徒もそうですが、教員も「それぞれ、それなり」で、さらに「そのうち」です。「まず始めること」「始めたら続けること」「続けたら振り返ること」のどれもが難しい教育現場ですが、やはり、続けてこそわかることは多いので、実践の記録、授業・教室の記憶をしっかりと残していって欲しいと思います。
私自身の教員2年目って、「もう辞めよう」「明日辞めてやる」とか愚痴っては、先輩教員に窘められていました。当時FM東京で、深夜の帯番組の企画があって、その立ち上げのミーティングが面白くて、本気でそっち方面で…、なんて考えてたくらいですから。当時の私と比べれば、最近の若い先生方は凄いですよ。
もう一人ご紹介。
大変密度の濃い内容をご教示いただきありがとうございました。またスライドも共有いただきありがとうございます。もう随分昔のことですが、松井先生に、詩を使った授業についてお話を伺ったことがあり、その時の資料も大事にとっております。長い時を経て自分の授業で詩を扱ったこともあります。この夏は2回松井先生のお話を伺えてありがたかったです。現在は高2の論理表現(勿論英コミュも)を担当しておりまして、そして来年はこのままいけば、先生がお示しくださった教材を使用することになると思うので直接参考になることが本当に多かったです。かなり高い英作文力をもった生徒もおりますので、先生のようなフィードバックをあげられたらと思うのですが…。これからスライドを見ながら振り返りたいと思いますが、先生が音声を流してくださったスライド(の説明)はとても理解しやすかったです。また先生のブログなども拝見しながら勉強したいと思います。五月雨式の感想で恐縮ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。和文英訳でも、英文ライティングでも、そのフィードバックの向上には「経験」が欠かせません。そして、良いフィードバックをするためにも、
- 「生徒に何をどう書いてもらうのか」というお題の設計
- 書く個人の支援や(疑似的であれ)書く共同体(裏返せば「読む共同体」」の設定
- 教師による生徒作品の読み
というところへのcommitmentは重要(個人的には最重要で不可欠)だと思います。
「英詩」の授業実践は、2000年代の中頃ですね。
過去ログでは
などに「セミナー等での発表」の記録が残されていますが、授業日誌での記録は2005年度、2006年度の
- 英詩と過す夏
関連を見るのがいいと思います。ブログの検索窓に、「英詩」とか、「過す夏」とかを入れると、当該のエントリーがいくつか現れるでしょう。
中旬のELECの教員研修のセミナーでも、今回の和文英訳&英文ライティングの指導法セミナーでも
- テクスト(text=ことばそのもの)の復権
ということをお伝えしました。
1986年に英語教師を始めてから40年近く経ちます。
「リスニングは大まかな内容を掴めばいい」とか「スピーキングは間違いを気にせず積極的に話すのが大事」とかいうありがたいお言葉をよく耳にしてきました。でも、そのやりとりで交わされる「ことば=text」に関心が薄いままで、どんなスキルが向上するというのでしょう?
ソーシャルメディアでも投稿していましたが、昨日こんなことがありました。
20:00からの地上波ドラマを見るため、少し前にTVのスイッチをつけたら所謂「大食い番組」でした。その番組自体には特に言うことはありません。
問題はナレーションの日本語の方。
- 「(数キロの肉を)コシタンタンと食べ進めていく」
って何?
いや、もうテーブルには「食べるべき肉料理の総量」が載っているわけですよ。
- 虎視眈々
は
- 淡々と
の誤用?
でも、このことばって、どうやったら合体できるの?
獲物を捕まえて食べ始めた「虎」は何に目を光らせ、隙をうかがう?
「眈々」は比喩で「野心を持って機会を狙う」だとしても、「じっと身構える」わけですよ。
捩って「虎視『淡々』」として「本来は眼光鋭く睨む筈の虎が、こだわりなくあっさりとした様子で何かを眺めている様」を表す、とかするなら、ベタですけどまだ分かります。
でも、この台本原稿を書いた人は「コシタンタン」の音で覚えていて、漢字(とその意味)に関心ないよね?
英語教育に引き寄せて考えれば、
「ことばの意味と形」と「生息域」の両方をつかむことが大事なのであって、
- バモクジョー
と唱えていればいいわけではないでしょう。
現行の指導要領作成時の「パブコメ」の段階でも散々指摘したことだけれど、初級レベルの「聞き取り」の際には「ゆっくり話されれば理解できる」とか「はっきり話されれば理解できる」とかを求めるのに、「話す側のスキル」として、ゆっくりもはっきりも、どこにも記述がないことがまず問題。
そして、どんなにゆっくり言おうが、はっきり言おうが、語彙の段階で間違って覚えていたら通じないし、聞く方も理解できない。
だからこその「テクストの復権」だと、かれこれ10年以上訴え続けているのです。
- 音そのもの
に関しては、ふた昔前の記事ですが、こちらの過去ログ(での引用部分)を是非。
- バモクジョー
を考えるヒントとしては、ここからの2連投を是非。10年近く前のことですが、今でも覚えています。
今日のお昼は某ファストフード店。私には研修中の若い女子。丁寧な言葉でちゃんと聞き取れたのだが、カウンターの端の客へ料理を持ってくる時の男性が何を言っているのか全く分からなかった。その男性が厨房へ言ったのが「お後5名様お待ち」。言っている事実が大事な言葉と意味が大切な言葉。
https://x.com/tmrowing/status/582394375100993537先程のファストフード店続報。食事を済ませレジへ。女の子の方がいいのになぁ、と思っていたら男性の方がレジへ。なんと私に金額をいう日本語は明瞭に聞き取れたのでした。「ほおっ」と思ったのも束の間。支払いを済ませ振り返りドアに向かう私にかけられた元気のいい言葉が「※☆〜*〜!」。凄い。
https://x.com/tmrowing/status/582400664350797824
その人個人の特性や資質だけでなく、「その店」の idiosyncratic な要因って、意外と大きいかな、と思います。注文を取る際には「オーダー」の間違いを避ける為に明瞭な音声で「意味」をやりとり、混雑していなければ客を間違えることは稀なのでサーブする際には「はい、これがあなたのオーダーで、それを私はお届けしましたよ」という事実を伝えるためだけに「音」を発する。そして、会計でもお金のやり取りで間違いがあってはいけないので「意味のやり取りができる明瞭な音」にスイッチ。最後にまた、「ここでは、お客さんへのお礼を言って、また来て欲しいという儀礼的な挨拶をしています」という事実を露にする「音」へ。
このファストフード店の男性店員の「声」の切り替え、使い分けでの「事実」と「意味」の違いなども、おそらく、その環境に適応する中で「教わったり」「学んだり」したものではないか、と思います。
別役実でも宮沢章夫でもないけれど、「局所的リアリズム」からどこへ向かうか、ですよ。
本日はこの辺で。
本日のBGM: Exchange (Massive Attack)