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かつて熱海よりにぎわっていた街が隣にあった ~120年前のガイドブックで伊豆山観光~

120年前のガイドブックを読んでいて、気になる観光スポットを見つけた。

「伊豆山」という、熱海のすぐ近くにある街だ。

そのガイドブックで、伊豆山は熱海と同じぐらいのページ数が割かれていた。

当時の伊豆山は、熱海と互角の存在だったのだ。

しかし、現代で伊豆山の名前を聞くことは少ない。熱海の圧勝だ。

 

かつての伊豆山は、なぜ栄えていたのだろう。

実際に行って見えてきたのは、1300年前の仙人に清少納言に源頼朝と、歴史の強さだった。

 

118年前に書かれた観光の本

ネットの海をさまよっていると、伊豆について書かれた「明治時代のガイドブック」を見つけた。

「国会図書館デジタルコレクション」で全部読むことができるの、ありがたい。

これを持って、今まで伊東と熱海を訪れた。

やってみてわかったことがある。

これ、なかなか楽しいぞ。

「お尻をつねる奇妙なお祭り」や「映えスポットに生まれ変わった神社」など、世界の裏側をのぞいているような観光ができるのだ。

三度目となる今回は「伊豆山」に行ってみることにした。

 

ちなみに、伊豆山の場所はこちら。

(「地理院地図」より作成)

伊豆山の位置を見ていて、気になることがあった。

熱海と近すぎる。

熱海といえば、温泉地のラスボスと言っていいぐらいの大物だ。

ところが、調べてみると、500年前は熱海よりも伊豆山のほうが栄えていたとか。

なぜ、当時の伊豆山は熱海に負けずに栄えることができたのだろう。

 

1300年前からある温泉に行こう!

さっそく伊豆山に向かおう。

最初に行くのは温泉だ。

ところで仁明帝ってどなた? 調べると、平安時代の天皇だった。

平安時代にすでに名前がついていたのか。

 

熱海駅を降り、北に向かって国道の路肩を歩いていく。

20分ほど歩くと、伊豆山のメインストリートへの入り口が見えてきた。

エネオスの横を右に曲がると、

山道みたいに急な下り坂が始まった。道合ってるよね?

車の音が一気に遠ざかった。

つま先を立てるように踏み出して急な道をくだっていく。

 

くだること5分間。視界が青くなった。

伊豆山温泉はこの先だ。

角を曲がり、左を向くと、久しぶりに平らな道路が広がっていた。

 

本にのっていた温泉「走湯」は今も残っているだろうか。

最初に目に入った光景に、「よしっ」と小さく声がでた。

「走り湯」の文字が……!

平安時代から続く「走り湯」の名は、変わらず存在していたのだ。

 

では、どんな温泉が待っているのだろう。

急ぎ足で矢印のほうへ進んでいく。階段があったので足をかけた。

階段にいたのは、約1300年前に伊豆山で修行をしていた仙人「役行者(えんのぎょうじゃ)」。説明に「鬼神を使って」とあって血なまぐさいことをイメージしたが、「薪を割らせたり、掃除をさせたりする事ができました」と続いていてほっこりした。

修行者かと思ったら普通の観光客でした。

細い道を進んでいくと、「ぐごおおおぉぉ」という低温が大きくなってきた。洗濯機の脱水かな。

どうやら、その音の発生源が「走り湯」らしい。

奥に行くと湯気が見えた。それと「トンネル」も。

えっここに入るの?

走り湯を見るためにはここに入らないといけない、と。

ちょっと足がすくんだ。これ、大丈夫だよね?

以前、このガイドブックに従って「汐吹岩」を見に行ったら足の震えが止まらなくなったのを思い出した。

 

深く息を吸ってから入口に一歩踏み込んだ。

ぬらっと生ぬるい風に包まれた。

すぐに視界が真っ白になった。

くもって使い物にならなくなったメガネをとる。

足を一歩踏み出すことに気温が上がっていく。上着がだんだん邪魔に思えてくる。

 

10mほどで行き止まりになった。

突き当たりにあったのは、賽銭箱のような武骨な石箱だった。

どれどれと奥をのぞきこむと、見たい姿がそこにあった。

ようやく走り湯の源泉に出会えた。

来た道を戻り、外にでて深呼吸をする。

吹いてきた風が、サウナを出たあとの外気浴と同じ心地よさだった。

自然と笑顔になっていた。

走り湯、冒険感があって好きかも。

 

ところが、しばらくすると疑問が出てきた。

なぜ、トンネルの奥に源泉があったんだろう。

「人工的」なトンネルと「自然」に湧く源泉のイメージが脳内でケンカしている。

 

こういうときは、説明書きを読むのが近道だ。

こういう解説があるの、ありがたい。

説明書きによると、この源泉は復元されたものだという。

当時の伊豆山の温泉は「横穴式源泉」という珍しいもので、山腹から湧き出て海に向かって流れ落ちていたらしい。

つまり、このトンネルは「洞窟から湧き出る温泉」を再現したものだと。

 

海に向かって温泉が流れていたなら、かなり目立っていたに違いない。

伊豆山に1300年の歴史があるのは、「変わり者の源泉」のおかげだったのだ。

洞窟前の看板が「火傷」「事故」「自己責任」「119」となかなか物騒だった。

ちなみに、1300年前って何があったのかと調べると「イスラム教の誕生」がそれぐらいだとか。

古さで三大宗教と肩を並べる姿を想像すると、とたんに伊豆山が頼もしく見えてきた。

もしかして伊豆山って、とんでもない大物だった?

 

伊豆山のメインストリートへ行こう

さて、温泉といえば「温泉街」だ。

『伊豆新誌』には、伊豆山の街の風景がこう書かれている。

「絶壁」と「お宿」があったと。

しかも、お宿は何軒もあって栄えていたようだ。

今はどうなっているのだろう。

 

走り湯の温泉から最初の場所に戻り、改めてまわりを見渡してみる。

そこに広がっていたのは――

絶壁だーっ!

期待どおりの景色そのものだった。

さらに先を見ると、本の描写と同じようにお宿が並んでいるではないか。

崖沿いにお宿が立ち並んでいる!

奥にも立派なホテルがあった。泊まってみたい。

伊豆山の景色は当時の面影がしっかり残っていたのだ。

 

しかし、同じ景色だったのにどこか素直に喜べない自分がいた。

実は、歩いていて違和感があった。

街の活気がなさすぎる。

訪れた今日はお正月。つまり、お宿は書き入れ時のはずだ。

それなのに、すれちがう人がいない。

 

お客さんいるのかなと近くの「中田屋」をのぞきこむと、ガラスはくすみカーテンは閉まっていた。

2019年に閉館したとのこと……。

時代に取り残されたたばこの自販機がいた。

建物のお向かいには有料道路があり、車は伊豆山に目もくれずに通りすぎていく。

 

では、なぜ活気は消えてしまったのだろう。

これについては、歩いただけですぐにわかった。

伊豆山は、交通に恵まれていない。

明治と現代の伊豆山を地図で並べてみた。(「今昔マップ」より作成)

ガイドブックの作られた明治時代に伊豆山と熱海に行くには、険しい山を通る陸路か海路を行くしかなく、時間がかかった。

しかし、1925年に鉄道が開通し「熱海駅」が誕生した。

鉄道駅のない伊豆山は、必然的に熱海のかげに隠れることとなってしまったのだ。

 

110メートルの階段を登れ!

実は、伊豆山には温泉と肩を並べるスポットがある。

それが「伊豆山神社」だ。

1町もの階段が続いているらしい。

ところで、1町ってどれぐらい?

神社へ足を進めながら調べてみる。

日本の一般的なタワーマンション(30階〜40階建て)の屋上に立っている状態が、およそ「高さ1町」に相当します。

一気に足が重くなった。

大丈夫かな。

 

実は以前、山形県の山寺で同じように階段を登ったことがある。

そのときは、足が吊りかけて手すりにすがって歩くことになったんだっけ。

 

そんなことを考えながら道を進んでいくと、正面の視界が開けた。

階段はしっかり残っていた……!

アキレス腱をしっかり伸ばした。

階段の上をぎらりと見上げ、足をかけた。

気分は限界に挑む修験者だ。

登り切ってもまた次の階段が続く。

登っていて予想外のことがあった。

戦いに臨むような緊張感で登り始めたのに、なぜか気がゆるんでいく。

というのも、この階段、よく整備されていて意外と緩やかで歩きやすい。

さらに、階段の両脇に広がっている景色が、「厳か」ではなくあまりに「日常」なのだ。

階段なのに民家がある。しかも何軒も。

こちらの庭には伊豆名産のみかんが。

さらには温泉まで!

この味わい深さ、通じているだろうか。

登り続けること10分。ようやく鳥居が現れた。

あと少しだ。

この奥にまだ階段があります。

ようやく終わりが見えてきた。

最後の一段に足をかける。

意外と疲れはなかった。

さて、「拍手の音は絶ゆる事がない」と書かれた神社は、今どうなっているのだろう。

しっかりにぎわっている!

伊豆山神社は、今の時代になっても人の話し声と鐘の音と柏手(かしわで)の音で満たされていた。

 

本殿を歩いていると、先ほどの階段で見た「休憩台」のお仲間を見つけた。

それにしては丁重に扱われているような……?

でも、ただの休憩台ではなさそう。

横の説明書きに正体が書いてあった。

「頼朝と政子が恋を語らったのがこの境内であり、当社で二人はむずばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇拝を当社に寄せました。」

そういうことか。

伊豆山がかつて発展していた理由が、ようやく自分の中で腹に落ちた。

伊豆山はただの温泉地ではなかった。鎌倉時代には幕府の信仰の中心地としても栄えていたのだ。

国のトップが推していたのならば、熱海より栄えていたことにも納得だ。

頼朝もこの景色を見ていたのかな。

ここからは蛇足だが、熱海の活気が伊豆山を抜かしたのは、江戸時代のことだ。

その理由は「徳川家康が推したから」。

ぐぬぬ、国のトップが推していたのならば、伊豆山が負けるのも納得だ……。

 

あの清少納言が推していたスポットへ

最後に紹介するスポットは、「こゝひの森」だ。ガイドブックによると、伊豆山神社のさらに奥にあるという。

しかも、あの「春はあけぼの」でおなじみ、枕草子にも書かれていた場所だとか!

いったいどのような「いとをかし」な森なのだろう。

 

さて、入口はどこだろうと伊豆山神社を奥に進むと、看板が目に入った。

「小恋の森」と書かれた看板を発見! どうやら公園として整備されているらしい。

奥の鳥居をくぐって進んでいくと、既視感のある光景が。

再び修業が始まった。

先ほどとは違い、こちらは山道だ。

チーチーと小鳥の声が聞こえる。

ずんずんと足を踏むたび、人が多い日常の世界から遠ざかっていく。

少しずつ、清少納言の好きな「おもむき」のある光景に近づいてきている感じがする。

 

進むこと20分、ようやく公園に到着した。

到着!「小恋の森公園」はここからが始まるとのこと。

では、どんな光景が広がっているかというと――

なんですかキミは。

自然に溶け込もうとした結果めちゃくちゃ目立っている人工物があった。

ちなみにこれ、公衆トイレです。

 

中学生のころ、音楽祭の曲を決めるときに目立たないように多数側に手を挙げたら「女子人気はあるけど男子人気はない曲」だったらしく、あとで友達に指摘されたときの恥ずかしさを思い出してしまった。

忘れようとしていたのに。

奥にももう一つあるよ。

これを見たら、清少納言は「いとわろし」と言うだろう。

 

小恋の森には、存在感のある公衆トイレがたたずむスポットに変わっていた。

ガイドブック旅は、たまにこういうこともある。

だが、こうやって突っ込みを入れるのもそれはそれで楽しい。

 

終わりに

伊豆山は、熱海以上に歴史の重みを感じられるいい場所だった。

まさか、清少納言や源頼朝といった教科書で見る人が出てくるとは。

ただ、それだけにこの場所がさびれたままなのはもったいない。

熱海観光に行く人は、ぜひ伊豆山にも足を運んでみてほしい。オススメです。

あの伊能忠敬も泊まった伊豆山をよろしくお願いします!

(『「死者に会える森」を通って「東海一」の絶景を見に行こう ~120年前のガイドブックで伊豆山観光~』に続く)

「ボロ宿」に泊まりたい! ~波動茶とパワーストーンと晴れ男~

 

古びた畳とちゃぶ台のある和室で、机に向き合う。

正座で背筋を伸ばし、「波動のこもったお茶」を湯呑みに注いだ。

間髪入れずに、「7つのパワーストーンで浄化された水」もコップに注いだ。

ぐいぐいっとお茶と水を飲み、「大いなる力」を身体に取り込んでいく。

力の使い道は一つだ。

「明日のマラソン大会、晴れますように……!」

 

どうしてこうなったか。

話は半年前にさかのぼる。

 

ボロ宿に泊まりたい

「ボロ宿」という「ほめ言葉」を聞いたことがあるだろうか。

見た目は古いが長く続いているお宿には、続くだけの理由がある。それは歴史のある建物だったり、名物女将だったり、温泉だったりと様々だ。

つまり、ボロ宿に行けば何か楽しい体験ができるということだ。

 

7月に愛知県のマラソン大会にエントリーした。開催は12月だ。

遠いので前泊をする必要がある。どこに泊まろうかなと調べてみたところ、ひたすら画面をスクロールをすることになった。

いい宿がない。

どこも価格が高いのだ。普通のビジネスホテルでも1泊で1万円を超えるとは。

そんなとき、一つのお宿に目が止まった。

6000円台で泊まれる場所があった。しかも「200年の旅館」か。

これは、前から泊まってみたかった「ボロ宿」ってやつじゃないか。

すぐにぽちりと予約を押した。

 

フロントの味わい

名古屋駅から45分ほど電車に乗り、大野町駅で降りる。

改札を出ると時間の流れが遅くなった。

駅前にチェーン店がない街って良くないですか。ここではみんなマックでなく地元の喫茶店に集うのだろう。

 

木造とトタンの家が並んだ街並みを5分ほど歩くと、本日のお宿に到着だ。

時間は16時半。

重い扉をガラリと開ける。

中は真っ暗だった。

フロントらしき場所に呼び鈴があったので押す。「チーン」と部屋に響き渡った。

 

1分後、「いらっしゃいませー」とおばちゃんが出てきて、明かりのスイッチを押した。

突然目の前に現れた景色に、「すごっ」と声がでた。

そこに広がっていたのは、「古き良きお宿」そのものだったのだ。

天井は低く、柱が多い。今とは違うサイズ感が、この建物が歴史の生き証人であることを物語っている。

 

しかし、フロントはまだ始まりにすぎなかった。

フロントの奥に進むと、右側に談話室があった。思わず足が止まった。

そこで迎えてくれたのは、おじいちゃんおばあちゃんの家に来たような落ち着く空間だった。

革張りのソファにガラスの机、そして大きなのっぽの古時計。

しかもマンガを読んでくつろげる特典つきだ。

ここのソファに座ったら、何時間でもすごせそう。

 

味わいラッシュはまだ続く。

ふとソファの奥に目をやると、窓の外に「日本庭園」が広がっていた。

味のあるインテリアに囲まれながら風情のある景色を眺める。

こんな空間を目にできただけでも、この宿に来て良かった。

 

館内ツアー

「では施設を案内しますねー」

前を行くおばちゃんが足を踏み出すたび、ギシギシと床が鳴る。

僕もギシギシとついていく。

「階段の天井が低いので気をつけてくださいね」

せまい廊下やタイル張りのトイレに、模様が入ったすりガラス。

目の前で次々と繰り広げられていく「古い家あるある」にもうお腹いっぱいだ。

「ここのお風呂の水はスイスの石で浄化してるんですよー」

お風呂場も、カラフルでありながらくどさを感じさせない色合いで味わい深かった。

そのあとも、宿泊するお部屋や食堂の位置を案内してもらった。

 

スピリチュアルとの遭遇

一通り案内が落ち着いてきたころ、気になることを聞いてみることにした。築200年を誇るという、この建物の歴史だ。

「このお宿っていつからやってるんですか?」

「実は数年前に始めたんですよ」

あれ? 思った答えと違った。

 

「閉店していたのを、今のオーナーが買い取って再開したんです」

つまり、オーナーがいたから今日の体験ができたと。

ありがとう、オーナーさん。

「そのオーナーがすごいんですよ。実はヒーラーで」

 

ん? 今変なこと言わなかった?

 

「ヒーラーを育てる講演もしてるんですよ」

気のせいじゃなかった。

そうか、ようやく事態がわかった。

この旅館は「スピリチュアル」な人が買い取って運営されている場所だったのだ。

 

 

スピリチュアルというものに対して、皆さんはどのようなスタンスだろうか。

僕は、「周囲に迷惑をかけないならいいのでは」と思っている。

きっかけは、バリバリの学者だった祖父にある。

祖父はスピリチュアルと縁遠かった。しかし、祖父の死後に荷物を整理しているとなぜかスピリチュアルな本が出てきたのだ。

親に聞いたところ、作者は祖父の教え子で、今はスピリチュアル界隈でのベストセラー作家になっているらしい。

普段は読まないが、祖父が持っていたものだからとページをめくってみて感じたことがあった。

こういうのを信じるのも、傷ついたり疲れ切ったりしたときならばありだな、と。

 

 

その後も、フリーエネルギーから神社のパワーまで幅広い話を聞くことができた。

僕は知らない世界があるとつい好奇心で聞き入ってしまうタイプなので、つい。

 

会話をしながら、ふとひらめいた。

これ、パワーをもらって願えば、意外となんでも叶うのでは?

実は今、切実な問題がある。

それが、明日の朝の天気だ。

明日マラソン大会に参加する予定なのに、天気予報を何度見てもそこにいるのは傘マーク。

よし、スピリチュアルな力を使って、雨雲をけちらしてやろう。

そのために具体的にどうするかというとーー

「『7つのパワーストーンで浄水した水』いりますか?」
「お願いします!」

「『波動の入ったお茶』はどうですか?」
「これもお願いします!」

力を体内に取り込んで、空に干渉します。

 

願いを空に届けよう

いよいよお部屋に到着だ。

入口の引き戸を横に動かす。

開かなかった。

そういえば、おばちゃんがこんなことを言っていた。

「建付けが悪いので思い切り開けてくださいね」

ふんぬっと開けるとちゃんと開いた。

 

部屋はおばあちゃん家の客間みたいな空間だった。こちらも落ち着きそう。

ふわっと、温かい空気が包み込んでくれた。

暖房がすでについていた。布団もちゃんと用意されていた。

設定温度を見ると30℃だった。エアコンってそんな高く設定できるんだ。

ホスピタリティが熱い。

 

さて、本題に入りましょう。

机に置いてある「7つのパワーストーン水」をコップに注いでぐいっと取り込んだ。

正直に言おう。思ったよりずっとおいしかった。

いつも家で飲んでいる水道水とは比べ物にならないまろやかさだ。

 

次に「波動入りのお茶」を。熱いのでずずっとすする。

茶葉の爽やかな香りが鼻を抜けていく。「ほお……」と息がもれた。

こちらはやさしい味がした。

さて、これで力はばっちり。あとは天に働きかけるだけだ。

窓を開ける。お願いします! と手を合わせた。

空にはどんよりと雲が広がっていた。

 

そのあとも入浴中にパワーストーンの石をじゃりじゃりさせたり(浴槽内にあった)、なぜか部屋にあった「アマテラス」に祈ったりしてすごした。

これで天気はばっちりだ。

あとはしっかり食べて寝るだけ。果報は寝て待て。

 

夕食の交流

夕食の時間になった。

ギーギーと床を鳴らしながら階段を降り、食堂に向かった。

ドアをがらりと開ける。

 

「チャララララララ~ン」

アラビアンな曲が大音量で耳に飛び込んできた。

なぜ??

椅子に座り、7つのパワーストーン水を飲みながら配膳を待つ。

 

がらり、と扉が開いて男性がひとり入って来た。どうやら同じソロの宿泊者がいるらしい。見た目は一回り上ぐらいのおじさんだった。

そういえば、このお宿ってどんな人が泊まっているのだろう。

せっかくなので話しかけてみよう。

「近くのロボットの展示会を見に来たんですよ」

一気に心の距離が縮まった。

まさかの、同じ理系の人だったからだ(こう見えて僕は理系だ)。

おじさん曰く、普段は福島の企業に勤めていて、昨日新幹線で来たらしい。

「本当は飛行機がいいんですけど、社内のルール的にできないんですよね……」

その気持ち、わかる。そのあと会社の精算のシビアさで盛り上がった。サラリーマンあるあるだ。

「二人合うと思ったんですよー!」

配膳しながらおばちゃんが得意顔になっていた。

 

さて、料理はというと、イワシの唐揚げに味噌汁、お芋の炒め物にお新香と家庭的なラインナップが並んでいた。

お宿というより「実家」な感じがしてなんかいいな。

箸をとる。口にすると幸せが広がった。

特に良かったのがイワシだ。脂がたっぷりのっていて、独特のクセがご飯の名脇役になっている。

お代わりもした。

イワシって安いのになんでこんなにおいしいんですかねー」

思わずおばちゃんと二人で不思議がった。

 

「明日のお仕事頑張ってくださいね!」

「マラソン頑張ってください!」

おじさんとお互いエールを送りあって、それぞれの部屋に戻った。

 

 

さて、あとは寝るだけだ。

寝転がってぼーっとする贅沢な時間をすごしたあと、電気を消した。

なぜか真っ暗にならなかった。壁の一部が明るい。

光源は、隣の部屋だった。

隣部屋との壁は、まさかの障子1枚だった。

こういう突っ込みどころの多さがボロ宿のいいところだ。すっかり楽しみ方がわかってきた。

アイマスクをして今度こそ目を閉じた。

僕は宿泊先だと眠りが浅いタイプなのだが、その日は自宅と同じぐらいぐっすり眠れた。

 

運命の天気

6時半にがばりと起き上がり、マラソンの格好に着替えた。

まだ給仕準備中の食堂に顔を出して鍵を返却し、朝食代わりに作ってもらったおにぎりを受け取った。

さあ出発だ。

本日の天気は――

 

ザーザーの雨だった……。

傘についた水がすべり落ちていく。ズボンが湿っていく。

パワーストーンも波動茶も、空には届かなかった。

やはり、小手先のパワーで変えられるなんて考えはおこがましかったのだ。

 

電車に15分ほど揺られ、会場の太田川駅で降りる。

荷物を預け、前日にセリアで買った雨具をしぶしぶ羽織った。

雨は少しマシになっていた。

 

さて、マラソン大会あるあるだが、スタート前は地元政治家やスポンサーの挨拶を聞きながらすごすことになる。

「こんにちは、東海市長です。天気は大丈夫です。なぜなら――」

 

私は晴れ男です!

 

その瞬間、残りの雨がぱたりと止んだ。

そのままスタートのピストルが鳴った。

 

雨は、そのあと一度も降らなかった。

なんなら、終わったあとは日の光が差していた。

信じるべきは晴れ男だったのだ。

 

終わりに

帰りの新幹線で遠くにそびえる山々をながめていて、ふと心に浮かんだことがあった。

今回の「ボロ宿」、楽しかったな。

歴史のある建物も、スピリチュアルも、床のきしむ音でさえも、すべてが味わい深かった。

お宿でもらったおにぎりを取り出してかぶりつくと、マラソン後の重い身体に塩味がやさしくしみこんでいった。

『まちうらクロニクル』を文学フリマ東京41で頒布します!

今回はお知らせ。11月23日の文学フリマ東京41で新刊を頒布します!

今回も「電車待ちに読むブログ」の人と一緒に、サークル「待ち合わせ同好会」での参加になります。

新刊の中身

新刊のタイトルは『まちうらクロニクル』。

題材はずばり「街歩き」だ。

僕と電車待ちさんで共通している点がある。それが、「街について調べることが大好き」なことだ。

ならば、お互い好きな街歩きモノで書いてみようかとなってできあがったのがこの一冊になる。

今回の記事は二つ。

 

  1. 3年で閉園? 吉祥寺に幻の「記念公園」があった (あわうみ)
  2. 【情報求ム】光が丘の小学校にはなぜ冬がないのか(電車待ちに読むブログ)

 

吉祥寺と光が丘を舞台に、それぞれ街歩きをしてガッツリ調べて謎に光を当てるものになっている。

また、今回も記事の裏話をのせた「座談会」入りだ。実際にどのように調べているのか、どんなことを考えて書いているかを深堀りしている。

書く側に興味がある人はぜひそちらも楽しみにしてほしい。

よろしくお願いします!

出店の情報

イベント名:文学フリマ東京41

日時と場所:2025年11月23日 東京ビッグサイト

サークル名:待ち合わせ同好会

作者:あわうみ・電車待ちに読むブログ

ブース番号:そ-77

お品書き

  1. まちうらクロニクル(新刊)

  2. チェーン店が好きだ

  3. 歌詞をたよりに集まる

はじめての山小屋泊

人生でやりたいことの一つ、それが「山小屋に泊まる」ことだ。

日常から離れた厳しい自然の中で、知らない人と肩を寄せ合いながら同じ釜の飯を食べ、互いにお休みを言う。

そんな環境に置かれたとき、何を感じるのだろう。

 

ある日、友人から誘われてその願いがかなうこととなった。

 

実際に行ってみると、学生運動とぼっとん便所に思いをはせ、管理人さんをはげまし、高山病にときめく、そんな普段できない体験ができました。

 

行ってきます!

注:尾瀬の山小屋に以前行ったことがありますが、あまりに整備が行き届いていたのでノーカウントとします。近くにイタリアンのお店があって楽しかったのですが山小屋感はうすいかなと。

 

山小屋の雰囲気を味わおう

当たり前だが、山小屋に行くためには山を歩かないといけない。

ということで、雨具をかぶりながら足を進めることとなった。

9月なのに冷蔵庫のような涼しさがまとわりついてくる。

時間は15時30分。

目標の最高峰「木曽駒ヶ岳」に到着した。標高は2956メートル。

ただし、景色ガチャは外れ(視界ゼロ)だ。

さてと。のんびりする間もなく山頂に背を向ける。

本日の目的地、山小屋はすぐそこだ。

 

 

10分歩くと、武骨な四角い塊が見えてきた。

本日の目的地、「頂上木曽小屋」だ。

屋根には石がごろごろ乗っかっている。その武骨さに、環境の厳しさがひしひしと伝わってくる。

今、肩に力が入っている。

なぜなら、山小屋に入るのがちょっと怖いから。

みなさんは、山小屋の管理人と聞いてどのような人を想像するだろうか。

僕が思いうかべるのは、ルールを破ると厳しく𠮟ってくるような「頑固おやじ」の姿だ。

というのもですよ。

ここは3000メートル近い、文明から離れた場所だ。険しい場所で生きていくには、タフな精神が必要となるだろう。

そこで強さの象徴としてイメージされるのが「頑固おやじ」なのだ。

 

ガラガラっと横向きにドアを開ける。

「いらっしゃいませー」

小さめの声で出迎えてくれたのは、50代前半ぐらいのやわらかい雰囲気のおじさんだった。

飲み会の隅の席で静かに話を聞いているのが似合いそうな、頑固おやじとは対極の姿に肩の力が抜けていった。

台帳に住所や名前を記入したあと、簡単に建物を案内してもらった。食堂と寝室があり、トイレは汲み取り式だとか。

 

夕食は17時からなので、少し時間の余裕がある。それまで寝室に荷物を置いて休むことにしよう。

寝室に入ると、一瞬視界が黒くなった。部屋はすでに日が沈んだかのような薄暗さだった。

暗い理由はすぐにわかった。左右の壁に窓がないのだ。

奥には縦長の空間が広がっている。

部屋の両側1.5mぐらいの場所には板が敷いてあり、はしごで登れるようになっていた。

板は巨大な2段ベッドだったのだ。

自然と笑顔になった。

山小屋といえば、これよこれ。二段ベッドで区切られた狭い空間を分け合いながら、みんな一緒にごろ寝するやつ。

 

果たして今日、安眠できるだろうか。できなくっても思い出にはなるから問題はないけどね。

一息つこうとXを開いたら圏外だった。でも、不思議と嫌な感じはしない。

 

今回、山小屋でやりたいと思っていることが三つある。

  1. 山小屋飯を食べる
  2. 人と交流する
  3. 山小屋で寝る

一番ハードルが高いのは、人との交流だろう。

そういえば、ほかに泊まる人っているのかな。

そんなことを考えながら天井(二段ベットの上)をながめていると――

「こんにちはー」

突然暗闇から声がした。目を凝らすと先客がいた。おじいさんとおばあさんだ。

リュックの中身を整理しながら軽くおしゃべりをしていると、時間がゆるやかにすぎていく。

「実は俺たち、夫婦じゃないんだよ」

おじいさんが言う。笑顔でうなずくおばさん。ドユコト? 頭の中にはてなマークが飛んでいく。

 

やりたいこと① 山小屋飯を味わおう

時間は17時。夕食の時間になった。

寝室のお向かいにある食堂のドアを開ける。ふわっと温かさに包まれた。食堂には石油ストーブがたたずんでいた。

部屋には机が二列広がっていた。左側の列では、食事が湯気を立てて待っている。

右側の列にはコップだけが8つ置いてあった。なんだろう。

おじいさん・おばあさんと一緒に左側の机に座る。視界に入るのは、大根と卵とこんにゃく。つまりおでんだった。

なるほどそうきたか。

一見すると、夏の今の時期におでんは「なし」に思える。しかし、「標高3000メートル気温10℃台の場所まで登って食べるおでん」と聞くとどうだろうか。おいしそうじゃないですか。

しかし、問題はある。おでんには長年多くの人を悩ませる論争がある。それが、「おでんはご飯に合うのか」論争だ。ちなみに、僕はご飯と一緒に食べるものの、正直あまり合わないんじゃないかと思っている。

今日の結果によっては自分の中で宗派がひっくり返るかもしれない。

 

「いただきます」

一口入れると、幸せが口に広がった。思わずお米に箸が伸びた。

正直に言おう。このおでんはやさしい味わいがした。

お米に合うかというと、普段の僕なら首をかしげるだろう。しかし、なぜだろう。薄味なのにお米が進む。

今日運動したおかげなのか、ロケーションのおかげなのかはわからない。

わかるのは、ただおいしいこと。そしてお米が進む。気づいたらお代わりをくり返してお茶碗3杯が胃の中に吸い込まれていった。

このおでんを忘れることはないだろう。

 

「この年になるとたくさん食べられなくなるんだよね」

おじいさんは食べっぷりに目を細めながら日本酒を飲んでいた。日本酒の横のお茶碗にはお米が残っていた。

 

やりたいこと② 人と交流しよう

「同じ釜の飯を食う」と距離が縮まるといわれている。実際、こうして山の上で席を囲んでいると、相手のことが気になっていく。

そういえば、食事で忘れていたけど謎があった。おじいさんとおばあさんが夫婦じゃないのってどういうことなんだろう。訊いてみることにした。

「実は、お互い配偶者に先立たれているんだよ」

笑顔でおじいさんが言った。突然のことに思わず相槌が打てなかった。しかし、二人はあっけらかんとしている。

 

そのあと、おじいさんがぽつぽつと人生経験を語りだした。

妻の病気がわかったあと、妻に「若い姿のままあなたの記憶にいられる」と言われてしんみりしたこと。

お葬式で「残された子どもを精一杯育てる」と言ったら参列者がいっせいにぶわっと泣き出してあせったこと。

笑顔で話せるようになるまでにはどれだけの辛苦があったのだろう。それを乗り越えた二人がまぶしく見えた。

ちなみに、退職してどうしようかと思っていたとき、山の趣味を持っているおばあさんが誘って二人で行くようになったとか。老後にもそういう友人がいるっていいな。

 

この先の自分の人生は、これからどうなっているんだろう。

僕には話せる人生経験がないので、お返しにChatGPTの使いかたについて教えた。

 

「ぼっとん便所があるからこの山小屋を選んだんだよ」

とおじいさん。理由を聞くと、どうやらおじいさんは学生運動に参加していたらしい。学生運動といえば、僕にとっては歴史の中の出来事だ。生の話を聞けるなんて。背中が前のめりになった。

 

学生運動とぼっとん便所がどう結びつくかというと――

当時、おじいさんがのめりこんだ学生運動では「反資本主義」をかかげていた。彼らにとっての理想の生活は「一次産業や肉体労働に従事すること」だった。そして、東京にはその理想を体現している場所があったという。

日雇い労働者が集っていた山谷だ。しかも、彼らはおじいさんの学生運動をまっさきに味方してくれたのだという。

 

「だから、山谷に今も住みたいと思ってるんだ」

当時に戻ったかのように熱弁をふるうおじいさん。

そして、その山谷の家には必ず「ぼっとん便所」があった。だから、ぼっとん便所を使えば山谷の空気感を味わえるのだという。

こういう偏愛っていいな。

そのあとも、ぼっとん便所談義は続いた。

「ぼっとん便所で出したあとは、お尻の位置をずらすのが大事なんだ」

「ああ、『お釣り』に気をつけないといけないわね」

「お釣りって何ですか?」

「お釣りってのはね、出したあとに水面から跳ね返ってくるやつのことだよ」

実際に体験しないと出てこない、実感のこもった話を聞けた。

ぼっとん便所って、こんな盛り上がる話題だったんだ。

 

管理人さんの憂鬱

「えっ! 困ります!」

突然、奥の管理人さんの部屋から大声が聞こえた。あの温厚な雰囲気からはイメージできないボリュームに、思わずみんな首を向けた。

しばらくすると管理人さんが部屋から出てきて、肩を落としながら隣の机のコップを片付け始めた。

 

「なにかあったんですか?」

気になるので聞いてみた。

「団体のお客さんがいたんですが、手違いで来なくなってしまって……」

聞いたところ、予約していた8人の団体が、人数変更をするときにまちがえて「別の山小屋」に連絡した結果、こちらには来ずに別の山小屋に泊まっているという。

「8合も炊いたのにな……」

背中を丸める姿が小さい。僕らにできることは、明日の朝にちょっとでも多く食べてお米を減らすことだけだ。

だんだん山小屋のおじさんの人となりが見えてきた。あまりにいい人すぎる。きめ細やかな人なのはいいのだが、余計なストレスも背負ってそうで少し心配だ。

そういえば、なぜ山小屋の管理人をしているのだろう。

 

やりたいこと③ 山小屋で寝よう!

人里から離れた場所での食事と交流に、お腹も心もいっぱいだ。ふと腕時計に目をやると、短針が7を指していた。山時間だとまもなく寝る時間だ。

果たして、今日ちゃんと寝ることができるだろうか。

僕は慣れない場所で寝るのが苦手だ。徹夜カラオケをしても寝落ちせずに最後まで歌い続けるタイプであり、旅行先で眠りが浅くなるタイプでもある。

 

ごそごそと固い布団に横になり、毛布をかぶる。眼を閉じると、グオーと遠くから機械の音が耳に入ってきた。そういえば、ここの電気は発電機でまかなっているって管理人さんが言ってたな。

30分後、もぞもぞ起き上がった。ちょっと寒い。上着を着て布団に戻った。

ちなみに今、5枚重ね着してます。

グオン……。

発電機が消えた。管理人さんもこれでお休みに入るのだろう。

時間は21時。

電気すらないこの場所に、ふと心細さを覚える。同時に、その心細さを楽しんでいる自分がいる。

 

寝返りを打つ。

眠れない原因があった。頭の右側に少し頭痛がある。しかし、この症状は経験したことがある。

これ、脱水症状のときと同じだ。グビグビ水を飲んで横になった。

 

すぐにトイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

頭痛が続く。また水を飲む。
トイレに行った。

 

星見えないかなとトイレのついでに外に出てみると、雲が広がっていて星のほの字も見えなかった。

1分で戻った。

布団に転がり天井を眺めながら悟った。これ、脱水症状じゃないな。では何だろうと天井をながめていて、一つ、閃いたものがあった。

これ、もしかして「高山病」ってやつでは!

思わぬ発見に、がばりと起き上がりそうになった。

今いる場所は標高2900メートルなので、たしかに高山病になっていてもおかしくはない。

「高山病になったことある」って、登山ガチ勢っぽくて格好良くないですか。

病気なのにときめいてしまった。

 

高山病の原因は酸素不足にある。

「スーハースーハー」

寝ころびながら深呼吸をくりかえしてみた。

頭痛は少しずつ気にならなくなっていった。思考が夜と一体化していく。

 

朝に

物音がしたので身体を起こした。時間は5時半。正直、熟睡は全然できなかった。

身体を起こすと、お向かいのおばあさんと目が合った。

「昨日寝られました?」

「全然寝られなかったわー!」

良かった、寝不足仲間がいた。

 

食堂に行くと、朝食の準備が始まっていた。小さなミートボールとソーセージのかけらに、漬物たちが彩りをそえている。保存のきくものが多く、そういえば僻地にいるんだよなと再確認する。

まだ半分寝ている身体に梅干しの酸味がしみていく。ご飯はしっかり2杯食べた。

 

準備をしようと部屋に戻ると、ガラガラと小屋の入り口が開く音が聞こえた。管理人さんが誰かと話している。

どうやら、昨日予約をしてすれ違いが起きていた人たちが謝罪に来たようだ。大学の山岳部の人たちらしい。

苦い思い出になってしまったと思うが、今度こそまた来てね。管理人さんいい人だから。

そう念を送った。

 

 

「じゃあ、お先に!」

大学生が去ったあと、おじいさんおばあさんも出かけて行った。

行き先を聞くと、宝剣岳に登るとのこと。ルートが険しく、僕ら登山初心者では足を踏み入れられない山だ。

彼らの元気さには本当叶わないな。老後はこれぐらいアクティブにすごしていたいものだ。

 

 

さて、僕もそろそろ出ようか。

と、管理人さんがお出迎えに来てくれた。今日このあとは、近くのハイキングコースをのんびり回って帰る予定だ。まだ7時なので、時間の余裕はある。

せっかくだから、もう少しいろいろ聞いてみようか。

 

「山小屋にはいつからいるんですか?」

「実はまだ2年目なんです」

この山小屋は、妻の親戚が経営していたものだったという。しかし、元管理人が高齢になりコロナ禍も重なり営業できなくなってしまった。

そこで、白羽の矢が立ったのがこの管理人さんだった。管理人さんは、山小屋での仕事を始めるために、今までの仕事を辞めたという。

 

 

今は、お客さんがいる限りは一人で山にこもる生活を続けているとのことだった(繁忙期に別の人に手伝ってもらうことはある)。

気弱に見えた山小屋の管理人さんは、人生を必死にもがいている途中だったのだ。

 

「人が来られなくなってごはんが余るのはしょうがないんですよ。それより、お客さんに迷惑をかけてしまったのが申し訳ないです」

それなのに、細やかに気を遣ってくれる。

「迷惑かけられてないですよ!」

力強く言い、応援の意もこめて500ミリの水を買った。

500円だった。山料金だ。

 

終わりに

山は人が少ない。そのぶん人と人の距離が近くなり、同じ机を囲めば物語が始まる。山小屋泊は、想像を超えて心の深いところにしみこむような温かいものだった。

もちろん、山小屋で毎回このような体験ができるわけではない。しかし、今回のように人生の断片を拾いやすい環境が整っている場所なのは確かだ。

 

老後に人生の荷を降ろした人。

人里離れた慣れない山小屋で生活しながら、家族の生活を背負っている人。

僕はまだ何も背負っていない。いつか、なにかを背負うことができるのだろうか。

 

そんなことを考えながら道を振り返ると、雲が切れた。

岩だらけの斜面に力強く構える山小屋の姿に、「きっと大丈夫」と言われた気がした。

 

おまけ:帰り道の景色

※この旅は2024年9月に行ったものです。

3年で閉園? 吉祥寺に幻の「記念公園」があった

約50年前の地図を見ていると、吉祥寺に「野田記念公園」なるものを見つけた。しかし、検索しても情報はなし。

街歩き好きのアンテナがピコンと立った。これは、調べてみるしかないでしょう。

 

謎の記念公園

「記念公園」と聞いて、みなさんは何を思いうかべるだろうか。

僕の場合、まっさきに出てくるのは「昭和記念公園」だ。

昭和天皇の在位50年をお祝いして造られた公園だ。

幼稚園だったころに遠足で行き、いくらすべっても終わりが見えない巨大な「ローラー滑り台」で遊んで「こんな幸せな場所があっていいのか」と思ったものだった。

 

これですこれ。今見ると意外と短い。(国営昭和記念公園HPより引用)

ほかには広島の「平和記念公園」や大阪の「万博記念公園」がうかぶ人も多いだろう。

 

これらに共通しているのは、「何かの記念としてつくられた」ことと「広い」こと。

一目で見て「こいつはただの公園じゃないぜ」と思わせてくれるような、公園ヒエラルキーの上位にいるヤツ、それが僕の記念公園のイメージだ。

 

そんな前提をふまえて、これを見てほしい。50年前の吉祥寺の地図だ。

この違和感、伝わるだろうか。(『D・Xポケット版 東京区分地図』より引用)

「記念公園」にしてはあまりに小さい。地域のそこらの公園と張りあっているサイズ感だ。

小さなカブトムシがカナブンと互角にケンカしているのを見たときのガッカリ感を思いだした。

 

検索してみると、さらに首のかたむきが大きくなった。調べても情報がでてこない。

どうやら、この公園はもういないらしい。

AIに聞いてもわからず。

 

そもそも、「野田記念」って、なんの記念よ。

「記念公園」でありながらサイズは小さく、由緒がわからず、しかも今はない公園か。

謎に手招きされている。これは行くしかないでしょう。

 

行ってみよう

ということで、吉祥寺にやってきました。

おしゃれな住みやすい街でおなじみ。

目的地は「野田記念公園」(だった場所)だ。

まずは、駅前の通りを進んでいく。持ってきた昔の地図を見ると、変わったところと変わっていないところが牛柄のように入りまじっている。

駅前の「三菱信託銀行」は、「三菱UFJ信託銀行」に名前を変えて残っていた。

こういう「時層」を感じられるのが古地図のおもしろさだ。

 

足をすすめながら、50年前の日本はどうだったのか、頭の中で知識をふりかえってみる。

50年前は、「人口増加」と「産業の成長」を武器にひたすら前に進みはじめた日本で、かげりが目立ちはじめた時期だった。

近鉄百貨店」は「ヨドバシカメラ」に。デパートが栄えていた時代はどんな感じだったのだろう。

高度経済成長期がおわり、ふと立ち止まってあたりを見わたすと、「高齢化社会」や「都市の過密化」などの現代にもつながる問題が目の前によこたわっていた、と。

当時の吉祥寺も、人口が増えていろいろ問題をかかえていたのだろうか。

 

そんな時代にうまれた「記念公園」、何者なんだろう。

 

大通りの突きあたりを右にまがる。

人が減り、時のながれが少しゆるやかになる。

近くに「売り切れ」が落ちていた。

左にまがり、いよいよ住宅地に入っていく。

目的の公園はすぐそこだ。

住宅地にカフェがある。さすがおしゃれの街だ。



跡地にあった施設

駅から10分ほど歩いただろうか。

ようやく「野田記念公園」だった場所にたどりついた。

なんだろう、これ。

なにか施設になっている……?

そこにあったのは、「家」と「施設」の中間みたいな建物だった。

何かないかな手がかり。うろうろ歩くと、ありました。

「コミュニティセンター 九浦の家」

コミュニティセンターだったのか。コミュニティセンターとは、地域住人のための施設だ。場所によっては、「地域センター」「市民センター」「公民館」と呼ばれることもある。

 

さらに、建物のわきに謎の空間をみつけた。

これ、奥にいけそうだ。

進んでみよう。

のどかな道が続いていく。

駅チカとは思えない落ちつく空間だ。ここにイスをおいて読書したい。

空間の正体は「庭園」でした。

心は落ちついた。

しかし、頭のはてなはさらに増えた。

 

みなさんは、コミュニティセンターや地域センターと聞いてどのような建物を思いうかべるだろうか。おそらく、多くの人は大きめの建物がうかぶと思う。

こういうやつです。

ところが、目のまえに建っているコミュニティセンターは「庭」に「平屋」だ。イメージから離れすぎている。

コミュニティセンターを擬人化した「こみせん!」ってアニメがあれば、目の前のセンターは「不思議ちゃん」のポジションにおさまるにちがいない。

 

ただ、新たな手がかりがゲットできた。

「九浦」ってなんぞや。

「九浦」を調べれば、なにかわかるかもしれない。

 

蛇足だが、建物前にある「井の頭動物園」とコラボしたポスターがかわいかったので見てほしい。

一番気にいってるのは「『サギ』の注意喚起をする『フクロウ』」です。

 

見えてきた「九浦」の正体

「九浦」で調べると、ありました!

検索結果を見てうなずいた。

九浦の家」と「野田記念公園」は、どちらも「野田九浦(のだきゅうほ)」からうまれたワードだったのだ。

 

コミュニティセンターは、野田九浦の屋敷があった場所に建てられたものだった。

ちょっと見えてきたぞ。

 

野田九浦はどんな人?

ところで、野田九浦ってどんな人だったんだろう?

せっかくなので彼のエピソードを探してみよう。

 

ちなみに今、けっこう身構えてます。というのも、彼は「画家」だ。僕は芸術家に対して「変わった人」というイメージがある。

高校のころの美術の先生は、教師にしてはめずらしく髭をはやしていた。その髭がフランシスコ・ザビエルっぽかったので「ザビエル先生」と呼ばれていた。髪の生え具合もそれっぽかった

見た目だけでも不思議なのに、授業中に突然大声をだして反応を見たり、生徒指導の説明をしているときにずっと意味ありげな微笑をしていたりと、最後まで輪郭がつかめないままだった。

 

では、野田九浦先生はどうでしょう。

パラパラと調べていくと、だんだんエピソードが集まってきた。

九浦と家族 1920年代頃

突然のいいおとうさん。

 

左上:猫[仮称](1950年代頃)
左下:白猫(1957年)
右:K氏愛猫(1954年)

絵のタッチからにじみ出てくるやさしさよ。

動物好きに悪い人はいないよね。

 

湯元(1935年頃)

人望もあったと。

 

あれ? 九浦さん、近所にいたら友達になりたいタイプじゃないか。

孤高の芸術家のイメージが、ただの「近所のいい人」にぬりかえられていった。

 

1971年、野田九浦氏は91歳という大往生で生涯をとじることとなる。

そののち、彼の住んでいた敷地は、遺族によって武蔵野市に寄付された。

 

記念公園はいずこへ?

ところで、今回の調べものの目的を覚えているだろうか。

それは、「野田記念公園の正体を調べること」だ。

この50年前の地図が原点だ。

 

いったん情報をまとめてみよう。

この土地についてわかっていることを書き出してみる。

「野田記念公園」、どこいった?

 

ここからは、ローカルな情報を調べることでせまっていこう。こういうときはネットではなく本の情報を調べるのが一番だ。

そこで、当時の情報がまとまっている『市報むさしの』を図書館で借りることにした。

予想外に大きくて小学生の1学期終わりの下校を思いだすことになったので、借りる人は注意してください。

ページをめくっていくと、当時の時代が見えてきた。

当時もインフレがひどかったようで、わかるよその気持ち。(市報むさしのNo.669, 昭和49.7.15)

こういうイラストからしか得られない栄養がある。職員が書いたのかな。(市報むさしのNo.722, 昭和50.12.1)

ページをめくること1時間。

ようやく見えてきた。順をおって説明しよう。

 

1970年代の日本は、「交通事故の増加」や「公害」などの問題をかかえながらも成長をつづけていた。その成長のみなもとが、人だ。

今でいう「第二次ベビーブーム」が、ちょうどそのころだったのだ。

そのせいか、現在よりも子どものニュースが多めだ。(市報むさしのNo.620, 昭和48.4.1)

では、想像してみてほしい。子どもが増えると何がたりなくなるか。それが、「遊ぶ場所」だ。

当時は公園がたりず、公園にするための土地の確保が大きな問題となっていた。

「1坪(1.8m*1.8m)でいいからください」と。あまりな必死さだ。(市報むさしのNo.621, 昭和48.4.14)

そんなときに寄贈されたのが、野田九浦の旧邸宅だった

 

公園不足のときにちょうど寄贈された土地。

これは、公園を造るためにある土地だといっても過言ではない!

 

ページをめくる手が早くなる。

一つのページで、「おおっ」と小さく声がでた。

目にはいったのは、当時の「野田記念公園」の姿だった。

本当にあったんだ!(市報むさしのNo.689, 昭和50.2.1)

野田九浦の死去ののち、邸宅はこわされることとなる。

そして1975年に、跡地の広場と庭園部分が「野田記念公園」としてオープンした。

 

やはり、「野田記念公園」は、画家である「野田九浦の邸宅跡にできた公園」だったのだ。

 

もう一つの問題

となると、逆にあらたな謎が出てくる。せっかく「記念公園」ができたのに、なぜ今はコミュニティセンターになっているんだろう。

 

広報のページを進めると、こちらもしっかりと答えがあった。

 

当時の武蔵野市では、公園の整備とならんで力を入れていることがあった。

それが、市民の居場所である「コミュニティセンター」をつくろうというプロジェクトだ。1971年に「市民センター建設委員会」が立ちあがり、場所や建物の話しあいが始まった。

この意気込みを見てほしい。(市報むさしのNo.572, 昭和46.8.15)

そんなときに寄贈されたのが、野田九浦の旧邸宅だった(本日2回目)。

 

これは、コミュニティセンターを建てるためにある土地だといっても過言ではない!

 

こうして、公園の場所にコミュニティセンターがつくられる方針となり、2階建ての施設が計画された。

 

しかし、ここで野田九浦氏の人間力が生きてくる。子煩悩で動物好きでお弟子さんとの仲がよかった九浦氏は、地域の人からもしたわれていた。

当初は2階建ての予定だったのだが、「九浦さんが大事にしていたものをできるだけ残したい」との意見があがってきたのだ。

その結果、植物をできるだけ残して平屋建ての建物に計画がかわることとなった。

 

こうして1978年4月に「九浦の家」がうまれた。

やっぱり庭園を推してる。(市報むさしのNo.799, 昭和53.4.15)

「九浦の家」は、野田九浦氏が地元で大切にされていることの生き証人だったのだ。

 

その結果、1975年に開園した野田記念公園は1977年に閉園となり、「記念公園」としては異例の短さで姿を消すこととなった*。

やっとわかった。

「記念公園」という立派な名前がありながら情報がでてこなかったのは、短命だったからか。

べつの資料にも公園の写真があった!(『九浦の家の10年』より引用)

「開園期間のみじかい記念公園」で、ギネス記録ねらえるかも。

 

*『市報むさしの』によると、1977年10月にコミュニティセンター建設のために地鎮祭が行われているので、そのときには野田記念公園が閉園していたと考えられる。

 

終わりに

野田九浦氏が吉祥寺に引っ越したことがきっかけで、記念公園がうまれ、コミュニティセンターがうまれた。まるでピタゴラスイッチだ。

実は、このピタゴラスイッチにはもう一つの流れがあった。

野田九浦氏の没後に寄贈されたのは、土地だけではなかった。彼の絵画も武蔵野市にわたされていたのだ。

これらを寝かしておくのはもったいない。それがきっかけで、武蔵野市に美術館をつくる計画が立ちあがった。

こうして生まれたのが、吉祥寺の商店街にある「吉祥寺美術館」だ。

人気の街・吉祥寺には、「幻の公園」と「一人の画家の足跡」が今も息づいている。

 

参考文献

※記事中の絵画と野田九浦の写真は『野田九浦展』または『野田九浦―<自然>なること―』から引用したものです。

備蓄米のパッケージの自由さを愛でる

今年のはじめから流行ワードの先頭をぶっちぎり続け、お茶の間の話題をかっさらっているものがある。

備蓄米だ。

では、その備蓄米の「パッケージ」を意識して見たことはあるだろうか。

実は今、備蓄米のパッケージが楽しいことになっている。

 

きっかけ

5月はじめのこと。お米が高い。備蓄米がほしい。

近所のスーパーのお米コーナーをちらりとのぞくのが日課となった。でも、目が合うのは空の棚ばかり。

 

ある日、底が見える米びつを目にして思った。

本気で買いに行こう。30分歩いた先にあるデカいスーパーに足を運んだ。

ビルの入り口のくぐり、2階へのエスカレーターに乗る。棚に目をやると、3000円台のお米と目が合った。

備蓄米、やっと会えたね。

 

で、ここから本題です。

5kgの運搬クエストを終え、家で戦利品を広げる。

床においたあと、あれ?と1分ぐらい見つめあってしまった。

「いつものお米」

なぜか、このお米に対し「友達」のような親しみが芽生えてきた。仲良くなれそう。

なぜだろう。その理由を考えていこう。

 

普段買うお米は、どこか「高貴」なイメージがある。パッケージにあるのは「銘柄名」だ。

あきたこまち

あきたこまち」や「コシヒカリ」のように、生い立ちを堂々と名乗る姿には歴史の重みと生まれへの誇りがにじみ出ている。

 

それに対し、「いつものお米」はどうだろう。あまりに日常の延長線にいる。

なるほど、親しみを感じたのは、備蓄米が肩ひじ張らない「ふつうの存在」だったからか。

普通のお米を「有名私立校に通うお嬢様」とすれば、備蓄米は「眠気をこらえながら授業を受ける公立校の生徒」といったところだ。

 

では、ほかの備蓄米はどんな名前なんだろう。

調べて見えてきたのは、想像を超える「自由なパッケージ」の世界だった。

今回は、そんな備蓄米の世界を、6パターンにわけて紹介します。

 

※備蓄米の多くは「備蓄米」と書かれて販売されていないため、ブレンド米と備蓄米の区別をつけるのは難しい一面があります。そのため、紹介するものは「複数原料米」であっても備蓄米が含まれていない可能性があります。ご了承ください。

 

1. 安いといえば?

最初に紹介するのは、「安いといえば○○」という連想ゲームで名づけられているお米たちだ。

 

安い=食べ放題!

安いを極めるとたどり着く頂点の場所、そこが「食べ放題」だ。

人は食べ放題を求める。

すたみな太郎」では生肉や寿司を火あぶりの刑に処し、「しゃぶ葉」では肉の入った容器をタワマンのように積み上げていく。

それらに共通する魅力が「安さ」だ。

では、ここで考えてほしい。

 

「安い商品」であれば、実質「食べ放題」なのでは。

 

この自由な発想のもと、新しいパッケージがこの世に一つ生まれた。

「大満足 食べ放題」

この勢いの良さ、好きです。

 

安いといえば「楽しい」

次はこちらを見てほしい。

「楽しい食卓」

お金の余裕は幸せに直結するものだ。

もし5キロ6000円のお米を仕方なく買ったとしよう。ため息をつきながら精算機にお札を滑らせることとなる。

お米を食べるときに値段を思い出し、表情はくもってしまうに違いない。

 

では、逆に安いときはどうなるか。家計にゆとりができてお父さんお母さんはにっこり。それが子どもにも伝わり、食事は笑顔のあふれるものになっていく。

この風景を一言で表したのが「楽しい食卓」ということだ。

無洗米もあるよ。

 

安さといえば「応援」

今度は売る側の目線で考えてみよう。

お店としてはお客さんに笑顔になってほしい。でも、利益を出さないといけない。

物価高の苦しみをやわらげることがしたい。

そうだ、「応援」の意味をこめて安いお米を仕入れよう。

「くらしの応援米」

買う側だけではなく、売る側にもまた別の悩みはあるものだ。

そんな思いがにじみ出ているパッケージでした。

 

2. 私がブレンドしました

お米が売るとき、陰の功労者がいることを想像したことがあるだろうか。

それが、お米を集めてお店に届けるまでにかかわっている業者の方々だ。

 

普通のお米のパッケージで彼らが目立つことはない。

なぜなら、パッケージの主役は「銘柄名」だから。

 

しかし、備蓄米は複数のお米をブレンドして作るので主役がいない。

その結果、今までは裏方に徹していた「業者名」がパッケージの主役に躍り出るお米がでてきたのだ。

 

たとえば、JAグループの「全農パールライス」。

「パールライスのお米」

「全農パールライス」がブレンドしたので「パールライスのお米」と。

「私がブレンドしました」とばかりにパッケージのセンターをつとめる「パールライス」の文字は、どこか誇らしげだ。

 

名古屋を拠点としている「ヤマトライス」が売り出すお米は、名づけて「ヤマトTHEライス」だ。

「ヤマトTHEライス  おいしいお米を全国から選りすぐり」

アニメやドラマの劇場版に「THE MOVIE」をつけることで特別感を演出することがある。この手法をまさかお米でも見るとはね。

お米が主人公の映画があるとすれば、いったいどんなものになるんだろう。

 

3. 産地はあります!

お米の銘柄名の中には、「地域」をイメージするものがある。

たとえば、「ゆめぴりか」と聞くと雄大な北海道の平地が頭に広がる。「あきたこまち」と聞くと秋田のきりたんぽが食べたくなる。*

つまり、お米のパッケージのセオリーの一つは、「地域色を出す」ことだ。

 

そのノウハウは、一部の備蓄米でも活かされている。

たとえばこちら。

「北海道産のお米」

実は、ブレンド米でも地域色を捨てないですむ方法がある。

「同じ地域のお米だけでブレンド」すればいいのだ。

これにより、「備蓄米感」がうすい雰囲気で売ることができる。

 

「その手があったか! でも、バラバラな地域でブレンドしちゃったよ……」

そんなことを思った業者の方!

安心してほしい。

まだ、手はあります。こんな風に。

「国内産100%のお米」

「日本産のお米をブレンドした」とアピールすればいいのです!

「すごそうなお米に見えて当たり前なことを言ってるだけ」なんてつっこまれても気にしてはいけない。まちがったことは書いてないので。

 

「やっぱり日本のお米」

日本産であること、それだけで立派なお米だ。誇っていこう。

 

*あきたこまちに関しては、秋田県以外でも育てられている。

 

4. 品種名に擬態しよう

お米の主役である「銘柄名」が備蓄米では封じられていると最初に書いた。

が、これの抜け道がある。

それが、「お米の銘柄の名前をつける」ことだ。

「縁の舞」

備蓄米は、新たな出会いを作り出す。

普通の日常では出会うことのなかった「二人(異なる銘柄のお米)」が「ひょんなきっかけ(備蓄米放出)」で「結ばれる(一緒にブレンドされる)」こととなる。

そんな物語から生まれたTHE MOVIEに名前を付けるとしたら、「縁の舞」だろう。

クライマックスは炊飯器の中で舞い上がる二人のシーンでお願いします。

 

出会いといえば、こんなのもどうでしょう。

「きらめぐり」

不思議な「星(キラッ)」の「めぐりあわせ(備蓄米の放出)」で出会った彼らの物語だ。

そう思ってパッケージをながめると、映画のポスターのように見えてくる。見えてきません?

 

二つの合わせ技を使っている備蓄米もあった。

「キタノイロドリ」

いかにも銘柄っぽいが、これもブレンド米だ。

北海道産のみをブレンドして地域アピールするだけでなく、「キタノイロドリ」という銘柄っぽい名前をつけることで、いかにも「エリートのお米感」を醸し出している。

 

「太陽の恵み」

これもシンプルで良くないですか。

お米のパッケージでありながら「どの食物にもつけられる名前」なのが味わい深い。

この袋にジャガイモを入れたら誰も米袋だと気づかないでしょう。

 

5. 備蓄米の匂わせ

ところで、備蓄米はなぜここまでひねった名前をつけているのだろう。

シンプルに「備蓄米」と書いて売り出せばいいのではないか。

調べてみると、理由が見つかった。

 

備蓄米とあえて表記しない理由について、JA全農は「買う人が取り合いになり、消費者や流通が混乱することを避けるため」と説明する。

FNNの記事より引用)

 

備蓄米を隠しているのは、イベントのとき騒がれないように裏口から入場する有名人と同じ理論だったのか。

(だだ農林水産大臣が変わってからは、備蓄米と書かれたお米も現れ始めている。)

 

ならば、備蓄米とわかるような匂わせをすれば、売れるのでは?

その発想のもと生まれたのが、「ブレンド米」を前面に売り出すパッケージだ。

「国内産ブレンド米」

普通の銘柄の真似をせずに、あえてブレンドしたことをアピールすることによって、「僕、備蓄米っぽいでしょ?」と振り向かせるたくましさよ。

 

「お買い得米 生活応援ブレンド米」

こちらは、これでもかと「お得」をアピールしている。

このパッケージを見ていると短歌ができたのでご査収ください。

お買い得 生活応援 ブレンド
ご理解の上 買い求めてね

 

6. お米はごはん

「ごはんはおかず」という曲がある。

ごはんはお好み焼きやラーメンといった炭水化物にも合うから、主食というよりおかずだ!

と主張しつつ、

でも納豆や生卵とも合って最高だよね

と、ごはんへの愛を高らかに歌い切った名曲である。

 

この曲で分かるとおり、日本人は

「ごはんだいすき」

なのだ。

 

深く考えることはない。

お米のパッケージにも「ごはん」と書いておけば売れるのだ。

 

なぜなら日本人は、

「ごはん主義」

だから。

ごはんさえあればハッピーなのだ。

ごはんさえあれば頑張れるのだ。

「今日も元気だごはんがうまい!」

ごはんさえあれば元気なのだ。

 

ごはんはすごいよ、ないと困るよ。

だから、早く値下がりしますように。

『チェーン店が好きだ』を文学フリマ東京40で頒布します!

昨年の12月、「待ち合わせ同好会」というサークル名で文学フリマに参加した。

そして、今回、同じサークルで文学フリマ東京40に参加します!

新刊の中身

前回に引き続き、「電車待ちに読むブログ」の人と一緒に作った本になります。

今回は「チェーン店」をテーマにそれぞれ記事を持ちよったものになる。

今回の記事は三つだ。

  1. サミットが主催するお祭りに行ったらサービス精神に圧倒された(あわうみ)
  2. くら寿司が大阪・関西万博で世界の料理を商品化したので、関東で食べられる32店舗を全部巡ってきた。(電車待ち)
  3. 小田急」のスーパーが一店舗だけ「京王線」沿いにある(あわうみ)

おまけとして、それぞれの記事の裏話をのせた「座談会」が今回も入っている。

ページ数は、なんと168ページ!

前回の96ページから大幅な進化だ。

よろしくお願いします!

 

出店の情報

イベント名:文学フリマ東京40

日時と場所:2025年5月11日 東京ビッグサイト

サークル名:待ち合わせ同好会

作者:あわうみ・電車待ちに読むブログ

ブース番号:す-62

お品書き

  1. チェーン店が好きだ(新刊)
  2. 歌詞をたよりに集まる
  3. 「國威宣揚」と書いてある石碑の本




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