
この記事でわかること
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エンジニアの「構造的思考」を経営課題のデバッグや事業戦略の策定に転用するフレームワーク
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ビジネスモデルを「システムの入出力」として捉え、解像度を高める方法
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自分を「プロダクト」に見立て、バックキャストでキャリアパスを設計する訓練法
エンジニアとして技術を極めることと、経営や事業の視点を持つことは、一見すると対極にあるように思われがちです。しかし、株式会社タイミーで執行役員CTOを務める山口徹氏は、「エンジニアが得意とする構造的思考こそが、不確実なビジネス環境を生き抜く最大の武器になる」と語ります。
サイボウズ・ラボでの研究開発から、DeNAでの大規模プラットフォーム構築、そしてスタートアップでのCTOやCPOなど、多様なレイヤーを渡り歩いてきた山口氏が見出した、技術とビジネスを「地続き」で捉えるための思考法とは。
変化の激しいAI時代において、自分自身を「プロダクト」のように捉えてキャリアを高める方法について伺いました。
山口 徹
株式会社タイミー 執行役員CTO
東京工業大学工学部電気電子工学科を中退後、サイボウズ・ラボにて研究開発に従事。その後、DeNAでMobageなどのプラットフォーム開発を牽引し、専門役員を歴任。B2B SaaSのCTO兼CPOを経て、2023年にタイミー入社。VPoT、CPOを経て、2024年11月に執行役員CTOに就任。
目次
エンジニアの「システム思考」は、経営課題のデバッグに転用できる
山口さんはエンジニアからキャリアをスタートし、マネジメント、そして経営層へと役割を広げてこられました。立場が変わる中で、エンジニア時代の経験がどのように今の業務に活きていると感じますか?
エンジニアとしてのバックグラウンドは、現在の経営や事業推進において非常に強力な武器になっています。特に、経営課題や業務上の問題に直面した際、常にその背景を構造的に捉える「システム思考」が自然と発動する点は大きいですね。
具体的には、ビジネス上の課題を単なる表面的な事象として捉えるのではなく、その裏にある構造やメカニズムを分解して理解しようとします。これは、複雑なシステムをモジュールごとに分けたり、マイクロサービス間の依存関係を整理したりする考え方と全く同じです。
複雑なプログラムを整理するように、ビジネスの課題も分解して捉えるのですね。
そうです。例えば「売上が伸び悩んでいる」という課題に対して、それをマーケティング、プロダクト、オペレーションといった要素に切り分け、それぞれの入出力やデータフローを整理していきます。そうすることで、真の課題がどこにあるのかという「ボトルネック」を特定しやすくなります。
ビジネスの課題を「デバッグ」しているようで、エンジニアにとっては非常に馴染み深いアプローチに聞こえます。
構造的に捉えることで、表面的な対症療法ではなく、根本的な課題解決に向けた本質的な議論ができるようになります。DeNA時代にシステムアーキテクトとして徹底的に設計に向き合った経験が、今の経営判断の土台になっていると感じます。
技術を徹底的に深掘りした経験が、他ドメインへの越境を可能に
「ビジネス視点」を重視するあまり、若いうちから技術の習得をそこそこにして、マネジメント側に回ろうとするエンジニアもいます。山口さんは、一度技術を徹底的に深掘りするプロセスにはどのような意味があるとお考えですか?
技術の深掘りには非常に大きな価値があると考えています。特定の技術スタックやシステム工学を深く追求する過程で、「そのドメインを深く構造的に捉える力」そのものが養われるからです。ここで言う「ドメイン」とは、対象とする特定の専門領域や、解決すべきビジネス上の領域を指します。
表面的な知識だけでは、システムが「なぜそうなっているのか」という背景や各要素の相互作用までは理解できません 。しかし、一つの領域を徹底的に掘り下げて「なぜこの設計なのか」「どんなトレードオフがあるのか」を突き詰めた経験があれば、その思考の型(フレーム)を他の分野にも転用できるようになります 。
一つのことを突き詰める過程で、汎用的な「思考の筋肉」が鍛えられるわけですね。
特定のドメインで「構造を見抜く力」を一度身につければ、それはビジネスドメインや組織マネジメントにも応用可能です。逆に技術への理解が浅いまま「ビジネス視点」を持とうとしても、表面的な模倣に終わり、本質的な意思決定は難しいでしょう。
越境するためにこそ、まずは一つの場所に深く根を張ることが必要だということですね。
「普遍的な構造把握力」を鍛えられる領域を選んで深掘りすることが、結果的に他領域への越境を可能にする最短ルートになります。
ビジネスモデルを「システムの入出力」として読み解く
エンジニアがビジネスモデルを理解しようとする際、具体的にどのようなステップを踏めば、山口さんのような「構造的な理解」にたどり着けるのでしょうか。
ビジネスの本質は「顧客課題を解決する価値提供(アウトカム)」によって「対価(アウトプット)」を得る行為です。 これはプロダクトマネジメントの本質そのものですよね。 まずは、「誰に」「何を」「どのように」提供して対価を得ているのかというコアな価値交換を特定することから始めます。
それはエンジニアがシステムの要件定義をするときに、ユーザーやデータの流れを定義する作業と非常に似ています。
非常に近いです。その思考を補助するために私が推奨しているのが「ピクト図解」という手法です。 登場人物をアイコンで配置し、3W1H(Who, Whom, What, How much)を記号と矢印でつなぐだけのシンプルな手法ですが、複雑なビジネスモデルを可視化するのに非常に有効です。
例えば、タイミーのビジネスモデルを簡略化してピクト図解風に整理すると、以下のようになります。

このように商流をデータフロー図のような「入出力」として描くことで、ビジネスの本質が一目で理解できるようになります。
図解することで、どこが収益の源泉なのかが明快になりますね。
さらに、事業全体の流れをシステムのメトリクスとして捉えるには、ドラッカーの「八つの目標」を活用するのが良いでしょう。

この図を見ると、資金がインプット、利益がアウトプットという流れが明確です。これならPL(損益計算書)の数字も、単なる結果以上の意味を持ってきそうです。
売上高はプロセスの最終アウトプットであり、営業利益はインプットとアウトプットの差分、つまりシステムの「処理効率(ROI)」を示します。生産性はシステムの「スループット」に相当します。ビジネスをこのようにシステムとして定義できれば、エンジニアはビジネスサイドと共通の解像度で議論ができるようになります。
VPoT、CPO、CTO…役割を「スイッチ」し、希少性を生み出す
山口さんはタイミー入社後も、VPoT、CPO、そして現在はCTOと、目まぐるしく役割を変えています。あえて役割を固定しないことで得られる強みは何でしょうか。
最大の強みは、「バリューストリーム全体」を俯瞰的に理解できるようになったことです。バリューストリームとは、顧客のニーズを発見してから、プロダクトを企画・実装し、ユーザーに届けてフィードバックを得るまでの、価値創出の一連のプロセスの流れを指します。
従来、エンジニアとして関わっていたのは主に「実装」という中流工程でしたが、全プロセスを異なる責任者の立場で経験することで、どこにボトルネック(停滞)が生じやすいのかを構造的に特定できるようになりました。その結果、異なる専門性を持つステークホルダー(関係者)間の「翻訳者」としての役割を担えるようになったのです。
開発の現場から経営の意思決定まで、それぞれの職域で使われる「言語」の橋渡しができる。その希少性は凄まじいものがありそうです。
例えばエンジニアリングの組織課題を解決するVPoTの視点があれば、CPOとして無理なリリーススケジュールを組むリスクを「開発速度の低下」という観点で予測できます。逆にCPOの視点があれば、CTOとしてどの技術投資が最も事業成長(バリュー)に直結するかを冷徹に判断できる。
あえて役割をスイッチし続けることで、「組織の現在のボトルネックに合わせて自分を最適化し、最大火力を出す」ことが可能になります。
その時々の「組織の急所」に自分をデプロイし直すイメージですね。
この多角的な視点こそが、現代の複雑な企業経営において、極めて高い希少性を生むのだと感じています。
役割を変える際に、特に気をつけていることはありますか?
新しい役割に就く際は「郷に入っては郷に従う」姿勢を徹底することです。エンジニア出身者はつい「How(どう作るか)」から考えがちですが、CPOや経営の立場では「Why(なぜ作るのか)」や「What(何を作るのか)」が最優先です。
エンジニアリングの知識があるからこそ、あえて「How」を抑える。それは勇気がいりそうです。
事業側が求めているのは「技術的な美しさ」ではなく「顧客への価値提供」です。エンジニアリングの文脈を引きずったまま不用意な「How」の提案をしてしまうと、顧客が望まない機能を量産する「ビルドトラップ(作ることに囚われてしまう)」を招きかねません。
各ロールにおける「守るべき境界線」と「果たすべき責任」を明確に意識し、その時々の「役割としての正解」を追求することが、越境を成功させる鍵になります。
技術的な「正論」を、組織を動かす「納得感」に変える技術
現場のエンジニアがビジネスサイドと対立しやすいのが、「技術負債の解消」などの必要性を訴える場面です。山口さんは、技術的な「正論」をどう伝えていますか。
技術的な正論をそのまま伝えても、非エンジニアには「開発現場のわがまま」にしか聞こえません。経営層やビジネスサイドを動かすには、彼らの共通言語である「コスト」「リスク」「機会損失」の3軸に翻訳することが不可欠です。
感情論ではなく、ビジネス上の損得勘定に変換するわけですね。
例えば「リファクタリングをしたい」ではなく、「この負債があることで新規機能の開発コストが現状の1.5倍に膨らみ、競合に市場を奪われる遅延コスト(機会損失)が発生している」と伝えます。
あるいは「このライブラリの更新を怠ると、深刻な脆弱性によりサービス停止と顧客流出のリスクが◯%存在する」といった表現です。
まさにエンジニアリングをビジネスロジックへとデプロイし直すようなコミュニケーションですね。
さらに私は、これらを客観的に評価するために「リスクマトリクス」を活用しています。縦軸に「ビジネスへの影響度」、横軸に「発生確率」をとり、技術負債や不具合の影響をプロットして可視化するのです。
視覚化されることで、なぜ「今」やるべきなのかが誰の目にも明らかになりますね。
これにより「今すぐ対処すべき致命的なリスク」と「許容できる技術的負債」の優先順位が明確になり、経営陣も「なぜそこにリソースを割くのか」を納得した上で意思決定できます。単なる感情的な訴えや技術的なこだわりではなく、経営判断に必要な「情報」へと昇華させること。これこそがエンジニアの持つ論理性を活かした、組織を動かすコミュニケーションの技術だと言えます。
さらにもう一歩踏み込んで、「自分たちが作っている機能が、バリューストリーム上のどの価値に寄与しているか」を構造的に示すことも非常に有効です。対話の「地図」を持っておくイメージですね。例えば、タイミーにおける顧客価値と、それを支えるプロダクトの機能群を整理した以下の図を見てください。

このように機能と価値をマッピングして可視化することで、特定の技術課題を解決したり新機能を開発したりすることが、結果的に「なめらかな雇用体験」や「良いマッチング」という事業成果にどう繋がるのかを、ビジネスサイドと共通言語で語れるようになるのです。
自分自身を「プロダクト」としてマネジメントせよ
生成AIの台頭により「実装」のコストが激減しています。中堅エンジニアが「指示を待つ側」から「価値を定義する側」へ回るために、どのような訓練をすべきでしょうか。
AI時代、エンジニアの仕事は一言で言えば「指示と検証」に集約されます。適切なプロンプトを出し、AIが出力した膨大なコードの妥当性を評価するためには、コンピュータサイエンスの基礎やアーキテクチャ設計といった、普遍的な基礎体力が今まで以上に重要になります。その上で、私が最も強調したい訓練法は、「自分自身を一つのプロダクトとして捉えること」です。
自分自身をプロダクトに見立てる。これは非常にエンジニアらしい、それでいて挑戦的な考え方です。具体的にはどうすればよいのでしょうか。
これは「自分のスキルや時間」を「資本」と考え、それをどこに投資してどのような「価値(ベネフィット)」を市場に届けるかを戦略的に考える思考法です。自分が取り組んでいる日々のタスクや学習を「開発バックログ」と見立て、それが自分の目指す「プロダクトゴール(5年後、10年後のキャリア像)」に対して、本当に筋の良い投資になっているかを常にセルフレビューしてください。
もし日々の「バックログ」がゴールに繋がっていないなら、自分の身の置き方を「ピボット(転換)」しなければならない。まさにキャリアを「バックキャスティング(逆算思考)」で捉えるわけですね。
その通りです。一方で、ただ目の前の技術を積み上げる「フォアキャスティング(順算思考)」的な生き方だけでは、変化の激しいAI時代に迷子になってしまいます。
ここで言う「フォアキャスティング」とは、現在を起点に、今の状況やスキルの延長線上で「何ができるか」を積み上げていく考え方のことです。 着実ではありますが、変化の速い時代には、積み上げた先に目的地がないという事態が起こり得ます。
それに対して「バックキャスティング」は、まず理想の未来(ゴール)を定義し、そこから遡って「今、何が必要か」を導き出すアプローチを指します。 変化に振り回されず、自らの市場価値を定義するためには、この「逆算」の視点が不可欠です。
以下の図を見ていただくと、現在からの積み上げ(フォアキャスティング)と、未来からの逆算(バックキャスティング)の違いが明確になるはずです。

これからは指示を待つのではなく、自らの価値を市場にどう適合させていくかという「マーケットイン」の視点が欠かせません。もし、自分が現在持っている技術や役割が市場のニーズと乖離し始めているなら、「理想の未来」へ到達するために、自分をピボットさせるか、あるいは自分の強みが最も高く評価される市場へと環境を移すべきです。
受動的にならず、自らの「プロダクトビジョン」を自ら定義し直す必要があるということですね。
アプローチは二つあります。「自分を環境やニーズに合わせて変化させる道」と、「自分の強みが活きる環境の方へ自分を動かす(転職など)道」です。どちらが正しいということはありません。
重要なのは、自分の特性や価値観を深く理解した上で、納得感を持って選択することです。エンジニアリングで培ったその論理性を、ぜひ自分自身の人生というプロジェクトにも適用して、越境することを楽しんでほしいと思います。
ライター