2026-03-10 コンサート『閃光のハサウェイ THE SOUND OF U.C.0105』感想、酩酊し難い「毒入り団子」とその音楽を浴びて思ったこと ライブ感想 音楽 はじめに 開演前、高まりと不安と 終演後、情緒がおかしくなる 『逆襲のシャア』を巡る個人的な思い さいごに おまけ、ライブの感想を漁り思うこと。 はじめに 映画『閃光のハサウェイ』を題材としたコンサートあり、参加してきました。劇伴を担当された作曲家、澤野弘之さん関連イベントと言ってよいかと思います。 毎度の如く、ライブレポというより自分の心の動きを綴った日記、エッセイの・ようなものです。開催日前後の記憶を再構成しました。 開演前、高まりと不安と 開催日が近付いて、ようやっと自分の人間ドック受診と思い切り重なっていることに気付きました。いやさすがに時間帯は被らないんですが、なんでこの日に入れたんでしょう……。だいぶ前に申し込んで忘れていたからですね、はい。 病院を済ませて、コンビニでチケット発券~確認したところ、だいぶ後方席でした。それはまあー般応募ですから。ただ東京国際フォーラムのホールCで着座のコンサート形式だから、そこまで見え辛いとかはないはず。オールスタンディングだと、前席の方がガタイ良いだけで、なんも見えんことありますから。 現地到着。入口で協賛企業SANKYO様からのお土産が渡されました。そうだよな、パチンコマネーのお陰で映画やライブが出来るんだよな、感謝すべきなんだよなと思いつつ、若干のモヤモヤもあり。じゃあ教えてくれよ、この仕組みの深さを破壊する方法を……とハサウェイ君なら言うところでしょうか。 席は3F後方ですが、どセンターなので視界は悪くないかも。 始まる直前、楽しみで期待膨らませつつ、しかし若干の不安もあります。何度か書いてるのですが、映画『閃光のハサウェイ』って提示される映像や音楽と情緒が一致しないと思っているのです。例えば歌曲の"TRACER"とか披露されたら「これ要人暗殺を兼ねた陽動シーンなんだよな」とか、いちいち考え込んでしまいそう。素直にかっこいいなー、楽しいなーと盛り上がり難いと思うんですよね。毒入り団子みたいな作りなので酔っ払いづらいとも言えます。 これが『ガンダムUC』なら主人公のバナージ君と同期して「悲しさを感じる心を知る人間のために」とか「自分を決められるたったひとつの部品だ」とか叙情詩にうっとり浸れると思うんですよ。ハサウェイ君だと耽溺するの難しいよなと……。 こんなこと書きながら、実際に音を浴びたら、1ミリも考えずにウヒョーと興奮、即堕ち二コマ漫画みたいになるのか……。開幕です。 終演後、情緒がおかしくなる うーん、見事に情緒がおかしくなりました。この曲はそりゃやるよな、からのあの曲やったらいいなーという妄想が最大火力で出力されて、めちゃくちゃ満喫してしまいました。RINGS KOK武道館大会にて、田村潔司vsヘンゾ・グレイシーの折にUWFのテーマが流れてきた時の興奮と言えば分かり易いでしょうか(分かり辛いよ)。 おかしくなった詳細は後述するとして。その他、感じたことを先に挙げてみます。 ライブの真ん中でトークパートあり。『ガンダムUC』と『閃光のハサウェイ』の曲作りの違いを聞かれた澤野弘之さん。「UCはヒロイックな作風なのでメロディアスなオケ主体。ハサウェイはまた違う物語なので、オケは控えめに電子楽器やビートを強調している」という旨の発言をされていました。 実際に楽曲をこうして浴びて思ったのは、音作りの参照元に『トロン: レガシー』があるんじゃーないかな……ということです。曲で言うと"car5p3 / PENELOPE"とかに特にそれを感じます。シンセの低音と重厚なビートが這うような構成。 www.youtube.com www.youtube.com また公言されているハンス・ジマーからの影響は勿論あり、"XI"とか『インターステラー』のオルガン風の音色も取り込まれていると思うのです。他にもエレクトロとオケの合一手法、『X-MEN:ダーク・フェニックス』とかも類似性を感じました。これもまた自分の牽強付会耳、素人の箪笥からの引き出しなんで、全然ちゃうかもですが。 www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com ライブ前のブツクサ、当たらずとも遠からずな部分もありました。いや、演目や演奏にはなんの文句もないんですよ。自分の受け取り、心の動きの問題です。曲が最高潮に盛り上がる瞬間に「でもこの時、ハサウェイ君、ギギをハグして欲情してたんだよな……」とか考えてしまうことあり。 あと背景に投影される映像が曲とシンクロしない瞬間あり、没入を阻害される感もありました。ギギが雇用主の伯爵のためお仕事してる場面で流れる"CIRCE"とか、なにやらポップな映像エフェクトが載せられているのですが、いやそういう曲じゃないし、本編ビジュアルのままで良かったんちゃいますかと。バラード"ENDROLL"も尺の都合でストレッチするので、ケリアとの関係性以外の映像が挿入されると、蛇足感も覚えてしまい。いちいちうるさい客だなあ>おれ。音楽と視覚情報とのズレが贅沢な悩みとして浮上してしまった、という事かと思います。 ここら辺のゴチャゴチャした思考が、最後に全部吹き飛ばされる感あって、余計に情緒おかしくなったのかもしれません。 『逆襲のシャア』を巡る個人的な思い Day2も含め全公演終わったのでネタバラシすると、最後に「ハサウェイ以外からの曲もやります」と断り入れて『ガンダムUC』からのメドレーあり。そこからエンドロール流れて演目終了。……かと思いきや照明点滅して再登壇。SennaRinさんとLacoさんのデュエットで"BEYOND THE TIME"を『逆襲のシャア』の映像バックに披露するという流れ。こんな演出されたらそりゃ情緒おかしくなるのも仕方ないって……。 www.youtube.com 未だに"BEYOND THE TIME"、『逆襲のシャア』擦って感激するなんて、これだからオッサンはと言われそうですが。オッサンはその通りなんですが、少し言い訳させてつかあさい。 逆シャアって自分の中でずーっと小骨が刺さった作品と言うか、受け入れ辛い存在だったんですよ。アンチヒロイックな作風で、最後に人間のスケールの小ささを描いて、いきなりビヨーンと終わってしまう。なにこれ……と。しかし『閃光のハサウェイ』見たことでやっと腑に落ちた感があったのです。 ハサウェイは逆シャアに物語だけでなく芸風的にも連なる作品なんだなという理解です。理想を掲げながらも、その実はしょーもないエゴに囚われる人間の性を描いてる。同時にそれこそが人間らしさかもねと訴えている作品なんやと。 ここら辺、以前に記事書いたので、詳しくはそちらお読み頂けると幸いです。 tekkmakk.hatenablog.com 類似のことは幾原邦彦さんが、かつて語っていた認識です。ただ、論としては分かるけど、腹落ちしていなかったんですね。それがやっと理解できた気がしたのです。 この心境になった今、コンサートで"BEYOND THE TIME"を聞くと、かつては感じなかったエモーションを感じてしまったわけですね。愚なる者、汝は人なり。という諦念と「でも、やるんだよ」という提起。 この日のライブ、映像投影にトラブルあり時折にブロックノイズが載ったりしていたのですが、最後はバッチリ。逆シャアの面白映像の数々が走馬灯のように流れてゆく。「未成年者をかどわかして!」とか、これまでなら笑ってしまったシーンも、一周して人間のおかしみとすら思えてきました(ちょっとどうかしている)。 終演後に興奮した状態で斯様な心境を早口で説明したところ、「それは……危ないですね」と普通に心配されてしまいました……hahaha。音楽の感想と言うよりはあなたの脳内物語の問題ですやん、と言われたら、それはまあ、はい。 さいごに 澤野弘之さん関連ライブ行くたびにLacoさんのパワフル極まりない歌唱にひれ伏している感あります。あとこの流れで来週はSennaRinさんのソロライブ見に行くので、めちゃんこ楽しみです。うーん、仕事してる場合じゃない(しましょう)。 終演後、テンション上がって東京駅周辺をウロついてこようと思っていたら、昼に病院で飲んだバリウムのせいか急激な腹痛に襲われ、これはもう帰ろう、健之介帰ろう……と撤収しました。ライブ中に発生しなくて本当によかったです。 おまけ、ライブの感想を漁り思うこと。 ライブ後にSNSやブログ含めて感想を漁ったりしていました。熱量ある方のライブ感想を読むの、好きなんですよね。特に自分も参加したイベントの場合。 基本的にはライブって一回性のもので二度と体験できないから、それを朧気にでも追体験する、文章でその感触を再度味わうことができる、それがより嬉しいのかもしれません。もちろんライブアルバム等、追体験の手段はゼロではないんですが。 自分と近い、あるいはまるで異なる感覚で体験した肌触りを知ることが出来る、それが面白く感じるのでしょうね。一回性を多声性に変える、というとカッコつけ過ぎでしょうか。以前にこんなこと書きました。 ライブ後って頭の中で先ほどの音が反響していて、プレイリスト等の音源でセトリを再現して聞くのはその時の体験のしっぽを掴まえようとする試みのような気がします。でも時間が経つとやがてその感触は薄れ消えていく。 先に書いた一回性の哀しみですね。ライブ感想を読むのも抗いの一種で、薄れ消えてゆくトキメキの感触を無理クリに固着させようとしている……と言うとこれまたポエムが過ぎるかしら? またこれも以前書いた話なんですが。もうテキストという分野では人間より人工知能の圧勝だと思うんですよね。文章読解とか、文脈理解もそうだし、網羅性や知識では敵うわけがない。残る領域は動機、ぐらいなんじゃないか。何故そこに向かうのか、という最初のキック、トリガーだけはかろうじて人間の持ち分ではないか。それもいまや模倣可能でっせ、と言われたら、まあ、ハイ。 なにが言いたいかと言うと、ライブ感想なんてまさにそうなんですが、AI生成の最大公約とかではなく、その人自身の動機、気付きが乗っかった文章こそ読みたいと思うのです。これまた無理クリ言えば自伝的批評ということでしょうか。 自分がそんなもん実践出来てるとはよう言わんですが、好みはそっちだし、出来ればそこへ近付くこと出来れば、という話でした。