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オッサンによるアイドル、スタア唯幻考。心が弱っている時に効く関係性エモ、その誤謬について。

四天王プロレスFILE~至高の闘いの全記録~

はじめに

  • 年末進行への逃避として、毎度の与太を書きました。他人様の関係性を勝手に読むのって興奮するよねー。いやそれは誤謬かもしれない。そして対象を時には追い込んでもいないだろうか……という幾許かの自省もあり。でも辞められない、という話です。
  • だいたいはプロレスとアイドルの話をしています。ジャンルが違っても、そこで受け手に発生している情動は同じなのではないか、と思って書いています。

逃避としての関係性萌え、別サークルの交わりに興奮するという話

  • 仕事が絶不調のため、自宅では逃避として犬がコロコロしたり、アイドルがワチャワチャする動画ばかり見ていました。これはもう心が弱っているのかもしれない……と言ったら、「好不調に関係なく、だいたいいつもそんなんばっか見てるじゃん」と言われ、それはまあその通りです……。
  • 無理やり繋げると、犬種の違うワンコが仲良くしたり、タイプの違うアイドルが仲良くしているのを見ると嬉しくなるという性癖が自分にあって。勿論、そういう交流って現実にゼロではないけれど、少ないとは思うんですよね。だいたい宗派の近い人間同士でつるみがちだから。
  • であるが故に、異なるサークルの人間が交流したり、仲良くなるのを見ると微笑ましさ、羨望込みで嬉しくなるのだなーと思います。この性癖をちゃんと自覚したのは結構遅くて、海外ドラマ『glee』で不良とメガネがつるみ始めるエピソードを見た時でした。なにこれ萌えるーという。役割が違う者同士が、同じ場所に放り込まれたせいで、偶然にも仲良くなってしまう、そこにエモさを感じるわけですね。
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  • 比較的に最近のフィクションで言うと漫画『スキップとローファー』とか、まさにそういう喜び(とそれだけでない、しんどさ)が見事に描かれていると思います。虹ヶ咲のワチャワチャとか好きなのも同じ傾向かも……。MyGOのカップリングで言うとあのたきとか。
  • 関係性萌えと言えばそれまでの話ですが。現実のグループアイドルとかでも「同期でなければ、とても仲良くならなかったと思う」なんて本人たちが語るのを見ると、同種の感慨を(勝手に)覚えたりします。うーん、やはり弱っているのかもしれない。俺の心が。

プロレスラーに見る関係性の物語

  • 関係性に興奮する、という話。これはアイドルに限らずプロレスラーの間柄とかでも同種の感興を覚えたりします。
  • 例えば、新日本プロレスにて、同期だった藤田和之と真壁刀義の話。練習生の頃に先輩(たぶん佐々木健介だと思う)に理不尽にしごかれた二人が、鍵の壊れた寮で毎晩一緒にビールで飲んだくれて過ごしたなんて話。藤田はレスリングエリートで真壁は学生プロレス出身の雑草育ちなわけですが。そういう違いを超えて交わった、長い永い夜があるんだなーというのに心動かされるわけです。
  • 他にも、思えば四天王プロレスは試合内容もさることながら、関係性萌えの極北たるものだったかもしれません。同時に、それが既に喪われ、回復不可能になってしまった、という展開にひどく動揺したり、執着してしまうところもあります。毎度の話ですが、前田日明と高田延彦の関係であるとか……。あんなに一緒だったのに、夕暮れはもう違う色、というやつです。
  • ただまー下品なことをしている、という自覚もあります。あらかじめそう読まれることを予期しているフィクションと違って、現実の人間関係を勝手に詮索して、お話として消化しているのはまーお下品なんだよなーと。でもじゃあ辞めるか、と言うと好きだからこういった営みを続けてしまうんですが……。
  • さっきのプロレスラーの話は試合外の話でしたが、プロレスは試合内にもそういう関係性が持ち込まれているのでややこしい。現実でありながらフィクションとしての要素が入り混じり、読者の誤読を期待しているわけですね。
  • 無理矢理に話を広げるなら、フィクションをフィクションのまま受け止めるのって案外難しい。凡人の自分はそこに勝手に物語性や真実味を付加して摂取してしまう。

アイドルに見る関係性のエモと罪悪感

  • これプロレスに限らず、ナマモノだけれど、アイドルや2.5次元系のライブもそういう物語的に読まれることを予期して演出されているとも思います。受け手のおいらもその誤謬を味わいたくて見てしまうところがあります。
  • 例えばー、最近でエモーショナルやなーと思ったのが、乃木坂46の久保史緒里さんの卒業ライブ。配信で見ただけなんですが、『帰り道は遠回りしたくなる』という楽曲の披露が秀逸で。「君と離れるのは悲しいけれど~広い世界知らなきゃいけない」という本来モノローグ風の歌詞を後輩の遠藤さくらさんと歌い分けて、ダイアローグに変えているの。これなんて元来の歌詞にないエモーションを後輩先輩という現実のアイドルの人間関係がブーストかけているわけで。めちゃくちゃエモエモしい、とも思うし、このエモって演出による誤謬、感傷に過ぎないのでは、という疑念もよぎります(めんどくさい)。
  • なんか改めて書くのもヤーボーだけど「偶然だったように見えるものを、演出により再現可能な形式に加工している」わけですよね。それを見てエモエモしくなる自分はチョロ過ぎるとも言えます。
  • ここから先は書かない方が良いと思いながら、深夜の勢いで書いてしまうと、この情緒ってアイドルだから、つまり見目麗しい女性相手だから発生しているんだよな……というどうしようもない気持ちもあります。後輩の遠藤さんが涙目で歌って、先輩の久保さんの手を引いて踊る姿にクソエモくなるわけですが、当たり前ですが、おっさん二人がこれを再現しても、俺はなんも感じないと思うので……(ひどい)。
  • 自分のエモーションの半分ぐらいは視覚的美しさに引き起こされた幻惑の・ようなものではないかという気持ち。あんこくしんわの話を書いた時に、これって聖的希求ではなく性欲ではないか、という益体もないこと書いたけど、それに近い心性です。
  • あーいや些か露悪的に書きましたが、本当のホントは、別にこれ全てが性欲ではない、とも思います。それ以外の情緒の発生源もある。ただ不思議だよなーと思うのは麗しさに幻影を見る心の動きのことで、人は(俺は)対象が美しいと感情移入してしまう。関係性や物語をそこに勝手に見出してエモエモしい気持ちになってしまう。つまり「美が情緒の回路を開いてしまう」わけですが、そのメカニズムって面白いとも言えるし、一方で残酷だよなーとも思います。べつに美しくなくても物語や情緒はあるのに「お前はそこはスルーするの?」と問われたら、下を向いて「はい」と答えてしまうわけで(否定しないんかい)。

感情労働のしんどさ、それでもブレードを振るお前ら(おれ)

  • 関係している、かもしれない話を続けます。少し前に公開されたAquorsのドキュメンタリ映画の話題について。
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  • 「演者同士が仲良くなくてがっかりした」とか「いや本当はもっと仲良いはず」なんて意見に、そういう不毛な言及自体やめなはれ、というアンサーあり、これご尤もと思います。仲良し幻想こそが演者の負担になっているのでは、ということですね。それこそが演者を縛り、追い詰める時すらある、というのも確かに。
  • 一方で幻想を抱いてしまうオタクの気持ちもぼかー分かる……。百合営業とか揶揄されたりもするけれど、そこにおけるオタクの眼差しって、上述の性欲よりも姉妹的連帯、理想的な人間関係を夢見てしまう気持ちの方が強いのではないかしら。もちろん、性欲もある、少なくとも自分にはある(書かなくてよい断り)。
  • また別の方が書いていた「10年も2.5次元コンテンツやアイドル演じるのは大変な筈」という意見。これはその通りな気がします。プロレスラーとかよく狂わないでいられるよな……と書き始めて、WWEの女子レスラー、チャイナは男子レスラーのHHHと恋人役という設定を途中から自分でも信じ始めた、なんて話を思い出してしまいました。前田日明とかも、「格闘王」という役柄に沿って振る舞う間に、まことに失礼ながらその設定に飲み込まれ、狂ってしまわれた、とも言えるのかもしれません……。
  • 戻って、『ガールズバンドクライ』のキャストさんが長く復帰されていないことも思い出して。理由を知るわけでなし、こうしてネットに書くこと含めて良くないかもですが。2.5次元に限らず、思うに感情労働のしんどさ、ということなのかもしれません。
  • アイドル活動がもたらすしんどさ、と言えば自分はやはり『Documentary of AKB48』(高橋栄樹監督による2012年版)の前田敦子さんのことが最初に思い当たり。バックステージで過呼吸になりながらステージに立つ姿……。後に同グループ渡辺麻友さんが10年以上、アイドルを続けて「人間としては壊れてしまった」と語っていた記憶もあり。彼女は芸能活動自体いきなり辞めてしまいましたよね……。
  • 煌びやかに見える世界で、演者に過度な負担がかかっている、そうと知らずにアンコールのブレードを振るう俺たちオタクって……という話ではあります。じゃあ「おめーはブレード振る(比喩)のやめんのかよ?」と言われたら、それはまあ「今後も振らせてください」と言うわけで……(歯切れ悪すぎる)。

関係性がぶっ壊れていても出力に感激することもある

  • 別にアイドルに限らず、自分が好きで追っている作品、アーティスト、ファンダムにもその種の捩れがないわけもなく。これも何度も擦ってしまう2024年のJourneyのライブがああもエモーショナルだったのは、見に行った当時、アイドル、2.5次元ライブへモヤモヤを抱えていたので、そういう文脈から切り離されて(見える)バンドのありように感激した、というのはあったのかもしれません。
  • しかしこれも擦るけれど、彼ら、Journeyは仲良しどころか訴訟合戦の真っ最中にライブを敢行していたわけで。そういう意味では演者の関係性と観客のエモーションなんて結局は関係ねえ、とも言えるのかも……。
  • だから無意味や!全部嘘や!とか言いたいわけではなくて。リングや舞台上の表現とは別に、それを受け止めた人の心の反射、プリズムこそが面白いんだよな、という気持ちも正直あります。この出力と受容のズレの面白さ、喫茶店トークでは通称「受け手の文学」と呼んでいるやつです。
  • 矛盾してるんだけど、どこかにこれは誤謬かもと疑いつつ、自分だけでなく他人の心の乱反射を知りたい、聞きたいとも思うわけですね。このブログを延々書いているのも、そういう乱反射を記しておきたい、という気持ちがあります。

さいごに、関係性は 「砂上の楼閣」や「誤謬」かも……それでも

  • まーファンなら、もっと理性的な市民になりましょう、と言われたらもう全くその通りです。受け手のエモは 「砂上の楼閣」であることを理解しておこう、というのは同意で自分は繰り返しになりますが「誤謬」と呼んでいます。観客の内側に生じた幻影に過ぎないことあるわけで、それを愛でても良いけど、「裏切られた!」とか言い出すのはやめようよ……とは自戒を持って思います。
  • 一方でプロレスラーやアイドル、生の人間を見る、応援する喜びは確実にあって、それを一律で「くだらない」みたいに否定する気には更々なれない。じゃあどうすんのかって、演者の負担にならないよう、よきファンでいたい、ぐらいのボンヤリ感想しかないんですが……。



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