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はじめに
- 映画『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第2章』を見てきました、その感想です。
- アイドルアニメの美しさについて書いています。それはしんどい現実とは異なる嘘と言えば嘘なのだけれど、でも無価値とは思わないよ、自分は、という話を書きました。
- ネタバレあるのでご注意を。
本題、映画の感想
前作との明暗落差、記憶の循環再利用
- 2025/11/8、新宿ピカデリーにて映画『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第2章』(長い)を見てきました。
- これは映画館に飾られていためばちさん絵。
- 以下、再度の注意ですが、ネタバレあります。
- 陽光輝く沖縄、ポップなけろりら絵の印象強いの第1章と比して、本来の冬の季節感、ぐっと冷たく暗い画面設計で送る第2章。これまで言及を敢えて控え目に、先延ばしにしてきたであろう卒業、物語の終わりの気配が濃厚に漂います。
- 1章も問題、トラブル発生はありましたが、解決に向けての推進剤になるのが、かしましいトリックスターの中須さんと柔和なエマさんという2人なこともあって、負荷が薄く喉越し爽やかだった気がします。今回は筆運びも重たく、かつ湿り気のある情感が描かれ、時にキャラクター同士の交感はエロチックとさえ感じます(すれ違う、りなミアのカップリングの活写など特に)。
- 改めて思ったのは75分という短尺で情動喚起するための手練手管。そのために過去作品、TVシリーズ、OVA、第1章の映画、直近の物語の記憶そのものが循環して再参照される。ゆでたまご並の手腕と思いました。
- これはネタではなくマジの賛辞です。現在進行形の『キン肉マン』にて、過去設定を深堀り、再利用する構成力のことを意味しています。
ベタの枠内を守る上品さ
- 特に印象的だったところを書きます。核心部分は避けるので些かボカした物言いになりますが。劇中で背景として登場する、とある実在の小説。今回の映画、これと類似したテーマを扱っていると感じました。この小説は 虹ヶ咲に関するファンの願望を掬い取ったと言っても良いもので、読んだ当時、色々と救われた気分になったものです。一方で些か作品の外部事情に踏み込み過ぎて、キャラクターは消滅しない、思い出は残る、というメタなメッセージがベタを凌駕してしまった感じもしたんですよね(いちいちうるさいおれ)。
- 今回の映画では近似した言葉で語られるけれど、あくまで作品の範囲内で、このキャラクターならばそう言うであろうと思わせてくれたこと。この腑に落ちる、得心が重要で、それこそがソフトストーリーとしての成否であると思うのです。 虹ヶ咲は毎回ここを外さないですよね……。
- 虹ヶ咲、これまでも良くも悪くも優等生的で、決定的な衝突に辿り着く前に引き返す印象もあります。まーありていに言うと物分かりが良過ぎる。決裂により肺腑を抉ってくる、例えば『MyGO!!!!!』や『前橋ウィッチーズ』みたいな作風とはまた違うと思うんですが(どっちも好きですよ念のため)。でも品位を保ったままだって人物のエモーションを描くことは出来る筈。それを今回の第2章、特に終盤では感じました。
- 別けても敢えて「きみ」と呼ぶシーン。この場面で、この人が、あの時のことを言う。そのエモーション。キャラクターAがBをずっと見てきたよと語る、そこで挿入されるフラッシュバックは観客である自分たちの記憶と適合するのだけど、すこし構図が異なる。それ故に自分たちと違う角度、立ち位置でこのひとは見てきたのだ、という錯覚の実存が生まれる。こういうところ、本当に上手いと思います。少ない入力でも最大火力を獲得していると言いますか。
- そして、ここからの歌曲の連続披露。エールを送り合い、これまでの若干暗鬱なトーンを全て吹き飛ばす多段式ブースターロケット打ち上げのようなカタルシスがありました(ここでもやはり映画第1章、沖縄編のクライマックスの記憶を巧みに参照している、うまい)。
とある小説と映画によるアンサーについてもう少しだけ
- ここから、特にネタバレ該当しそうなので、ご注意を。
- 前述のとある実在の小説について。敢えて伏せて書いたので分かりづらいと思いますが、それは『紅蓮の剣姫』という虹ヶ咲のスピンオフ小説のことを指します。
- この小説は当時、やむを得ない事情で優木せつ菜役を降板することになった声優、楠木ともりさんへ向けられた献辞といってもよい内容だったと思います。「あなたは消えない」というテーゼは、優木せつ菜という仮構のアイドルと、現場を去ることになる楠木ともりさんに重ねられていると感じました。
- 映画はそれに対する変奏であり、アンサーと言えるのかも、と思ったんですよね。現在のせつ菜役、林鼓子さんが劇中で言う「わたしは彼女ではない」という言葉はどこか後任故の困難さを語っているようにも聞こえます。
- 映画での「きみ」呼びは、貴方はもう十二分に人を鼓舞するアイドル、ヒーローであり、あの子になっているんだよ、という劇中と枠外を含めた肯定の言葉として綴られているようにも感じました。
- ただまあ、こういう見立ては、本来しなくてもよいのが強度ある物語とも思います。今回の映画は別にそういう読みがなくても十二分に成立する。前述のベタを遵守する、見事な試合運びと思いました。
細かいけれど、劇場版ならではの興奮
- なんてことは見ている間は全く考えておらず、ただ「うぐぅ」とか「あああ」とか呻吟していただけなんですけどね……hahaha。感想の大半は後付けで鑑賞後の喫茶店トークから捻り出しました。
- 初見の記憶で書いているので、間違っている可能性もあるかも……。ちげーよ、とツッコミあれば教えてつかあさい。
- こう書いている側から記憶で申します。優木せつ菜さんがホテルで翳りを見せるシーンありましたよね。疲れたように頭をそらして、顎を晒す。あまり美少女アニメではやらない姿態をあえてカマしていると思って。そこに作り手の本気と、逆に生々しさ、キャラクターの実存を感じてドキっとしたんですよね。
- TVシリーズとは異なる、映画ならではのクオリティアップ、うおー劇場版や!という興奮が好きで。昔は牧歌的な時代だったので、絵が綺麗になったー等身があがったーリアルになったーとか喜んだものですが。TV放送時から高品質な作品も多い現代、映画ならではの差異化はこういう細部に宿るのかも、なんてことも思いました。
いったんのまとめ
- いよいよ次回は三部作の最終章。このクオリティで物語が閉じる場面に立ち会いたいという理性と、やだよーもっと延々擦ってくれ、サザエさん時空で永遠にやってくれ、という駄々っ子のような気持ちが半ばします。有限だから美しい、でも無限に見ていたい、という勝手な欲望ではあります。
余談:改めて思う、フィクションだからこその美しい嘘について
現実とフィクションの落差よ……
- ここからは映画から派生して、自分が受け取ったことを書いていきます。
- ちょうど映画を見終わりスクリーンを出ると、告知用のビジョンでリバイバル上映中の『パーフェクトブルー』の予告が流れていました。別記事でこの作品について軽く触れましたが、2025年の今となっても、オタクの心性の部分では『パーフェクトブルー』の方がずっとリアルに近いとは思います。
- プリキュアの映画の感想でも「美しい嘘」ということを書いたんですよね。
- 虹ヶ咲だって、まーそうだよねとも思うのです。現実はこのように美しくなく、トラブルが容易に解決されたりもしない。アイドル自体も理想的に描かれるけど、ファンの存在もそうです。劇中でアイドルとファンとの交流シーンあり、カラオケ大会で勇気が出せない内気なファンにアイドルが寄り添い背中を押してくれる。そのファンはあとで、勇気を出して声をあげ、アイドルを応援することを宣言する。往還する応援のエネルギー。これはねえ、めちゃくちゃ美しい嘘ですよ。
- しょーもないことを言うとカラオケ大会、現実には横浜Kアリーナで類似のイベント開催して騒々し過ぎて苦情あり、警察来る事態になっとるわけですが。リアルではそんなもの。俺を含めオタクはちっとも美しくない。
現場で体験した、幾つかのしんどい瞬間
- 以下は関連して、2023年頃の呟きを再構成しています。ネガティブな要素含むので一部ボカして書いています。
- お台場でラブライブに出演されている声優さんのCDリリースイベントがあり、仕事帰りに行ってきました。ミニライブがあって、場所がダイバーシティ東京プラザの2階フェスティバル広場。ここは後述するアニメ、虹ヶ咲と縁深く、1話冒頭で歌曲披露されて、物語が動き出すきっかけとして使われています。そんな舞台で歌うなんてエモエモじゃん!と垂直立ち上げ的に興奮して足運んだ次第です。
- 生で見る声優さんはお綺麗で、間近で拝見できるだけでありがてえ気持ちになりました。ゆるーく客席を煽るMCも面白かったです。曲の間奏でOiコールする展開があるのですが、思った以上に長く、客側が疲れたのか声が小さくなると「諦めない!」と言って、強制的にコールを再起動させる。うまい、かつオモロい。
- しかし、一部のオタクのしょーもない野次には閉口させられました。「かわいいー!」とかそういうシャウトは別にいいんです。盛り上がりの一環だとも思うので。わたくしが堪えられないのは、ライブ前や幕間に演者向けでない、主に周囲にいるお客さんへ聞かせて笑いをとろうとする(かつ滑っている)部類のやつ。共感性羞恥で逃げ出したくなるのです……。俺はお前のパパじゃない、ママでもない。巻き込まないで欲しいという気持ちになります。本来、センスの良い野次を飛ばすって相応のリテラシーが求められるでしょう。応援上演とかもそうで、ネタが滑っていると居たたまれなくなるんですよ……。
- ニール・スティーヴンスンの小説『クリプトノミコン』で、主人公が「オタクはコミュニケーション能力がないのが問題じゃない、コミュニケーション能力があると思い込んでいるのが問題なんだ」という台詞があったのですが、蓋し名言と改めて思いましたね……。

- 『クリプトノミコン』は暗号解読を巡る歴史ミステリ、SFなのですが、主人公がオタクでマジック:ザ・ギャザリングの会場でこんな諧謔トークをしたりする……かなり変なお話でした。脱線失礼。
お水おいしい問題、プロレス会場で耳にした驚愕の野次
- あと別現場での体験ですが、お水おいしい問題について。これは演者が曲間の休憩としてペットボトルの水飲むタイミングで、「お水おいしい?」と大声でコールするという奇習のことです。誰が始めたんでしょうかこれ。演者もこういうノリが好きではない方もいて、時にはやんわり笑いをまじえてコールを制する人もいます。それでもノリノリで叫ぶ輩がいるのだけど、どうしてなんだ、どうしてお前はそうも元気で自分が好きな対象に無頓着なんだ……とたじろいでしまいます。
- コロナが収束して、ファンからの声出し解禁され、ライブで熱量が交歓されるのは基本的には良いことだと思うのですが。上記のような体験すると、オタクの口は封じるべきだ!隕石落として地球は滅ぼすべき!というゼロイチ、破滅的思考に陥ります。こうして現場行くたびに演者や演目ではなく、観客のことを拾ってくるのは自分でもどうかしている、いいかげんにやめにしたい。これはもう慣れる、スルーするしかないんだとは思うのですが。
- 自分の近似趣味ジャンルで、プロレスにも野次問題はあります。今まで一番凄かったのは新宿FACEで耳にした「関西さん、ちゃんとやって」というもの。ベテランレスラーのダイナマイト関西さんへ向けられたもので、ルーチン的な試合運びに対する野次で、おそらく常連中の常連によるものなのでしょうが。あなた家でTVで見てるんじゃないんだから……緊張感ゼロ、演者との距離が近すぎて爛れているよ……と慄然としました。
俺たちオタクは何故そうなのか?
- 何故オタクはこうなのか、と嘆いていると「あれでしょう、学校や職場では大人しい分、ライブとか身内しかいない場所になると拘束が外れて、はしゃぎたくなるのでは」と言われて。う、うるせえよ!はしゃいでもいいだろう!(急にオタクとして逆ギレ)
- こんなこと書いておいて、自分も昔、歌舞伎町のルノアールで喫茶店トーク、友人たちとウヒヒゲラゲラと大声で話していたら、「お前ら、うるさい」と強面の本職っぽい方にたしなめられてシュンとなったことを思い出しました。おのれだって、親しい人に囲まれていると安心感ではしゃぎがちなところはある……。人のフリ見て、ということでしょうか……。んあー。
それでも、砂糖菓子にも効能はある筈
- 前述のプリキュアや虹ヶ咲が性善説的に滅菌された、甘い砂糖菓子の弾丸だと言われたら、それはまあ、その通りではあります。
- しかし現実の醜さ、しょーもなさを暴いておやりよドルバッキーな作品ばかりが偉いわけではない、とも思うのです。大袈裟に言えば、理想を見せること、美しい関係性、こうあれかしという祈りを描くことだってフィクションにしか出来ない効能とも思うのです。
- 現実逃避型のファンタジーを嫌った大家、高畑勲先生なら、それもまた行きっぱなしフィクションと批判するかもしれません。ただ自分はそうとも限らんでしょう、とも思うのです。ひととき映画で美しき嘘に酔い、それを糧にまた現実に戻って行くことだってあるでしょう。自分はあのようなアイドルやファンたち、理想的存在には程遠いけど、幾許かは他人に優しい生き物になりたい、そんなことを改めて思った時間でもあったので。いやマジで。
- ロクでもない自分でも、偶にはそういう思考を巡らせる時があっても良いだろう……。せめてアイドルに対しては良きファンでありたい。やっぱり、無駄にはしゃいで野次ったり、演者が望まんのに「お水おいしい?」とか言わないようにと改めて思ったもんね(ていどひくい)。
おまけ
- 第1章、TVシリーズ含めた感想は過去に書いているので、お暇でしたら読んでみて下さい。
以上の内容はhttps://tekkmakk.hatenablog.com/entry/2025/11/10/082934より取得しました。
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