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『秒速5センチメートル』実写版公開記念、新海先生にまつわるノスタル爺的連想。あるいはもう一度酔っ払いのあれを。

秒速5センチメートル Blu-ray インターナショナル版

はじめに

  • 『秒速5センチメートル』実写版にかこつけて、新海先生にまつわる連想あれこれをまとめました。例によって他作品を含めて色々とジャンプしつつ、新海先生の影響元と、作風の変遷を書いてみたつもりです。
  • 連想エッセイみたいな内容ですが、90年代ガールポップ、岩井俊二、ウディ・アレン、頑張らないオタク向け作品、ヤマカン先生との対比、天災三部作……等を俎上にあげています。ネタバレ多々あるのでご注意を。

ガールポップと岩井俊二によるPVについて

  • のっけから遠回りに始まりますが、90年代にガールポップブームってありましたよね。いま思うとあれは冬の時代、アイドル聞いているとシャバいやつ、という空気の中、あくまでアーティストという体でCD売りたい送り手と、本当は苦いのより甘いもの飲みたいんだよなーという受け手の思惑の一致によるものだったんじゃーないでしょうか。
  • 喫茶店トークにてその頃の角川アニメ映画の話にもなり、91~92年の『アルスラーン戦記』や『サレントメビウス』の主題歌が遊佐未森や谷村有美、東京少年でまさにガールポップのブームど真ん中だったんやなーと改めて思いました。
  • ヨット・ロックやシティ・ポップ再評価なんてことあるのだから、ガールポップがもういっかい見出されたりとかないですかね……。
  • 東京少年と言えば、PVが素晴らしく、監督は岩井俊二。新海先生の『秒速5センチメートル』、特に桜花抄へ影響与えているのでは、と思います。
  • 冒頭の桜舞い散る景色とかルック面もそうですが、ノスタル爺を喚起させるフラッシュバックとか演出面も共通性を感じるんですよね。遡ると『ニュー・シネマ・パラダイス』になるのでしょうか。こう、鑑賞者が経験していない、ありもしない出来事に胸をしめつけられるような情動を喚起させられる。こんなん益体もない、誤謬に過ぎないという向きもあるでしょう。ただ大きな声で言えないけど、わたくし好きなのよ。甘露、カンロ。成仏しない青春ゾンビと言われたらそれはそれ……んあー。

ウディ・アレンの孫としての新海先生

  • 先ほどは新海先生のビジュアルや演出に絡む話でしたが、以下は物語的な始祖、ご先祖様に纏わる連想ゲームです。
  • ヒューマントラストシネマ有楽町にて、『ロボット・ドリームズ』見てきました。劇終後、若い男性二人組が「これ新海誠じゃね?」と盛り上がっていて。出会いとキラメキ、その喪失を受け入れて生きるってのは確かにぽいよな!あーでもこれはウディ・アレン直系の映画で、新海先生もアレン嫌いなわけないから、海を隔てた兄弟みたいな関係かもしれない。
  • 『ロボット・ドリームズ』はちと異なるのですが、連想したテンプレートがありまして。男性が自分より経験豊富な、精神的にも肉体的にもずっと大人の女性と恋愛して夢中になるものの。大抵は男性側の幼さ、劣等感やなんやで破局、望まぬ別れ方をして。しかしその後、成長してひとかどの人間として成長して、マドンナと再会しようとする。そして二人は改めて別の道を行くことを確認する……というお話の型がありますよね。グダグダにみっともなく別れた過去を精算したい、という。
  • 例えば『チェイシング・エイミー』とか『ハイ・フィデリティ』とか『her/世界でひとつの彼女』とか。『フリッカーあるいは映画の魔』とか(ちょっと違う)、『Alan Wake』とか(だいぶ違う)。これ源流はなんでしょう、やっぱりウディ・アレン、特に『アニー・ホール』辺りなのかしら。
  • 『天気の子』の感想で書いたのだけど、新海先生は絶対このジャンルが好きだと思っています。劇中でも『(500)日のサマー』が露骨に引用されているので。『秒速~』も再会したいが再会できない、という変奏曲とも言えます。
  • わたくしこの手の話も嫌いではありませぬ。異世界転生してレベルカンストした無敵キャラとしてチートしたいみたいな願望とは別に、この種の欲望はある、直下型はある。現実には精算出来ることなど稀で、そもそも再会しないし、ひとかどの人間にも成長できない。だからこそ、せめてフィクションでは上手くいって欲しいという願望ですよ。ううう。
  • 師匠、見てもらえますか、師匠と別れた後に研鑽してクンフーをマスターしたんですよ……的なやつです。違う?
  • (これ明確なジャンルとしての呼称あるのでしょうか。ご存じの方いたら教えて頂きたい。軽く検索しただけですが、Bildungsroman、要は成長物語ですと言われて、それはまあ、その通りですが何か味気ない……)

頑張る女性、頑張らないマグロ男性主人公というある時期のオタクフィクション

  • 続けて、初期の新海先生作品が持つ後ろ暗い悦びについて。
  • 立川シネマシティで『Fate/stay night Heaven's Feel』見てきました。ゴージャスなビジュアルで眼福至極。と同時に、リアルタイムに原作ゲームをプレイした時の戸惑いを思い出しました。
  • 2000年代のあの頃、オタク作品には「女性キャラクターが不可避の悲劇に苦しみ、男性キャラクターはただそれを傍観することしかできない」みたいな系統のお話があった、と思うのです。正直言って当時のおいらはその手の話が好きで好きで仕方がなかったんですよね。まー気持ち悪い。
  • 具体的にはそれこそ新海先生の出世作『ほしのこえ』だったり相田裕『GUNSLINGER GIRL』であったり、他にも『白詰草話』や『イリヤの空、UFOの夏』等々。一番有名なのは『最終兵器彼女』でしょうか。
  • ほしのこえ [DVD]
  • GUNSLINGER GIRL(1) (電撃コミックス)
  • 『Fate/stay night』の体験版プレイした時、『月姫』とは段違いのグレードアップに感激しつつ、早合点にも程があるのだけれど、「たぶんアレやろ、このジャンルダルク風ヒロインがアタッカーで戦って、ズタボロになるのにバックアップ役の主人公はなにも手出し出来ずに無力感に苦しむ……みたいなやつやろウヒヒ」と思い込んでしまったのです。
  • 実際の本編ではどっこい、主人公はタンク兼肉弾アタッカーでメチャメチャ頑張る。最前線で戦う。え、なんでなん……そんなことしたら美味しく無力感を味わえないやん勿体ないやん……あーもうバカバカぐらいのこと思ってましたね。今振り返って思うと、自分の方がどうかしています。
  • 今回の劇場版見ながら、家事も出来てバトルでも体張る衛宮君は基本的には好感度の高いキャラクターで、これに「戦ったら台無しや」とか不平不満を言うのは斜めというか要求する味を間違えています。はい。
  • あれから時は流れて新海先生だって『君の名は。』や『天気の子』を書き、相田裕さんも生徒会漫画『1518!』とか書いているのです。頑張らない主人公のトップランナーと思っていた作家も変わっていくのだなーと当たり前のことを思います。
  • ただねえ、大きな声では言えないのだけれど、この頑張らない男性主人公ものって未だに嫌いじゃないのよ……。楽して美味しい思いをしたいというゲス根性がぬぐいきれない。だから衛宮君は偉いなーと思いつつ、傍観者気分にもなってしまいます。

『すずめの戸締まり』から連想するヤマカン先生の『薄暮』

  • そして国民的ヒット作家、レインメーカーとなった最近作について思うことを。と言いながら、ヤマカン先生の話に終始します。
  • 『すずめの戸締まり』について、良かったことも悪かったことも色々あるけど、あまり感想の出力が自分の中に沸いてこない。あのドイヒーな『星を追う子ども』を思うと、新海先生ほんま立派にならはって……という感じでオイラ如きがウヒヒと何か書くのもアレな気さえします。
  • 見終わった後、思い出していたのはなぜかヤマカン先生のことでした。先生の『薄暮』は震災で心に傷を抱えた少女が他者と出会い、美しい風景の中で再生を願うというまーある意味『すずめの~』と共通する話と言えるかもしれません。
  • しかし『薄暮』は女性主人公の「生理中で臭い」みたいなセリフを挟み、微温的なムードを自ら破壊してしまいます。ここら辺あいかわずですね先生ちゅうかなんちゅうか……。『Wake Up, Girls!』で露悪的にパンチラさせたり、アラレちゃんみたいな帽子をかぶったキモオタを登場させたことを思い出します。それはよく言えば、富野由悠季監督に似た陶酔を許さない自意識なのだと思います。
  • 『フルメタル・パニック!』や『Kanon』の担当回を見ればヤマカン先生が優れた演出家であることは疑いありません。言うまでもなくハルヒ(とそのエンディング)はデカく、自分にとってもそうだけれど、あれはもっと大きな時代を変えた作品なのだと思っています。吉祥寺のパルコに当たり前のようにアニメイトが入っている、そんな時代の空気を作った一因にハレ晴レユカイがある、と割と本気で思っているので。
  • 乃木坂5期生の池田瑛紗さんがブログでハルヒのコスプレして「ハレ晴レユカイ大好きなんですよ」的なことを語っていて、こんなファンな作品を作ったヤマカン先生はマジで偉いよ!と思うのです。
  • でもヤマカン先生自身はこのファン、楽しいことは楽しいでいいじゃないという空気はマジで嫌いなのでは思うのです。その憎悪がメンスの話やパンチラ、アラレちゃん帽子となって出力されてしまうのではないかしら……。気持ち悪いものは気持ち悪い、楽しいだけじゃねえ、人間なんてロクなもんじゃねえという。90年代ゾンビである自分にはこの気持ちも分かる、気もします。勝手に解釈してんじゃねえと言われそうですが。
  • 現実の出来事や悲劇をおセンチに扱って良いのか、という問い自体は分かるつもりだし、そこは前述した陶酔を許さない批評性ということも出来るとは思います。

『秒速5センチメートル』実写版というウロボロスについて

  • ここで改めて実写版に触発されて、新海先生の金字塔『秒速5センチメートル』について話をさせて頂きます。
  • 実写版のTVCMが流れてくる度にビクッとなってしまう……。
  • 言わずもがなですが、新海先生って岩井俊二チルドレンで、あのビジュアル、空気感をアニメの光源処理に落とし込んだのが発明だったと思うんですよね。それが一周して、もっかいアニメから岩井俊二的画風の実写映画に再現する、リバースエンジニアリングみたいな不思議の感あります。本編見てないでアレコレ言うのは慎むべきだし、これあくまで見た目レベルの素人感想ですが。ウロボロスの蛇みたいやーという面白がる気持ちあり。
  • 冒頭に書いた岩井俊二PVが円環の理を超えて還ってきたんや!(テキトーな決め打ち)

疎遠という体験の普遍性

  • 『秒速~』は公開当時、「多くの人が経験しているありきたりの話」みたいな意見あり、わたくし瞠目して「マジかよ、エロゲ脳の童貞ドラゴンの粋を集めたが如きこんなストーリーを皆が体験してんのかよ……」とビビってたじろいだ記憶あり。
  • 後になって以下のようなこと言われ得心したものです。「雪中、電車に閉じ込められて、長い時間が過ぎ、それでも駅に美少女ちゃんが待っていた……なんてことは滅多に経験してないと思いますよ。受け手にも錯誤があって、そんな体験はしたことないけれど、男女問わず親しかった筈の人と、いつの間にか距離が出来て没交渉になる。そういう体験を知らずに重ね合わせて見てしまっているのでは。つまりは疎遠になってしまった関係性ということですね」
  • あーなるほど、それなら分かる、自分にも身に覚えがあります。なんだよ、それなら最初にそう言って下さいよ。焦ったじゃーないですか……。
  • これも冒頭に書いた岩井俊二PV的とも言える気がするんですよね。かつてはあった、もう戻らない、遠くにある関係の記憶。フラッシュバックによる連想の煥発。それがまあノスタル爺ということなのでしょうが。

すれ違い、酔っぱらい主人公とそれを裏切る物語について

  • おそらく日本で一番、新海先生および『秒速5センチメートル』を論考し続けているid:disjunctiveさんのエントリ。
  • ぼかー恥ずかしながら、過去のdisjunctiveさんのエントリを読むまではアカリの「タカキくんはだいじょうぶ」が離別の意味とは分かってませんでした。なにしろ映画と一緒になって酔い、鳥は鳴き、空を舞い、昇り続けるぜこの5センチ坂を!とか思っていたので。
  • しかし言われてみるとタカキくんは逢瀬に酔っぱらって「アカリを守れる強さを」云々とかポエム朗読しているのだけど、アカリはそうではない。不穏な表情をしている。ここほんと凄い。タカキくんはアルコール過剰摂取状態、映画はそのタカキくんと一緒に酩酊したかのように鳥を飛ばしたりするのだけど、それはタカキくんの内心のフレームで、事実は別にあるの。
  • 観客のおいらはウヒョーとなってタカキくん凄いですぅ、絶対優勝しますぅとか盛り上がっていたのだけど、それは勘違いクン劇場だったという……。この目に見えるものと見えないもののズレは見事だと今でも思います。
  • (これ以降の作品では提示出来ていない特殊な語り方だよな……とも思います)

天災三部作、「なかったこと」から「あったことはあったこと」へ、それでも限界はある

  • 改めて近年の三作品を振り返ってみます。
  • 『君の名は。』『天気の子』『すずめの戸締まり』という天災三部作は、新海先生による「なかったことに出来ればどんなに良いだろう」から「あったことはあったことで、なかったことにはできない」という進展だったと思っています。新海先生自身、「対価もなく世界を救っていい気なもんだ」的な批判にさらされ、その反撥や反省で作品をつくった部分はある、とインタビューで語っていました。
  • 高畑勲は生前、『ほしのこえ』を酷評した上で、しかしそれは「この段階での評価であり、作家の道を歩み出した作者が、その社会生活のおかげで、以後、もっと社会性のある作品を作りはじめる可能性は充分にある」と評していたそうです。
  • 新海先生なりに徐々にその成長プロセスを踏んでいったのだ、と言うことも出来ると思います。
  • 『すずめの戸締まり』で印象的だったのは劇場公開後にTVで見たドキュメンタリです。実際に震災で母親を亡くした父娘さんが映画を見て、感想を話す内容でした。娘さんは「凄く感激して、母に再会できた気がした」とポジティブに語っていて。しかし父親は「不愉快だった、なんでこんなものを作ったのかと問いたい」という旨を語ったのです。この感想をぶつけられた新海先生は戸惑っているようにも見えました。「他人のことでも感情移入、共感によって寄り添うことが出来るのではないか」とモゴモゴ語ってはいたのですが。
  • こういう反撥を予想していなかったのか、あめーよとそれこそヤマカン先生なら突っ込むところかもしれません。高畑勲なら斯様な「巻き込み」型アニメでは限界があると評したかもしれない。
  • しかしこの脇の甘さ、内実をさらけ出し、時に酔っぱらいながらも作品毎の成長曲線を観客に見せてくれる、これこそ新海先生の稀有な魅力とも思います。マジメな話。

最後に

  • ただまあ、本音の本音言うと、天災三部作の志は置いて、作品そのものの面白さは徐々に下降している、という気持ちもあり……。『君の名は。』はやはりエポックで、新海先生が個人的なテーマ、ロマンチックラブの否定から抜け出し、大衆芸能へ舵を切った始端としての驚きと面白さがあったと思うので。神木隆之介さん、上白石萌音さんというキャストも今となると最強過ぎる布陣でした。
  • おっさんの悪いクセですが、そろそろ公器としての役割とかヒットメイカーとしての重荷を捨てて、また極めて個人的なあれ、昔みたいなむせ返るようなあれ、千鳥足で歌うあれ、そろそろいっちょどうですか、という心情もあります。退嬰的なひどいオチだ。

おまけ




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