- はじめに
- TVアニメシリーズ、終わりの予感について
- OVA『NEXT SKY』、実景に重なるイラストが生むエモ
- 映画第一章におけるニュータイプの煌めきについて
- 余談、平成『ガメラ3』から回想する過去と今
- さいごに
はじめに
- 『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が好きです、という話を正面から書いてみました。後半に何故か『ガメラ3』の話が始まるのですが、それは過去と現在、心境の違いとして引っ張りだしてみました。
- かつて硬派で戦闘的な作風でないと世間様は見てくれない!とトンチンカンな思い込みをしていた自分が、溶解して虹ヶ咲のようなソフトストーリーを楽しめるようになるまで、という話でもあります。
TVアニメシリーズ、終わりの予感について
- 完全におっさんの年齢になって、尖ってるとかカッコいいとかもええけど、結局は人間がそこにいるという錯覚、文字や絵にすぎないキャラクターの営為が実在すると感じられた時。たかが物語はされど物語になり、永遠の一瞬となる。そんなお話が好き、という気持ちがあります。何が言いたいかと言うと、アニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が好き、ということです(極めて真顔)。
- 虹ヶ咲のアニメは単話完結で問題解消、キャラ紹介と楽曲披露までこなしてみせる1期の方が評判良い気もするのですが、自分は登場人物が増えて、人間関係が深まった2期の方が好きなんですよね。あとこれは性癖なんですが、フィクションのキャラクターがベタの文法の範囲で、作品の終わりを自覚して話すのが好きなんです。アニメ虹ヶ咲の2期終盤はこれをめちゃ上品にやっていて、だから決定的に好きになったんだと思います(コロナ禍の頃に繰り返し見たせいで、おかしくなったという側面もあるかも……hahaha)。
- 2期10話は当面の宿題事項が片付き、登場人物全員が揃って観光する息抜き回なんですが、そんなゆるーいお話の中で終焉の気配が忍び寄ります。みなで花火に興じる中、果林先輩(3年生)が線香花火を見つめて「もう終わっちゃうわ」と呟く。いま、物語は終わろうとしているという予感の切なさ。 ここで後輩の中須さん(1年生)が呑気に「まだまだ(花火が)ありますよー」と浮かれているのも可愛いし上手い。
- 続く11話は言わずもがなで、書くのもヤーボーだけど、3年生のキャラクターの高校からの卒業と物語の終わりが重ねられています。地味と言えば地味な展開なのですが、登場人物が朝起きて、夕暮れ、夜に推移する中で、終わりとイマ、そして未来を受け入れるというお話です。
- 過ぎゆく時間に拘泥する気持ち、それが「寂しくなっちゃったんだね、昨日までの時間が楽しすぎたから」という台詞でふんわりと受け止められる。その後に語られる、今を生きることの肯定メッセージ。
- ここでキャラクターたちが眺める景色、お台場から見えるレインボーブリッジ。過去と未来を繋ぐイメージの喚起。そこでBGMとして流れるのがアレンジされた"未来ハーモニー"という楽曲。
- これはアニメ虹ヶ咲の最初期曲で、つまり「はじまりのうた」なのです。それが終わりを予感させる中で鳴り響くエモーションよ。
- このシーンが良いのはそういう文脈、匂わせ抜きでも、なんかグッとくるシーンだなあ、と漠然と受け止めることが可能な設計になっていることです。ここに元ネタが!とかはマニアくすぐりなんだけと、そんなこたあ分からなくてもよい。分かればなお嬉しいという、お作法で実装されている。そんなの当たり前やろがいと言われたら、その通りなんだけど、この「開かれた」作りと、潜ればきちんと味がする密度が良いよね、と思うのです。
- 何が気持ち良いか、何が刺さるか、というこれはどこまで行っても個人的な審美の話。でもぼかーはこういう性癖と審美の話が好きなんですよね。
OVA『NEXT SKY』、実景に重なるイラストが生むエモ
- TVシリーズに続くOVA『NEXT SKY』ではエンディングで流れる"SINGING, DREAMING, NOW!"が刺さってですね……。
- 実景の写真にめばちさんの絵が重なるスタイルが好きなんですよね。以前も書いたけど、この世界のどこかに彼女たちがいるのではないか、いてくれたらいいな、たぶんいると思う、いるんじゃないかな、ちょっと覚悟はしておけ。そういうまー妄想と言えば妄想なんですけど、フワフワした高揚感に包まれるビジュアルと楽曲なんですよ。
- (以下はTVアニメの舞台、お台場周辺を巡った時の写真です)
- この曲の披露を含む6thライブに参加したのですが、OVAに続く映画は完結編であることが提示されて。オタクである自分はつい終わらない夢を見てしまうのだけど、いつかは終わりは来る。あと当たり前なんだけど、フィクションは作り手である人間が生み出すもので、入力がないと存在できないんだよなあ、と。いや、分かってる、僕様ちゃんだって馬鹿じゃないので、それぐらいのことは分かってはいたんだけれど、浮ついた気分に現実パンチかまされて動揺しちまったんですね。そんな状態でライブアンコールで聞く"SINGING, DREAMING, NOW!"はこれまでと違う味わいがありました。
- 上述したようにそもそもアニメ虹ヶ咲はちゃんと有限で時は過ぎ、終わりはやってくる、別れて別々の道を行くかもしれないと言及する作品でありました。細田守版の映画『時をかける少女』とかケン・グリムウッドの小説『リプレイ』とかでも良いけれど、定命の人間はその有限性、一回性をこそ受け入れて生きよう、というまー極めて普遍的なお話ですね。
- なんちゅうかわたくしは日々のんべりと、仕事やあれこれの苦痛をやり過ごし、フィクションやイベントをドーピングのように摂取して生きている人間なんですが、偶にはそういうこと=有限性を改めて考えるべきよね……と思わされたりもしました。ううう。
映画への期待について
- 予告された映画について。『リズと青い鳥』や『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』のような作品でも構わない、むしろそれが見たいという意見も見ました。分からなくはないです。あれでしょう、つまりは『ビューティフルドリーマー』や『パトレイバー2』のような(例えが古い)TV版と異なるルック、批評的な作品こそ見てみたいという感覚ですよね。
- でも自分の場合、虹ヶ咲の劇場版にそういう志向を求めるかと言うと……。じゃーどういうのがええの、と問われたら勝手な希望ですが、長尺を生かしたゆったりとした時間感覚のあるドラマが見たいという回答になります。何度も擦りますが、TV版で一番好きなのが2期11話で、あー最高や、こういうのを劇場で見たいと思ったので。今回は観光的なお祭りっぽい内容かもなので、全然そういうおセンチメートルな方向性じゃないかもですけどね。
映画第一章におけるニュータイプの煌めきについて
- 実際に虹ヶ咲の映画第一章を見た時のわたくしの呟きは以下のようなものでした。
- お、面白かった!けろりら絵へのデザイン変更への不安感がなかったと言えば嘘になるのだけれど、動くと気にならない、どころかTV~OVA以上に細かい小芝居が付いてむしろ可愛いじゃないですか。複数キャラを捌く手際も相変わらずお見事。ライブパート、楽曲も大充実。待ってて良かった、ありがとう虹ヶ咲……。
- www.youtube.com
- しかしこれに対して、映画はワチャワチャしているだけでストーリーらしきものがない、という意見を読んだことあるのですが、自分は全くそうは思わなくて。例えば映画第一章は誰にでも覚えのある友人や家族とのコンフリクト、その解きほぐしという普遍的な物語だと思います。他作品で比すとアニメ『MyGO!!!!!』のような亀裂、決定的な衝突が起きる前に前段階で解決するから、これを八百長、スムーズ過ぎと見做す向きもあるとは思いますが。
- でも敢えて大袈裟なこと言えば、人同士が歪み合い、些細なことでぶつかる現実に、こんな理想的な遣り取り、解決が出来ればどんなに良いだろうと、これ祈りのようなものだとさえ思っています。
- 先日書いた『スキップとローファー』の感想にも通じる話だと(勝手に)連想ゲーム。
- 昔、安彦良和さんが「ニュータイプの超能力的描写はあまり信じていなくて、あれは人と人が分かりあえたらどんなに良いだろうという願いですよ」という旨を書かれていた記憶があります。現実はそうではない、わかりあえないから、という安彦さんらしい悲観的なものの見方とも思いますが、それだからこそ「かくあれかし」という讃歌なのだと受け取っています。
- 映画第一章におけるエマさんと中須さんは有りようは違うけど、どちらも人の諍い、すれ違いを察知するニュータイプのような人物。エマさんは調整型ですが、中須さんは自身も誤解で暴走するからこそ、結果的に解決をもたらすという役割なのが面白いですよね。
- 中須さんは、ランジュさんとその母の揉め事の仲裁に乗り出すものの、二人とも話を聞かずに即ヒートアップする場面で「あーこいつら、いつもこんな感じなんだな……」と言いたげな呆れ顔をします。これは短尺で関係性を説明するために詰め込まれた効率的説話でもあるけれど、中須さんのニュータイプ性をよく表したシーンでもあると思います。
- エマさんや中須さんがZガンダムにいれば、ああもギスギスせず、カミーユも軟着陸できたのではないかしら。あとシャアはエマさん好きそう。「私を導いてくれ」とか「私の母になってくれるかもしれなかった女性」とか言いそう。中須さんはキャンキャン吠えるから苦手なタイプで、ランジュさんはクェスと同じように強化人間にして放置しそう。
- (以下は映画の舞台を実際に巡った時の写真です)
余談、平成『ガメラ3』から回想する過去と今
- 以下は全く無関係の話に思えますが、自分の中ではこれまでの文章に繋がる与太なので、最後まで読んで貰えると幸いです。
- 年始にTVで平成『ガメラ3』を放送していて、録画で見ていました。今見ても渋谷炎上シーンは凄い。恐怖感という部分ではシン・ゴジラでもここまでのものはないと思います。
- こちらは他所様から、渋谷爆発シーンの引用です。
#いい爆発のある映画
— タイプ・あ~る (@hitasuraeiga) 2023年1月8日
『ガメラ3』の「渋谷大爆発シーン」は10倍速のハイスピードカメラで撮影しているので長く見えるが、実際はわずか1秒だった。なんとスタッフが240分の1秒の精度で正確に起爆スイッチを入れ、奥から手前に炎が迫ってくる連続爆発を手動で生み出したという(すごい…) pic.twitter.com/JR7fguUAdu
- しかし映画全体としては手放しで最高!とは言い難い内容でもあり、確か公開時、雑誌のキネマ旬報で切通理作氏が前半のシミュレーション的展開と後半のジュブナイル的物語の食い合わせが悪いという旨を書いていたように思います。
- 自分もリアルタイムに映画館で(独りで)見て、「渋谷炎上最高なのにジャリレス要素が邪魔をする……こんなんじゃ世間とは戦えない!」とか煩悶していたことを思い出します。
- 今見ると前田愛の学校や引き取られた家庭で疎外されてる描写とか、そんなに悪くないです。ちゃんとドラマになっています。いやちゃんとドラマになっている、ってなんだよって話ですが、だってほら実写版の『進撃の巨人』とかそれどころじゃなかったじゃーないですか……。
- 特技監督の樋口真嗣は明らかに才能あって、普通の映画フォーマットに嵌め込む金子修介の枷が邪魔しているんだ、みたいな論調が当時オタクの間にあったように思うのです。しかし前出の日常パートの部分とか、やはり職業監督の底力を舐めてはいけないと今なら思うのです。
- ただそれ以上になんだったんだ、と思うのは「こんなんじゃ世間とは戦えない!」とか煩悶していた自分自身ですよ。よくわからん仮想の世間というのを想定して、自分が好きなジャンルの作品がそいつら(=世間)が見てもスゲーと思うものであって欲しい、という脳内バトルですね。
- 振り返ると味わい深いのが、世間に認知されるにはとにかく甘えを排したハードなルックと内容であるべきだ、と思っていたことです。これが特撮だとミリタリーへの傾倒であり、プロレスで言えばUWFであり、場外乱闘なんてもっての他、キック・サブミッション・スープレックスや!という思想になるわけです。
- いや認知されたいと言うより、どうせ受け入れられないならせめてビビってもらいたい、とにかく舐められたくない!という一心の発想でもあります。あーこうして自分で書いていても痛くて辛い。でも仕方がなかったンだ、あの頃はそうとしか思えなかったンだよ……。
- 今となれば世間に認知されるために必要なものって、別にハードなルックとか物語ではないよな……と思います。これはK-1、PRIDE等の格闘技ブームに圧された新日本プロレスの凋落と、その後の人気復活劇をもってようやく理解した感があり。人気復活した理由は強さの復権とかではなく、棚橋やオカダカズチカ、華のあるレスラーが登場した故だったので。それが自分の好みかどうかはさておき。
- あの頃、『ガメラ3』を見て煩悶していた自分に教えてやりたいです。いつかミリタリー要素なんて欠片もない、可愛いキャラクターばかり登場するアニメを普通に楽しめるようになるよ、特に『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』を大好きになるよって。ほら、言うじゃない「だから心配しないで、未来なんて怖くない。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけど、いつか必ず朝が来るよ」って。うぐぅ。
さいごに
- なにが言いたいかと言うと、はやく虹ヶ咲の映画第二章が見たいです……安西先生、といういつもの話です。あまりに楽しみなので、敢えて予告も見ていないというかかり具合です(目ぐるぐる)。








