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音楽も衰退しました?プライベート空間の侵犯、ASMR/同人音声も同じと言えるのではないか説

「Nebula」

はじめに、これまでの振り返り

  • 文化は衰退している、音楽も然りという論説について。いやー全体は知りませんが、個々には面白いものがあると思いますよ!という話を素人なりに書いてみたシリーズ。
  • 前回はブラックメタル絡みについて書かせて頂きました。今回は落ち葉拾い的な雑談です。

ここからはほぼ余談、あるいは与太

ASMR/同人音声→ビリー・アイリッシュ

  • エロ漫画のアナロジーついでに、音響に自覚的なジャンルと言えば、そうASMR/同人音声ですよ。
  • 同人音声って
    • モノラル→ステレオ→バイノーラル→KU100標準装備→フォーリー。
  • とある意味、録音技術進化の歴史を圧縮再現してきたようなところあり。音響に自覚的なのもむべなるかな、という話です。
  • なぜASMRや同人音声は音響に自覚的なのかって、
    • リスナーとの距離感(耳元 vs 外音)を物理的に設計しなければならない。
    • セリフだけでなく、「気配」「存在感」まで録音に反映させなければならない。
    • 音質=信頼性、という快楽経済圏にいる。
  • バレットプルーフ、堅牢性を実地で証明したやつが勝つジャンルなわけですよ。これはまさに「音が良い」だけではなく「どう聴こえるか」を最前線で突き詰めている現場ってことですよ!
  • テグラユウキさん以降の同人音声でよく用いられる手法に、遠距離から急激に距離を詰める、つまりプライベート空間の侵犯による驚き。あるいは敢えて密やかに耳元で囁くことによる親密さの演出があります。
  • あともひとつ、低音の魅力。ウィスパーかつ低音ボイスの持つ官能性。
  • これと全く同じテクニックをポップミュージックで披露しているのが、そう俺でも知ってるビリー・アイリッシュさんです。
  • つまりですねえ、ビリー・アイリッシュさんは北米の柚木つばめであり、フィニアス・オコネルさんはテグラユウキってことだよ!な、なんだってー!
  • ……どちらのジャンルからも怒られそうな話をしているな。調子乗ってごめんなさい。
  • 真面目に話すと、フィニアス&ビリー兄妹こそポップフィールドのど真ん中で音響革命をパワーホール全開でカマしている、そして俺でも知ってるレベルでめちゃ売れてるアイコンと言ってよいのではないでしょうか。しかもそのすべてが兄妹のプライベート空間(自宅スタジオ)から生まれているという事実の象徴性よ。
  • つまり繰り返すけど、お懐古さんな前田日明的保守派は「最近の音楽はメロディもコードも昔の繰り返し!停滞している!」と嘆くけど、いやいや、「進化している場所が違う」だけなんですよ、と。
  • ……なんかまた知った風なこと書いていますが、上の話はだいたいTBSラジオのアトロクで、高橋芳朗さんが話していたことの援用、そこに悪魔合体的に同人音声の話を差し込んだだけです。
  • 半分与太だけど、半分ぐらいは本気であり、この曲とか改めてASMR的じゃないですか?
  • 今更に調べるとデビュー当初からASMR的という指摘はあり、学術研究もあるみたいです。おいらが考えるぐらいのことは、既にまるっとお見通しなんですな……。
    • kb.osu.edu
    • "本論文は、ビリー・アイリッシュの音楽と自律感覚絶頂反応(ASMR)を誘発する録音における類似点を探究します。"

    • "COVID-19パンデミックのようなソーシャルディスタンスとロックダウンの時代において、リスナーは、アーティストやパフォーマーが物理的に存在しなくても、親密さや近接感を誘発する音に惹かれる可能性があります。私たちが音響的親密性と定義したものは、クローズマイキング、ささやき声、口内の湿り気を示す音、呼吸音、バイノーラルビートなどの電気音響的な特徴を含みます。これらの技術は、ASMRという感覚現象を誘発する録音によく見られます。"

声優、および囁き/プライベート空間侵犯アプローチ

  • 日本の声優アーティストでもこの路線を完全に自覚的に踏襲していると感じたのが(おそらく裏方チームの裁量もあると思うのだけど)上田麗奈さんのアルバム『Nebula』です。ちょっとこの曲はやり過ぎなぐらい寄せています。
  • 楠木ともりさんも声優アーティストとして、かなり自覚的な方と推測されます。ドリームポップ、シューゲイズ的なアレンジを発注したなんて発言もありましたし。こちらは象徴的な名曲と思います。ややボーカルが前に出たミックスですが。
  • いちまいフィクションを纏って歌う、演劇的歌唱という意味でビリー・アイリッシュさんもアニメ/声優ソングに近い、という与太は割とあり得る話なのかもしれません。
    • 上述の上田麗奈さんのアルバムなんか非常に演劇的と思います。演じるように歌う。
    • 一方で楠木ともりさんは音源に限らずアーティスト活動全般が演劇性低く、逆にパーソナルな部分が剥き出しだから、それ故に受け止めるのに体力がいるのかもしれない、とこれはライブに行って感じたことだったりします。(注、そんな風に身を削って表現する楠木ともりさんのことは尊敬しています)
  • 当たり前ですが声優さんはボイスコントロールのプロなわけですから、音響シフト的なアプローチとは相性よいわけですよね。イヤホンズさんのこの曲も当時ビビってたじろぎました。
  • ここら辺、探せば一杯あるでしょうし、自分の知識も断片的かつ古いので、最新事情をご存じの方いれば補足してもらえると幸いです(またしても他力本願)
  • 自分のメインである趣味範疇、延々書いてきたメタル勢にもこういう低音/囁き/プライベート空間侵犯アプローチを駆使するアーティストは勿論います。例として思うのはLeprousさん。Vo氏の低音が艶っぽくてゾクゾクします(ライブ見たいので来日してください)
  • 「みんなノイキャンのイヤフォンで聞くようになって、耳の集中力あがっているのでは?囁き声を外でも認識できるようになった」と言われて、これは確かにそういう側面あるのかもしんまい。

音響シフトにおける経済縮小起因は必要or十分条件か

  • (それこそコロナ禍等々で)音楽業界が経済的に縮小していく中で、ミュージシャンを雇ったり、生オケの手配等が難しくなって、音響へのシフトが進んだというのもあるのかな、と。

  • これはカラオケ館で延々話し込んだ際の意見だけど、うーん、そうなのか……?
  • 予算減によるやむない施策というのは、映画音楽には当て嵌まるかもしれないけれど。
    • 予算が削られた→生オケ難しい→サンプル&シンセ主体へ→結果的に「音響化」した。
    • (ジマーさんは予算あっても好きでやってると思いますが)
  • Djentやブラックゲイズが「予算がなくなったから音響に走った」って言われたら違うのでは?だってそもそも予算もクソもないアングラ文化ですよと。
  • 特にブラックメタルは「金がないからLo-Fi」だったのは事実でも、そのLo-Fiが結果的に美になってしまったのが衝撃なわけで。
  • 「金がないから」じゃなくて「金がなくてもここまで来た」人たちの話なんですよ。
  • 逆にBMTHやAs I Lay Dying、Sleep Tokenは売れてからよりその手法を深化させているのだから。これは予算じゃなくて選択的快楽でしょう? 「どう鳴らせばもっと気持ちよくなるか」を突き詰めた結果の音。
  • つまりですね、前述したエロ漫画理論で言えば
    • 同人でNTR漫画を発明してしまった一派がいる。
    • 商業誌でBSSを延々書いている一派がいる。
  • これはそういう話ですよと(分かりづらいよ)。

経済的・制度的制約だけでは語りえないこと

  • 元に戻すと音響シフトは確かに予算や環境の影響も受けるけど、一番重要なのは「その音で何をしたいか」という創作者の選択なんだと思います。
  • どうしても3P漫画が描きたいんだという牛牛牛先生の自由意志に通じる話ですね!(だから分かりづらいって)。
  • 繰り返すと、「それ経済的・制度的制約が音響重視の原因」ってのは一理あるんだけど、「制約はあっても、そこに快楽を見出した人間たちの集団的選択」として捉えるほうが、より説明力ある気がするんじゃよ。制約って、「動機」にはなっても「理由」にはなりきれないのでは。
  • 文化とは「条件×時代のコード(記号体系)×表現者の主語の相互作用で決まる」という言葉あり。これは正にその通りと思います。

最後に

  • 長々書いてきましたが、このような音響シフトもZETTAI永遠のものではなく、いずれまた違う潮流が訪れるのかもしれません。例えば80年代のクオンタイズ全開の打ち込みやオケヒットって、一時期は都会的、おしゃれの象徴だったと思うのですが、みんな使い過ぎてむしろ古典の記号になってしまった感があります。なんでも擦り過ぎると飽きてしまうんですね。
  • しかし近年だと例えばヨットロックとかシティポップの再評価、あるいはシンセウェーブの流行なんてあったじゃーないですか。音楽の価値、意味性や流行は線形に進まず巡り回る。歌は世につれ、世は歌につれ。数年後には「音響なんて関係ねえ、俺の歌を聞け!」というど凄いメロディメーカーが世を席巻しているかもしれません。
  • ちょっとジャンプすると、日本の音楽批評ってやっぱりロキノン渋谷陽一氏によるイデオロギー主導型が大きかったという思いあり。かく言う自分も書籍から受けた影響というのは多いし、一概に否定できないものもありますけれど。音より先に思想ありきってのは、やっぱり違うのではないかと。
  • あと冒頭で書いた産業構造、人口動態でマクロ的に語る論について。それは背景としては存在するけれど、なぜ個々のミュージシャンがこの音を選んだのか、またリスナーの自分が何にエモーションを感じたのか。奥深く分け入って説明することにはならんのと違いますかと。
  • まずは耳で聞く、いま鳴っている音を知ること、これ大事なことなのでないかと考える次第です。本日は長時間ご清聴頂き、ありがとうございました。(ほんと長すぎだよ!)

追記:がっくりするオチ

  • 上記を含むわたしの文章について、以下のような意見あり。
    • 友人が「音楽」についていろいろ調べてるのを横目に見てて、自分は(彼とはまったく別に)改めて思ったのが、「音楽ってこれ以上ないまでに形而下(経済・産業構造)変化の影響を受けて後追いで変化するんだなぁ」と。

    • そして、経済・産業的に停滞してるなら、やはり(欧米の)音楽は停滞してるんだ、という結論。音響面での変化とか作り手の内面への深化みたいなの、やはり新機軸を打ち出せないことからの(言い方が悪いが)「小手先の変化」で、なんというか貧者のアプローチなのだと思う。

    • これは、コーエンの『大停滞』論とか、ゴードンの『成長の終焉』論なんかとも密接に関係してて、「新しい音楽」と言われてるものが、ほぼ電子機器に駆動されてるわけだけど、大停滞論では、PC・ネット・小型電子端末は生産性低迷による小手先の変化(貧者のアプローチ)の象徴とされてるわけで…。

  • いやーこれ全く話が通じていない、最初の話に巻き戻っていく感じがあり、相当がっくりする気持ちになりましたね……。森全体ではそうかもしれないけれど、個々の木の枝ぶりは違うのでは、という話を前回エントリから長々延々と下から積み上げてきたつもりなんですが。それでこの反応なのか、という戸惑い。あと経済だけでは語れない、というのも上述の「音響シフトにおける経済縮小起因は必要or十分条件か」という項目で(冗談まじりですが気持ちとしては)マジメに説明したつもりです。いや別に意見違うのは(当たり前で)良いんですが、せめてちゃんと読んだ上で論を重ねて欲しい。あるいは読まずに書いているのか……。
  • 個々の変遷、進化を「小手先の変化」と呼んで片付けるのも乱暴すぎやしませんか。これ言うと、いや字義通りの意味ではなく、経済学クラスタの言葉でね、と言われそうですが。わたしはここら辺のことはなんも知らんド素人ですが、軽く調べてみると「貧者のアプローチ」ってのは技術的改善が生産性向上に結び付かない話とあって、それをそのまんま音楽のような文化・芸術に適用するのは違うのでは?それこそ牽強付会では……。
  • こうやって反応すること自体迷ったのですが、今回は敢えて記しておきます。まー仕方ない、他人に期待し過ぎるのも甘えですから。落ち込みもしたけれど、私は元気です。自分は自分で思ったことを今後も書いていこうと思います。

おまけ

  • 後日別エントリにて、音景と言うより触感的音響が強調されるのが今の音楽かも、という話を書いています。これまでのエントリの要約にもなっているので、読んで頂けると幸いです。



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