今月から働き始めた仕事が、今日は休みだった。
しかし、息子が社会科見学だったため、早起きしてお弁当を作った。
息子を送り出したら急に力が抜けて、食器洗いも面倒になった。
かろうじて回した洗濯機から洗濯物を取り出したら、外が晴れていることに気づいて、布団を干すことにした。
そして、ベランダを拭いて、布団を干していた時に、あることに気づいたんだ!
それは、「手に入れたもの」と「失ったもの」があるということ。
1年前に前職のパートをやめてから、結構頻繁に「日々の暮らしの中で1円も稼げていない自分」を卑下していた。
どこかで活躍し、社会に貢献し、お金を稼ぎたかった。
それができていない自分が嫌だった。
そう言いながら、朝余裕を持って家族を送り出し、ゆっくり洗濯し、買い物をし、時には映画を観て、夕食を作り……といった生活が嫌だったわけではなく、求職活動をすぐにするわけでもなく、日々が過ぎていったのだけど……。
ようやく昨年の11月に「働きたい気持ち」が高まり、求職活動をして、有り難くも採用していただき、今月から働いているのだ。
そして初めての休日に気づいたのだ!
私が、「手に入れたもの」は「仕事」と「賃金」。もしかしたら、そればかりでなく、例えば、やりがいとか、責任とかもあるかもしれない。
しかし逆に「失ったもの」もあったのだ。それは「働かないで生活している状態」や「毎日家にいる時間」。
多分、今、私は、初っ端から、自分の出来なさ加減にショックを受け、すごく弱気になっているから、「こんなはずじゃなかった……」みたいな思いが強いのだと思う。
それは、何か新しいことを始めた時の、「自分の無力さに絶望する感覚」が久しぶりだからかもしれない。
とにかく、ぶっちゃけ、あれほど欲しかった「仕事」が手に入ったのに、幸せな気分よりどんよりしているのだ。
それと同時に、あれだけ疎ましかった「働いてない自分」の生活が輝いて見えてしまったのだ。
天気の良い時に、布団干したり散歩したりを、働きに出ていなくてもできるということが、どれだけ有り難いことだったのかと。
他人の芝生は青い、ならぬ、自分の過去は青い、ということなのか?
そして思うのだ。
「ある」とか「ない」とかって、どっちにも言えるのかなって。
「ある」に注目すると、実は「ある」がいっぱいで「ある世界」になり、「ない」に注目すると「ない世界」になっちゃう。
私が働き始めたことで、「自分の無力さの絶望する感覚」を感じてしまっているんだけど、それは、確実に「新しいことを始めた」という証なんだと思うのだ。
何かを選択することは、何かを選択しないということであり、もしかして進んだかもしれない道を進まなかったことになる。
どっちの道にも「ある」と「ない」があって、「ある」を見ることもできるし、「ない」に注目することもできる。
それだったら、今は、せっかく選んだ道の「ある」に注目して行こうではないか!
選ばなかった別の道や過去の道の中に「ある」を見つけられた、ということは、今進んでいる道の中にも「ある」と見つけられると思うのだ。
不安を感じたら、空を見上げて、今ここに居ること、あることに感謝してみよう。
それでも不安な時は、その気持ちを抱きしめよう。