どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
例年通り無事に溶連菌に感染しまして。週の後半しっかり休んでひとしきり臥せって、選挙で色々考えて、そうして映画館にまた通うのです。
あ、この映画の感想はあっさいとおもいます。ちゃぷちゃぷです。少なくとも見終わって、藤津亮太さんの『富野由悠季論』をほしい物リストに入れっぱなしなことを思い出してあちゃーと感じた時点で浅瀬です。

WATCHA4.0点
Filmarks4.0点
(以下ネタバレ有)
1週間ぶりの映画館にしてなんやこれーである。ハサウェイがギギといちゃいちゃしてたらケネスともいい感じだし困っちゃう、みたいな感じで東南アジアのどっかから宇宙経由してマフティーに戻ったら本妻がいた、程度の記憶で臨んだこっちも悪いが、それにしても分からせる気があるのか不安になる上に、思い切った構成である。分からせる気がないのは前回までの閃光のハサウェイは…パートである。見たのによく分からん。そんなことあるんか。
要は前作と人物配置の構造は変わらない。ブライト・ノアの息子であり、極めて地球連邦側のはずのハサウェイ・ノアが反政府テロ組織マフティーのボスであり、それと相対するケネス・スレッグ、そして両者の間でどっちに行こうかな、とゆらゆらする上田麗奈ことギギ・アンダルシア。これは別に変わってない。その中で、ケネスが本拠地としているダバオから地球連邦政府側のなんか偉い人を集めた会議をアデレードで行う、ということでマフティーは基本的にそれを襲いたい、と延々作戦会議をした挙句、アデレードに着かないってんだから驚きである。物語として分かりづらいなりにアデレードが刷り込まれたのに、アデレードに着く前のエアーズロックでギギとハサウェイが再会するシーンをゴールに据えている。そして、このエアーズロックでの戦闘でハサウェイはいわゆるガンダム(レーン・エイムくん搭乗)と戦うことで心の中のアムロ・レイなのか、ニュータイプ時空故のアムロ・レイなのかよく分からんが、まあとにかくそこと対峙する。実際に戦闘行為は起きているのだが、やってることは心内世界のトラウマ克服である。しかもこのトラウマ克服が自分の中のハサウェイ・ノアとマフティー・エリンの仮面のどっちを取るかをレーンくんを殺すかどうかで示し、マフティーの仮面をかぶって暗黒面に堕ちると決めた刹那、ギギの声によって引き戻される訳でつまりはこの映画によってハサウェイの心はどちらに決まるでもなく先送りにされているだけなのである。舞台をアデレードに向けて移動させつつ、ハサウェイの脳内の揺れを描いただけ、という3部作の第2作という立ち位置故の繋ぎをハサウェイの中での対立を描き、一旦決まったけど保留になった!を運命的な再会によって誤魔化すという恐ろしい手法である。そもそも、ハサウェイはこのアムロ・レイとの擬似対決に至る前にギギ・アンダルシアとケリア・デースという間でも揺れることでギギ・アンダルシアに靡くことは自身の肉欲、エロス、生への欲求を激らせることと示し、マフティーで標語に呑まれて死んだように生きていくことを半ば自傷的に選んでいく訳で、完全にケリアさんが可哀想である。彼氏が任務にいったら知らんいい女といい感じだったらしく、しかも任務を理由に頭を丸めても話し合おうとしてくれない。おい、お前目の前のやつさえ幸せにできないで何が地球を救うだ、船降りろ、と説教したくもなるのだが、それは出陣してきてくれそうなブライトさんに任せ…あの人も大概だな…。まあとにかくそういう自分勝手に内省で滅ぼされそうになっていく様はさながらAir/まごころを君にのシンジくんである。気持ち悪い、である。心の中にクェスとアムロを飼う男、ハサウェイ・ノア、彼こそ機動戦士ガンダムの擬人化なのかもしれない。そして、革命の使命に潰されて目の前の相手を見ないハサウェイに怒っといて思い出したが、『ワン・バトル・アフター・アナザー』では革命そっちのけで爆弾の仕様を聞かずに誘惑してるテヤナ・テイラーにキレていたので、革命って難しいなと思い直す。Viva La Revolution!!
さて、東南アジアとオーストラリアを股にかけた群像劇となる本作はアデレードを有するオーストラリア大陸へ向かいたい中で、会議が実はコワンチョウでは??みたいな陽動になり、マフティーもそっちだと思い込んでる陽動の陽動でダーウィンを襲撃させる。陽動の結果ダーウィンを襲われる可能性があるのに呑気にダーウィンを経由してやられてるケネスも変だとは思ったが、そのおかげでギギは軍内から巫女のような預言者として扱われることに。香港でのギギの高階層での暮らし、ケネスの山寺宏一周りを含めた軍や組織の動き、そして何より観光地にマフティーがいるか!と叫んだのに会敵しちゃうレーンくん、ギギとのことをあーだこーだ勝手に言うマフティーの面々。こうした連中の続く会話劇こそがこの世界を形作っているようであり、前作のタクシー運転手の言葉のようなハサウェイたちの戦いの空疎感を増加させていく。
この辺の世界地図の見せ方は頑張ってたとは思うがもう少し引いたりしてオーストラリアの縦断の仕方を見せるとかして欲しいし、マレーシアのジャングルで動物観察の刑に会ってほしいし、香港で大観光旅行をしてほしい。どうでしょうでわかるキルケーの魔女の地理。コワンチョウが広州を指しているのは、広州恒大、広州富力という2チームとの対戦経験のあるサッカー畑からの知識で把握。ムリキ、クレオ、エウケソン、コンカ。あの頃の広州恒大。
テレビで放映されたことで地球連邦軍側の悩みの種になる、モビルスーツが人を蹂躙する冒頭の映像。モビルスーツによる戦闘はやはり見上げるものであり、ハサウェイのコクピットから見る戦闘はもはやコクピットからしか見せないドッグファイトのような現実感の無さがある。そうした中で、ひたすら階段を登る描写が見られたハサウェイと、そして生の象徴であろうはずのギギにはなんだか悲しい結末しか見えないのだ。階段を登る、それは神のいる場所に近づく行為かもしれないけど、民は下から見上げるだけだとマフティーとしては失敗になってしまう。なんか、この映画のハサウェイにも重ねると倦怠夫婦映画みたいね。小説読んでないから知らんけども。
すっかり忘れていたので最後に書きますが、村瀬修功監督はわかる、沖浦啓之、渡辺信一郎、そしてここに並ぶか出合小都美!という絵コンテメンバーがすごいことになっていた。