どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回はアレックス・ガーランド最新作。MENとかアナイアレイションみたいなのを作ってほしいんだけど連続で戦争系です。私が好きな方は私の見ていないゾンビの方で存分に発揮しているんでしょうか

WATCHA3.5点
Filmarks3.6点
(以下ネタバレ有)
私の大好きなアレックス・ガーランド。前作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』で軍事に関するコーディネーターを務めたレイ・メンドーサから実際の経験を聞いてそれを映画にすることになった本作。だから本作は実話ではなく、彼らの記憶に基づく、とされている。なーるほど、それは確かに良いし、終わってみればそのことの持つ意味もわかる。
イラク戦争の最中、行われる作戦は民家を占拠しての監視任務。緊張感もない中寝込みを襲って見事に占拠するのだが、なんかだんだんバレていき、そして手榴弾が投げ込まれてからはただただ戦場となる。どこからどれぐらいの数の敵が襲ってきているのか、一応上空のドローンかなんかによる映像で示されはするが、観客も十分に理解はできない。でもそれでいい、だって彼らが分かってないのだから。戦車を呼んで負傷者搬出を試みたところに即席爆発装置(called IED)による襲撃で小隊は壊滅的な被害を受ける。重症者は2名だったが、なんというか、心を完全に折った瞬間だろう。またしても閉所で酷い目に遭うウィル・ポールター隊長を中心に、各々がきびきびと自らの職責を全うするプロフェッショナルという雰囲気ではなく、戦場に突然放り込まれた成人男性という雰囲気であたふたおろおろする。モルヒネの上下を間違えれば、止血帯のバンドも手が震えて止められない。この映画を終わらせるのは司令官のふりをして呼び出した戦車によって再度負傷者の搬出と脱出を果たしたものであり、撤退戦となる。勝ちはない。そしてそれは、合流してくれた第二部隊のおかげであるといって問題ないだろう。
どうしてそういう描写がなされる戦争映画が成立するのか、というとそれこそが彼らの記憶に基づいている、という導入なのだ。言ってみれば、セラピーというか、清算というか。イラク戦争が明らかに失敗であることは色んな側面から描かれつつ、その中で戦場で、あるいは戦場外でどういう戦いがミクロであり、どんな傷を残したのかはハリウッドでの映画化に枚挙にいとまがない。だが、いよいよこの映画に至っては当事者がその戦いの失敗を、情けなさを描くことを自ら求めているのだ。彼らにとってそれを認めることはとてもつらいことではあると思う。市街地に相手に利するものを置いていくわけにはいかないと何度も気にされる荷物や武器。だが、どこから撃たれるかわからないところにまで壁をぶっ壊したハンマーを取りに行く、というとこがこの戦いの荒唐無稽さを示すし、それを今描くことを受け入れたこともまた興味深い。
映像的には、最終章第5話の前になんか日常系スピンオフが走り出していい加減にしろ、でお馴染みのガールズ&パンツァーでもそんなに重要な役回りにならなそうなサイズ感の戦車でも十分に恐怖を与える存在であることを示す銃撃や、低空で土煙を巻き上げ、空間を無力化することを目的とした威嚇飛行を路地の奥からこちらに向かって瞬速でやってくるシークエンスはフレッシュでとりあえずここだけでも見た意味を強く感じる。
その上で、この映画はそれでも自覚的であろうとはした欺瞞は覚えておくべきだろう。そりゃレイ・メンドーサは自覚的にこの作戦の厳しさと虚しさをどちらも描いて向き合ったとは思う。でも、当地の人間からしたら勝手に侵略してきて勝手に暴れて、勝手に向き合って、勝手にエンドロールで仲間たちを讃え、それをまた世界中で金儲けにしている。ふざけるな、というのもまた事実である。なぜ普通に暮らしているだけの家庭が突如武装した異国人に占拠され、軟禁され、そして家中を血まみれ銃撃痕だらけにされ2階を吹っ飛ばされ、そしてその後彼らを匿ったかのような視線に耐えねばならないのか。イラク戦争自体を象徴はしているだろうが、アメリカでばっか勝手に象徴して総括すんな、というのもまた事実である。この点については、そもそもイラクでもそういう映画があるかもしれないのだが日本に入ってきていないだけ、という歪みの可能性はあるのだが、まあでも根本的に歪んではいるだろう。それ故に、どうにも高得点はつけづらい
さて、こうして現出したイラクの民家という地獄空間。記憶に基づいて語られた本作はフィクションなのか、ドキュメンタリーなのか、あるいはそれに類するけどドキュメンタリーあるいは「映画」とはどこか違う気もする再現ドラマ映像でしかなかったのか。『15時17分、パリ行き』あたりと並べて考えてみたいものです。