どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回はピクサー最新作。当然、アカデミー賞の長編アニメーション部門の有力候補になってくるでしょう。
WATCHA3.5点
Filmakrs3.4点
(以下ネタバレ有)
なんというか、がっかり、というのが正直な感想だ。何を作っても高品質、最高のメッセージとそんなものをそんなふうに映像化できるなんて!というある種の驚きをもたらしてくれるのがピクサーであり、前作の『インサイド・ヘッド2』もまた最高だったし、本作監督クレジットのドミー・シーの前作の『私、ときどきレッサーパンダ』もまたそういうものであった。だが、この『星つなぎのエリオ』は正直言ってその驚きを期待しているとその下をいった、というのが正直な所感である。高品質であることに異論はないのだが、宇宙というものを舞台にした1人じゃない、誰かは愛してくれるよというメッセージは素晴らしい綺麗事なのだが、それはピクサーがやらなくてもいいだろうというぐらい新しさは何もなかった。ピクサーがそれをやる、ということは、ある種のクラシックをリメイクすることと同じように多くの人に普遍的なメッセージを伝えるという意味で意義深いのは間違いないのだが、いやそれでもしかし物足りない。
そもそも、『星つなぎのエリオ』が一体何の話なのか、というのがどうにも予告編を見ても飲み込めない中で、まず彼の孤独を描いていくことから始まる導入にかなり時間がかかっている印象がある。エリオを預かっているおばさんもエリオを愛していることが最初から丸わかりであり、そこに物語的なものはないというか、地球に一旦帰ってきた段階でエリオもそれに気付けるので導入と少しブレてる気がするのよね。で、そのエリオと同じように描かれるのがグロードンで、まあ芋虫のような生態の生き物ではあるのだが、子役が吹き替えていることもあってこれがまた可愛い。そんな彼が戦いを伝統としてアーマーを纏うことを成人の儀とする生態において、アーマーを着たくない、でもそうしないと父親に嫌われる、という子ども側の変な気遣い、そして勿論親は子を愛しているさ、という仲間の生まれ方は確かに楽しい。ただ、アーマーの中身があのような生態であること、本作の真っ当すぎるメッセージが予定調和すぎてお父さんがアーマーを飛び出してきたところでそうでしょうね、っていう感じしかないというか。そもそも彼はコミュニバースなる星々の代表者による連合体への参加を要求するが武闘派すぎて通らないことで武力タイプと見せている時点でそことの対話可能性を描きたいことも出てきただけでわかる。それよりも、そこで描かれたコミュニバースというユートピアにさえ思え、地球に居場所を見つけられなかったエリオが地球のリーダーであると嘘をついてでもいようとしたその空間自体の胡散臭さ、欺瞞さまで言及してくれるのでは?という期待が膨らむばかりで、そしてそれは萎んでいった。そもそもこのコミュニバースの連中も別に面白いビジュアルはいなかった。アノマロカリスだなーとか、そんなんぐらい。アントマン3に近い、新しい世界を描いているはずなのに虚無、みたいな感覚。
例え今の自分が周りの誰からも愛されてないと思っていても、広い宇宙の中にはどこかにはきっと心を通じ合える誰かはいるし、そして案外近くにもいるんだよ、というのは届くとすごくいいメッセージだ。そういう青少年が今回ほどの規模感はなくてもちょっとした家出を実際にだったり、空想上で立ったりして青い鳥的に探してたものは近くにあった!する物語はごまんとある。でもこっちは、ポスト『愛されなくても別に』なんだよね。愛されないことに価値がない訳ではない、ということまで打ち出してくれ。『ソウルフル・ワールド』の時に思ったことではあるので、たまーに来るそういうターンなんだろうな、と思う。
そもそも、『リメンバー・ミー』のエイドリアン・モリーナがクレジットされていながらも、試写会の時に配られた日本の方へのメッセージの出し手が監督のドミー・シー、マデリン・シャラフィアン、そしてプロデューサーのメアリー・アリサ・ドラムの3名になっていて、エイドリアン・モリーナは自身の書いたものからクィアな表現が削除され、結局去り、叔母役のアメリカ・フェレーラも録音を既にしていたのに降板しているみたいな話が流れてきていることと合わせて考えると、決して万全ではなかったのだろうなぁとは思う。
