どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回は「愛されなくても別に」が題材。河合優実は佐藤二朗に出会ってしまったが、南沙良は馬場ふみかに会えた。そういうことです。

WATCHA4.5点
Filmarks4.5点
(以下ネタバレ有)
南沙良×馬場ふみかを井樫彩監督という座組だけで見ることを決めていた本作。いやあそういう勘って信じるものでございますな。更に言えば、これは実写映画畑の皆様にはちっとも刺さらない要素ではありますが原作は武田綾乃。『響け!ユーフォニアム』『花は咲く、修羅の如く』とアニメ化を2作品持っている訳でございますし、若い女性同士の関係性を綺麗事だけでなく描けることを既に証明しているわけでございます。武田綾乃、マジで把握してなかったというか、勝手に京アニのコンテストとかでデビューした口かと思っていたら、本作の原作で吉川英治文学新人賞とか獲ってるし、めちゃんこ本出てた、ふつーにすごい作家先生だったし、高校の同級生が吉岡里帆らしい。知らんことだらけである。
んで、本作。シンプルに親子もの。但し徹底的に子の目線に立っている。南沙良演じる宮田は母と二人暮らしながら、学費も生活費も家に入れているし、労働も奨学金も養育費も搾取されている。搾取…東大へいけ!と言いたくなってしまうラパルフェ脳じゃおいておこう。搾取は山ほど出て来る。一方、どこか彼女視線からは自由に見えた江永はお父さんが飲酒運転で人を殺していて、殺人犯の娘として周囲から疎まれる。ピンク・青・金と髪の色を変えながら自分の世界を持っているように自由に過ごしているように宮田からは見えてた江永は、でももっと不幸だった。更に登場する本田望結演じる木村は、ひっきりなしに九州に住む母親から電話がかかってきて完全に過保護な環境に置かれ、そこから逃れるために新興宗教にハマっていく。3人が3人とも自分は不幸だと思っていて、それでいて不幸自慢に陥ってしまいそうになっている。不幸中毒と言及されて、それでいて木村の叫ぶ、もっと不幸だからって見下してるでしょ、私だって苦しい、っていう叫びは、最早定番化しつつある宇垣総裁の大好きな「人には人の地獄がある」の心からの叫びである。そういう意味では、ここで木村についてのエピソードは完全に終わってしまい、江永が被害者の息子に襲われる、宮田がお母さんと再会するといったこの2人のエピソードが収束していき、シスターフッドという言葉でも片付けきれないこの2人だけの関係性の物語である、彼女たちが「子」から「大人」となり自分の人生を取り戻していく物語であるのは間違いないのだが、木村の叫びにももうちょっと応答が欲しかったというのは間違いない。
ただ、それを差し置いてもこの2人のやり取り、空気感がとてもよく、『あの娘は知らない』でも見せた一般的な何かの枠組みに入れない人たちの緩い紐帯のような話に落ち着くのはある種の作家性でもあるのかもしれないですが、『あの娘は知らない』と比較しても明確に一個上のレベルに上がっているような感じはありました。『あの娘は知らない』でも2人が恋愛関係になることを明確に否定したように、本作においてもこの2人をカップリングのような関係性で規定されることを拒否するように宮田は性的なものを拒絶する訳で、それがまたこの二人の関係を規定の何かにさせてはない。緩やかに生きることを肯定してく、っていうだけじゃなくて、人を殺せる選択をしうる人間だからこその生きることの肯定っていうのが良いというか、このままだとあなたを殺してしまうよ、という宣言に対しても綺麗事で親子の絆で縛ったりしてこないで、じゃあ代わりに殺してやんよぐらいの勢いのこの2人が大好きだし、木村さんにもじゃあウチにおいでよと言ってくれる人がきっと現れるタイミングが来るはずだと信じたくなる。というか、信じさせてくれ。(『ザ・スイッチ』だったっけ、最後に女性みんなで執拗にぶっ殺すやつ、ああいう選択肢があるということを描けることが大事だなって思いました。)
この映画がかなり良いな、って思う時点で私は「大人」であるかはともかく、「子」なんだろうな、というのは強く思います。勿論、単純に実際に自身が「親」であるという事実がない以上、人生の側面に「子」が極めて強いのは否めないでしょう。でも、例えば高校生たちの青春を見るときに自分の視線は彼らと横にいるつもりではなく、神の視線で見ており、それは「親」のものではないかと思っている節があったわけで。でも、それは「愛している」という言葉で祈り、祝い、呪うことのできる「親」という側面ではないことを痛感するというか。等しく世界に対して距離を同じくおいているだけの人間なんだろうなと自分のことを振り返るいいきっかけになったのではなかろうか。話がすっかり自分のことになっているが、「毒親」「親ガチャ」という言葉が流行する一方で、ネグレクトなども社会問題として明確に存在している昨今。子どもを個として対等に扱い、でも社会全体で守り、どう尊重していくのかは難しい。それは親であることと親になることの違いでもあるだろう。宮田はめでたく20歳を迎える。でも、彼女が大人になったのは、多分あの瞬間でもなく(18歳で成人になったのは2022年っぽいので、劇中では20歳が成人で良いはず)、「愛してる」で赦しを求めた母に「家族を辞める」と宣言できた時にも思えるし、レッドブルとカロリーメイトをレジで精算しなくなった瞬間なのかもしれない。自分が「大人」であるかをいったん棚上げにしてみたが、毎日エナジードリンクを飲んでいる私は、「大人」になれているだろうか。自分の人生を生きているのだろうか。木村も、襲ってきた彼も、宮田を飲み会に誘ってた連中も、コンビニの同僚も、客も、スピってた人たちも、みんな自分の人生を生きているのか。