どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回は岸辺露伴最新作。もはや定番になってきている。
WATCHA3.5点
Filmarks3.6点
(以下ネタバレ有)
漫画を読まない人間でお馴染みの私が知ってんのか、知ってないのか正直微妙なラインのジャンル、それがジョジョ。ルーヴルへ行く、の時にOVAのアニメやNHKの実写ドラマは履修して、本編アニメが第3部だと言ったな、そこから動いた気配がないぞ、どうした私。昨年放送されたドラマの密漁海岸の方はきちっと拝見したものの、ジョジョへの見識が深まったとは言えない。だが、私は既にOVAアニメシリーズは見たと言っている!!ということで懺悔室のエピソード自体は知っている状態で臨む実に中途半端な状況です。
巻き込まれ型というか、首突っ込み型主人公の高橋一生露伴。今回首を突っ込んでしまうのは懺悔室でうっかり聞いてしまった告解。最高の幸福を感じた瞬間に、最大の絶望を味あわせてやんよ、という呪いの物語。OVAで30分尺だった話を一体全体どうやって1時間のドラマどころか、2時間の映画に仕上げて見せるんだい?と思っていたが、そこは流石小林靖子。そういえばOVAでも言っていた次はお前の娘が最高の幸せの時に云々を拾って、2世代にわたる呪いの話に仕上げて、懺悔室と懺悔室アフターを作り上げることに成功している。露伴先生が完璧なのは当たり前として、井浦新の馴染み方が凄かった。話し方が完全に露伴先生方向に振れていて、完全に憑りつかれた様相がに事である。わざわざ耳元に話しかけにきたり、この変な人っぷりがたまらない。なんでオリジナルのパートでそんなんなるんだよ。あと、懺悔室ビフォアも良かった。ようは露伴先生の能力説明パートなのだが、お前の漫画はもはや芸術だ!と褒められて漫画だコノヤローってキレてるのが実に露伴先生ッ!って感じだった。良い。
で、単に人の話を聞くだけと言える懺悔室のエピソードを膨らませた過程で出てきたのは「幸せ」とは何かという問い、そしてそれは「絶望」とは何かという問い。ここに答えが出ているというよりは、何かの事象に対して解釈が人それぞれに生まれることで「幸せ」にも「絶望」にもなりうるのだ、ということを知らしめる形の終わり方になっており、最大の絶望が何かを解釈できていない、対話できていない井浦新が自分の呪いのせいで死ぬ娘を見ることで気づく、という表面的な出来事は勿論ではあるのだが。ここから先、井浦新は娘が死んだときに自分じゃなくて良かった、と思ってしまったという事実と向き合い続ける絶望と、娘のためを思って言っているような教育だったのがすべて自己保身だったことがバレた絶望(娘が生きていることはどうせすぐに知るだろうから)あたりを背負って生きていく。生きててよかった、という幸福と、上記の絶望。そこには単に事象が存在する中で、それを解釈する人間次第でどっちにも振れる。
と、言う点で今回は泉編集の存在が非常に大きいんですよね。襲い来る幸福に対してポジティブに受け取り続け、ヴェネチアの土産屋といううさんくさすぎる場所で買ったお護りを有難がれる。どんな呪いも幸福も、どう解釈するか次第である、ということ、そしてそれをどう表現するかが全ての露伴先生の存在。ということでこの映画のことをしっかり表しながらも、コメディリリーフとして上手くやっている彼女の存在は露伴先生以上に必要不可欠だったと思う。
ただ、せっかくのヴェネチアなのに全然ヴェネチアの良さを捉えきれてはいない気がした。前作では、中身はイマイチでもルーヴルだもん、っていう絵があったんだけど、今回は全然ヴェネチアの良さを感じない。遠くから取るのがヘタクソなのに編集もちゃんとしていないので意味のない遮蔽物が入ってきたり、栃木あたりにありそうなヴェネチアパークで撮りました!ぐらいの映画にしかなっていない。なんでやねん。どっちか取ったらどっちか減るんか。
