どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
アカデミー賞シーズンですね。などと言っているのは本作の鑑賞が1月のうちだからです。

WATCHA4.0点
Filmarks4.1点
(以下ネタバレ有)
勿論、イランの話で、モハメド・ラスロフ自身が映画を作ったことによって逮捕され、鞭打ちの刑を受け、なにそれ映画を作ったことで罰されるってどんなディストピアだよ、である。カンヌに現れただけで
マフス・アミニがヒジャブの着用が不適切である、ということで逮捕され、死亡した件からストレートにこの映画に流れはきている。カタールW杯あたりのブログにも書いているが、この件への抗議は全イラン的に広がり、サッカー界でもアズムンがしっかりと抗議を示しナショナルチームがしっかりそれに連帯したことが思い出させれる。この映画においても、例えばナジメが部屋から外を見るためだけにヒジャブを着用したりしてることからも凄く意識的。
ただまあ、長い。167分。しかもあらすじに書いてある銃を無くす件が始動するまで60分以上かかっている。むしろそれまでは家庭内でお父さんの立場は描かれていないぐらいで、お母さんナジメがイラン国内の抗議運動に対してかなり批判的でありながら、レズワンの友人サダフの負傷あたりで巻き込まれていく話がメインだ。お父さんが死刑をどんどん執行し、人道に対する犯罪に手を突っ込んでいくのだがそれを客観視するには車で移動し出すその時まで放っておいて、イラン国内の世論を食卓、家族間で表現することに成功している。世代間対立になってしまっていることはちょっと悲しいのだが、しかし一旦民主化が落ち着いて『1987 ある闘いの記録』みたいな映画を撮れる韓国とは異なり、今まさにネットワークの普及で宗教原理主義とグローバルスタンダードとの隔たりが顕在化している状況だとこうなってしまうのも仕方ない。
で、ようやく銃を無くしてからお父さんは尋問する人間としての本性を表し始め、家庭を守る父というよりも暴走する権力として暴れ出す。この段階に来て、銃を無くしたこと、銃の所在や犯人よりもメンツが重要になって完全に興味は移行していき、実際問題はウソが家族の間にあることだ、と言い放つ。どーでもええんや。お母さん、ナジメの立場もなかなか難しく、一応彼女は家庭を守るために動く、という感じではあるのだが時に夫を説得し、時に娘を疑い、万事うまくいくように裏で動いてみるけど、目の前の人は助けてみたり、しまいにはそれでも銃を返せば丸く収まると平和ボケしている。完全に権力を内面化しているイマンと、完全にデモ側である娘2人に比べ彼女がどっちに転ぶか、そこにイランの未来の希望を託しているはず。
とまあ、長いんだけどしかし最後にご褒美がありすぎである。やりすぎて、ナジメとレズワンを監禁しだすイマラ。故郷の家に地下牢を完備してる時点でこいつの正体が知れるレベルな訳だが、そこから末娘サナによる理知的な反撃と逃走、そして終盤は完全に絵面はギャグでしかなくなる。砂の迷宮を4人で追いかけっこしながら手前に見えたら奥に現れ、みたいなことを繰り返して最後には落とし穴、ゾンビ映画のポスターみたいに手が土から伸びて終わる。これから乗っ取られる古いイチジクなんだろうなぁ、と思いつつ、ここまで本当に真面目にやっていたから真面目な話として受け取れるけど、最後にこんなんなるとは思っても無い。『葛城事件』、そしてタイミング的には『敵』あたりを思い出す中年以降の男性の嫌さを意地の悪い悪いエンタメにしている。
さて、劇中レズワンやサナがスマホを通じたSNSで見てるだけでなく、本編中にも、あるいはラストにも実際の映像を用いている。『ブラック・クランズマン』の終わり方論争に近い議論はあるかもしれないが、スパイク・リーもモハメド・ラスロフにも支持の意を表したい。フィクションで描いているのにフィクションの力を信じてない、という意見には確かに納得はするのだが、そんなもんはスクリーンのこっち側でフィクションを要求している観客のある種の傲慢であろうと思ってしまう。フィクションで上澄みをさらってたら変わらない現実を映しているんだから、現実がスクリーンからこっちに直接語りかけて当たり前だと思う。そうじゃ無いと変わらないって、という現場からの叫びだと思うのだ。