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冬の中短編「ハイパーボリア人」「名前のノート」「オーガスト・マイ・ヘヴン」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は短めの作品をまとめ打ちでございます。全然違う映画ですけど許してくださいな。

 

1.ハイパーポリア人

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WATCHA3.0点

Filmakrs3.1点

 いきなり、ブラウン管テレビから語りかける。まるでNARUTOのトビの面みたいな丸が連なる画面から。主演女優が登場し、制作経緯を説明、ネガを盗まれたので記憶を通して再現する、という。まーたそういうファウンドフッテージ的なアプローチなのか、と思わせます。心理士でもある主演女優が担当したある患者の妄想を監督2人に持ち込んだところから当時の話になっていく。それで映画撮ろうや、と。

 とにかく制作の途中のとこもストップモーションに入っていたり、ギミックをそのまま映したりするので、やはりアートに近い。もはやメリエスの技法に近いまである。まあとにかくハイパーボリア人なる理想の白人がいて、っていう話ではあるのだがまあナチスよな。ナチスのゲルマン思想、その共同幻想そのものがハイパーボリア人。スペイン、および南米のサッカー選手の人種差別的言動をちょいちょい見るのでスペイン語圏なのか、南米なのか、カトリック圏なのか、まあ白人幻想は下手したらアメリカより強い。

 終盤、どうにもこちらの連帯がいるらしい。ということでみんなで静寂を作る。こちらに体験を要求してくるわけで、それはもう映画の枠組みも超えている…のか?応援上映とか日本で勝手に発達しているのに追いついてきてるとも言えるか。プリキュアも応援してくれって言ってくるもんな…じゃあ逆にプリキュア現代アート…?

 いずれにしても、『オオカミの家』も『ハイパーボリア人』も双方、併映の『骨』『名前のノート』の方が好きだったので長編より短編にしてほしいなぁ…と。『オオカミの家』はまだ分かるが、本作に関してはこの手法である意味がこの作品に無い。手法が自己目的になっている。ノートに鉛筆画のようにアニメーション、なるほど納得。でも失われたフィルムを記憶に基づいて再現する時に人形になったり人になったりする理由って何よ?そこはアーティスティックな自己満にしか見えなかった。

 と、ここまで書いて『オオカミの家』のブログを読んだら『骨』の感想にメリエスを言及しているし、表現の仕方の必然性にも触れていた。私の進歩が一切ないことが露呈してしまいました。

 

2.名前のノート

 

WATCHA3.5点

Filmarks3.5点

 ノートがストップモーションアニメで開き、それをキャンパスに鉛筆画描くタイプのアニメーション。軍事クーデターの被害者の名前を述べていく。前述の通り、ノートが開いて鉛筆画としてアニメーションが進むことに必然があるので好き。

 

3.オーガスト・マイ・ヘヴン

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WATCHA4.5点

Filmarks4.3点

 こちらは『オーファンズ・ブルース』『裸足で鳴らしてみせろ』の工藤梨穂監督最新作の短編。40分です。黒沢清監督の『Chime』同様、Roadsteadなる配信サービスにて公開された作品です。『Chime』の時にも書いたかもしれませんが、こちらは所有権を販売する、みたいなタイプの配信形態なのでなんとしても映画館で上映した時に見なくてはならないのです。ちなみに、これを見た日に小林啓一監督の『新米記者トロッ子、 私がやらねば誰がやる!』の配信がRoadsteadだと発表されました。見逃したのが悔やまれるというか、所有権を販売する配信に入っちゃうと見放題配信は来ない…のか?

 話を戻しましょう。

 今作の主人公は城野譲。じょーのじょー。多分この名前が好きじゃないんでしょうね、この名前を自分で言うところがクライマックスに設定されています。最初に回転する籠みたいなジャングルジム、今はもうないやつ、の映像からスタートするぐるぐるするんですが、一旦それを忘れての出番は恋人を連れてくる妹と姉・譲。でもこれはサクラ仕事で、金を貰って演じていただけ。ここの演じる、ということを靴の履きかえで示すのが巧みで、工藤監督の好きなところはこの履き替えとか読み替え、という視点。『裸足で鳴らしてみせろ』では録音によって同じ世界をどう読み替えるか、が扱われましたが本作では人生を履き替えて色んな人格を生きる仕事をする城野が、これもまた映画における読み替えにおいて定番ともいえるスケートボードを用いて京都を颯爽と進む。今回もそれが炸裂していますよね。そうやって仕込んでおいて、これまたサクラ仕事でいった葬式で出会ったのが薫くん。薫は城野のことをいづみ、なる違う人物と思って話しかけており、いづみと薫、そして城野を慕う行きつけの中華屋・南平の3人はかつての親友で…という話。薫がいづみの不在から立ち直る物語にもなっているし、いづみとして薫に接することで城野も自分の人生を肯定することがほんのちょっとできる。城野に告白して見たけどなんとなくいなされてしまって、どこか居場所なさげな南平も最後には集合の合図だった凧を揚げて、見つけてもらえる。それぞれの人生のこれからを明るく見れる、実にエモい、といっていい作品に仕上がったのではなかろうか。

 凧の黄色、薫が途中でタイムカプセルを封印したランドリーから強奪した赤シャツと原色で目立つ色合いなのも終盤の結構壮大というか、雄大な自然の緑に映えてていいなぁと思ったし、あらゆる可能性が一旦収束するかのように離れ離れになった一同がトンネルという狭い空間に集まった上で、そこからまた広がる未来かのように空間に抜けていくのも良く設計されているし、そこをトランシーバーという利器で繋がっているのもよい。凧もトランシーバーも繋がっている。別の人として薫の前で過ごしていたけれど、城野譲という名前を伝えることが出来て、8月の終わりには出ていこうとしていた人間が、毎年8月に集まることに同意できる、ああなんと。

 主演の村上由規乃さん、素晴らしいなーと思ったら『オーファンズ・ブルース』でも主演だった。エマか!




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