どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回はブータン映画史上初のアカデミー賞国際長編部門にノミネートを果たした『ブータン 山の教室』の監督の最新作です。

WATCHA3.0点
Filmarks3.0点
(以下ネタバレ有)
スタートが非常にぎょっとする。いわく、
テレビとインターネットに加えて、国民はリーダーを選ぶ権利も得た。しかし国民は民主制を知らない
だと。まさしく劇中で語られる「近代化」とか、そういうワードとセットで新しく登場した概念が「民主主義」で「選挙」なのだ、ということは現代日本に生きる自分にはもう信じがたい。そしてこの「現代日本に生きる自分には」っていう枕詞はこの映画を見ている間ずーっと心にのしかかってくる。
作品は、有権者登録が1割というブータンの田舎の村が舞台だ。群像劇的にファクターがいっぱいある。2つの陣営が争う中で、片方に肩入れして妻と娘がちょっと迫害され始めている家族。海外も注目する選挙の周知徹底のために模擬選挙を監督しに村にやってきた女性。選挙の知らせをラジオで聞いて銃を準備するように伝えるお坊さん。貴重な銃を買い付けに来たアメリカ人とそのガイド。こうした人たちが少しずつすれ違いながら、満月の日に各々の持つ大きなイベントが重なる、という感じ。それだけ書くと結構なドラマティックな感じに見えるのだが、基本的にはコメディなんだと思う。ただ、監督の前作『ブータン 山の教室』でもそうだったようにちょっと風景が良すぎて現実感がもう良く分からなくなってなんだったら実話ベースとかそういう感じなんじゃないのか、という錯覚に陥ってしまうレベルである。
まあとにかく、それまで国王のいる君主制の国において、選挙という概念を導入することが想像を絶する大変さなのはよーくわかった。もう生まれた時から先進国と呼んでいい日本という国にいる私のような人間は、有権者登録の際に名字も生年月日も分からない人が多いとか、「選挙」という言葉を知らないとか、もう正直それは根本として全く理解は及ばないし、ここで変にわかったとか言えない。マジで戦争に負けて天皇による君主制が否定された世代じゃないと分からないと思う。とはいえその世代でも選挙はあったわけだし。007が見れるけど選挙は知らない、という状態が想像もできない。
っていう中で、まあなんというか、そのわからなさっていうのは自分の中の進歩主義的なところなのかもしれない、直さなきゃ、っていう思いもあるんだけどでもこれを治すのは正直無理なんだろうな、っていう諦念も感じた。現代日本に生きる私にはこの映画は正直受け入れられない。民主主義こそが至高である、と断言する気はない、とは書く。書くけども、やはり現代において主権を国民では無く国王に置くシステムがすぐれているとは思えないし、法や人権よりも宗教観が重視されてしまうオチにも納得は行かない。進歩主義的にならないように見ていたいのに、銃をアメリカ人に売る約束をしたのに金を銀行におろしに行っている間に坊主に無償で供物にする、というのは契約という概念を否定していることになり、それは自分には出来ない。近代化が良いの悪いのかは分からない坊さんが仏塔の下にAK-47を埋めたから類を見ない平和的な移行がなされました、となってしまう終わり方は納得が出来ない。全く日本やアメリカといった知っている映画の作られている社会と異なる場所でのコメディ、としては受け止められない。だって、劇中の彼らがしていることは政治を知らないという政治であり、この映画は民主主義をコメディの対象にした相対化で、それって今の世界で一番問題な態度そのものじゃないですか、って思うから、受け入れがたい。選挙というものの導入によって分断され、いじめられるから選挙なんてもういいよ、じゃない。イジメる人間が悪いじゃん。007は見たい、消しゴムはないと学校の先生に怒られるから欲しい、でも選挙はいらない、家族がバラバラになるから。そんな虫のいい話はない。
で、銃を供えた(という体で警察から逃れた)アメリカ人に対する御礼が男性器を模したもの…というのもすっごいしんどい。なにそれ。伝統的な価値観に家父長制がばっこり結びついてるってことですか。うーん、ごめんなさい。
こういう状況から、どんどん前向きにしていくんだ、っていう映画ならいいんだけど、そうじゃ無かった。自分の中では法と人権が共有するべき前提だし、宗教>科学なのはあり得ない。でもそれを進歩主義的視点と人は呼ぶのでは無いだろうか。そう自分に問うのです