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童貞ホモソーシャル「ふれる。」感想

 どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。

 今回は10月にアニメ映画の目玉、なのでしょうか。

 ふれたのは琴線ではなく逆鱗でした。いや、怒ってないけどなんか上手いこと言いたいやつ

 それにしても、いつもアニメ映画を見に行くと他のアニメ映画ばかりの予告編がドクターX、聖⭐︎おにいさん、アクマゲーム、踊る、スマホを落としただけ、嘘つきな大学生。そうか、アニメ映画じゃない客に届けようと思ってるのか

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WATCHA3.0点

Filmarks3.0点

(以下ネタバレ有)

 なんかいきなり子どもに真似させたくない石を蹴って封印を解く感じで見つける「ふれる」。コイツのおかげで心の疎通ができる話というのは予告編から知ってはいたのだが、ふれるがびしゃー!!ってなって3人を取り込んで姿消したらそのままカットが変わって校庭を仲良く歩いてるのを学童の先生が見ているの、はっきり言ってホラー演出。そういう映画じゃないと思っていたのに、モンスターパニックとか、洗脳とか、そういうジャンルが頭に浮かぶ。結果としてなんか劣化モスラ幼虫みたいな絵面になるのでモンスターパニックは間違ってないのかもしれないが、まあ普通の人間模様を見る上では邪魔な見方である。あと、あんな感じで人に襲いかかる児童に対して放っておく学童はあるのだろうか、となる。

 とまあ子どもパートはこれぐらいにしておくとして、そこからの大人パートである。ドラえもんでも思ったが、永瀬廉が成長を見せてくれた!と喜んだのだが、いや坂東龍汰と前田拳太郎が絶望的な故に相対的にマシなのでは!?と思ってしまった。もうつらい。あ、でも永瀬廉も叫んだらてんでダメではあった。

 その上で繰り広げられるのが、お互いに腹の底を見せ合っていると思っている男3人とそこに転がり込んできた女2人による一見楽しいかにみえたシェアハウス生活の崩壊なのだが、シンプルに気持ち悪い。この気持ち悪さは岡田麿里の得意としてきたギスギス的なものではなく、実質的な性加害を含んだ童貞ホモソーシャルなものなのが悲しい。恋の矢印こそ色々向いててちゃんと五角形になってるように見えるが、まあはっきり言ってBL関係を感じ取って安全物件扱いする女性側(というか君らにはストーカー被害に悩む女性同士を連帯できる場やシェルターを探した方がええと思う)(あと劇中でストーカー被害に悩む女性に関しては描き方としては最悪で、あの家に転がり込ませる理由にしか使ってないのがつらい)も、キスしただけでそれを共有して付き合ったみたいな言い方をストーカー被害に悩まされる女性に対してする男連中も同じ穴の狢に近い。男の方が罪深いが、まあでも結局この女性二人組はこの映画においてどのような役割を担っていたのか。そう考えると、正直分からなくて、そんな2人組に雑なBLいじりをしてくるのもそれ加害だわツワて感じ。それもこれも男連中は、3人で互いに口にせずともお互いの意見が通じ合ってるからまだまだ大人になりきれてないんだ、という表象なのは分かるが、そうであればそこから抜け出した後に大人としての変化とけじめがいると思う。今回の映画は、そこの変化のパートを完全に秋1人の話で終わらせて、迷惑をかけたあちこちへの対処は終わり際に音楽バックで済ませてしまったあたりに違和感を持った。それを自分の口で言うのが大事って映画だろ!なんかいい感じで誤魔化すなよ!頭下げたり、土下座した瞬間じゃなくて、説明する理由を聞かせろよ。

 『くれなずめ』とか『佐々木、イン、マイマイン』とかさ、ホモソーシャルなあの頃を思い出して…な若手監督の映画を見てたらこうはできねえって。いや、全員ちゃんと成長しろって話では?振り返れば最初の「島の男なら…」から引っかかってはいたのだが。

永瀬廉は悪くなかった芝居というが、しかしコイツのキャラはどうだろうか。バーテンとしてバイトしてる癖にまともな社交もできねぇのは酷すぎる。『バーテンダー 神のグラス』のマモで勉強してこい。バーってのはパーティ開く場所じゃねぇんだよ!?あーん?と強火。

 そういう感じで割と嫌だなぁな中身なんだけど、でもそんな個人の感想ですな部分を差し引いても映画として割と絶望的に下手くそだと思った。YOASOBIをタイアップで持ってきた段階で小説が存在することはスタッフロールを見るまでもなく確定なのだが、その小説なら多少面白いかもしれない。ちっとも映像的ではないのだ。本作は、ふれるによって互いに直接触ると心の声が聞こえる、というギミックなのだがこれが本当に映画としては面白くない。ギミックの説明も喋って説明すれば、結局お互いの声を聞くシーンもマジで全部喋るしかないので本当に全部説明しているだけにしかならない。状況も心情も全部ペラペラ喋られる。芥川の『蜘蛛の糸』と思ったら「蜘蛛の糸」って言うのはもうギャグだよね?そうだと言ってくれ。それでメッセージ的には『レディ・プレーヤー1』の現実大事にしろよ!みたいな言いたいことは口に出そうね、は流石に浅すぎるし、っていうかそれを全部喋るし。『レディ・プレーヤー1』は夢の共演が面白いのであって説教が面白い映画ではないのにそこの印象しかないからやってられない。しかも、そのメッセージって超平和バスターズさんは『心が叫びたがってるんだ。』でやってますよね?っていうのもある。あっちは喋れない、けど歌える、という設定のおかげでコミュニケーションの齟齬をうまく表せていたと思うのだが、結果として心の声は通じるけどフィルタリングされてる、という変に高度な設定は練度を下げるばかりになった印象だ。…ということまで書いてから気付いたのだが、本作は超平和バスターズ最新作では無いらしい。あくまで長井龍雪×岡田麿里×田中将賀の新作らしい。なんか裏がめんどくさそうである。

 ふれるの起こした終盤のハレーションもよく分からない。言い伝えでは、ふれるが割れに割れてる島内を触れるの存在によって一体となって、いわば人類補完計画を完成させて平和にしたはず。どうでもいいけど、そう考えたら人類補完計画にアスカみたいにめっちゃ感情喋ってくれる人超大切だね。さて、ふれるはいらないと言われて東京では爆発したら人々の気持ちにハレーションを起こす。ふれるは人をつなげる怪異なのか、バラバラにする怪異なのか、なんかしっくりこない。そしたらふれるを助けにみんながやってくるけど立ち向かうのは1人。いやふれるで繋がったのは3人なんだからこれは全員で行くべきでは?そうじゃ無いと秋の話になるよ?

 川村元気率いるstoryが絡んでいることもあり、川村元気が…という言説を『きみの声』でいろいろ考えましたが、本作でも元気に責任を投げてええんか、という気持ちである。どっちかというと、岡田麿里が青春を描くのに手持ちの弾が切れたというか…。

 君は君のままでいい、が『きみの色』だとしたら『ふれる。』も君が君のままで話して欲しいになる。でも「ただし他人を傷つけてはならない」の注釈を入れなくてはならないのはどちらですか?勿論後者。まあそれが私の感想の答えです。




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